七夕の贈り物(前編)
七夕に間に合いませんでしたが、七夕というお題で書いてみました。
七月七日という日は、人間界から見れば『夏の一大イベント』というものなのだろう。ある者たちにとっては、はしゃぐための口実であり、また、他のある者たちにとっては叶えたい願い事を言うという行事なのだ。
しかし、天界の日本支部ではそうもいかない。日本中の人が織姫様に願い事を誓うために、その思いを短冊に書いて笹の葉の揺らぎに乗せて送ってくるのだ。元日、お盆、神無月に比べれば仕事量も多くないのだが、それにしてもこの蒸し暑く、体調が悪くなりやすい時期に働くというのは辛いものだ。
「おーい、つっちー!」
そんなことを思ってオフィスの片隅の椅子に座り、伸びをしている男が、さらに奥にいる上司に呼ばれる。
「っと……はい。今行きます」
たった今、ノルマ分の『願い事報告書』が完成したところで、飲み物でも買いに行こうかと思っていた矢先に上司に呼ばれるとは……やはり、仕事というのはたまったもんじゃないな。付喪神として人間界に残れていたらどんなに良かったか……
内心で悪態をつきながら、上司の机まで歩いていった。
「つっちー、仕事おつかれちゃん!どう元気?」
上司はアロハシャツにハーフパンツという会社の上に立つ者とは思えないような服装であり、ファンキーな口調で様子を尋ねてきた。
「……部長、今は仕事中なんですから、もうちょっとフォーマルな服装と態度になりましょうよ……」
「オッケイ!……では土浦君、元気かね?」
部長はどうしてもにやけてしまう顔のまま、土浦に再び調子を聞いた。
「まあ、元気ですね……それで?次の仕事は何なのでしょうか?」
この部長が呼びつける時は大抵、次の仕事に関する要件だということを分かっている土浦は予測を立てて先に質問をする。
「上司に対して質問し返す元気があるなら、この仕事も任せて大丈夫だな!じゃ、これ、織姫ちゃんとこに運んでねー」
部長の机に置いてあった山のような書類を指さして、いとも簡単な仕事のように軽い口調で『任せた!』といった。しかし、土浦はそんな軽い態度では受け止めきれず、顔面を蒼白にして部長に聞き返した。
「これを?ひ、一人で運ぶんですか?」
天界には人間界とは違い、移動手段が多くはない。自動車も飛行機も電車もないのだ。人間界にはほとんどない超常的な力での移動があるにしても、現代の天界では使える神様も使うことのできる場所も限られているのだ。そうなると、個人で動くときの移動手段は徒歩か自転車くらいだ。こんな大荷物を自転車に乗せることなんてできないから、徒歩での運搬になるであろう。
「いやー、みんな今手いっぱいで、手が空いてるのがつっちーしかいないんだよね……」
「運搬部に頼むとかは……?」
それが出来ないから、ここの部署の社員に頼んでいるのだろうと予想は付いたものの、部長がその考えをしていない可能性に賭けて、聞いてみた。
「さっき聞いたけど、やっぱり他の部署でも七夕関連で運搬部使ってるみたいでダメだったから、つっちーしかいないんだよね……」
最後の可能性も潰えた上に、上司からの仕事の命令である。土浦には断るという選択肢は最初から無く、泣く泣く決心をする。
「分かりました。では、織姫様のところに『願い事報告書』を運搬させていただきます」
「つっちーは話が早くて助かるなぁ。よろしく!」
土浦は部長の机に置いてある大量の書類を抱え込み、その重みで若干ふらついたが、すぐ立て直した。辛うじて見えている部長に軽く会釈をした後、オフィスの出入り口へと足を動かす。背中越しに部長が『気を付けるんだよ!行ってらっしゃい!』と言っているのが聞こえた。
こういう憎めないところが、つくづく計算高いんだよなぁ。
外で蒸し暑さが待っている。
土浦はもともと『家』の付喪神だ。気づいたときには百年間使い続けられたとある家の精霊として住み着いていた。土浦と言う名前もその家を持ち続けてきた、人間界の由緒のある家系の苗字から勝手に自分でつけたものだ。
「あーつらい」
元『家の付喪神』であるからか、土浦には体力がなく、すぐ疲れてしまう。今日も十五分程歩いたところでへばってしまった。
