ビャッコ族のポア②
アイラとルインがギル草原へ行くことに決めたのは、ごく単純な理由だ。
パルモ高地でのリアム救出作戦を終え、滞在していた竜商隊にダストクレストへの手紙を託したアイラはやることがなくなっていた。
しばらくの間はシトロンの処理をしたり、そのシトロンを使ってタルトやジャムなどを作って食べたりとバベルの内部でのんびりゆっくりしていたのだが、そろそろ新しい何かを探しに行きたいなぁと思い、情報収集のためにギルドへと赴いた。
そこでお馴染みのギルド職員、ブレッドが言ったのだ。
「フェーレ大渓谷に行ってみてはどうですか?」と。
「フェーレ大渓谷はギリワディ大森林を北東に進んだ場所にある、ルーメンガルドとの境目に存在する大渓谷で、北からの寒気によって森林の植物が独自に進化している場所です。群青色の川が流れ、萌黄色の木々が繁る、大変美しい渓谷でして、一説には妖精が住んでいると噂されています」
アイラはブレッドの話を、カウンターに頬杖をついて聞いていた。
「ふぅん……でも、景色じゃお腹は膨らまないしなぁ〜」
ブレッドはメガネの奥の瞳を細め、苦笑を漏らす。
「勿論、珍しい食材もありますよ。というより、宝庫と言っても過言ではありません。フェーレ大渓谷には『三大珍味』と呼ばれる食材があります。『風切狼の蜜露草』『暁の林檎』『宵闇の硝子瓜』。どれも入手困難ですが、味は絶品、一級品。おまけに渓谷にはワイバーンがたくさん棲息しているので、肉にも困りません」
先ほどまでまるで興味なさげだったアイラの目が急に輝いた。
「えっ……珍味に、ワイバーンのお肉まで……!?」
アイラはワイバーンを食べたことがある。
灰色がかった鱗を持ち、空を飛ぶその竜は、非常に弾力のある肉質で噛みごたえが抜群だ。新鮮なうちにその場で捌いて食べるのが一番美味しいので、サバイバルにピッタリの食材だった。
おまけに翼にあたる部分は火で炙るとパリパリになって香ばしく、なんとも言えない味わいになるのだ。薄くしたチーズを焼いた時の食感に似ている。ただし味は、チーズよりも塩気が強い。
ダストクレストでは「酒のアテにちょうどいい」と言って飲んべえたちに重宝されていた。
そんなワイバーンに、三大珍味とよばれる食材までもがあるならば、ぜひとも行ってみなくては。アイラはカウンターに両手をついて身を乗り出し、ブレッドに詰め寄った。
「バベルからどのくらいかかるの!?」
「普通に行けば六日、天候や魔物の襲撃などで運が悪ければ十日はかかります。フェーレ大渓谷の手前にギル草原という場所がありまして、ここが大規模な探索拠点になっているので、長期滞在が可能ですよ」
「へえ、ルーメンガルドの探索拠点よりも大きいの?」
「はい。現存する探索拠点のどこよりも大規模です。滞在は個別のテントがある他、ギルド支部があり、素材引き取り所や食事処、金銭の保管なども承っていますよ」
「すごい便利そうじゃん」
「バベル周辺にしては気候が比較的穏やかで、腰を据えて探索する冒険者が多い場所なんですよ」
そこまで聞いたアイラは、心を固めた。
「よぉし、次の探索場所は、フェーレ大渓谷に決まり!」
こうして準備を整えてルインと共にバベルを出発し、ギリワディ大森林を抜けてギル草原に辿り着き、今に至るというわけだった。
話に聞いていた通り、ギル大草原の探索拠点は規模の大きいものだった。
ドーム型のテントの周囲に小規模のテントが立ち並び、外で焚き火をして食事を楽しむ冒険者の姿が散見される。
アイラはまずドーム型の巨大テント内にある冒険者ギルド支部で滞在手続きを済ませた。
小型テント一つを借り、必要な金額を支払う。
一泊金貨二枚。
ルーメンガルドより安いが、やはり高めの値段だ。
ついでに周辺の地図が売られていたのでそれも買った。羊皮紙に詳細に描かれている地図によると、フェーレ大渓谷は細長く、全域にワイバーンが分布しているようだった。
