才能は持ってして生まれるもの
001
神剣桜羅と鵞切雪音の出会いは、正直あまり良いものではなかった。
なんせ当時は配信者と視聴者の―――相互共に、配信者と視聴者の関係だったのだ。配信者と視聴者の間にはどうしても壁が生まれやすい。それに配信者から見れば視聴者は配信者でしかなく、視聴者から見た配信者だって配信者以外の何者でもない。その関係性が、所謂友達という仲になるのは、思いの外簡単にはいかないのだ。
特に俺と彼女は―――神剣桜羅と鵞切雪音は。
文字にしてみれば単純な、けれど実際に思い返せば複雑な、過去と思いが絡み合った、電撃的な出会いであったとも言えよう。
片や天才ゲーマー。片や何一つ才能もない凡人。
面倒くさい人間同士が絡むと。
面倒くさい物語が生まれる。
002
三年前、七月下旬、高校三年生の夏休み。
この時期と言うのは高校生、しかも三年生にとっては死ぬほど重要な時期であり、進路を決めた学生諸君が補修だったり夏季講習だったりと、自分の将来をものにするために毎日のように勉強に明け暮れる日々を送る。或る者は予備校に、或る者は塾に、或る者は学校に、また或る者は友人宅や図書館に集まり、それぞれ友人個人、時には切磋琢磨しながらも、勉強尽くしの毎日を過ごしていた。
そんな高校三年生の例に漏れず、俺、神剣桜羅は。
「あっっきはっっばらああぁぁ~~~!!!」
周囲が学業に追われているのを尻目に、北海道からはるばる東京まで旅行に来ていた。
東京に来たのは去年十月に行われた修学旅行以来ぶりなので実は一年も経っていなかったのだが、修学旅行と言う堅苦しいレッテルの下、どうしても自主研修の予定に『秋葉原』を組むことができなかった。折角東京にまで行ったのに秋葉原にいけないなんて……と俺は家に帰ってからも暫く悶々としていたのだが、苦節九ヶ月、ついに念願の『日本のオタクの聖地』に辿り着けたのである。あまりのテンションの高さに、どこかのお兄ちゃん大好きなオタク妹みたいな叫び声をあげてしまったが、まあ気にしないでおこう。
「テンション高いね、桜羅くん」
と、横から声をかけてきたこの空髪朱眼の少女は、名前を春夏秋冬蜜刃と呼ぶ。彼女と知り合ったのはネットを通じて、というよりOneBrowserを通じてで、俺が投稿した一番最初の動画に彼女がコメントをしてきたのがきっかけだ。彼女は俺より一年ほど早くワンブラウナーとして動画投稿をしており立場上は先輩なのだが、年齢が同じで趣味も近く、特に『フィギュア好き』という点が互いに一致して、すぐに意気投合した。
ちなみに彼女が上げる動画の主な内容は、俺と同じようなフィギュアレビューの外にザリガニや熱帯魚の飼育・観察に関する動画、そして何より『○○のフィギュア作ってみた』という動画である。実は彼女、ワンブラウナーとして活動する前からフィギュアを趣味で作っており、手先が器用なこともあって素人にしては完成度が非常に高いフィギュアをいくつも作り出している。オマケに、表現方法やパテ(フィギュア作りに使う粘土のような造形材料)の扱い方など、それらは全部独学であるのだという。
神か。
フィギュアをレビューすることしか能がない俺にとって、『フィギュアを生み出せる』力を持つ彼女は非常に魅力的な人間だった。ぜひとも将来はどこかのフィギュアメーカーに就職して、俺の望むフィギュアを作り出してほしいものである。
「あ、ごめんみっちゃん。ついはしゃいじまって……」
『みっちゃん』というのは言わずもがな彼女のことである。チャンネル名が『みっちゃんねる』ということとチャンネルのイメージキャラクターともなっている彼女のオリキャラが『みっちゃん』という名前であることから、彼女はファンからみっちゃんと呼ばれており、俺も習ってみっちゃんと呼んでいた。
余談だが、俺はファンからは『ツルギーさん』『ドラマさん』『マツルギさん』などハンドルネームをもじった名前、若しくはドラマツルギーの提唱者であるアーウィング・ゴッフマンから来ていると思われる『ゴッフマン』などと呼ばれている。しかし彼女とは前からメールやラインやスカイプでの交流があり、お互いに早い段階で本名を晒し合っていたので、二人でやり取りするときには先のように『桜羅くん』と呼ばれるのだが、これがまたこそばゆいというか恥ずかしいというか心地いいというか、控えめに言って智依莉の次に結婚したい。