重い書類を持っているにしては頑張った方だろう……。お、あそこのベンチで一休みしようか。
「ふう、休まるー」
神々が歩く道の周りにいる神樹様のそばにあるベンチに腰を掛け、ハンカチで額を拭った。神樹様たちのおかげで、天照大御神様の神通力から少しだけ逃れることができた。それに加えて優しい風が吹く。
……まあ、疲れるけど、こういう日も悪くないかな。人間界では二百年くらい憑いた家から出られなかったんだし。
人間界にいた頃にずっと見ていた空とは全く異なる不可思議な色が混ざった空を見ながら、物思いに耽る。その瞬間、吹いていた風が少しだけ乱れた。その異変に土浦が気づいたときには、土浦に対して吹いている風を遮るように女性が立っているのが見て取れた。その女性の髪はかなり長く、顔もその髪に覆われるようにして半分ほどしか見えない。土浦の前まで歩いてきた様子でもなく、いきなり現れたその女性に面食らうが、恐る恐る正体を聞いてみる。
「あ、あの……どちら様でしょうか?」
こんな何の変哲もないところで超常の力を使うことができるということはかなり格式の高い神様であるに違いない。失礼のないようにしよう。
土浦が丁寧に対応をすると、女性は俯いて、さらに顔が髪で覆われてしまう。そして、細くて弱弱しいが、透き通った声で土浦の質問に答える。
「あ、あの……そ、それは、言えないです」
女性はおろおろと困った様子でしどろもどろに話す。
何か言えない事情でもあるのだろう。それを詮索するのは野暮なことだろうし、聞かないでおこうか。
「分かりました。それで、私に御用事でもあるのでしょうか?」
次の話題に移行しようと土浦が質問を投げかけると、その質問を待ってましたと言わんばかりに伏せていた顔をグイっと上げて、土浦に詰め寄る。
「あの!」
「は、はい!」
先ほどの細い声とは打って変わって音量の調節をミスしたかのように、大きな声で土浦に話しかけた。そのギャップに驚いて、土浦も思わず大きな声で返事を返してしまった。女性は自分の声が大きすぎたことに恥ずかしさを覚えたのか、また少しだけ俯くと、話を続ける。
「お仕事、手伝わせてはいただけませんか……?」
「え?手伝うといいましても、これを織姫様のところまで運ぶだけですよ?」
なぜ自分の仕事を手伝いたいといっているのかまるで分からない土浦であったが、とりあえず仕事の内容を言ってみた。
「はい、大丈夫です!その道中、お供させていただきたいのです!だ、駄目でしょうか……?」
「う、うーん……」
いくら格式の高い神様であろうとも、もしこれでミスがあったりしたら自分がクビになりかねない事態になってしまう。でも、なんとなくこの方は良心のある神様である気がする。付喪神の成れの果てである私に対してもあたりが強くないし……
土浦は悩んではいたものの、織姫様のいるところまではあと二時間ほど歩かなくてはいけない上に、書類もかなり重く、二人で持てばかなり楽になるという誘惑に負けてしまった。
「分かりました。では、由緒ある神様に持たせてしまい、申し訳ないのですが、これも仕事なので、書類を半分持っていただけますか?」
「や、やった……!分かりました!」
許可を出してくれたことが嬉しかったようで、少し跳ねるようにして喜び、心地の良い声で土浦の頼みを快諾する。
その跳ねる瞬間の女性の仕草は、どこかで見覚えがあるような気がした。
「あの、お呼びするときはどのように声を掛ければよいでしょうか?」
「あ、えっと、じゃあ、ナツでお願いします。わたしはどのようにお呼びすれば?」
土浦の記憶の中にナツという名前でこのような容姿の者はいなかった。
私も人間界と天界で合わせて三百年以上存在しているんだ。なにかの思い違いだろう。
そう思い、特に自分の感じた違和感に触れることなく、ベンチからすっかり回復した体を持ち上げて自分の名前を言った。
「土浦といいます。では、行きましょうか」
「あ……はい!」
土浦にはナツの目が少しだけ見開かれたように見えたが、次の瞬間には先ほどの喜んだ表情が浮かんでいるだけだった。
二人は神樹様たちの隣を並んで歩き始める。
前編では恋愛要素全くないですが、おそらく後編からは出せる、かも……(まだ構想しかないので未定ですが……)