7.後日談
「そう言えば、最近幽霊のうわさ聞かなくなったね」
そう優実が口にしたのは、千穂が攫われすべてが片付いてから一週間後の昼休みだった。
「そうね、そんなこともあったわね」
あかりがさらりと流す。
「沙也加もあんなに怖がってたのにもうぴんぴんしてるし」
「それはすごいね」
千穂は感心したように頷いた。
「なに?千穂はまだ怖い?」
「怖いよ~幽霊なんて怖いよ~」
もうあんな思いはこりごりだと千穂は思う。
「幽霊と補習だったらどっちが怖い?」
そう優実が問いかけてくる。千穂は唸りながら考えた。
「―どっちも怖いなー」
想像しただけで怖いと千穂はふるふると首を横に振った。
「あはは!幽霊と補習が並んでるよ」
補習なかなか強いじゃん、と優実は軽やかに笑った。
「優実ちゃんだって、補習危ないんじゃないの?」
「ああ、実はね、私は赤点は取ったことないんだな~」
ふふふ、と笑う。
「すれすれってこと?」
あかりが首を傾げる。
「そうそう、ギリだけど赤点にはならないんだよね~」
またふふふと笑う。あかりがはあとため息をついた。
「すれすれなんだから、油断すると赤点まっしぐらよ」
「またテスト前に勉強会しようよ」
武尊も巻き込んで、と優実はナイスアイディアとでも言うように人差し指を立てて振って見せた。
「まあ、最終手段よね」
でも、彼勉強できるから、テスト前はいろんな人のフォローに回る羽目になるんじゃないかしら、とあかりは首を傾けながら考えた。
「直前だと、大島なんかの授業が入りそうね」
「入りそう!」
困る!と千穂は叫んだ。
「千穂も大島も武尊頼みだもんね」
あははと優実は楽しそうに笑った。
「優実ちゃんだってそうじゃん!」
「私にはあかりがいるもん」
「だったら私には壱華ちゃんがいるもん!」
「その壱華ちゃんの手を煩わせてたのは誰なの?」
突然その声は降ってきた。上を仰げば見慣れた武尊の顔が視界に入った。
「学食から戻ってきたの?」
「そう」
「おかえり」
「ただいま」
「なんで学食に行って帰ってきただけで、おかえりとただいまなんだ?」
大島は武尊の隣で足を止めて不思議そうに言った。
「千穂は武尊がいないと寂しいんだよね」
「違うよ!」
「ちょっと不安になっちゃうだけよね」
「それも違う!」
違うったら違う!と千穂は足をバタバタと振った。床が蹴られてパシパシと音が鳴る。
「―やっぱお前ら付き合ってるんじゃないか?」
「違うって何度言えば分かるの」
そう答えながら武尊は自分の席に着くと、机の中からノートを取り出す。
「はい、これ貸すからさっさと写せば?」
「お!サンキュ」
「甘やかして大丈夫?」
佐々木も少し遅れて合流してくる。去っていく大島の背中を見ながらそう問いかけた。
「さあ」
武尊は肩をすくめて見せた。
「今のままじゃ、テスト前に泣きつかれるのは目に見えてるよ?」
「・・・・・その時はその時で考えるよ」
泣きつかれるところを想像したのか、武尊の顔は少し苦々しげだった。
「あ、私と千穂も多分泣きつくだろうからよろしく!」
えへ?と優実は笑って見せた。
「その他力本願どうにかして」
武尊は頭痛でもしてきたのか頭を抱えながらうつむいてしまった。
「すごい人気だね」
「ノートがね」
ふと武尊の視線をたどると必死にノートを書き写している大島と、おこぼれにあやかろうとする生徒の集団が目に入った。皆、答えを書き写したり、自分の答えと照らし合わせたりと忙しそうだ。
「あのノートがあれば、授業必要ないんじゃない?」
「まさか」
「でも、二階堂には教えることがないんじゃないかって先生たちが言ってたよ」
「どこからの情報?」
「直接聞いた」
「先生と仲いいの?」
「まあ、ぼちぼち」
