フェーレ大渓谷①
翌日、早朝にアイラは目を覚ました。
ルインのお腹に身を寄せてすっぽり包まるように眠っていたアイラはそっと身を起こした。
ルインがうっすらと目を開ける。
「出かけるのか?」
「うん、探索準備してくる」
「そうか」
それだけ言うとルインはまた目を閉じた。
普段はぐーすかと寝ていて全く起きる気配がないルインだが、こういう時は気配に敏感でちょっとした物音でもすぐに起きる。気を張っているのだろう。
アイラとルインの間にはポアが挟まっていて、気持ちよさそうに眠っていた。起こさないようにそうっとテントを出る。
空が白み始める頃合いだった。
まだ入口を閉じたままのテントも多い中、アイラは探索拠点の一際大きなドーム型テントを目指す。
冒険者のために昼夜問わずに開いているこの場所で、本日から始める探索のための準備をしようという魂胆だ。
「おはようございまーす」
「おはよう。……あぁ、君は昨日の」
アイラが挨拶をしながらテントに入っていけば、ギルドの職員が挨拶を返してくれる。
最近気づいたのだが、ギルド職員にはバベルのブレッドのように丁寧な人とルーメンガルドの探索拠点にいたクグロフのように親しみやすさ重視の人がいるようだった。
今朝のギルド職員は後者だ。
「携帯用食料を買いたいんだけど」
「ん、それならあっちの食事処だな」
親指で指し示された先では、売り子であるエプロンをつけた職員がちょうど大きな木箱を持って現れたところだった。
ここの売り子はどうやらバベルのように子供ではなく、ギルドの職員がやっているらしい。制服の上からエプロンをつけた職員が働いている。
「ありがと」と礼を言い、アイラはエプロンの職員の方に近づいた。
職員が人あたりのいい笑みを浮かべる。
「これからフェーレ大渓谷の探索ですか?」
「そう」
「でしたら、この携帯用のパンがオススメですよ。粗ごし糖をふんだんにつかっているので甘くお腹にたまりますし、硬めに焼いてあるので十日は保ちます」
木箱に並んだパンは四角く、しっかりと焼きしめられている。厚みはそれほどなく、代わりに大きい。パンというよりクラッカーに似ていた。
「じゃ、それを五十個」
「はい」
ルインとポアがよく食べるので、いつもより多めに頼む。
五十個あっても、今のアイラにはポーチ型収納魔導具があるので恐るるに足らない。
「どうぞ」
「ありがと」
五十個の携帯用パンは、十個ずつ薄い布に包まれて手渡された。
アイラは代価を支払い、パンをポーチの中へと突っ込んだ。
「よし。これで準備オッケー。ルインたち起こして、探索に出かけようっと」
朝日が出る頃合い。
アイラはたっぷりの食料を手に、フェーレ大渓谷へと向かうべく、ルインたちが寝ているテントに足を向けた。
◇
ごつごつした岩肌に萌黄色の木々が生え、谷間にはくねくねと蛇のように細長く蛇行する群青色の川が流れている。ルーメンガルドから吹く冷たい風は清涼な空気を運んできて、寝起きのぼんやりした思考を覚醒させてくれた。ふわっと花の香りが漂っている。甘いその匂いは、木々に彩りを添えている薄紫色の花のものだろうか。
朝日に輝くフェーレ大渓谷は、噂に違わぬ景勝地であった。
それはもう、アイラたちが崖の上で思わず足を止めてうっとりと眺めてしまうほど。
「わー、平和だね」
「うむ、穏やかで良いところだな」
「どうせならここで朝ごはんにしようよ」
「おぉ、それはいいな」
「……へ、へいわ……? 穏やかでいいところ……?」
しかしアイラとルインの心の底からの感想を、ポアは疑わしいとでも言いたげに否定した。その顔は、空の上に釘付けになっている。