ギルドが存在しているテント内にはブレッドが言っていた通り食事処が併設されていて、「名物ワイバーンと白インゲン豆のソーダ煮込み」「燻製ワイバーンとチーズのカラッと揚げ」などと書かれている。
ソーダ煮込みってなんだろう。何だかわからないけど「名物」と冠している以上、きっととても美味しいに違いない。アイラも食べたい。
滞在中に一度は食べにこようと心に決めながら、ルインを探しにテントを出て、拠点の端っこの方でのんびりしていたルインとポアを見つけた次第だった。
アイラは借りたテントのすぐそばで火を熾し、鉄串にソーセージを何本も刺して炙った。炙られたソーセージはじゅうじゅうと音を立てながら皮が爆ぜ、中から肉汁が溢れ出してくる。日持ちする様に硬く焼き締めたパンには塊のチーズを載せ、それも火に炙る。するとパンには焼き色がつき、上のチーズはちょうどいい塩梅にとろけた。
「はい、どーぞ」
アイラは焼けたソーセージとチーズパンをルインとポアの皿の上に載せてやり、その横には魔法で生成した水をたっぷりと注いだ。
ルインは無言で皿にがっついたが、ポアはしげしげと皿を見つめている。
「これは……なんだ?」
「炙ったソーセージと、チーズを載せたパン」
「……これは、食べられるのか?」
「もちろん。美味しいから食べてみて!」
ポアは警戒した様子だったが、料理から立ち上る匂いとルインの食べっぷりとを見て覚悟を決めたのか、ソーセージに齧り付いた。
途端、少し赤くなった舌を突き出して顔を左右に振る。
「あつつっ」
「ゆっくり食べてね」
アイラは自分の分も皿に取り分けると、さっそく齧り付いた。
思った通り、炙ったソーセージは中からたっぷりと肉汁が溢れてきてジューシーだ。
味気なかった硬いパンは、とろけたチーズのおかげでご馳走に仕上がっている。
ただのソーセージとチーズとパンが、こんなにも美味しくなるなんて。
「焚き火と鉄串、偉大……!」
アイラは残っている食材をありったけ鉄串に刺して火で炙り、食べた。ポアはお皿にフゥフゥ息を吹きかけて自分で冷ましてから食べていた。
満腹になった三人は草むらに身を投げ出し、空を見上げる。
「あー美味しかった」
「うむ。ここまでの移動の疲れが癒える」
「ボクも、こんなに美味しいもの初めて食べた……」
至福の表情で感想を述べるアイラとルインとポア。アイラは草むらにごろんと寝っ転がり、土の匂いと頬をくすぐる草の感触を楽しみながらポアへと問いかける。
「それで? ポア君は、どこに探している食材があるか、知ってるの?」
「……『風切狼の蜜露草』は、知ってる。けど、名前の通り風切狼の縄張りに生えているから、採りに行けなくて……。あとの二つに関しては、渓谷のどこにあるのかサッパリ」
ポアはお手上げだとばかりに力なく首を横に振った。アイラは澄んだ水色の空を見上げたまま考える。
「名前からして、『暁の林檎』と『宵闇の硝子瓜』は採れる時間帯が決まってるっぽいよね。林檎は、明け方。硝子瓜は、夜が来てすぐくらい。もしかしたらその時間じゃないと見つからないか、実がならない植物なんじゃない?」
「そ、そっか……!」
アイラがギルドで仕入れた情報は少ない。
何せ珍味だというだけあって珍しい上に、採取した冒険者は詳しい場所を語りたがらないらしい。おそらく狩場を特定すると、他の冒険者も採取可能になってしまうからわざと情報を出さないのだろう。
なのでこの食材を手に入れるためには、地道に自分達で探すしかなかった。
「とりあえず明日は明るいうちに出かけて探索して地形を把握しよっか。その後に夕方から明け方にかけて探索して、目当ての食材を探そうよ」
「うむ」
しかしポアはこの決定に不服らしく、牙を剥いて叫んだ。
「えぇ!? 今から行こうよ! まだこんなに明るいんだし!」
