雷鳥の巣
バベルの塔の周囲は異なる厳しい気候に囲まれている。
それは決して偶然などではなく、かつてバベルの塔があった場所は、天高くそびえる山であったせいだ。その山を基点として東西南北に独自の気候が展開し、その気候で生き延びられるような生態系が広がっている。
たとえば東に広がるギリワディ大森林は鬱蒼と広がる大樹海の中に昆虫系や獣系、植物系など多様な魔物が暮らし、また果物やきのこなどの食材も豊富に採れる。
たとえば北に広がるルーメンガルドは果てなき雪と氷に閉ざされた一面銀世界で、生息している魔物も寒さに耐性があり、氷や雪といった魔法に長けている。
たとえば西のゴア砂漠は数億の砂粒が一帯を支配する死の大地で、砂中から飛び出すデザートワームのような脅威が潜んでいる。
たとえば南のパルマンティア海には海獣や怪魚が潜んでいて、海上を行く船を虎視眈々と狙っている。
それら四つの地域に挟まれるようにして、ヴェルーナ湿地帯、ギル草原、フェーレ大渓谷などが存在している。
パルモ高地もそのうちの一つだった。
ゴア砂漠からの熱波とパルマンティア海からの海風がぶつかる場所にあるのがパルモ高地。他の場所よりも高い場所に存在しているため、隣接するゴア砂漠ともパルマンティア海とも違う独自の生態系が築き上げられている。
そそり立つ崖の上には台地が広がっており、暖かな気候に恵まれた植物の宝庫で、ギリワディ大森林とはまた異なる木々が生えている。
パルモ高地に魔物は少ない。
なぜならばこの場所には、絶対的な力を持つ魔物が存在しているからだ。
魔物の名前は雷鳥。
雷鳥は金色の羽毛を持つ体長四メートルほどの鳥系の魔物で、その名の通り全身から雷を発生させる。パルモ高地の崖に巣を作り、周囲を旋回して他の魔物を威嚇する。平時でも非常に凶暴な魔物だがヒナを守る親鳥は特に凄まじく、近づこうものならあっという間に消し炭にしてしまう。
バベルに住む冒険者にして薬師である十五歳のリアム・アッカーは、雷鳥の巣の中で身を縮めていた。周囲にはピヨピヨさえずる雷鳥のヒナが二羽、羽を意味もなくばたつかせている。見事な金色だ。親鳥と違い、ヒナはまだ飛ぶことが出来ず、こうして巣の中で安全に過ごしながらエサを待っているのだ。
現実逃避をするように頭を上げればそこには登ることは不可能な断崖絶壁がそびえ立ち、申し訳程度に崖からにょっきり木が生えている。木には果実がたわわに実っていて、食べられるのを今か今かと待っているようだ。その上には冴え冴えとした青空が広がり、白い雲が浮かんでのんびりとたゆたっていた。リアムの窮地にはまるで無関係な、良い天気だ。
「あぁ……どうしてこんなことにぃ」
リアムは金色の瞳に涙を浮かべ、グスっと鼻を鳴らした。そして膝を引き寄せてますます小さくなる。
「うぅ……僕って本当に、なんでこんなに方向音痴なんだろう……おまけに今回は運にも見放されたみたいだし……」
ギャアアアア、と魔物の雄叫びが聞こえてリアムはビクッとした。影が落ち、そしてリアムのいる巣めがけて真っ直ぐに雷鳥が下降してくる。二羽のヒナは親鳥の帰還に喜んでバタバタとしていた。
全身からバチバチと放電している雷鳥は、翼を広げているとその威容の大きさがますます強調され、恐ろしい。リアムは薬師で戦闘の腕はからきしなので尚更だ。
雷鳥はその鋭い鉤爪のついた足でがっしと巣の淵を掴むと、身をかがめてリアムに思い切り顔を寄せた。
「アンギャアアアア」
そしてとても恐ろしい低音だが、どことなく機嫌が良さそうな声で鳴くと、嘴に加えているものをポロッと順番にヒナたちに与えた後、リアムの膝にも落とした。
橙色で丸く、すべすべした果物マドンナだ。
「あ……ありがとう……」
「アンギャア」
雷鳥は金色の瞳を細め、どういたしましてとでも言いたげに一声鳴くと、右の翼でリアムを引き寄せてすりすりすりと頬ずりした。毛が擦れるたびにばちばちばちっと放電している。リアムに雷耐性がなかったら、間違いなくこの頬擦りだけで感電死していただろう。
電撃頬擦りから解放されたリアムは、マドンナを手に取ると齧った。
マドンナは皮が薄く、歯で簡単に食いちぎれる。中身は濃い橙色でプルプルしており、まるでゼリーのような味わいで非常に美味だ。カラフルベリーよりも甘みが強く、そして採取はカラフルベリーよりも難しい。なんといってもこのパルモ高地の崖に生える木から採れるのだが、雷鳥の縄張り内にあるので収穫にはかなり苦労する。近づけば即、雷鳥からの猛攻撃が待っているからだ。
リアムは恐る恐る雷鳥を見上げる。二羽のヒナを見るのと同じ、慈愛に満ちた親の視線をリアムにも向けていた。
(うぅ……かんっっぜんに僕のこともヒナだと思い込んでる……どうしてこんなことにぃ!)
