(2)噂の稲荷神社には、神さまの試練があるらしい。
放課後、教室に残って宿題を解いていると声をかけられた。思っていたよりも集中していたみたい。気がついたら、窓の向こうは茜色に染まっている。
「中西、まだ残っているのか」
「あ、先生。そうなんですよ。部活に行った親友待ちしていて。彼女が帰ってきたら、下校しますから」
「そうか……」
少しだけ遠い目を何か考えている橋口先生。先生、まさか私に友達がいることを疑っていませんかね? いやだなあ、ぼっちじゃないですよ。……親友、遅いけれど私のことを置いて帰ったりしていないよね? いつも一緒に帰ってるもんね? な、なんか急に不安になってきた。
「手に何か書いてあるが、買い物か?」
「ぎゃー!」
「見られて恥ずかしいものなら書いておくな。なんだ『いなり寿司』に『油揚げ』? お母さんに頼まれたお使いか?」
「ばっちり見られているし!」
「まあなんでもいいが、あまり遅くならないうちにちゃんと帰るように」
ぽんぽんと頭を撫でられて、叫び声をあげたくなった。なにそれ、不意打ちとかずるすぎるでしょ。バカ、バカ。女子高生の気持ちを弄ぶ悪い教師め!
「中西、お前はおっちょこちょいだからな。知らないひとについていくんじゃないぞ」
「幼稚園児じゃあるまいし、大丈夫です!」
先生が教室から出て行くのを見送った後、ふと窓の外を見たら親友が校門を出て行くところだった。ぎゃー、置いて行かれた! いや、気を使ってくれたのかもしれないけれど、せめて途中まで一緒に帰ってもらわないと、私、ひとりで学校の裏手にあるとかいう神社に辿り着けないよ!
***
それで親友を追いかけて歩いてきたはずなんだけど。どうも様子がおかしい。数メートル先を歩いているはずなのに、どうやっても追いつけない。怒って私を置いていっているというわけでもないようだ。
それというのも、途中のコンビニでいなり寿司と油揚げを買っている間も一応待っていてくれたからだ。だったら一緒にコンビニに入ってくれたら良かったのに。連れていってくれるお礼に、ジュースくらいおごったよ? 一応、ふたりで食べられるようなお菓子は買ってきたけど、どのタイミングで渡すべきかなあ。
カバンとコンビニの商品を持って必死に彼女の後ろを追いかける。そうして気がつけば、見たことのない神社が目の前にあった。な、なんだ、ちゃんと連れてきてくれたんじゃん。
「もう、怒ってないならどうしてそんなに急いで来たのさ!」
……返事はない。ただのしかばねのようだ。
じゃなくって、薄暗い境内には私以外誰の気配もなかった。え、嘘でしょここ突き当たりだよ? 境内を突っ切ればまた別の道に繋がっているのかもしれないけれど……。
――知らないひとについて行くんじゃないぞ――
先生の言葉を思い出し、一瞬だけどきりとする。いやいや、大丈夫でしょ。だってまだ夜じゃないし。まだぎりぎり夕方だし。でもまあ、お化けとか関係なく、あんまり遅くまでうろうろせずに帰ろう。足が痒すぎる。すでにこの神社に来てから、数ヶ所蚊に刺されている。これがO型女子の宿命か。
気を取り直して、お参りすべくお賽銭箱の前に立った。
ご縁がありますようにだから5円?
いや、やっぱり5円がダブルでありますようにってことで、55円?
それとも、穴が開いているお金はよくないって聞いたしじゃあ100円?
いっそ、奮発して500円にする?
「ひとりで間抜け面して、何やってんの」
「ひゃあわうわううぃあ」
びっくりし過ぎて、財布の中身をひっくり返しそうになった。危ない危ない。振り向くと、しらっとした目で男子高生がわたしを見ていた。
「あ、ナンパはお断りだから」
「だれが、ナンパするか!」
「俺がここに来るのを知っていて、先回りしてきたんじゃないのか」
「なんなの、この自意識過剰男」
あの制服は、ここら辺でも有名な男子高のものだ。頭良し、家柄良しのはず。大体通うのは、医者の息子さんとかじゃなかったっけ? しかも顔までいいってか。けっ、このエリートめ! ま、性格はそのぶんひねくれてそうだったけどね! あなたみたいなやつは、イケメンでもお断り。私には、大好きな橋口先生がいるんだから!
