配信者の皆さんは住所特定には気を付けてください
001
話は遡って二年前。
まさに丁度今から二年前の四月、当時一八歳の俺は一二歳の妹・智依莉と共に、東京のとあるマンションに引っ越してきていた。
「兄ぃに、お昼……」
「おう、ありがとな」
智依莉が作ってくれた昼食のフレンチトーストを頬張りながら、智依莉と幸せすぎて死んでしまいそうなランチタイムを送る。
現在は四月初頭。引っ越してきてから一週間が経ったか経っていないかくらいの時期である。去年の秋頃に国内最大規模のワンブラウナー事務所『SmileVideO』にスカウトされそのまま加入、話によるとどうやら俺のチャンネルには伸びしろがまだまだあるらしく、色々プッシュアップしたり打ち合わせをしたりしたいので上京してみないかとのお誘いを受け、特に進路も決まっていなく危うく浮浪者になりかけていた俺はほぼ二つ返事で了承し、事務所と親の援助に貯金を加えて遥々北海道から東京まで越してきたというわけだ。何故智依莉もいるのかと言えばその理由は実に単純、『俺と離れ離れになるくらいなら一家心中する』などと言いながらどこからともなく七輪を持ってきたため(念のために言うとうちに七輪はない)、ならばということで中学入学と同時に転校手続きを済ませ、彼女もまた中学デビューと東京デビューを同時に決めることとなった。
可愛い妹である。
七輪の出所がとてつもなく気になるが。
「兄ぃに……美味しい?」
「ああ、美味いぞ。智依莉の次くらいに美味い」
「そう……良かった」
実を言うと去年の夏のあ|れ《、以降、俺も俺でまた妹に対してかなり依存していたため、彼女の同行は俺の精神安定という意味でも功を成すものだった。
最早互いに互い無しでは生きていけない。
まあどこの兄妹も同じような物だろう。世間では『妹が嫌いな兄』だったり『お兄ちゃんに対して生意気な妹』なんて存在もいると都市伝説で聞いたことがあるが、所詮伝説は伝説でしかない。仲が悪い兄と妹などこの世には絶対に存在しないのだ。
兄と妹というのは、互いに愛し合って生きていくのである。
「兄ぃに、砂糖……」
「あいよ」
智依莉が砂糖のついた人差し指を突き出してくるので、それを一舐め。
全くもって日常的な光景だ。
日常的じゃないことと言えば、昼食を取る少し前から家のチャイムが今尚鳴り響いているぐらいのものだろうか。
「「…………」」
俺も智依莉も初めは一ミリも気にしてはいなかったのだが、食事により空腹が満たされてくるにつれて段々とその音が煩わしく感じてきた。
「……出る?」
「……いや、俺が出よう」
智依莉に危ない思いはさせられない。ただの新聞や宗教の勧誘ならいざ知らず、春なのでそろそろ出てきてもおかしくない露出魔や、俺の一番怖い某放送局の料金徴収だった場合、最悪玄関戦争になりかねない。
玄関戦争。
図書館と比べると規模が小さすぎる。
「はいはい、どなた様ですか」
言いながら俺は鍵を回し扉を開け―――たところで気付いた。しまった、チェーンロックを掛け忘れた。これでは相手が最悪無理やり入ってくる可能性も―――
「あ!」
と。
扉の前に立っていたのは勧誘でもヤクザでも放送局員でもなかった。北海道ならまだあり得るが東京でこの季節には不似合いなマフラーと長袖のパーカーを羽織った、紅眼の少女。
「あ」
俺は立ち竦む。
目の前にいたのは、いつぞや俺を劣等感で押し潰した、あの少女だったのだ。
天才ゲーム実況者―――確か動画内ではスカーレットと名乗っていただろうか。
紛れもなく、あのとき俺に告白を仕掛けてきた彼女そのものだった。
そう気付いた瞬間、俺は反射的にドアを閉め―――
「させません!」
る前に、彼女は右足を無理矢理玄関の敷居内にねじ込んできた。
「ひいっ! 変質者!」
「変質者でも構いません! お話が! お話がありますので!」
「やめろ、帰れ! 俺が話すことなど何もない!」
しかし田舎者の抵抗も虚しく、都会民の変質者は挟まれた足など気にも止めずそのままグリグリと体を滑らせ、最終的に我が新居に入り込むことに成功するのだった。
002
「……色々聞きたいことがある。まず、何故うちが分かった」
まんまと侵入に成功した変質者をとりあえずリビングに連れ、テーブルを挟み俺の対面に座らせて問い詰める。ちなみに智依莉は俺の中にすっぽり。
「聞きたいですか? 気になっちゃいますか?」
「戯言はよせ。こちらはいつでも警察を呼べる立場にあるのだぞ」
口調が不安定なのは致し方あるまい。というか仕方あるまい。この時の俺は正直かなり動揺していたのだ。それもそのはず、俺は東京に引っ越したこと、新居の中のつくりなどは動画として公開したが、住所や窓の外の景色は一切公開していない。公開していなければ口外もしていない。それなのに彼女は一発でアポも取らずにうちを突き止めてきたのだ。
つまるところ、住所特定をされたわけである。
戦慄しないわけがない。
やっぱ都会って怖ええ……!