「ううん、全然いいんだよ。私も実は、すっごいテンション上がってるし」
「そ、そっか」
彼女は岡山県に住んでいるそうなので俺よりは東京に行きやすいのではないかと道民的には思うのだが、しかし彼女は今回が初東京であるらしく、表には出していないが俺同様にテンションが上がっているらしかった。先ほどから妙にソワソワしているのはそのせいだったのか。
「ホテルのチェックインまで時間あるし、適当に歩こっか」
「おう! フィギュアショップとかいろいろ見て回りたいしな!」
「ね、私も楽しみだよ」
こんな可愛い美少女の口から『ホテル』ってワードが出てくるだけですっごいいやらしい雰囲気になるのだが、何故だろう。すごくイケないことをしている気がする。
お互いに何度か顔を動画で出しているのでこれが初顔合わせということでもないのだが、彼女は動画で見るよりもとても清楚でとても可愛らしく、なんというか、抑えめに言って智依莉の次に結婚したくなる。
「ていうかさ、桜羅くんって、動画で見るよりハンサムに見えるね。うん、全然ブサイクなんかじゃないよ」
「え? そうか?」
「そうだよ。あんまり動画で自分のこと悪く言わない方がいいよ? 特に何とも思っていない視聴者にも『この人はブサイク』って刷り込まれちゃうから」
「マジか! 俺は自分で自分の首を絞めていたのか……」
「そうそう。というか寧ろ格好いいぐらいだし、もっと自信持てばいいのに」
「そんなことは決してないのだが……そうだな。確かにネガティブな奴の動画なんか、俺だったら見たくなくなるかも」
あれ?
今俺、妹以外の女子に生まれて初めて格好いいって言われなかったか?
「でしょ? 傷つくコメントもたまに来るかもしれないけど、それも一種の肥料だと思って成長材料にしなきゃ」
でなきゃ配信者なんてやってられないでしょ?
そう言いながら微笑む彼女の笑顔に、不覚にも俺は見惚れてしまった。
003
四泊五日の東京旅行の思い出については、また別の話で詳細を記そうと思う。健全たる高校生男子の俺がドキドキしたりドギマギしたりするラブコメ的なシチュエーションが多々あり、何度も胸がきゅんっとしてしまうのだが、それを全部詳細に書くとそれだけで一冊の本ができてしまいそうなので、残念ながらここでは丸ごと割愛だ。
今回のメインは、旅行四日目のオフ会の記録である。
オフ会。
正しくはオフラインミーティングと言うらしいが、要はネットで知り合った人々が『今度はネットを介せずリアルに顔合わせしましょ(オフラインで会いましょ)』という名目で集まり親睦を深め合う会合である。アニメやオタクジャンルに限らず、スポーツオフ会、レーシングオフ会、釣りオフ会、勉強オフ会や麻雀オフ会、更には部屋が片付けられない人オフ会なんて物もあるらしい。とりあえずオフ会と名前を付けるだけ付けて、後は共通の趣味を持った人同士で語り合うのが最近の主流のようだ。
で、今回俺とみっちゃんが主催者として開催したのは、その中でも『ファンミ』と呼ばれる物だった。
ファンミとは『ファンミーティング』の略であり、ワンブラウナーの中でも主に中堅辺りのワンブラウナーがよく開催する。主催者は多くの場合配信者であり、配信者と視聴者が交流を深めるために設けられた場の一つだ。視聴者はいつも画面越しに見ているワンブラウナーに生で出会ったり会話ができたりできる他、リアルで自分の動画に対する意見を配信者にぶつけられる。配信者もまた、視聴者のリアルな意見を自分の動画に取り入れ、長所・短所をそれぞれ見極めることが可能となる。互いが互いを伸ばし合うという意味で、オフ会の中でも特にファンミと呼ばれることが多いのが特徴だ。
今回俺がオフ会を開催するに至った経緯は、同年五月に俺のチャンネル『ドラマツルギー』が設立二周年&チャンネル登録者一万人を迎え、その記念に視聴者に感謝を伝えに行く、と思い付いたことがきっかけである。ただ一人で行くのはあまりにも寂しかったので、折角ならとみっちゃんを誘ってみたところ、二つ返事で同行を許されたと言う次第だ。