「じゃあなんで、さっきからうだうだ時間かかってるの。やっぱり俺を待ちぶせしていたんじゃ……」
「違うし。お賽銭、いくらにしようか迷ってただけだし!」
「そこは財布の中身を全部突っ込んだら?」
「出たよ、この金銭感覚の違い!」
「わざわざこんなところにお参りに来てるんだから必死なのかと思ったら、そうでもないのか。お賽銭は悩むくせに、コンビニで買い食いはできるとかそっちの方が意味わかんねえし」
「これはお稲荷さんへのお供えもの!」
「中に色々入ってるだろ」
「うるさいなあ」
それは親友と一緒に食べようと思って買ったの。放っておいて。
だめだ、こいつといるとペースが崩れるわ。さっさとお参りを済ませよう。
ってどこに置いたらいいのよ。地べたに置くわけにもいかないよね……。仕方がないから、お賽銭箱の端に載せてみた。
「お供えするのはいいけど、ちゃんと後から持ち帰れよ。そのままにしておいたら、野良猫やカラスに漁られて迷惑かかるぞ」
「わかった、わかったから!」
小姑か、こいつは!
金額はとりあえず悔いがないように500円にしてっと。なんでお札じゃないかって? 今払える最高金額が500円なんだよ、とほほ。
――先生と……――
先生と両想いになれますように。そう願いたかったけれど、言葉にすることができなかった。親友にも話したけれど、私は先生と彼女の仲を裂きたいわけじゃなかったから。
うんと考えた上で、願いを伝えた。
――先生が幸せになれますように。私も幸せになれますように。私が先生のことを好きなことを、先生にちゃんと伝えらえますように。心の片隅で構わないので、先生が私のことを覚えていてくれますように――
本当はさ、1回くらいデートをして、あわよくばむふふなこともしてみたいっちゃしてみたいけれど。私もそりゃあ年頃の女子だからね。でも、やっぱり好きなひとの幸せが一番だからさ。
「願いごとの中身ってなに?」
「それ初対面の人間に聞く?」
「……話したくないなら、別にいいけど」
「えへへへ、私好きなひとがいてね」
「いや、やっぱりいい。なんか話が長くなりそうだし」
「え、いいじゃん聞いてよ。そのひとって、学校で数学を教えてくれる先生なんだけどさ」
「教師と恋愛なんか、小説か漫画だけの世界だろ。アホらし」
「見ず知らずの人間にそんなこと言われる筋合いなんてないんだけど」
「……本当のことを言ったまでだ」
「それで相手がどう思うかとか、考えたりしないの? 幼稚園からやり直したら」
「じゃあお前は、教え子に手を出すような教師が道徳的だと思ってるのか?」
「そういう話をしているんじゃないでしょ」
「いいや、同じことさ。話は終わりだ。塾をサボってここに来ているんだ。お参りを済ませて、俺はさっさと帰るぞ」
「何を勝手に話を終わらせてるの。私はお参り終わったけれど、あなたが先生のことをわかってくれるまで、帰らせないんだから!」
そこまで言ってふと後ろを振り返ったとき。
私は目を瞬かせるしかなかった。だって小さな境内の向こう側には、白一色。それ以外には何もなかったんだから。
***
「いやいやいや、おかしいでしょ?」
何これ、白昼夢?
もしかして私、熱中症にかかって倒れちゃってるんじゃないの? そのせいで幻覚でも見てるんじゃない?
境内のこちら側とあちら側、一体何で隔てられているんだろう。真っ白な壁かなにか? それとも白く見えるだけで、境内の向こう側には手を伸ばしても何もないのかもしれない。
ドキドキしながら手を伸ばすと、もふっというか、むにゅっとした感触がした。やはり物理的にこちら側とあちら側は分けられているらしい。さらにどこまでそれが続いているのかと思って、手をついたまま境内を一巡りしてみようとしていると、さきほどのイケメン高校生に、その手を掴まれた。問答無用でぐいっと引っ張られる。
「あいたたた、急に何するの。危ないでしょ」
「バカ、お前は何をのんきに『それ』をつついてるんだよ」
「え、ダメだった?」
「こんなわけのわからないものを素手で触ってどうするんだ!」
「手袋があれば良かったの?」
「あってもダメだ。少しは危険予知行動をしろ。お前みたいなやつが、台風の時に田んぼの様子を見に行って流されるんだよ」
「はああああ、じゃああなたはどうするっていうのよ」
そこまで偉そうにひとの批判をするのなら、お手本を見せてみなさいよ。
「まずは外部と連絡が取れるかの確認だろう」
「……確かに」
わりとまともだったので、従うことにした。
***
結果として、ここから出られないし、どこにも連絡がつかないことが判明しました。消防や警察とかってかけたことがないから、ドキドキしたよ。結局繋がらなかったんだけど。
「はあ、お腹空いたなあ。あ、飴とか買ってたんだ! 食べる?」
「空腹を感じる神経の図太さが羨ましい」