「連れないですねえ……いや、ツルギー様、引越しの模様を動画で公開していたじゃないですか?」
「あ、ああ……」
やはり情報の漏洩口はそこか、早く非公開設定をしなければなどと考えていたのだが、
「その動画を見て思ったわけですよ……『あれ、ここうちの間取りと同じなのでは?』と」
「……え?」
俺は間抜けな声を上げる。
間取りが同じ?
「そして簡単に推理して見ました。ここは私と同じマンションなのではないかと。推理をすればあとは答え合わせをするだけでした」
「答え合わせ?」
「はい。このマンションの一階の部屋から順に全ての部屋を訪れてみました」
「やっぱり不審者じゃねえか!」
一階の部屋から順にて。
ここ六階だぞ?
一階層に十以上は部屋があったはずだから、計算してみると結構なご家庭が被害にあっているらしい。
迷惑ここに極まれり。
「……えっ、てことはあれか? お前ももしかしてこのマンションに?」
「はい。四階の四〇三号室で一人暮らししてます」
「なるほど……」
間取りが同じとはそういうことか。
それで俺の動画を見た時に『同じマンションに俺がいる』と気付いたわけか。
巡り合わせというものは全く恐ろしいが、しかしそれなら納得が―――え?
「ちょっと待て。一人暮らしっつったか?」
「はい。収益も充分にありましたので……あとはまあ、色々と事情が」
「収益……」
言ってみて、俺は気付く―――そう言えば。
そう言えば彼女は、ゲーム実況者だったと。
現在の俺の登録者が二万人ちょっとなのに対し、彼女は既にニ〇万人を超えていた。俺など既に足元にも及ばないほどに、彼女のチャンネルは成長していたのである。
なんで知ってるのかって?
しっかり見てるからだよ!
だって上手いんだもん、ゲーム。
ついつい見てしまう―――例え日々増える登録者を見る度に、劣等感に苛まれたとしても。
「……で、何の用だ。マンションを片っ端から家宅捜索してまで、俺に何か用か」
「何の用とはお言葉ですね、ツルギー様。要件は一つしかありませんよ」
「あ?」
マジでなんのことを言っているかわからない。
ゲームと現実がごっちゃになってんじゃねえのか?
「―――告白の返事を、聞きにきました」
「……あ」
そうだった。記憶にもなかった。
俺、あの時の返事まだしてねえじゃん!