ちなみにその時点でのみっちゃんのチャンネル登録者数は五万人。すっごい。
「人、来るのかなー……みっちゃんのファンは確実に来るだろうけど」
「桜羅くんのファンだって絶対来るって! コメントでも『是非行きます!』っていっぱい書かれてたでしょ?」
「まあ、確かにそうなんだけど……」
かつて、神とも呼称された配信者が『オフ会0人』なる伝説を作り上げたこともあるので、正直自分も二の舞になるんじゃないかと直前まで思っていたのだが、開催時間の一時間程前に「あ、あの! みっちゃんさんとツルギーさんですよね?」と声をかけられ、その後もぞろぞろとオフ会参加者、つまり俺の可愛い可愛い視聴者達が集まり、最終的には参加者百名前後の中規模とも呼べる(オフ会だけで言うなら大規模の部類に入る)オフ会が開催されたのだった。念には念を入れて、と大きめの飲食ができる会場を用意しておいて大正解である。
「ね? 言った通りでしょ?」
「お、おう……そうだな」
自慢気に言ってみせるみっちゃんが可愛い抱き締めたい。
その後も一応、大きなトラブルはなく段取り通りの展開を迎え、結果として二人のオフ会は成功と呼んでもいい結果に収められた。特に視聴者のリアルな声というのが大きくて、『いつも動画見てます!』『フィギュア買う時の参考にしてる。いつもありがとう』『ツルギーさんのお陰でねんどろいど沼にハマっちゃったゾ』などの好印象な意見を、活字のコメントではなく直に声で聴けるというのが嬉しかった。もちろん『もっとジャンルの幅を広げてもいいと思う』『照明を追加した方がいい』などというアドバイスも幾つかあったが、幸いにも荒らすことを目的とした輩は参加者の中にはいなかったようで、全て叱咤激励として、真摯に受け止めることができた。
なんと……。
オフ会とは、こんなにも楽しいものだったのか!
「それでは、これからサイン入り色紙を配布しまーす」
オフ会最後のイベントとして、自身の書いたイラスト付きサイン入り色紙を参加者に配る。この色紙、一応余分にと一五〇枚近く用意してあったので、持ってくるときは本当に重くて仕方なかったのだが(色紙は意外に重いのである)、これを渡したときに視聴者達の嬉しそうな顔が見られただけで、その苦労も吹き飛んだと言えよう。
すげえな配信者。
まさか自分のサインを喜んでもらえる日が来るなんて。
クラスでひっそりとしていたオタクが、日の目を見た瞬間である。
「ツルギーくん、こっちは終わったけど、そっちはどう?」
と、みっちゃんが(本名は非公開なので、気を使って桜羅くんとは呼ばないでくれた。気の利きくみっちゃん可愛い)自分の列が散ったのを確認し、俺に声をかけてくる。登録者は彼女の方が俺より五倍も多いのだが、あくまで今回は『俺のオフ会にお手伝いとして参加する』とという名目で来ているため、彼女のファンより俺のファンの方が数が多かったのだ。
「おう、こっちも後ちょっとだ」
自分の前に並んでいるのがあと数人なので、みっちゃんにそう返事をする。
「私、店内に忘れ物がないか確認してくるから!」
言ってみっちゃんは、店内へと駆け込んでいった。
素晴らしい。
オフ会後のトラブルも極力避けようとする彼女の協力的なその姿勢に俺が感銘を受けていたところで、
「あ、あの!」
と、列の一番最後に並んでいる少女に声をかけられた。
「ん? ああ、ごめんね。はい、これ」
色紙を渡した相手は、背の低い、黒いセミロングの髪を左右で二つに縛り、紅い眼をした、まるでお人形のような可愛らしい少女だった。もう七月も終わりだというのに、彼女は勝手に萌え袖になる程長いパーカーを着込んで、首元にはネックウォーマーのようなものまで巻いている、すごく蒸し暑そうな格好をしていた。
「え、えっと……」
色紙を受け取った少女はパァッと表情を晴らした後、何を言おうか考えている素振りを少し見せた後、
「ツルギーさんの動画、いっつも見てます! 本当に楽しくて楽しくて、毎日あなたの動画だけが生き甲斐です! ありがとうございます!」
「そ、そうですか? そう言ってもらえて何よりです」