「ひとりだったら怖かったかもしれないけどさあ」
「……やけになって、俺のことを襲うなよ?」
「それ、普通は女子が心配することじゃない? まじでなんなの?」
いかんいかん、お腹が空いているとひとはイライラしやすくなるんだよね。会議は午後からやれって、テレビでも言ってたし。慌てて買っておいた飴を口の中に放り込んだ。
「また、チョイスが渋いな」
「50年変わらない美味しさのキャンディになんてこと言うのさ。見た目だって水晶みたいで、すごくキレイなのに」
「飽きさせないように、メーカー側が毎年マイナーチェンジしているに決まってるだろ」
「もうごちゃごちゃうるさいなあ。とりあえず食べなよ。どっちにする?濃い色? 薄い色?」
「味じゃなくて色で選択なのか?」
「どっちも美味しいから、食べ終わったら違う色にすればいいじゃん」
「まさかとは思うが、それぞれの色で選別している理由は、味の違いがわからないからってわけではないんだな?」
「とりあえず、どっちも美味しいよ!」
「聞いた俺がバカだった。薄い色の方のキャンディをくれ」
糖分を吸収しながら、がんばって友好的に振る舞ってみる。
「じゃあさ、まずは自己紹介しようよ。私は中西ひまり。高校2年」
「俺は、衣笠薫。同じく高2。高校は……」
「見ればわかる。私のとこも言わなくても別にいいよね?」
「……どこ?」
「うちの高校、あなたのとこのすぐ近くなんだけど! 通学範囲としてはわりと被ってるんだから、頭の片隅には入れておいてよ」
「……そういう制服だったか?」
「もう今から覚えて! 英単語1個分くらいの脳細胞で、制服のデザインくらい覚えられるでしょう!」
けっ、エリートは公立高校とか眼中にないってか。きいいい、やっぱりこいつ腹立つわ。
***
「それにしても、一体どうしてこうなったんだろうね?」
「噂を知っていてここに来たんじゃないのか?」
「噂?」
「ここは、願いが叶う稲荷神社。ただし、神さまが願いを叶えるにふさわしい相手か、試練を授けて見極めるらしい。試練に失敗すればここから出られなくなる。つまり神隠しにあった形になるわけだ」
聞いてない、そんなの聞いてないよ? 親友、わかってて言わずに送り出したってこと?
「衣笠くんは、もうお参りした?」
「まだだ」
「……じゃあ、これって私の願いごとが叶うかどうか、かつ家に帰れるかの瀬戸際ってことか。あのさあ、衣笠くん」
「知らん」
「まだ何も言ってないし! 私の人生がかかってるんだから、そんな冷たいこと言わないでよ!」
「自分の願いごとなんだから、俺を頼るな」
「でもどうせ一緒に閉じ込められてるんだから、力になってよ。大体、試練ってなんなの」
「そりゃよくあるのは、自分にとって怖いものと対峙するとかだろ」
「なんでフラグを立て始めるの?」
「傾向と対策。試験でも当然のことだろ」
「……そうだね」
「お前、友達の『全然勉強してない』を真に受けるタイプだな。大丈夫か?」
「ううううう」
思い出したくない記憶が!
「で、お前が今一番怖いものは?」
「赤点じゃない数学のテスト」
「は?」
「先生の補習を受けられないどころか、カンニング扱いされる可能性が高い……。バカだって思われるのはいいけど、ズルするやつって思われるのはイヤー!」
「むしろ、数学でカンニングとか、何を何のためにカンニングするんだ」
「そりゃあ公式をメモる」
「なぜ?」
「は?」
「覚えなくても、自分で作ればいいだろう」
「わーん、あなたにはわかんないのよおおお」
涙目で、衣笠くんに質問を投げ返す。完璧男子の怖いものを聞いて、笑ってやるんだから!
「で、あなたは何が怖いの?」
「この間スマホで音楽を聞いていたとき、気がついたらデータ通信になってた」
「うわ」
「確かに自宅のWi-Fiに繋いだはずなのにだ」
「なにそれ!」
「まだ請求が来てなくて、結構胃が痛い」
私もそれは怖い。想像したら、胃が痛くなってきた。でもさあ……。
「まあここで、求められている試練っていうのはこういうのじゃないよね」
「だろうなあ。お前、お化けとかそういう系統を一切信じない人間なのか」
「いやそういうわけじゃないけど、昔小学生の頃、『花子さん、遊びましょ〜』って言いながら仲良しグループのみんなで昼休み中トイレのドアを叩きまくったら、教頭先生にめちゃくちゃ怒られたから、花子さんより教頭先生の方が怖い」
「それはお前が悪いな」
少しだけ、空気が変わった気がした。それは、衣笠くんも感じたらしい。
「今の会話のキーワードは、たぶん『花子さん』だな。相手は、怪談とか都市伝説を求めているのか?」
「都市伝説といえば、この間ネットニュースで、『口裂け女が怖い』って……」
私が話しかけたとき。言葉に引き寄せられたかのように、マスクで顔を大きく隠した女性がいきなり境内に現れた。