「今、『あ』って言いましたよね? もしかして忘れてたんですか?」
「そそそそそんなわけなないないないなないじゃないかかっかっかかっ」
動揺するあまりラップ口調になってしまう。
バレバレである。
「まあ忘れてたなら忘れてたで改めて言うまでです―――私と付き合ってください」
結婚を前提に、私と付き合ってください。
およそ一年前に聞いた時よりも強い口調と固い意志で、彼女は口にする。
真っ直ぐな、真剣な、真摯な熱視線が、俺の初心な心に突き刺さる。
言の葉は言の刃となり、視線は刺尖となり、俺に深く―――突き刺さる。
「……冗談、じゃないんだよな?」
俺は約一年前に思い立った一つの結末が事実かどうかを確認するために、なるべく冷静に問う。そうだ、これは嘘かもしれないのだ。俺なんかにこんな美少女が告白してくるなど、普通に考えればまずあり得ることではない。つまり彼女は誰かに脅されているか、友達間での罰ゲームの企画として無理やり告白を強要されているんじゃ―――
「は。冗談? 半年以上返事を放置した挙句に忘却され、その上冗談扱い? どんだけ女に恥かかせるんですか。死ね。好き」
「罵倒の中に好意的な感情を入れるな。どっちで捉えていいかわからなくなるだろ」
この反応、まさか彼女は本当に俺のことが? いやいや、そんなわけがない。あるわけがない。だって今死ねって言われたし―――しかし、もし本当にその好意が本物だとしたら? それを拒んだら、それはそれで彼女が傷付くのではないだろうか。
「……どうして」
「え?」
「どうして俺なんかを好きになったんだよ。こんな会ったこともないような相手を、こんなオタクなんかのどこがいいんだ。俺なんていいところなんか何もない。何一つない。何一つとして持ち合わせていない。いいか? 世の中には俺なんかよりよっぽどいい男が―――」
「なんかなんか言わないでください。私が好きになった人を蔑まないでください」
と。
またしてもいつものくせで悲観的になっていたところで、平坦な口調で叱責される。
蔑まないでください。
私が好きになった人を、馬鹿にしないでください。
「どうして好きになったのか、なら理由があります。あなたに命を救われたからです。あなたに生きていていい理由をもらったからです。あなたのお陰で、私は思い留まることができたんです。死ななくて済んだんです。何一つ生きる希望のなかった厭世な人生に、あなたのお陰で価値を見出せたんです。オタクでゲームしか取り柄のない私に、あなたは生きる証をくれたんです」
これが好きにならずにいられますか。
さも当たり前とでもいうように、彼女は言うのだった。
「俺が君に、生きる希望……?」
「はい」
俺も俺で、当然のように彼女が何を言っているのか理解できなかった―――希望?
生きていい理由?
生きる証?
彼女は―――何を言っている?
「……どうやら、まだ信じてもらえませんか」
「いや、信じるもの何も、俺が君に何をしたっていうんだよ」
「…………」
ばつが悪そうに目を背けた彼女は、「はあ……」と短く溜め息を一つつき、どこか諦めたような表情でパーカーを脱ぎ始めた。彼女のHNであるスカーレットを表すかのような赤いパーカーを脱ぎ捨て、黒い長袖を捲り、暑さに耐えきれなくなったのかマフラーも取っ払う。
全てを曝け出す。
「―――ッ!?」
瞬間、俺の背筋を悪寒が駆け巡った。
この告白が苛めによる縺れなのだとしたら寧ろこちらの心が抉られるような惨劇に、俺は目を見張らずにいられなかった。首には外縁状に残った青黒い索状痕と生々しい吉川線、両手首の内側には何度も繰り返し削られたような赤黒い傷跡が無数に付いていたのだ。
言うまでもない―――絞殺の痕に、リストカットの痕。
どちらも、死の淵に面した証拠。
幼い少女には不格好にもほどがある、惨憺たる無残な外傷。
「……ああ、言っときますけど自分でやったんですよ、これ。親に虐待受けてたとか、そういうんじゃないんで。吉川線は自分で絞めておきながらもやっぱり苦しくなって藻がいたときに自分で付けたものですし、手首に関しては当然私がやりました。ちょっと強くやりすぎたせいで、全然痕が消えないんですけどね、あはは」