これは本心だった。趣味で始めた動画投稿が誰かの生き甲斐になるなど、社交辞令だったとしても嬉しいことこの上ない台詞だったのだ。ましてやこんな可愛らしい娘に見てもらえているだなんて、それだけでやめる理由がなくなったとも言えよう。
「え、えっと、それで、あの……」
と、ただでさえ元気になること言ってくれたのに、更に何かを言いたげにする彼女。
どうしたのだろう。
告白でもされちゃうのかな、俺。
「こ、これ!」
しばしもじもじした後、鞄の中から一枚の紙を取り出し、俺へと差し出す。
次の瞬間。
「あなたのことが好きです。初めて見た時から大好きでした。私と付き合ってください」
耳を疑った―――え、なんだって?
ずっと前から好きでした?
私と―――付き合ってください?
「……え? え、え?」
背の低い彼女が真っ直ぐこちらを見つめている。仄かに紅く染まった頬、一文字に結んだ口、今にも泣きだしそうな瞳。その表情は、かつて俺が見てきたアニメのどんな告白シーンよりも綺麗で、美麗で、艶麗で、繊細かつリアルな、芸術的な物だった。
嬉しい。
今まで女性に無縁だったオタク少年は、初めて出会った少女からの突然の告白にも関わらず、内心物凄いテンションで舞い上がっていた。
俺、告白されちゃったよ?
こんな可愛い女の子にだよ?
「い、いきなりで申し訳ありません! 本当は言わないつもりだったんですけれど、実際に会ったら気持ちを抑えられなくなってしまって……」
「い、いやいやいいんだ……気にしないで」
「返事は今すぐでなくて結構です! そこに書いてあるメールアドレスか私のチャンネルにメッセージを送ってくだされば嬉しいです! そそそ、それでは!」
それだけ言うと彼女は、俺の返事どころかまともな言葉すら聞かずに早足でその場を去っていってしまった。
「…………」
えー。
置いて行かれちゃうの、この状況で。
「……ふう」
さて、どうしたものか。
とりあえず、俺は色紙のお返しに受け取った紙に目をやる。それは小さめの紙にメールアドレスとQRコードが印刷された、名刺代わりのようなものだった。
一番上に、英語で文章が書かれている。
『Dear Dramaturgy』
「……気が早すぎるだろ」
もちろん嬉しい気持ちでいっぱいだったのだが、どうだろう、もしかすると彼女は意外と愛の重い娘なのかもしれない。
まあ全然いいんだけれど。
「お待たせ桜羅くん……あれ?」
と、人生で一番心地の良い気分に浸っていたところで、そうやら全ての後始末を完璧に終えたらしいみっちゃんが店内から出て、パタパタとこちらに向かってきた。
忙しそうにしてても可愛いんだなあ。
「どうしたの桜羅くん、顔がすっごいニヤけてるみたいだけど」
「いやいや全然ニヤけたりなんかしてないよ?」
声が裏返ってしまった。
本当はwordの機能を駆使して文字を反転させ、本当に裏返っているかのように表記しようと思ったができなかったのでスルー。
「それより、後始末させてごめんな、みっちゃん。ありがとう」
「いいんだよ、気にしないで。私も楽しめたし、せめてものお礼ってことで、ね?」
えへっ、とはにかんで見せるみっちゃん。
二年という歳月で登録者一万人を迎え、ファンからはちやほやされ、更には美少女に告白までされて―――テンションが有頂天に達していた俺は、この時笑顔を向けてくれたみっちゃんに対して『あれ? 実はこの娘も俺のことが好きなのでは?』などと自惚れたことを考えるのだった。
004
赤裸々な気分で旅行を終え、家に帰り部屋に着く頃には時刻は零時を回り、世間は八月を迎えていた。
「ふぅ~、つっかれた~……」
帰宅したとき親は出かけていなかったようなので、とりあえず妹とただいまのハグをし、部屋のベッドにどっしり腰掛ける。
「……どうだった? 東京」
「おお、すごかったぞ。町中ビルだらけだし人の量が旭川とは比べ物にならんな。どっかで見たことがあるような人も見た気がした」
「へえ……楽しそう……!」
「俺が一人暮らししたら、一緒に住むか? なーんてな」
適当な冗談のつもりだったが、まさか一年も経たずして現実になるなど微塵も考えていない。
「うん……住む、一緒に」
「はっはっはっ、じゃあ家を出られるようにお兄ちゃん頑張らないとな」
