第5話 一袋に込めた想い
◆ ◆ ◆
君の匂いがした、君の甘い匂いがした。
長く闇に閉ざされていた空が再び明るさを取り戻す。
長い事閉じていた空の蓋が開いていく。
これこそが、僕の宝箱、夜の帳を切り裂いて蓋が開く。
君はまだ、どこかに居るの?
僕はここに居るよ?
探さなきゃ、君は足が遅いから、僕が居ないとまた追い付かれてしまう。
…んーん、違うね。君を追う奴はもう居ない。
僕が、君に会いたいから、君を探すんだ。
何十年、何百年、何千年、何万年経っても、君に会いに行く。
◆ ◆ ◆
君の匂いがするのは分かるのに、君が見つからない。
甘いお菓子の匂いと、暖かなお日様の匂い。
今の世界には君の匂いがたくさん有りすぎて、分からない。
その全てが君の匂いで、その全てが君よりも薄い。
まるで、君が世界中に散らばってしまっている様な、そんな感じがする。
それでも探そう、君を探そう。より匂いの濃い方へ。
……… …… …
……… ……… …… …
何回、昼と夜を繰り返しただろうか、月を見てももう何も感じない。
最初は昼と夜が交互に来るのが不思議で仕方がなかったけど、それにももう慣れた。
僕の体は明るい場所では目立つから、なるべく夜に行動するようになった。
目立つ事をして絡まれるのはもう懲り懲りだ。
何回、何十回、…何万回、……何億回、………何…もう分からない。
何回昼と夜を見ただろうか、疲れて果て、困り果てた時、唐突にそれは見付かった。
太陽の光をいっぱいに浴びた聖域、太陽の祝福の無き者を拒むかのような力を感じる閉ざされた都。僕は、この町を知っている。
ソールのお気に入りのクッキーが売っていた町だ。
町並みは様変わりしているし、驚く程に栄えているけど、間違い無い。
どうして今になってこの町に気付く事が出来たのかは分からない。分からないけど、町から君の匂いがする。感じる存在力は人間みたいに弱々しいけど、間違いなく君の匂いだ。
見付けた、やっと見付けた。どれだけこの日を待ちわびたか分からない。
今行くよ、僕はここまで来たよ。君に会いに来たんだよ!
聖域に踏み込むと、夜なのに暖かい風に包まれた。これは太陽の祝福?やはりソールがこの町に居るんだ、僕を受け入れてくれたんだ。
闇に溶け込む僕の毛皮は夜であれば目立たない。
逸る気持ちを押さえ込み、君の匂いを辿る。
すると、君の匂いよりも先に、君の大好きな甘い匂いを見付けた。あのクッキーだ。君の大好きな甘いお菓子。
僕はいつもお留守番で、クッキーを取りに行くのはいつも君だったよね。
今日は僕が取りに行こう。君へのプレゼントを取りに行こう。
僕は知っている、人間の巣には扉が有り、そこを通らないと怖がらせてしまうのだ。
人間は弱く、警戒心の強い繊細な生き物だから、人間のルールは守らないといけない。
それでも、少し慌ててしまったようだ。ついつい手に力が入ってしまった。
木で出来た扉は思っていたよりも遥かに柔らかく、僕の爪はいとも容易く扉を引き裂いてしまった。力加減が難しい。
「きゃあああああ!!」
僕が中に入ると、中に居た人間が慌てて奥へと逃げていく。
しまったな、ちゃんと扉から入ったのに、けっきょく怖がらせてしまった。
巣の中を見渡すと、パンがたくさん並んでいた。パンは知っている、人間の主食だ。主食に手を出したら流石に怒るだろう。
僕はパンを荒らさない様に慎重にクッキーを探した。
甘い匂いでクッキーの場所はすぐに分かったが、クッキーというのものはどうにも脆い。あの扉よりも遥かに脆い。
クッキーを割らずに、袋も破かずに持てるようになるまでいくつか無駄にしてしまった。ソールにバレたら怒られるかもしれない。
……… …… …
次の日、この日も夜に行動した。
やはり僕の姿は人間には怖いみたいだ。町に行く時、ソールが僕を町の外で待たせていた理由も頷ける。
僕だって自分から進んで人間と争う気は無い。
骨と皮ばかりで肉が少なく、美味しそうには見えないのだ。
それに、ソールも人間に近い見た目をしているし、何よりもソールの大好きなお菓子を作れるのは人間だけだ。ソールの好きな物を僕が台無しにしてはいけない。
そんな事を考えながら町を歩いていると、大きなガラスが張ってある人間の巣を見付けた。外から中が丸見えだ。
小さな灯りに照らされた巣の中で、楽しそうに動き回る人間が居た。
僕はその人間から目が離せなくなってしまった。
分かる、姿形は違うけど、彼女がソールだ。
彼女と目が合った時、それが確信に変わり思わず涙がこぼれ落ちた。
僕だよ、僕はここに居るよ、ここまで来たよ、君に会いに来たんだよ。
今すぐにでも駆け付けたいけど、ここが君の巣なら壊す訳にはいかない。
扉を引っ掻かないように、慎重に、慎重に取っ手に爪をかける。
なかなか開ける事が出来ずにモヤモヤとするけれど、今まで会えなかった時間に比べたらこんなものはささいな時間だ。
開いたよソール!あれ?…ソール?隠れてしまったの?
僕の鼻ならすぐに分かるのに、かくれんぼなんて意味無いのに。
……。
「ひっ…ひぐ…ひっ…う、うぇぇ…うわぁぁぁ。やだ…もうやだよぉ…」
少し部屋に踏み込むと、ソールの泣き声が聞こえた。
僕は思い出した。最初に会った時も君は僕を怖がり、腰を抜かしてしまったね。
僕の事を忘れてしまったの?
ごめんね、君を怖がらせるつもりなんて無かったんだ。
僕は君の笑顔が見たいんだ。
君を笑顔に出来る物を持ってきたよ。君の大好きな甘いお菓子だよ。
…でも、君は昔よりも怖がりになってしまったんだね。
今日はお菓子だけ置いて行くから、また、君に会いに来るから。
その時は…笑って欲しいな。
次から時間軸が元に戻ります。
読みにくかったら申し訳無いです。