影女ならぬ声女
うちの大学には、弱小サークルが集まった弱小サークル連合というものがある。小規模なサークル同士でお互いに協力し合おうとかそういった主旨で結成された組織(?)で、だから一応は連絡係のような役割が、各サークルに最低一人はいる。
ただ、弱小サークルの集まりと言いながら、中には弱小とは言えないような例外的なサークルもあって、そして漫画研究会もそんなうちの一つだった。
ま、“弱小じゃない”と言っても、人数が多少は多いって程度なのだけど。
その漫研の連絡係が最近になって、雨宮徹という男になった。そして、彼が連絡係になった途端、「雨宮に女がいる」という噂話が流れたのだった。何でも、連絡のために雨宮に電話をかけると、女性が電話に出るというのだ。
その話に雨宮を知る連中はビックリした。
何故なら、雨宮は女性が苦手…… と、この言い方は語弊があるか、女性は好きなのだけど、好きだからこそ緊張してしまうらしく、真っ当に喋る事すらもできないのだ。挨拶程度でも緊張しまくって、声が裏返るほどだ。
外見はごっついのに、そんな時は妙に高い声が出るからよくからかわれている。「たしか、お前みたいなお笑い芸人いたよな?」なんて感じで。
だから、どうしても雨宮に彼女がいるって話を信じられなかった僕は、ある日直接本人に訊いてみたのだった。
すると、
「女ぁ? 僕に? もちろん、恋人って意味だよね?」
と、雨宮はそんな素っ頓狂な声を上げた。
そしてそれから雨宮は「そんな噂が流れたら、女が寄って来ないじゃないか!」などといらない心配をした。
どうにも嘘を言っているような反応じゃない。
「これ、どう思う? 鈴谷さん」
そんな話ネタを持って、僕はその日、鈴谷さんのいる大学のサークルの一つ、民俗文化研究会を訪ねた。僕は鈴谷さんに惚れているので、こんなネタを見つけては彼女と会う口実にしているのだ。まぁ、今回のネタはちょっと弱めだけど。
「影女ならぬ声女って、ところかしらね?」
ところが、その日の彼女は機嫌が良かったらしく、そんな話でも食いついてくれた。
「影女って?」
そう僕が尋ねると、「影だけの女性の妖怪よ、佐野君。女性なんかいないのに、女性の影が障子に映るのだって」と教えてくれた。因みに“佐野”というのは僕の名前だ。
「ま、民俗学的な妖怪じゃなくて、鳥山石燕の創作なんでしょうけど」
「ああ、影だけの女で影女。雨宮の場合は、声だけの女で声女か」
「そ。現代なら、女の幽霊って解釈の方がしっくりくるかしら?
……そんな噂はないの?」
「ないみたいだね」
僕がそう返すと、鈴谷さんは「ふーん」と言って、それから何かの紙を机の中ら引っ張り出して来た。
「それは?」と尋ねると、
「連絡網。ちょうど、漫研に訊きたい事があったのよね」
なんて澄ました顔で彼女は言った。もちろん、雨宮に電話をかけるのだろう。
気にしすぎだとは思いつつも、僕はちょっとだけ雨宮に嫉妬した。僕ですら、鈴谷さんから電話をもらうなんて滅多にないのに。
「あ、どうも。私、民俗文化研究会の鈴谷です。実はちょっと聞きたい事があって、教えていただきたいと……」
そんな僕の不安を払拭する為って訳でもないのだろうけど、鈴谷さんは極めて事務的な口調で淡々と話をした。そして、最後にこう尋ねる。
「どうも、ありがとう。ところで、雨宮君ですよね?」
それから何事かを聞き終えると、
「え? いいえ、ただ名乗るのを忘れていたみたいだったので、一応確かめてみたんです。では、ありがとう」
そう言って電話を切った。その後で僕に顔を向けると、彼女はこう言った。
「佐野君、正体が分かったわよ、声女の」
「え? 正体?」
「多分、声女の正体は雨宮君本人ね」
「雨宮が?」
僕はその言葉に驚く。鈴谷さんは頷いて説明を続けた。
「そう。彼、緊張して声がかなり高くなっていたわ。女性に弱いのだっけ? あまり知らない人なら、本人だって分からないと思う。顔とのギャップが凄いから」
「ああ、そうかもね」と、それに僕。
「で、知らない人ならきっと間違い電話だと思うでしょう? だから、“雨宮君の電話ですよね?”なんて尋ねるのじゃない? 雨宮君はそれに“はい”と返す。もちろん、自分を他の誰かと勘違いしているなんて思わない。緊張している所為もあって、名乗るのも忘れているかもしれない。それで……」
僕はそこで納得をした。
「なるほど。それでその高い声の主を、女性だと勘違いしたまま相手は電話を切る。結果、“雨宮に女がいる”って噂が流れたと……」
本人はそんな事になっているなんて夢にも思わないだろう。
ま、面白いから伝えないけど。