なんせ登録者一万人を超えた大人気ワンブラウナーである。この調子で登録者と再生数が増えれば、近いうちに東京近郊への引越しも十分に考えられるだろう。なんなら来年には十万人とか行っちゃったりしてな。
などと調子に乗ったことを考えながら俺は適当にスマホを出す。時間とメールを確認した後、QRコードを読み取るためのアプリを開いた。買ってきた荷物を早く開けたくてうずうずしているのだが、しかしそれよりもまず、あの謎の美少女に対する告白の返事をしようと思っていたのだ。
「これを読み取って……お?」
名刺に印刷されたQRコードを読み取る。これが一体何のリンクに繋がるのかは聞いていなかったので、恐らくメールアドレスの入力を省略してくれるのだろうなどと思っていたのだが、読み取った後に移動したページは、とあるOneBrowserのチャンネルページだった。
「あれ、アドレスじゃないのか?」
そういえばあの時、『私のチャンネル』とかなんとか言ってたっけな―――画面に映し出されていたのは、『αgaΔmeΩ』と命名された一つのチャンネルだった。
「……あれ」
俺はこのチャンネルを見たことがある。確か半年ほど前、つまり今年の一月下旬頃に、ポツンと俺のオススメ動画一覧にトップで表示されたチャンネルだったはずだ。その時はリンクだけ踏んだのだが、チャンネル登録者が三千人前後だったのを見て『ふん、まだまだだな』とか訳のわからないことを言って、結局動画を見ずに戻ったのだ。恐らくその時俺のチャンネル登録者が七千人強だったので、『それより下のチャンネルは全員雑魚』とかいうイキリオタクも真っ青な思考回路を持っていたのだろう。
我ながら愚か極まりない行為だったとも思える。
とは言え、それがあの美少女のチャンネルだったのだ。
大変もったいないことをしていた。
俺はそのチャンネルの一番上に表示されている最新動画を適当に開いた。どうやら昨日の夜に上げた動画のようで、内容はポケモンのレート対戦の動画だった。
『はいこんにちは、スカーレットです。本日もポケモン対戦やって参りたいと思います』
「おお……マジであの娘だ」
当たり前のことではあるが、画面越しに件の少女の声が聞こえてきたことがなんだか新鮮で感心する。
『これこちらのゲッコウガぶっ刺さってますよね? メガマンダもガルドもマンムーもガモスもカモですよカモ。よくこんなパーティでレート一九〇〇まで勝ち上がってこれましたねー』
ちょいちょい相手を罵倒しつつも、しっかりと対戦の解説は成されている良くできた動画だった。相手の行動パターンのありとあらゆる可能性を考え、それぞれに対する対策術、こちらが交代するならどのポケモンか、相手が交代してくるとしたらどのポケモンか、その理由などを明確に述べている。ゲームの腕前としては、完全にプロのそれだったのだ。
『そしてドロポンでガモスを殺してしゅーりょー……っておいいいいい!? 何外してんだゴミクズ蛙モンスターあぁぁ! てめえ総選挙で一位とったからって調子乗ってんじゃねえのか!?』
「…………」
可愛らしい声には似ても似つかない、無慈悲な罵詈雑言が聞こえてきた。
ここカットしなくてよかったのかな。
『まあ結局勝てたんでいいですけどね。対戦ありがとーございました。最終的に勝つのは実力のあるやつなんですよまったく』
余裕の勝利を見せつけ、その後もう一戦やった後で動画は終わった。無駄なシーンやだんまり部分はカットされており、全体的にも見やすかったと思う。暴言が苦手な人は受け入れられないだろうが、これは将来が期待できるだろう―――などといっちょまえに先輩風を吹かしたところで、俺の視線にあるものが飛び込んできた。
動画の下に映っているのは、現在の彼女のチャンネル登録者数。
既に登録済みのチャンネルの動画にはその部分には『登録済み』とグレーで表示されているのだが、俺は彼女をまだ登録していなかったため『チャンネル登録』と赤く光っており、その横には数字が映し出されていた。
映し出されていたのは―――数字。
三万五九人という、圧倒的なチャンネル登録者の数。
「……は?」
見間違いかと思った。例えばゼロを一つ多くしてしまったとか―――え、ちょっと待て。
三万人?