この冷静な喋り方は俺に心配をかけないための配慮とか、決してそういうものではない。彼女は本当に、心の底からこの痛々しい傷を気にしていないのである。
自分に深く残った、恐らく心にはこれらの何倍も負っているであろうその裂傷を。
それらを刻んだのは、自分だという。
外傷ではなく内傷。
他殺ではなく―――自殺。
「私の通っていた中学校。女子高なんですけどね? 結構カースト制度が激しいっていうか、派閥争いが凄かったんですよ。ほんと、毎日うんざりするくらいに、それはもう。でも、単独行動をすればどうなるかは火を見るより明らかで、仕方なく私も適当なグループに上手いこと入り込んで、まあそれなりにのらりくらりと学校生活を送っていたんですよ」
でもですね。
彼女は今も平坦な口調で、悲しげもなく惜しげもなく語る。
「中三の秋ですかね。私がオタクだってことがバレてしまいまして。アニメが大好きでゲームが大好きな気持ち悪い奴だって、グループ内どころかクラス中にもバレちゃったんですよ。それだけなら『ああ、バレちゃった! 恥ずかしーよー!』って可愛く済んだんですけど、如何せんカースト上位組の方々が、そういう物を目の敵にする方達でしてね。凄かったですよ? 『こんなもん好きなのかよ、気持ち悪りー』とか『こういうのオタクってんだろ? お前も将来人とか殺すの?』とか『ゲームとか男とガキの遊びだろ。ゴミだよあんなもん』とか、そんな容赦ない言葉を文字通り容赦なくぶつけてくるんです。昨日まで笑って喋ってた女子までもがですよ? 手のひら返しがヤバかったですね。もう、お前はクルル総長かって感じでした」
「クルルはそんなに卑劣な奴じゃない」
卑怯な奴ではあるけどな。
「馬脚が露われた翌日からは、まあ分かりやすく苛めが始まるわけですよ。机に落書きや彼岸花が活けてあるなんて当たり前、私物が取られるわ着替え盗まれるわ弁当に虫入れられるわ、もうやりたい放題です。授業中も周囲から喋々喃々と陰口が聞こえてきますし、面倒ごとに関わりたくない教師共は全員見て見ぬフリをしますし……私も私でメンタルの強い人間ではなかったので、一週間と耐え切れずにまんまと不登校になったわけです」
ちゃんちゃん、なんてお道化た効果音を口にしながら語る内容は―――散々だった。
壮絶な苛め。
かつて似た経験をした俺は―――しかし、自分の時よりも苛烈で卑劣で下劣で比べ物にならないその話を、俺は黙って聞くしかなかった。
「オタクの何が悪いのか、私には何一つ理解できませんでした。アニメが好きでゲームが好きで可愛い女の子が好きで、何かを好きなことの何が悪いことなのか。スポーツが好きなのと俳優が好きなのとスイーツが好きなのとアニメが好きなのには何の違いがあるのか。どこに差が生じるのか。性が生じるのか。閉じ籠って考えても分からなかった。何も分からなかった。オタクの何が悪いのか分からなかった。その内、オタクは悪なんじゃないかという思考に辿り着きました。怖いですね。人間追い詰められれば何を考えるかわかったもんじゃありません」
「オタクは悪……か」
そんなことで苛められるとは女子高とは恐ろしい、とも思うが、しかし同時に、オタク系コンテンツを扱う配信者としては当然に、オタクという存在が世間から白い眼で見られ続けてきたということは痛いほど痛感している。最近では若い女性やイケメン俳優の中にもアニメ好きを公言する人たちが増え、一昔前よりはオタクも生活をしやすい環境になったとも思うのだが、やはりそれでも無条件にオタクの存在を嫌う物やマスメディアの無意味な印象操作は後を絶たない。幼児監禁を行ったり極悪犯罪を繰り返した犯人の家からそう言った類のアニメや漫画が見つかれば、マスコミはここぞとばかりにそこに漬け込み完膚なきまでに『これだからアニオタは』と叩き上げる。
考えてみてほしい。
それは本当に必要な情報だろうか? 犯人の性癖は、世間に公開しなければならない情報だろうか? というか今のご時世、生涯漫画やアニメを見たことのない人間の方が稀有なのではないだろうか?
