収束と始まり2
壱華は苛立っていた。双子との戦闘の翌日を思い出す。気づけば朝になっていて唖然としたものだ。しばしぼうっとして、千穂の安否を確かめようとベッドから飛び起きようとして失敗する。体のあちこちが痛んだからだ。
―吹っ飛ばされたんだったっけ
ガラスに打ち付けられたことを思い出す。
―じゃあ、啓太なんてもっと動けないわね
そんなことを思っていると、こんこんとドアがノックされる。
『はい』
痛みににじんだ涙をぬぐいながら壱華はどうぞと客人を招き入れた。その人は先生こと鏡坂斎だった。
『失礼しますね』
斎はゆっくりと部屋の中に入ってくると、壱華の勉強机の椅子に腰かけた。
『千穂は無事です。よく頑張りましたね』
そう言われ、壱華は力が抜けたのか涙をぽろぽろとこぼした。それを必死に拭う。
『あ、すみませ、ん』
『いいのですよ』
そう言う斎の顔は穏やかだった。
『ほかの皆も無事です。啓太は筋肉痛に悲鳴を上げていますが』
くすくすと笑う斎の言葉に、壱華はやっぱりと一人納得した。
『さて、ここからが本題なのですが』
『はい』
壱華は涙をぬぐってベッドから降りようとした。とたんやはり激痛が走る。
『ベッドの上で構いません』
『すみません』
『いいのですよ』
あとから治癒の術をかけておきましょうねと斎は笑った。
『二階堂武尊は、千穂の生命線となりました』
『はい』
そうだろう。金色の使い手と銀の器は運命共同体だ。金色の使い手が死ぬということは、もう誰も銀の器を守り切れないということになる。金色の使い手が死ぬ時が、銀の器が死ぬ時なのだ。
『二階堂武尊は、今後千穂の最も頼れる存在となりましょう』
『はい』
壱華は頷いた。
『もし自分を守ってくれる何よりも強い少年がいたら、壱華はどうしますか?』
『え?』
『彼のことを、どう思いますか?』
『私を守ってくれる、強い男の子』
『そうです』
何かの冗談かと壱華は思ったが、斎の目は真剣だった。壱華は考える。何があっても自分を守り続ける強く大きな背。それは何よりも頼りになり、そして何より―愛しい。
『好きに、なるかもしれませんね』
そう言った時、笑った啓太の顔を思い出して、壱華は慌てて顔を横に振った。
『どうしましたか?』
『いいえ、何も』
あははと笑って壱華は誤魔化す。何度も吹っ飛ばされていた啓太と、一発で敵を切り落とした二階堂は違う。なぜかそんなことを思いながら自分を落ち着かせようとする。
『だったら、千穂も二階堂武尊を好きになると思いませんか?』
『それは―そうかもしれませんけど』
彼は貴輝の従弟だ。千穂にとってはもう一人の貴輝といっても過言ではない。しかし、だからどうしたというのだろう。先生は何を言いに来たのだろうと壱華は瞳に疑問の色を灯す。
『彼を好きになった千穂はどうすると思いますか?』
『どうするって・・・・・何もしないと思いますけど』
料理が好きなわけじゃない、お菓子を作れるわけでもない。この年になっても髪は乾かさないで寝てしまう。それでもあれだけの髪質を保てるのは疑問だと壱華は思っていた。そんな千穂が二階堂にアプローチをかける姿は想像できない。
『そうですね。そうかもしれませんね』
斎は何が面白かったのかくすくすと笑った。
『じゃあ、二階堂武尊の方はどうでしょう』
そう言われて、彼が千穂を好きになるところを想像した。
『なんていうか、妹というか、そんなポジションに収まりそうですね』
予習も見せてもらってばっかりのようだし。と壱華は考える。ということは―
『千穂の片思い?』
壱華はそう結論付けた。やはり斎はくすくすと笑っている。
『では、銀の器と金色の使い手について考えてみましょうか』
『?はい』
壱華は頷いた。
『銀の器と金色の使い手、どっちが強いと思いますか?』
今度はそんなことを尋ねてきた。
『単純に強いのは金色の使い手ですけど、主従の関係でみると銀の器のほうが強そうですね』
―そう、主従なのだ。少なくとも、銀の器と金色の使い手の関係を壱華はそう感じていた。命を懸けて、ただ一人を守り通す存在。それは騎士だ。姫を騎士が守るのだ。その点で千穂は強い。そう、彼女はすでに守られている。彼が金色の使い手になる前から―。
『そうですね。では銀の器が金色の使い手をほしいと言えば、そうなるとは思いませんか?』
『二階堂は金色の使い手だから千穂を好きになるんですか?』
それはなんて酷いことだろうと壱華は思った。好きになる人を自分で選べもしないなんて。しかし、斎はそれが事実だと言う。
『そうです。だから、よく見ておいてあげてくださいね』
千穂は色事が得意ではありませんから。と付け足す。
―私だって得意じゃないんですけど。と壱華は思ったが言わなかった。
あの二人が、なるべく幸せになれるように、見守れということなのだろうか。壱華はきゅっと唇をかむ。
―ずるい
そう思って、その気持ちに驚いた。
―ずるいって、何が?
そう考えていると斎は立ち上がった。そしてベッドまで歩み寄る。するとよく顔が見えるように長い髪を頬に触れながら払った。それだけで体から痛みが抜けていく。
―すごい
壱華は単純にそう思った。自分にはできない。練習したらできるようになるかもしれないが、攻撃でも練習したほうが見返りは大きそうだ。それさえも見透かしているように斎は笑った。
『大丈夫です。貴昭は万全の布陣を引いています。少なくともこの学校に在籍している間は安全でしょう』
『そんなに、信用できる人なんですか?』
壱華は会ったこともない、自分の息子を自分の都合で編入させた男が、信用ならなかった。
『ええ。彼は全力で千穂を守るでしょう。そして、頭も切れます』
ですから
『大丈夫です』
『-はい』
壱華は頷くしかなかった。斎が大丈夫だというのなら、それを信じなければいけない。だって、彼女は先生だから。村長だから。そうもやもやとしていると、斎は満足したのか部屋から出ていこうとした。壱華はその背に昨晩のことを思い出して問いかけた。
『あの!先生は、千穂に花束を贈りましたか?』
その問いに、斎は不可解な顔をした。
『いいえ、贈り物などしていませんよ』
『そうですか』
千穂を千穂と呼び捨てにし、花束をプレゼントするような人間は、そう多くはない。斎でないなら誰なのだろう。
『花束が、どうかしましたか?』
『あ、いいえ。なんでもないです』
壱華は笑顔で首を横に振った。こちらからの連絡を絶っていた斎だ、そう簡単に答えはくれまい。そう判断して、この問題は自分の中にだけに留めておくことにした。
―結局あの花束を千穂に贈った人物は分からずじまいだ。
そしてなにより―
銀の器だから金色の使い手を好きになり、金色の使い手だから銀の器を好きになるというのが気に食わなかった。二人には自由がないことになってしまうではないか。
「はあ」
何度ため息をついても、胸は軽くはならなかった。




