19歳のスタートライン
……19歳の頃、私は神戸にいた。
ノストラダムスの大予言が当たるとか当たらないとか。そんな時代を通り越した私は特にやることが見つからないまま専門学校に入学を決めた。両親に申し訳ない気持ちはあったが受験勉強もしたくなかったのだ。幸いにも成績は真ん中よりも上だったのもあり資料を送るだけで受かった。
元々がコミュニケーション能力に乏しく小さいときからの人間関係に甘えていた。それもあり新しい人間関係を作るのがとても難しかった。とにかく外にでたかったのだ。
初めて新神戸駅に降りたときに人の多さにとても驚いた。後に横浜や東京に行ったときにさらに人の多さに驚くことになるのだが。その時は最寄り駅が無人駅のような田舎に住んでいたのでただ人に驚いた。同じ言葉を繰り返してしまうぐらい世界が違って見えた。
そして内心、これからの未来にワクワクしていた。すべてが前向きに取らえることができていたんだ。この時までは。
引っ越しを両親と済ませた。神戸の三ノ宮にあるプログラミングの専門学校。住居は専門学校の寮にはいったのだが普通のワンルームに住んでいるのと同じだった。新しい世界にワクワクしていた。ここから新しい生活が始まる。新しい自分になることができるってね。
入学式を終えた私はやはり一人だった。友達の作り方なんてわからない。根本的に話すことが苦手で笑顔で人とうまく話せない。2週間ぐらい誰とも話さなかった。嘘みたいな本当のお話。
寮と謳っているが単身アパートと同じなので生活自体は快適だった。インターネットもケーブルで繋ぐことができて使いたい放題だった。友達と言えるのはクラスではやはりできなかったけれど。しばらくそんな生活をしていた私に同じ寮に住んでいて違うクラスのT君が話しかけてきた。
「その靴、DCだよね?」
「あ、うん。」
久しぶりに声を出したからうまく出せない。
「SK8でもするの?服は普通だけど。」
「ちょっと前から滑ってて。板もあるよ。」
「へー!俺もやってる。今度一緒に滑ろうや。」
「もちろん!」
カタコトの単語で話すのが精いっぱいだった。今でもあまりかわらないけれど。
実は18歳の後半、高校を卒業するまではSK8(スケボー)をしていた。同級生と夜な夜な滑っていたのだ。駅前だったり夜中の公園だったり。コミュニケーションが苦手だった私はこういった方法で自己表現をしていた。技を決めると友達も喜んでくれて気持ちがよかったからだ。
それからT君と一緒に過ごすことが多くなりT君経由で友達も増えた。一緒に神戸のメリケンパークに滑りに行ったり高架下に服を買いにいったりなんかした。友達ができたのが純粋に楽しかった。相変わらず彼女はできなかったけど。
彼女自体はコミュ症の割にいたことはあった。初めての彼女は中1だったし高校でもそう呼べる女の子はいた。話すのが苦手な分、行動や特技で自己をアピール術を自然と身に着けていた。そもそも田舎の狭い世界だから私のことをよく知ってる人が多かったからだ。
学校でプログラミングを習ってるのにそっちの友達がなかなかできず昼夜逆転生活を送る。やはり人肌が寂しかった私はネットを通じてチャットというものを知る。顔も見えないし話す必要もない。タイピング自体は高校の時にある程度マスターしていたから容易にできた。当時はチャットで会話するサイトが沢山あったのだ。
好きな名前を決めて文字で会話に参加する。これなら簡単だった。そして普段の自分とは違う明るいキャラクターを演じることもできた。顔文字も多様していたし明るい自分でいれた。とても心地よかった。現実とのギャップはあったのだけれど。
そんな時にあるサイトに辿り着く。今はないけどマーマーチャットというサイトだった。クリックしてアイコンを自由に移動でき吹き出しでチャットを打つ。打った吹き出しは一定時間で消える。そんなサイトだった。
そこで陽気な陽キャを演じていた私はある女性と出会う。北海道に住む女性で学生だと言っていた。しばらくチャットで話す日々を送りいつしか電話で話すようになっていた。どちらから番号を交換しようって言ったかは定かではない。毎日毎日話していた。ある時に彼女が打ち明けてきた。
「実はね……。」