これはパンの話と似ている。
・犯罪者の98%はこの食物を日常的に食べている。
・暴力犯罪の90%はこの食物を食べてから二四時間以内に起きている。
・申請時にこの食物を与えるとのどを詰まらせて苦しがる。
・この食物を日常的に食べている子供の役過半数は、テストが平均点以下になる。
これだけ聞くと恐ろしい食べ物のように聞こえるが、この食物の正体が『パン』だとわかると途端に当たり前に聞こえてくる。どの文章も至って当然のことだし、四つめに至ってはそもそもパンなど関係ない。平均という仕様上、過半数が平均以下になるのは当たり前のことだ。つまり、パンを食べると犯罪を犯すのではなく、犯罪者がパンを食べているだけなのだ。
だが、このことを理解してもらうのはとても難しい。難しいからマスコミはこれを放棄して、さもアニメが悪いと言わんばかりに犯人の趣味を晒し上げる。その方が楽なうえに、大衆の同意を得やすいからだ。
面倒なことを躱すためなら誰かを悪にするし、嘘だってつく。
現代のマスメディアに、義侠心なんて微塵もないだろう。
「そこからは、何故か頭がおかしくなってしまってですね、オタクが悪いということは、つまるところ私の存在が悪いんじゃないかっいう結果に至ったんです。私はこの世にいるべきではない、生きるべきではないんだと。で、見聞した知識で自殺を試したんですがどれもこれも痛いし辛いし死ねないしで、もう散々でしたよ。散々で―――惨々でしたよ」
でもですね、と彼女は少し表情を明るくして言う。
「もっと楽な方法はないかとOneBrowserで自殺の動画を検索してたんですよ。そうしたら、オススメ動画にある一本の動画が表示されました。フィギュアの開封動画でした。どうせ死ぬつもりでしたし初めは見るつもりもありませんでしたが、まあこれも何かの縁だと思い再生してみました―――そう。ツルギー様、あなたの動画ですよ」
「俺の動画がオススメに……」
OneBrowserにはユーザの視聴履歴を分析・推測して似た傾向の動画を表示させるオススメ動画機能があるのだが、彼女のアカウントに俺の動画が表示されたのは偶然なのか必然なのか、或いは自然なのか。
泰然たる様子で、俺は話の続きを聞く。
「その動画を見て、私は衝撃を受けました。この人はオタクなのに、それを堂々と世間に公開している。隠すことなく余すことなく己の趣味を、性癖を、精魂を曝け出している。しかもコメント欄ではそれを否定するどころかみんな受け入れていて、同じ趣味を持つ者同士が会話したり何かを共感したりしていて―――オタクにも居場所があるんだって、受け入れてもらえる場所があるんだって、その動画で知ることができました」
「……それで、俺が君の生きる希望になった、と」
「はい」
気づけば、彼女の表情には少しばかりの微笑が、柔和な微笑みが浮かんでいた。
あの出会いは本当に運命だった、と彼女は語り続ける。
「それから私はツルギー様の動画を片っ端から見ました。幸い不登校故に時間もたっぷりあったので、初めの投稿した動画から最新動画まですべて見て、全部見終わったら同じ動画を何回も見て、明日の動画が楽しみで―――とても自殺を考えた人間とは思えませんよ、今考えても。死のうとしていたくせに、気付けば明日を楽しみにしているんですから」
そうなれたのもツルギー様のお陰ですよ。
弛緩した笑顔で、彼女は笑いかけてきた。
とても自殺を考えていたとは考えられない、希望に満ち溢れた笑顔だった。
「そうこうしているうちに世間では年を越していたんですけど、私は相変わらずあなたにぞっこんで、どうすればあなたに合えるか、感謝の気持ちを伝えられるか色々考えるようになりました。コメントとかメッセージでもよかったんですけど、なんか文章だと軽く流されてしまいそうでしたし、それに私自身コメントをするのが嫌いなもので……で、思いついたわけです」
「……自分もワンブラウナーになれば、いつか俺に会えるんじゃないか」
「その通りです。パソコンやゲームは既にあったんで、お年玉でキャプチャーボードとマイクと編集ソフトを買って、私もワンブラウナーデビューすることを決意しました。ツルギー様のようなトーク力や魅力はありませんでしたので、唯一の特技を生かしてゲーム実況をすることにしたんです。ここなら、私のゲーム好きも受け入れてもらえるんじゃないかという思い、そして何より、あなたに少しでも近づきたいという愛が、行動力の源となったんです」
実況なら顔を出す必要もありませんでしたしね。
彼女は、笑いながらそう言った。
