女神ユグドラシルの下へ②
冒険者都市バベルには、地図には載っていない地下が存在している。
地下には牢獄が存在しており、罪人となった者が繋ぎ止められているのだ。
フレデリックもそのうちの一人だった。味気のない黄土色の壁に身を預け、窓すらない薄暗い天井に目を向ける。両手に枷を嵌められて鉄格子の内側に捕らえられていても、後悔なんて微塵も感じられなかった。
バベルに戻ると決めた時からこうなることなどわかりきっていたし、フレデリックは犯した罪を償うべきだった。
今はただ、寂寞とした中にも清々しい気持ちがある。
この五年ずっと胸の内を支配していた苦しみから解き放たれた。
ジーナが自分の下へと戻ってきて、恐れていた治癒魔法を使うことにすら成功した。これ以上望むべくもない。
ただ一つ気掛かりであったジーナの遺体は、アイラと一緒にいた喋る狐に託した。アイラが目を覚ましたら、自分の代わりに弔って欲しいと告げてある。
ジーナは何の罪もない一介の冒険者であるからして、願いは聞き届けられるだろう。
バベルは全ての物価が高い都市だが、例外的に葬儀だけは金がかからない。
死んだ人間が真の安らぎを得るためには、然るべき儀式が必要だ。
女神ユグドラシルを祀る祭壇で、聖職者が弔いの聖句を唱えながら遺体に香油を塗って火を灯す。
この世界では、人も魔物も植物も、死んだ命は等しく世界樹へと還り、女神様の下で安らかなる眠りにつく、と信じられている。
聖職者は死者が道を間違えずに世界樹に辿り着けるよう、導となるのが役目だった。
聖職者が覚える聖典の「死者の章」は、葬儀の時に唱える一説が書き記されていて、フレデリックも当然諳んじることができる。
バベルに住む聖職者の手に渡れば、ジーナは然るべき弔いの手順を踏むことができる。
フレデリックにはそれだけで十分だった。
自分はこの場所から、ジーナへの手向けの言葉を唱えることにしよう。
フレデリックは満足して瞳を閉じたが、地下牢の廊下に足音が響き渡り、誰かが自分の閉じ込められている牢の前で足を止めた気配を感じたので再び目を開いた。
立っていたのは、雪原で出会ったあの不思議な二人組みだった。アイラは汚れがすっかり落とされ、清潔な衣服を身に纏っていた。前髪はマンムートとの戦いでざっくりと切り落とされ、両目ともに晒されている。アイラは鉄格子越しとは思えない気さくな笑顔を浮かべ、気軽な調子で片手を上げた。
「やっほ、フレイ! 捕まってるって聞いたけど、大丈夫?」
「何の問題もない。何をしにこんなところに来たんだ?」
「お礼を言いに来たのと、ちょっと用事があって」
「……? 礼を言うのはこっちのほうだ。俺はアイラに何かをした記憶はないが」
「またまたぁー! マンムートとの戦いで死にかけてたあたしを助けてくれたでしょ。おかげさまで全然見えてなかった左目の視力まで回復してるし、なんかもう本当にありがとうって感じ! 死にかけてラッキー!」
「死にかけてラッキー……」
思わず脱力してアイラの言葉を繰り返すフレデリックに同意するかのように、ルインも呆れた目を彼女に送った。
「そんなこと言うのはアイラくらいなもんだぞ」
「そう? でもフレイが回復魔法使ってくれてラッキーだったよ!」
アイラは牢獄中に反響する声であははーと笑った。底抜けに明るい顔と声だった。何だか色々と感傷的になっていた自分がアホみたいになって壁に背中を預けたままずるずると滑っていく。
「……お前は一体何なんだ本当に……それを言うためにわざわざここまで来たのか?」
「それもあるんだけど、それだけじゃなくって。あのねー、今から百一階に行くから、フレイも一緒に行こうと思ってね」
「……ひゃく、いっかい?」
「そうだよ」
アイラはなんてことのないように言うと、懐から鍵を一本取り出して牢屋の鍵を開けた。キィ、と音がして扉が開く。しかしフレデリック自身は、何が起こっているのか事態を飲み込めず、まだ座り込んでいた。
「おい。俺は罪人だ。どうやってお前がその鍵を手に入れたのかは知らないが、許可なく出ていっていいはずがない」
「許可ならあたしがセイアお兄様に貰ったから大丈夫」
「セイアお兄様? 誰だそれは」
「バベルを統治するフィルムディア一族の……オデュッセイアお兄様」
予想外に大物すぎる人物の名前に、フレデリックは動揺した。
「そんな雲の上の人物と、どうやって知り合いになったんだ?」
「んー、色々あって沼地でしばらく一緒に暮らしてた」
全く意味がわからなかった。フレデリックの場合もそうだったが、アイラにとっては行きずりの人間と生活や行動をともにするのが普通なのだろうか。フレデリックの混乱をよそに、アイラは牢の外から手招きをした。
「そんなことはどうでもいいから、ほら、出ておいでよ。百一階に行って、これからジーナちゃんの葬儀するんだから。フレイがいないと始まんないでしょ」
アイラは、両目でまっすぐにフレデリックを見つめる。その水色の瞳は、どこまでも澄み切っていて汚れがない。まるで子供のようだ。片目だけでも力強かったが、両目が揃うと尚更だった。アイラから溢れ出る意志の強さを感じさせるその青空を閉じ込めたかのような綺麗な瞳から、フレデリックは視線を外すことができなかった。贅沢すぎる提案に、迷いながらも口が開く。
「……俺が……行ってもいいのか……」
アイラはその顔に、この二日間で何度も見せてくれたからっとした笑顔を浮かべ、全く裏も表もない声と態度で言い切る。
「いいに決まってるじゃん。あの子は、フレイの妹なんでしょ。フレイが見送るのが
一番いいに決まってる。そのために許可貰ったんだから」
もうこれで、腹は決まった。フレデリックは足に力を入れて立ち上がると、急いで牢の外に出た。