リアムはマドンナを齧りながら内心で頭を抱えていた。
パルモ高地に薬草を取りに来ただけなのに、なぜか雷鳥の巣に厄介になっているいきさつについてリアムは思い返した。
リアムは薬師だ。祖父と一緒にバベルで薬屋を営んでいる。そして魔法薬の材料が足りなくなったので、採取するべくパルモ高地へと赴いた。
薬師でもあり三級冒険者でもあるリアムは、方向音痴な上にドジを踏むことも多々あったが、魔法薬をカバンにいっぱい携えて探索に出かけることもある。今回探索に出たパルモ高地は、同じく探索に出るところだった冒険者パーティにくっついて行ったのだった。
はじめは順調だった。
パルモ高地に降り立って五秒で冒険者パーティとはぐれて迷子になったのはまあ、いつも通りのことなので今更特筆するべきようなことでもない。リアムは迷子になりつつも目当ての薬草を発見し、採取に勤しんでいた。
しかし問題はそこからだった。
採取の途中で突然の大雨に見舞われたリアムは、あまりの雨のひどさに前後不覚に陥り、結果崖から足を滑らせて滑落した。死んだと思った。しかし女神はリアムを見捨ててはいなかったーーリアムは崖の中ほどにあるマドンナの木に咄嗟に掴まり、勢いを殺し、マドンナの実ともどもその下にあった雷鳥の巣に転がり込んだのだ。
普通であればこの時点で雷鳥の怒りを買って死んでいただろう。
幸か不幸か雷鳥はいなかった。残っていたのは二つの卵だけで、そしてその卵はリアムが降ってきた衝撃のせいなのかなんなのか、リアムの見ている前でヒビが入り、卵が割れ、中から大変可愛らしい雷鳥のヒナが出てきた。ヒナたちはぴよぴよと元気に鳴き、お腹が空いていたらしくリアムと共に落ちてきたマドンナの実を一心不乱についばんでいた。ヒナはリアムにたいそう懐いて体をすりすり擦り付けてきた。生まれたてとはいえ鳥系魔物最強種に数えられる雷鳥のヒナ。体毛が擦り付けられるたびに静電気が発生し、パチパチ音がした。
そんな風にして過ごしていたら親鳥が帰ってきて、もちろん突然転がり込んできたリアムを許すはずがなく、即座に追い出されそうになったのだが、すでにリアムにすっかり懐いていたヒナたちがかばってくれたのだ。
かくしてリアムは巣に滞在することが許されて今に至る。
リアムは一層強く膝を抱え、そこに頭を埋めた。
「……一体いつまでここにいることになるんだろう……」
「アンギャア?」
親鳥は首を傾げ、ヒナたちは「ぴよぴよ!」とさえずっている。まるで「いつまでもいればいいじゃん! ずっと一緒だよ!」と言っているようで恐ろしい。かすり傷だけで一命を取り留めたのは不幸中の幸いだったが、この状況からどうすればいいのかが全くわからない。いつヒナや親鳥の気が変わって「こいつ食糧にしちまおうぜ」となるかわからないのだ。
と、リアムが己の境遇を悲観していると、親鳥が急に警戒するように鋭い鳴き声を発した。間近に聞こえる威嚇の声にリアムが思わず自分の頭を抱える。魔物はバサバサと羽を羽ばたかせ、ますます激しく鳴いた。
「急に、一体何……何なの!? あ……」
リアムが恐る恐る目を上げると、遥かパルマンティア海の上を飛翔する美しい水色のドラゴンの群れが見えた。
五頭のドラゴンは近すぎず離れすぎず絶妙な距離を保って飛んでいる。なめらかな水色の鱗は太陽の光を反射して光り、優雅に、まるで泳ぐように空の上を進んでいた。
親鳥はヒナとリアムを守るように立ちはだかりながらギャアギャア鳴き続けている。鳴いているのはこの雷鳥だけではなく、周囲にいる雷鳥たちも同じように叫んでいるので、まるで不快な演奏を聞いているかのようだった。頭が痛くなってくる。それもそのはずだった。
スカイドラゴンは雷鳥のほとんど唯一の天敵なのだ。スカイドラゴンはしばしば雷鳥と縄張り争いをするし、おまけに雷鳥のヒナを餌にするので、親鳥たちは食べられてはたまらないと警戒しているというわけだ。そんなスカイドラゴンがスイーっと空を駆け、一直線にバベルへと向かっていくのが見えた。
「あぁ……もう竜商隊が来る時期だったのか」
統率をとりつつバベルに飛んでいく五体のスカイドラゴンは野生のものではない。今となってはバベルと外国とを繋ぐ、ほとんど唯一の交易手段となっている商隊が使役している魔物だ。
スカイドラゴンが姿を消したことで雷鳥の警戒が解けた。リアムは深いため息をつく。
「じいちゃん、心配してるかな……不甲斐ない孫でゴメンナサイ……」
リアムは一緒に魔法薬店を営んでいる祖父の姿を思い浮かべ、謝罪をした。
「はぁ……どうにかして、ここから出られないかなぁ……」
リアムの悲痛な声は、雷鳥の「アンギャア!」「ぴよぴよ!」という声を前に虚しくかき消された。