「……と、まあ私の話はこんなところです。迂遠な話で申し訳ありませんでしたが―――わかっていただけましたか? 私の気持ち」
「……ああ、痛いほど分かったよ」
痛すぎるほどに痛感した。
つまり、苛められて自殺まで仕掛けた彼女は、オタクが飄々とフィギュアを開ける動画から勇気と希望をもらい、そして俺のことが好きになり、俺に近付くために実況者になった。
なんということか。
彼女という天才実況者を生み出したのは、他ならぬ俺だったのか……。
「? ツルギー様、どうしたのですか?」
「い、いや」
事実に気付いた俺は、途端に忸怩たる思い出を振り返る。彼女の登録者を見た時に絶望したこと、勝手に劣等感を感じたこと、彼女に対して抱いた不信感の数々、何より彼女への返事を忘れていたこと。
あれ?
俺ってもしかして、結構最低な奴じゃね?
ただの自意識過剰な自爆小僧なのでは?
「その……じゃあ俺を好きだっていうのも……マジなんだな?」
「マジもマジ、大マジです。マジョリカマジョルカです」
「いい化粧品使ってんのな……」
目の前にいる少女は、俺のことが好き。
字面として頭の中で並べてみるだけで、途端に顔が赤くなる。
好きって、あの好き?
隙ありとかじゃなくて?
「でも、その好きっていうのは、自分を救ってくれた英雄に対する強い憧れみたいなものなんじゃないのか? ほら、小さい子がウルトラマンを好きになる、みたいな」
「誰がピグモンだ」
「言ってねえよ!」
似ても似つかねえよ!
「英雄への憧れだとしても、それは好きってことになるんじゃないんですかね? 吊り橋効果……ではありませんが、命を救われてるんです。命の恩人に好意を抱くのは、寧ろ当然と考えるべきなのではありませんかね?」
「そ、そうか?」
彼女の底知れぬ迫力に思わず納得してしまう―――しかし、そうだろうか。
本当にその感情は、純粋な好意だろうか?
「さあ、私の愛は散々伝えました。そろそろお返事―――聞かせてもらえますか?」
「お、おう……」
彼女は捲し立てるように俺の返事を催促してきた。無理もないだろう。なんせ半年以上、と言うかほとんど一年、彼女は俺から何かしらの連絡が来ると思いずっと待っていたのだから。
これ以上、恥ずかしい思いはさせられない。
ここは男として、しっかりとした返事を返すのが筋というものだ。
「―――ごめん、今はまだ、君と付き合うことはできない」
「……ですよね」
わかっていた、とばかりに肩を竦める彼女の反応は意外だった―――てっきり泣かるかと思っていたし、怒られても仕方がないくらいに考えていた。
「流石に無理ですよね、私なんて。いきなり部屋に押しかけて、しかもこんな見苦しいものまで見せつけて、脅迫じみた真似をして。重いですよね。引きますよねそりゃ」
「ち、違う! そんなことは微塵も、これっぽっちも思っていない」
「…………?」
慌てて考察を否定する俺に、彼女は怪訝そうな目を向ける。
「じゃあ、あれですか? 既に彼女さんがいるとか? ていうかその娘とか?」
「いないいない、いるわけがない。これは俺の愛すべき妹だ。俺に生涯彼女なんていたことがないし、君がいなければ誰かに告白されることもなかったと思う。だから君の告白は嬉しかった。君の過去に引いたりもしていないし、思いが重いだなんて少しも思っていない」
「思いが重い」
「やめろ。拾うな」
言ってから気付いたんだよ。
うーん、どうしても俺はシリアスシーンが苦手だな。
「では、私とお付き合いができない理由は何ですか? 私の何がいけなかったのでしょうか」
「君がと言うか、いけないのは俺の方なんだが……その、なんだ。ほら、まだ君と俺って、出会って間もないじゃないか」
「? まあそうですね……」
「だからその、出会って二日で恋仲関係になるのって、なんかあれだなと思って。ほら、アニメとかでもあるだろ? 第一話で主人公と初めて遭遇した美少女が、いきなり彼女になったり嫁になったりする話」
「ありますね。俺修羅とか」
「ああいうのって、アニメだから許されることじゃないか。で、俺にとってのこの状況って、まさにそのシーンを彷彿とさせるんだけど、残念ながらここはアニメでも漫画でもない」
「まあラノベですからね」
「世界観を壊すな。だからつまり、なんだろう……まずはお友達から、的な? いきなり恋人になって上手くいかずに別れるよりは、しっかりお互いを理解しあった上で、『ああ、やっぱり私、この人じゃないと駄目だな』みたいな気持ちが芽生えて、そこで初めて晴れてお付き合いを始めた方が、結果としては喜ばしいことなんじゃないかと思って」
「…………」
あれ?