半年前には三千人しかいなかった登録者が、十倍に増えている?
「……嘘だろ」
恐る恐るチャンネルの概要を閲覧する。そこには現在のチャンネル登録者数や全動画の総再生回数の他、チャンネルを設立した年月日なども記されている。
「…………!」
概要を見て、俺は更なる戦慄を覚えた。彼女のチャンネルが開設されたのは、今年の一月下旬、つまり依然彼女のチャンネルがオススメとして表示された時期だったのだ。ということは、設立してすぐに登録者は三千人を超え、半年少々で彼女のチャンネル登録者数は三万人を超したのである。
俺が二年かかって辿り着いた領域の三倍の地点に、彼女は半年で到達してしまった。
これは間違いなく、彼女の才能の賜物だろう。
圧倒的な才能の違い。
彼女は―――天才だ。
「…………」
突如、ゾワゾワと得体のしれない感覚が足先から俺の体を蝕んできたように感じた。そして思う。
何が大人気ワンブラウナーだ。
結局俺は凡人でしかないのだ。クラスの隅でひっそりと目立つこともなく生活している俺みたいな人間には、才能なんて欠片もないのである。
何を浮かれていたのだろうと思った。
何が登録者一万人だ。
一万人なんて―――日本人口の〇・〇一パーセントにも満たないじゃないか。
「……クソッ」
劣等感に襲われる。虚脱感に襲われる。寂寥感に襲われる。下位感に襲われる。虚無感に襲われる。欠落感に襲われる。疲弊感に襲われる。背徳感に襲われる。疎外感に襲われる。嫌悪感に襲われる。屈服感に襲われる。寂寞感に襲われる。不条理感に襲われる。絶望感に襲われる。自己喪失感に襲われる。
あるとあらゆるコンプレックスが、俺を襲撃する。
私と付き合ってください?
同じ土俵にすら上がれない俺に、付き合ってください?
ふざけるな。馬鹿にするのも大概にしろ。
圧倒的な才能を凡人に見せつけるのはやめてくれ。
「…………」
世界中の人間がまとめて敵に回った気さえしてくる。
有る者が言った。お前には才能がないのだと。
有る者が言った。お前には運がないのだと。
有る者が言った。お前には人徳がないのだと。
有る者が言った―――お前には、何もないのだと。
何もないやつが、でしゃばったような真似をするなと。
そんなことを言われた気がした。
「…………」
大体、なんで彼女は俺なんかに告白してきたんだ? 何一つ才能がない俺を好きになる? そんなはずがない。あれは恐らく何かの罰ゲームだろう。そうでなきゃ理屈として説明がつかない。いやそもそも、今回のオフ会だって全て仕組まれていたんじゃないのか? 一人で騒いでいる哀れな愚か者を見るに見かねて、みっちゃんがサクラを用意してくれたんじゃないのか? そうだ。きっとそうに違いない。こんな人間の屑が開催するオフ会にわざわざ参加するようなお人好しがいるはずがない。サクラでないならあの告白と同じく罰ゲームで参加させられたのだろう。というかチャンネル登録してくれている人だって、どうして俺なんかのチャンネルを登録する? あんな価値もない動画をなんのために見る? それすらも罰ゲームなんじゃないのか? ―――駄目だ、なにもかもがマイナス思考に傾く。
あれ。
そもそも俺、なんで動画投稿なんてしてるんだ?