俺はあのノートだけじゃ分からないから。と佐々木は続けた。
「普通そうでしょ」
最近は予習も端折ってるし、と武尊は頷く。
「じゃあ、あのノートじゃ分からないんじゃない?」
「かもね」
でも、そこまで面倒見る義務はないから。と武尊は視線を集団から外にへとずらした。
「―それで、問題は解決したの?」
「へ?」
佐々木の視線は千穂に向いた。千穂は突然の問いかけに間抜けな声を上げる。
「だって、二階堂が側にいないと危ないみたいなこと言ってなかったっけ?」
「そんなこと言ったっけ?」
千穂は口が乾くのを感じながら質問に質問を返した。
「言われてなくても、そう感じたことがあったのかも。いつだったかな」
佐々木はこめかみを人差し指で軽く叩きながら考え始める。
「―学食に行って帰ってきた時に、二階堂に馬鹿って言ってたのは覚えてるんだけどな」
鞄が浮いた一件か。千穂とあかりは思わず身構える。
「でも、なにがあったんだっけ?思い出せないな」
「じゃあ、大したことじゃなかったんだよ。数学の予習でも終わってなかったんじゃない?」
武尊はどこから出したのか紙パックにストローを刺して牛乳を飲んでいるところだった。
「・・・・そうかもね」
どこか釈然としない顔をしながら佐々木はこの話題をあきらめたらしい。
―思い出せないのなら仕方ない。些事だったのかもしれない。
「まあ、問題がなければいいんだけど」
佐々木はそう言うと自分の席に戻っていった。その背を見送った女子三人組は、佐々木が席に着いたのを見てから顔を見合わせた。
「そんなことあったっけ?」
優実がぼそぼそと声を潜めて言った。
「どうだったかしら」
「千穂、武尊に馬鹿って言ったの?」
あかりの言葉に、優実がそう問いかけてくる。千穂はうーんと唸った。
「言ったっけ?」
覚えてないやと笑う。
「だよね、佐々木の気のせいだよね」
「千穂が言ってないならそうなんじゃないかしら」
「なんだー、面白そうなことだと思ったのに、気のせいか」
ああ、残念と優実は背を椅子の背もたれにつけた。
―あの件をみんな忘れてるみたい。忘れ方には個人差があるみたいだけど。
あかりはそんなことを考えながら、コンビニで買った紅茶に口を付けた。
「面白そうって、何もないよ」
もう、と千穂は少し頬を膨らませる。
「ごめんごめん」
優実は千穂の頭を撫でた。
「本当に反省してるの?」
「反省はしてないかな~」
「じゃあ、何ならしてるの?」
「後悔かな~」
「本当?」
「本当本当」
うんうんと優実は頷いた。
「何もないならいいじゃない。平和が一番よ」
あかりの言葉に、優実と千穂の二人は力強く頷いた。
※
―銀の器。
それは器。無限に喜怒哀楽を、幸を不幸を、すべてを飲み込み己に湛える。そのたびその力を増し、さらに飲み込む力を強める。ただただそれだけを繰り返し、無限に強くなる幻の魔具。
人は己の願いをかなえるためにそれを求め、妖は力のためにそれを喰らおうとする。彼らにとって計算外なのは、器が命ある人間であることだ。それゆえ器は己の命を守るため、黄金に輝く魔剣をこの世に生み出す。剣は器の力の具現。器が力を増せば増すほど、剣もまた強くなる。ゆえに、戦いは日を追うほどに激しくなり、ついていけない者は命を落とす。剣の力に耐えられなくなれば、剣の使い手ですら命を落とす。その時が、器の命が費える時だ。
剣の使い手が死んだ時、その時何が起きるのか、知っている者はわずかだけ。それを知らずに器は生きる。それを知らずに器は殺される。いや、死ぬ間際に悟るからこそ、それは命を留めるのだ―。
何も知らない器は、今日もあらゆる命を巻き込みながら、己の望む道を己の望む速さで進んでいく。死の訪れるその時まで。