かなり具体的な説明をしたはずなのに、どうして俺はジト目で睨まれているんだ?
「……はあ。まああなたがどんな人間でも嫌いになる自信がありませんが、でもなんというか、ええっと、これだけは言わせてくださいね」
すうっ、と彼女は一つ深呼吸をしてから、
「女々しい奴かお前は!」
怒られた。
「言い分も分かりますけどね、私は一年以上前からあなたに恋焦がれているんですよ。そしてその時から私の気持ちは変わっていない、どころか日々増しているんです。あなたの存在を知って以来、あなたのことを考えなかった日はありません。あなたを思わずにオナニーをしなかった日はありません」
「ごめんそれは聞きたくなかった」
「あなたの動画をキャプチャ撮影してmp3データに変換して、音楽プレイヤーで常にあなたの声を聴いてました。ありとあらゆる端末の待ち受けもあなたの画像にしました。勝手に写真集(非売品)も作りました。wikiも作成しました。いつ付き合ってもいいようにあなたの下着も用意してあります。あなたの好きな料理の練習もしました。毎日あなたの分のご飯も作ってました」
「やべえやっぱ犯罪者だ」
「それだけずっと思っているのに、いざ付き合ったら幻滅するとかあるわけないじゃないですか! 私はあなたと同じ墓に入るとあの時誓ったんです!」
「あ、うん。俺が幻滅しそう」
人生賭けすぎである。
最近の女の子ってみんなこんな感じなのか?
「君の気持ちは分かったけど、そうじゃなくて、ほら、俺の側がさ」
「はい?」
何言ってんだコイツは? みたいな目で見るのをやめていただきたい。
「君は俺の存在を認知してたかもしれないけど、俺は君のことを何も知らないだろ? 今聞いた過去の話以外に、例えば君の好きな食べ物とか、好きなアニメとか、好きな歌とか、好きなスーパーカミオカンデとか」
「スーパーカミオカンデに選択の余地あります?」
「だから、お互いを理解するっていうよりは、俺が君を理解するっていうか、君をよく知った上で、改めてお付き合い願いたいというか……」
「なんだコイツ女々しいなあ! 乙女だなあ! でも好きだ!」
当然のように『お前』とか『コイツ』呼ばわりするなこの娘。別にいいけど。
「そんなの付き合ってから知ればいいじゃないですか。それじゃダメなんですか?」
「いや、確かに言う通りなんだけれど、でもな……」
実を言うと彼女の言う通りで、俺はそんなに女々しい奴ではない。もちろん人生初の告白で舞い上がってはいるが、それでも冷静に色々と考えることはできる。その結果として、俺はこの娘と是非お付き合い願いたいと思っている―――ただし。
その前に、この娘の中の俺のイメージを変えなければならない。
恐らくこの娘の中で俺は、神剣桜羅と言う存在は、人間の領域を超えている。
オタクが原因で苛められて自殺まで追い込まれた自分に、生きる希望を、光を、理由を、道筋を、勇気を、論理を与えた存在。自分の命を救うどころか、ワンブラウナーとしての活動源力まで与えてくれた偉人。
彼女にとって俺という存在は、あまりにも過大評価されすぎている。
違うんだ。
俺は、そんなできた人間じゃない。
何故なら俺は、そんな俺に会いたいがために配信活動を始めて実力を発揮した一途な少女に対して、不信感と劣等感と敵対心を抱き、牙を剥くような―――矮小極まりない、ただの人間なのだから。