そもそも俺は―――何のために生きている?
何の才能もない。何の生産性もない。何の将来性もない。何一つない。何もない。
そんなの、死んでいるのと同じじゃないのか?
生きようが死のうが変わらないのなら、そして生きている方が害悪なら、何もかもかなぐり捨てて死んでしまった方がいいんじゃないだろうか。寧ろ死にたい。死んで楽になれるのなら、こんな何も持っていない俺という存在にさよならできるのなら、それは幸せと同義―――
「駄目っ!」
と、もはや考えることさえ放棄しかけていたところで現実に引き戻される。見ると、お腹の辺りに妹が、智依莉が、ギュッとしがみついていた。
「ち……えり?」
「死んじゃ駄目……! 兄ぃにが死んだら、私も死ぬから……!」
顔を埋めたまま涙声で抗議する智依莉。どうやら無意識の内に、口から勝手に自殺願望が溢れていたらしい。それを妹に聞かれるとは、剰え妹に怒られてしまうとは、兄として情けないにもほどがある。
情けなくて―――死にたくなる。
「……どうしてそんなことを言うんだ智依莉。お前のお兄ちゃんは、何もすごくないんだぞ。何もできない、何も持ってない、お前のためにしてやれることだって、何もないかもしれないのに……」
俺は妹に何を言っているのだろう。ここは兄として強気なところを見せて、妹の心配を振り払うのが普通なのに―――しかし、今の俺はそんな当たり前のこともできず、壊れたコピー機のように鬱積された自虐の言葉を吐き出していた。
「何もいらない!」
瞬間、智依莉は兄の俺でも初めて聞くような声量で号哭の如く叫んだ。
「何もすごくなくていい! 何もできなくていい! 何も持ってなくていい! いらないいらない、そんなの何もいらない! 私は兄ぃにがいればいい! 兄ぃにが生きてるだけでいいの! だから死なないでよ! 私の兄ぃにを殺さないで!」
説教というよりもはや懇願に近い智依莉の言葉は、誰の言葉よりも俺に響く。
ああ、馬鹿だな俺は。
妹を泣かすなど、お兄ちゃん失格だ。
劣等感は人を殺すと言うが、罪悪感もまた、人を殺す。
妹を泣かしたことによる罪悪感で、また死にたくなる。そんなことで死にたいと考える自分が惨めで、更に死にたくなる。一度死にたいと思うと、そこからは負の連鎖が続く。死にたく、死にたく、死にたく死にたく死にたく死にたく死にたく死にたく死にたく死にたく死にたく死にたく死にたく―――しかし今は。
自分が死ぬことなんかより、妹の涙を見ている方がよっぽど辛かった。
才能のない辛さの、何倍も、何十倍も。
妹が泣いている姿を見る方が、辛くてしょうがなかった。
「……智依莉は、俺が死んだら泣くか?」
「泣く。いっぱい泣いてから私も死ぬ」
「智依莉が死んだら、父さんも母さんも悲しむぞ?」
「別にいい。知らない」
「俺も悲しむぞ?」
「……それは知らなくないかも」
困ったような声を上げる智依莉の頭をポンポン撫でながら「冗談だよ」と返す。
「死にたいって言うのも……冗談?」
目尻を真っ赤に腫らした智依莉が俺を見上げてそう問うた。
「……ああ、冗談だよ」
短く答えて、再度撫でる。
とにかく、今はこれでいい。
幸い俺には、才能がなくても妹がいる。とりあえず今のところは、妹のためだけにでも生きよう。
そんなわけで俺は、東京で購入した戦利品にも手をつけず、そのまま智依莉と抱き合って眠るのだった―――もちろん。
告白に対する返事のメールは、未だにしていない。