「明るいけど、もう陽が傾いてるよ。あたしたちギリワディ大森林を抜けてきたばっかりでちょっと休憩が必要だし。どんな魔物が出るかもよくわからない場所に、暗くなってから行って何かあったら大変じゃん」
アイラはよほど空腹でない限り、あまり無茶はしない。未知の場所に行く時は慎重にとシーカーからずっと聞かされていたし、アイラとしてもその通りだと思う。己とルインの腕前に絶対の自信を持ってはいるが、それでも初めての場所で夜間行軍するほど愚かではなかった。
それでも納得がいかないのか、ポアは牙を剥き出しにしてうーうー唸っている。アイラは腰のポーチの留金をパチンと外して中から干したカラフルベリーを入れて焼き固めた携帯用の菓子を取り出した。
「はい。これあげるから、今日は大人しくしててね」
「わぁい!」
ポアはアイラが差し出した焼き菓子に齧り付くと、サクサクと食べ始めた。
「わっ……サクサクっとしてて、甘くて、でもちょっとピリッとしてておいしー!」
夢中で焼き菓子を食べたポアは、口の周りに食べかすをくっつけてハッとした表情を浮かべた。
「しまった、美味しそうな匂いに釣られてつい……!」
「じゃあ、お菓子も食べたことだし、今日は大人しくしているということで」
「ううううう、ずるい! ずるいぞ!」
「何を言われても、知らないもんねー」
アイラはわめくポアに構わずに、借りたばかりのテントの中に入ってみた。三角形のテントは二、三人で寝られるようになっている。寝袋の類はない。追加料金を払えば貸してくれると支部のギルド職員は言っていたが、薄い掛けものは持っているので不要と判断した。下は草のため柔らかく、これなら十分快適に眠れる。
「これならば雨露をしのげるな」
ルインが鼻先で幕を押し上げテントの中にぬうっと入ってきた。
「オレが入ってギリギリの大きさだ」
「あったかくて助かるよ」
何せこの場所はルーメンガルドに隣接しているため、吹き込む風には冷気が含まれている。滞在しているギルド職員も冒険者も厚手の外套を羽織っているほどだった。ルインとくっついて寝れば暖かい。結界魔法も必要ない。こんな不便極まりない場所で、これ以上望むべくもない快適さだ。
「わっ。……今夜は、ここで寝るのか?」
ポアは首だけテントの中に突っ込んで中を見回した。
「わ〜。ボク、こういう場所初めてだ……」
「ポア君はどっから来たの?」
「フェーレ山脈のずっと上の方。くわしい場所は教えられないぞ! そういう決まりになってるからな」
「神族の末裔って言ってたけど、なんか特殊な能力とかあるの?」
するとポアは、胸を張って得意げな顔をした。
「それはそうだ。聞いておどろけ……ボクは空を飛び、口からは氷のブレスを吐く!」
「え、すごいね。さすがルインと同じなだけある」
「なに……こっちの狐も神族の末裔なのか?」
ポアは目を丸くしてルインを見つめた。ルインは重々しく頷いた。
「いかにも。火狐族のルインだ」
「火狐族……知ってる! ババ様から聞いたことある! 神族の末裔の中でももっとも凶暴であぶない種族!」
ポアはひいいいいっと息を飲み、狭いテントの中で限界までルインとの距離を取り、尻尾を丸めてガタガタ震え出した。
「目があったらさいご、黒焦げにされるって言われた……こわい……」
アイラは怯え切った様子のポアを見て、ルインにこっそり耳打ちした。
「火狐族ってそんなに獰猛な種族だったの?」
「まあ確かに、血の気が多いには間違いない。おい、小僧」
最後の一言に力を込めてポアを呼びかけると、小さな神獣はビクッと全身を震わせる。
「は、はひっ」
「あんまり騒ぐと燃やすからな」
「う、ううっ……わかった……」
先ほどまでの威勢の良さはどこへやら、ルインの脅しに萎縮したポアはその後はわがままを言うことなく大人しく言うことを聞き、三人でテントの中でギュウギュウになって爆睡した。






