三日分嗅がないといけないのれ
早朝、いつものように鍛練の差し入れを用意するため厨房に行って、グレニスの不在を聞かされる。
「まだお戻りになってないんですか……」
今日こそはと高まっていた期待が全身からひゅるひゅると抜けていく。
一緒に出かけた日の翌朝に会ったきり、もう丸二日もグレニスに会えていない。
仕事が忙しいらしく、城に泊まり込んでいるのだ。
「なぁに、そーんな萎びた人参みたいに落ち込まんでも、さすがに今日明日あたり帰ってこられるだろうよ。今までだってそうさ。城籠もりが三日も続きゃ、一旦は帰ってこられた。心配しなくても旦那様ならお元気でやってらっしゃるさ!」
ガックリと項垂れる私の背を、料理長が痛いくらいにバシバシと叩いて励ましてくれる。
「はい……」
力強い励ましの余韻にグラグラと揺れながら、タオルだけが乗ったワゴンを押して厨房をあとにした。
「今日はまた随分とメイド長に叱られてたわねぇ」
就業時間を終え使用人食堂で夕食をとりながら、マニーが憐れむような眼差しを向けてくる。
「まあね……」
掃除中にボーッとしていてバケツの水をひっくり返したり、掃き集めた枝葉の山に箒をかけてせっかく集めた枝葉をばら蒔いたり、洗濯場ではいつの間にか自分が身に付けているエプロンの裾を洗濯していた。
それらを運悪く目撃され、あるいは人づてに伝わり、メイド長から注意力が足りていないとこってり絞られたのだ。
「私もわりと叱られる方だけど、今日のリヴには敵わないわ」
「まあね……」
メイドの中には手を抜いていても全然叱られない人もいるというのに、世の中うまくいかないものである。
グレニスには会えないわメイド長には叱られるわ、もう今日は踏んだり蹴ったりだ。
事務的な動作でスプーンを口に運ぶ私へ、マニーがニヤリと笑いかける。
「そんなリヴに、朗報がありまーす!」
「……なぁに?」
のろのろと重い視線を上げる。
「なんと! 先ほど旦那様がご帰宅なさったそうです!!」
「本当にっ!?」
自分でも驚くほど大きな声が出てしまった。
唖然とこちらを見つめる周囲に気付き、なんでもないです、ごめんなさいと手を振って、乗り出した上体を戻す。
マニーは期待通りだったのだろう私の反応に、フォークを咥えながらニヤニヤと口元を緩ませていた。
「大好きねぇ」
「……もしかしてからかったの?」
じとりと恨みがましくマニーを見やる。
「まさか! ご帰宅されたのは本当よ。さっきそこで、お出迎えしたって人に聞いたんだから!」
マニーは慌てたようにそう言って、敵ではないとアピールするように両手を顔の高さに掲げてみせた。
「そう……」
冗談ではないとわかり、ほっと息をつく。
今晩帰宅したということは明朝の鍛練時には会えるだろう。
二日ぶりにグレニスに会える。
鍛練後の熱い身体にしがみつき、大好きな香りを身体いっぱいに吸い込んで、他愛ない言葉を交わせる。
「リヴ、顔緩んでる」
おっと、いけないいけない。
気を抜けばだらしなく緩みそうになる表情をこれでもかと引き締めて、ぐぐっと眉間にシワを寄せたまま食事を続けた。
広い鍛練場の中央に人影を見つけ、走り出さないギリギリの速度でワゴンを押して向かう。
グレニスだ!
グレニスがいる!
鍛練場に近づくほどはっきりと見えてくるその姿は、紛うことなく大好きなグレニスで。
「おはようございます、旦那様っ!」
「ああ。リヴ、おはよう」
こちらを向く群青の瞳、心地よく響く低音、頬を伝う汗。怒っているかのようなその険しい表情までも、何もかもが愛おしくて。
すぐにでも飛び付きたいと逸る気持ちを必死に抑え、そわそわと落ち着きなく鍛練場の片隅に控えた。
鍛練が終わるや否や、はちみつレモン水を注いだゴブレット片手にグレニスに飛び付く。
「おつかれふぁまれふっ! ろうぞ!」
「……順序がおかしくないか」
胸に突っ伏したままゴブレットを差し出す私の手から、グレニスがゴブレットを取り上げる。
口ではそんなことを言いながらも、優しいグレニスの片腕はしっかりと私を抱きしめ返してくれている。
空いた両手でしっかりとグレニスにしがみつくと、二日ぶりの抱擁に大きく大きく息を吸い込んだ。
すぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ
ああ、この香りだ。ずっとこの香りを嗅ぎたかった。
熱く野性的でいて、ほのかに石鹸だろうミントの香りがして、どこまでも安心するような。
すぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ
「熱烈だな」
はちみつレモン水を飲み終え、空のゴブレットをワゴンに戻したグレニスは、改めてぎゅっと私を抱きしめてくれた。
「……三日分嗅がないといけないのれ」
離れていた二日と、今日の分を合わせて三日分だ。
吸うだけで間に合うだろうか。ちょっと噛るくらいしないと足りないかもしれない。
すぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ
「それは大変そうだ」
笑いを含んだ声が降る。
大変。大変といえば……。
「旦那ふぁまは、大丈夫れふか? お仕事が忙しくて無茶してまふぇんか?」
大好きな香りをたっぷりと供給されたことで、ようやくグレニスを心配する心のゆとりが生まれた。
帰宅せず泊まり込むくらいだ。真面目なグレニスのことだから、寝る間も惜しんで仕事にあたっているのではないだろうか。
「まあ、多少はな。だが心配するな、休息の重要性もわかっている」
「ひゃんと休んれくらふぁいね……。……あの、こんろの水妖に、また訓練を見学に行ってもいいれふか?」
グレニスが忙しくて城に籠もっているのなら、私から会いに行けばいい。
別に甲冑訓練じゃなくても構わない。演習場の片隅から大人しく眺めるくらいなら、そこまで迷惑にもならないはずだ。
「すまない。あいにく緊急の案件にあたっていて、俺は訓練に参加できそうにない」
「そうれふか……」
せっかくいいアイディアだと思ったのに。
グレニスは俯く私の顎に手をかけて上向かせると、人差し指と親指でむにゅっと左右の頬を寄せた。
「なあ、リヴ? 俺が不在だからといって、嗅げれば他の人間でもいいなどとは言うまいな?」
「い、言いまふぇん……」
左右の頬を寄せられ、くちばしのように突き出た唇でピヨピヨと答えれば。
「いい子だ」
格好悪く突き出した唇に、ちゅっと優しい口付けが降った。
ピヨピヨ(゜∈゜ )
次回更新は~、月曜日!٩( ᐛ )و




