何もしてません!
初なろう投稿、よろしくお願いいたします。
厨房で芋の皮剥きを終え、次の洗濯場へ向かう近道にと裏庭を突っ切っていた私は、どこからかほのかに漂ってきたかぐわしい香りに足を止めた。
すんすんと鼻を鳴らし、誘われるようにふらふらと風上へ足を運ぶ。
たどり着いたのは屋敷の外壁前。
植え込みが途切れそこだけ地面が露出する一角に、大きな敷物が広げられ、ずらりと甲冑のパーツが並んでいた。
どうやら手入れした甲冑を陰干ししているところらしい。
この屋敷の主である若き侯爵様は城で騎士団長を勤めているので、甲冑があることに不思議はない。
繊細な浮き彫りの施された甲冑は見るからに高級そうだ。
「……」
きょろきょろと周囲を確認する。
人気がないことを確認した私は、しゃがみこんで手前にあった籠手を手に取ると、迷いなく入り口に鼻を寄せた。
すんすんすんすん
「はぁ……いい香り……」
拭き取った程度では消しようもない、男くさい汗の凝縮したようなツンとする香り。
それでも手入れによって幾分香りが薄れてしまっているのが残念だ。
これは一朝一夕で出せる深みではない。
長い月日これを身につけて剣を握り、激しい動きをしてきたのだろう。
たゆまぬ努力の証である汗の野趣溢れる香りは何ものにも形容しがたく、ただうっとりと恍惚の表情を浮かべる。
籠手の中が真空になるほど香りを堪能したあとは、惜しむように籠手を元の位置に戻し、少し迷っておもむろに兜へと手を伸ばした。
「お、重っ……」
しゃがんだまま重心を失いそうになりつつ、なんとか兜を膝の上に抱え込む。
赤い羽根飾りのついた、後頭部から顔の全面までを覆うフルフェイスの兜。
中の空洞を覗き、無意識に溢れてきた唾液を飲み込んで。
「ふぅぅぅぅ……」
肺の空気をすべて吐き出すと、息を吸うより早くガポッと兜を被った。
すぅぅぅぅぅぅ……っ!
兜の中で、思い切り鼻から空気を吸い込む。
「っはぁぁ…………。……ふふっ、くふふっ……」
気分の酩酊するような芳醇な香りに、思わず笑みが零れる。
ここまで自分の好みに合致する香りと出逢ったのは生まれて初めてだ。身体の奥がきゅんと疼く。
かぐわしい香りと共に狭い空間に閉じこもっているだなんて、なんという至福。
しゃがみこんで兜を被り夢中で深呼吸を繰り返す私には、誰かが近づいて来たことなど気付きようもなかった。
「———誰だ! そこで何をしている!」
鋭い声が飛ぶ。
咄嗟に声のした方を振り返るけれど、サイズの合わない兜はブカブカで目のスリット位置が合わず、顔を向けたところで声の主は見えない。
ただ、一つだけわかる。
これは非常にまずい状態だ……。
「誰だと聞いている」
つかつかと距離を詰める足音。
怒りと猜疑心を含んだ声。
誰何する声にとりあえず何か言わなくてはと、私は慌てて立ち上がった。
「こ、これは違うんですっ! ほんの出来心というか……あ、いえっ、私は何もしてません!!」
騎士さながらにビシッと直立の姿勢をとって、身の潔白をアピール。
勢いよく立ち上がったことで揺れた兜の重みに釣られ、おっととと少しよろけたのは見逃してほしい。
「その服、うちのメイドか。いい加減兜を脱いだらどうだ?」
油断なく挑発するような声色。
言われてみれば兜を被りっぱなしだった。いい香りすぎて忘れていた。
私は慌てて兜を脱いで、今度こそ声の主へと顔を向けた。
「! 旦那様……」
そこに立っていたのは、元々の怖い顔をさらに険しくしかめた屈強な体躯の男性。
日に焼けた肌、少し固そうなアッシュブロンドの短髪、厳格さを滲ませる群青の瞳は鋭く、高い鼻梁の下では薄い唇が不機嫌そうに引き結ばれている。
騎士団長にしてこの屋敷の主、グレニス=ジェルム侯爵その人だった。
「三月前に入ったメイラー子爵家のリヴェリーか。どうやら本当にメイドだったようだな」
「はい……」
忙しいグレニスは屋敷を留守にすることも多く、ちゃんと顔を合わせたことなど面通しの際の一度きりしかないというのに大した記憶力だ。
しかし謎の不審人物でなく行儀見習いのメイドだとわかっても、グレニスの表情が緩むことはない。
「ついて来い」
くるりと踵を返して行ってしまう。
背中を向けられていようと、逃げ出す隙など一分もないことを肌で感じる。
私は囚人よろしく頭を垂れて、言われるままにすごすごとグレニスのあとに続いた。
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