「……はあ、わかりましたよ。今は私とは付き合えない。そういうことでいいんですね」
「……ごめん」
少なくとも俺がただの何でもない、寧ろ他よりも劣りに劣った、尖りに尖った人間だと気付いてもらうまでは―――そうでないと。
彼女は確実に俺に対して、もしかしたら世界に対して、今度こそ絶望を抱くかもしれない。
自分の信じた英雄が、何の力もない塵芥だと気付いた時。
彼女は、どんな顔をするのだろうか。
「でもその反応を見るからに、私のことが嫌いというわけではないんですよね?」
「え? ああ、そりゃもちろんだが」
「……ムフッ」
彼女はどこか勝ち誇ったような不敵な微笑みを浮かべた後、
「じゃあ、明日から私は通い妻としてここに通うことにします」
「か、通い妻?」
「はい、通います。週六くらいで遊びにきます。そしてツルギー様……いえ、師匠がその気になるまで、ずーっとアタックし続けてみせます」
私を好きになってもらうまで、来続けちゃいますからね。
いつしか俺の呼び方を『師匠』なんて大したものに変えて、彼女は言うのだった。
「拒否権は……ないんだろうな」
「ありませんね。まあ一年近く放置した罰だと思って償ってもらいますよ」
「それを言われると弱いな……」
ちらりと俺の中に収まる智依莉を見ると、スヤスヤと可愛い寝息を立てて寝ていた。可愛すぎてチューしてしまいそうになるのをぐっとこらえて、とりあえずチューをする。
「なんで今妹さんにキスをしました!?」
「え。いや、可愛いからつい」
「可愛からって実の妹の、しかも唇にキスだなんて……」
わなわなと震える少女。
なんだろう。
別にどこの兄弟だってこれくらい当たり前だろうに、何か文句でもあるのだろうか。
「……ま、まあいいですけど。あ、そう言えば私の名前、教えてませんでしたね。私は鵞切雪音と言います。どう呼んで頂いても構いません―――できれば名前で呼んでほしいですが」
「名前で? ああ、いいぞ。雪音でいいか?」
「うえっへぃ!? ずず、随分アッサリ呼んで頂けるんですね……」
「そうか? 別に女の子を呼び捨てにするなんて普通だと思うんだが」
まあ今まで女の子名前を呼ぶ機会なんてなかったんだけどな。
「そ、そんなもんですか……ありがとうございます」
耳まで真っ赤に染まった雪音が顔を両手で覆う。
可愛いじゃねえか……。
「俺は神剣桜羅っていうんだ。俺のことも呼び捨てで構わない」
「雪と桜ですか……風情がありますね。しかしそれはできません。あなたはアウセクリス様を呼び捨てにしろというのですか?」
「バルト神話にしか出てこないような明星神に様付けをしたことなんかねえよ」
てか俺は神ではないんだって。
「名前で呼びたいのは山々ですが、尊敬と畏怖の意味も込めて師匠と呼ばせていただきます」
「畏怖を込める意味ある?」
「ほら、もしものこともありますし」
「ああ、ifか……ってなんでやねん」
華麗なボケとツッコミ。いいコンビになれそうである。
「まあそんなわけで、取り合えずはよろしくお願いしますね、師匠」
「あ、ああ……うん、よろしく」
まあ週六なんていうのは嘘で、きっと通い妻なんてのも一週間もすれば飽きるだろうと、そんな甘い考えをしながら、俺は彼女の要求を甘受するのだった―――もちろん。
この先二年も通い妻されるなんて、思うわけがなかった。