見上げた先、本日も快晴の抜ける様な青空では、巨大な有翼魔物が飛び交っている。その影が時折落ち、快晴の空を黒く染め上げた。
灰色の鱗を持ち、翼を広げれば全長八メートルはあろうかという魔物。
竜種の中では最もメジャーで全世界的に分布している、ワイバーンであった。
「こんなところで、朝ごはんにするんだ?」
「うん、ちょうどいいじゃん?」
「そうだ、ちょうどいいだろう」
「何食べるの……? 何か用意してきたの?」
非常に猜疑心に満ちた目で見つめてくるポアに、アイラは苦笑混じりに答えた。
「やだなぁ、何言ってんのポア君。そんなの、あのワイバーンを仕留めて食べるに決まってるじゃん」
「えっ!?」
アイラはポアのリアクションを気にせず、右手に魔力を収束した。ぐんぐん大きくなる魔力は実体を伴い、赤く輝く球状になる。隣のルインも構えている。
ワイバーンは何体か飛翔していた。おそらく、朝の狩の最中なのだろう。
ワイバーンは複数体飛んでいるが、群れで生活する魔物ではない。そもそも竜種は全体的に単独行動を好み、仲間意識というものはない。ゆえに飛んでいる一体が撃ち落とされても周囲の竜が報復に襲いかかってきたりはしないのだ。
「どいつを狙う?」
「一番手前のちっさめの奴。尻尾が短めの」
「了解した」
どのワイバーンを狙うのかをルインと確認し、アイラは右手を空にかざした。そこにはもうすでに、収束した魔力が矢の形になって浮かんでいた。
人間が魔法を使って遠距離攻撃をするならば、火球よりも矢の形状をしているほうが飛ばしやすい。たぶんそれはイメージの問題なのだろう。射出速度も段違いだ。
「炎の矢!!」
呪文がキーとなり炎の矢が放たれる。アイラの腕ほども太い燃える矢はワイバーンめがけて豪速で飛んでいき、右の翼に直撃した。続いてルインの火球も矢の後を追い、同じ箇所にぶつかる。爆発音が渓谷に轟き、山肌に反射して遠くまで何重にも響き渡った。音の衝撃で、岩がパラパラと川に落ち、周囲の木々の葉がはらはらと散った。
ワイバーンは竜種の中でも強い方ではなく、魔法耐性も弱めだ。故に、殺傷能力の高い攻撃技であれば、喉仏の下の逆鱗でなくとも傷をつけることが可能だ。
アイラとルインの合わせ技によって翼が傷ついたワイバーンがバランスを崩して崖下の、ちょうどアイラたちがいる場所へと落ちてくる。アイラは素早くファントムクリーバーを抜き放つと構えを取った。水系魔法を練り上げてれば、澄み切った透明な刃がクリーバーを覆う様に形作られ、刀身を限界まで伸ばす。
「ギシャアアアアア!!」
「わっ、わっ、わああああ! 落ちてくるよおお!」
非常に獰猛な声を出すワイバーンがぐんぐん近づいてきているのを見たポアが情けない声を上げて右往左往していた。
「お前、邪魔になるから下がってろ」
「ぷぎゃっ」
ルインに首根っこをひっつかまれて後方にぺいっと投げ捨てられたポアを尻目に、アイラはワイバーンの首元に狙いを定める。逆さに生えた鱗めがけ、一分の狂いもなく刀身が伸びたクリーバーを振るった。
硬い鱗を突き破る感触、肉に刃が深く突き刺さる感覚。アイラの手に確かな手応えが伝わってくる。
かくしてフェーレ大渓谷の上空を飛んでいたワイバーンは、反撃もままならないままにアイラのクリーバーの餌食となって絶命した。
命を断ち切られて自重を支えることすらできなくなり、受け身さえも取れなくなったワイバーンは地面に叩きつけられた。ズズゥンと地面がわずかに揺れ、そして静寂。
刀身を覆っていた水魔法を解除したアイラはクリーバーをベルトに納め、パンパンッと手を払った。
 






