#1 ヘンゼルは小石を選ぶ
「……またDIDは基本人格と主人格は異なる場合もある。私個人の意見としては、むしろ異なるのが道理だと思うけどね。なにせ、まあ、何度も説明している通り、DIDの要因として考えられるのは……」
飽きもせずつらつらと持論を展開する教授をぼんやり眺めながら、越智 琉生はあくびを噛み殺した。窓の向こうは今にも泣き出しそうな重たい雲が空を覆っており、一層気分を下降方向へと誘う。
出席だけで単位がもらえると噂の講義も、はじめのうちこそなんとかついて行こうと努力したものだが、今では居眠り、早弁、あるいは内職、過ごし方は様々あれど、まともに聴くことの方が少ない。
今日はこの3コマ目が最後だから、久しぶりにサークルに顔を出そうか。琉生の家庭の事情でほぼほぼ幽霊部員と化してはいるが、一応所属していることになっている映画サークルは、もともと映画なんて撮りもしなければ見もしない、時折撮影合宿と称したお泊まり会をする程度のゆるいサークルだ。ぶっちゃけ面子も全員把握していない。
平凡よりもやや消極的なキャンパスライフ。まあ、悪くはない。自由度は高いに越したことはないのだ。特に、自分の場合は。
「越智」
つい、と隣からつつかれて、琉生ははたと我に返った。隣でほかの講義のレポートを黙々と進めていたはずの女友達は、スマートフォンをするりと机の上に滑らせる。反射的に、映し出されているチャット画面に目をやった。
「今度、サークルのメンバーで飲み会しよってさ」
「おー、いいじゃん」
「越智も参加ね」
「ん。あーでも、あんま遅くまでは無理だから」
「はいはい。てか越智、いい加減グルチャ入ってよ、なんでいつもあたしが中継してんの」
「お前ね。じゃあアンジー招待してよ。入るから」
「んー、覚えてたらね」
「って言ってお前が忘れるんだよ」
アンジーこと杉本 杏樹はさっさとスマートフォンを回収する。割合人見知りがちで、付き合いもそんなによくない琉生の連絡先を知っているのは、サークルでも部長格と同期で同じ専攻の杏樹くらいだ。
本当は、もっと友達と出歩いて、キャンパスライフを謳歌すべきなのかもしれないけど。そうはいかない事情がある。まあそれが、琉生を幽霊部員にしている“家庭の事情”だ。
「越智、何時までいられる?」
「粘って8時。妹に夕飯作ってやらないと」
「はー、越智ってほんとシスコンだよね」
杏樹は赤いポリッシュで彩られた指先を液晶に滑らせながら肩をすくめた。
「まあ、大変だとは思うけどね、目の見えない妹ちゃんと二人暮らしだし。介護疲れしない?」
「しないよ、片割れだからね。あの子の考えてることはなんでも分かる」
琉生はふと口の端を持ち上げる。そうして紡ぐのは、琉生たち双子の合い言葉だ。
「琉生と“みちる”は二人きりだから」
杏樹は耳たこだとばかりにマスカラで縁取られた瞼を伏せた。