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 取り合い5

「どういうことだ?」


体育館に着いた二人は唖然としていた。時間はまだ部活動の時間だった。体育館ではバスケ部やバレー部が練習をしている。ちなみに体育館は複数個あり、ここは男子バスケ部と男子バレー部の練習場所らしい。


―このどこに千穂がいる?


結界か?と武尊は考える。


―また結界


頭痛がするようだと、武尊は額を抑えた。


―啓太が先生に怒られるって言ってたの、分かった気がした。


きっと、結界は基本なのだ。だから、簡単に引っかかってはいけないのだ。


―でも、ここで剣を取り出すわけにはいかないし


目の前では部活動生が部活動にいそしんでいた。こんなところで剣を振り回すわけにはいかない。今でさえ、ちらほらと視線が飛んでくる。


「おい、何してんだよ二階堂」


名前を呼ばれ顔を上げると、声の主は大島だった。大島はパッと顔を輝かせた。


「もしかして、バスケ部入る気になったか?」

「いや、全然」


がくっと大島は肩を落として見せた。


「じゃあ、何しに来たわけ?」

「千穂を見なかった?」

「見てないぜ。てかなんで飯島さんと一緒なんだよ」

「いつもの時間になっても千穂が戻らないって言われて一緒に探してるんだよ」

「高野原はここには来てないぜ」

「分かったありがとう」


別をあたろうと言って、武尊は体育館を後にした。


「部活が終わるまで待ってて間に合うと思う?」

「剣はなんて言ってるの?」

「何も言ってない」


壱華は爪を噛む。


「千穂が危険な目にあったり、千穂にとって危険なものには反応するのよね」

「ああ、たぶん」

「じゃあ、剣が何か反応を示すまで待ちましょう」


剣を信じましょう。壱華はそう言った。武尊はぎゅっと胸元を掴んだ。


―シャラン


ただ、鈴の音が聞こえただけだった。


「それまで、ラウンジで待ってましょう?」


武尊は頷くしかできなかった。その不安そうな顔はどこか儚げで、きれいだと壱華は思った。



ふるりとまつげが揺れる。それはその人が意識を取り戻したことを意味する。


「旨そうだな」

「早く起きないかな」

「怖がる顔が見たいよな」


ぼそぼそと低い声が聞こえる。捕らわれた千穂は、暗くなった体育館で目を覚ました。


「あれ?何?」


自分が眠っていたことにまず驚く。そして、見覚えのない光景に混乱する。情報を少しでも得ようと目を動かす。


「ひっ!」


そこかしこに、対になった光が浮かび上がっていた。それが妖の目だと気づくのに時間は必要なかった。


「え?嫌だ・・・・動けない」


逃げようとするが、体が自由に動かない。千穂はそれに焦りを覚える。


「俺の糸はそう簡単に切れやしないぞ」


まだ慣れない暗闇の中、千穂は目を凝らしてその声の主を探す。天窓から入ってくる月の光が、その妖を照らした。


「蜘蛛?」


厳密には違うのだろうが、バスケットボールのような胴体に細い枝のような足が生えた蜘蛛がのそのそと姿を現した。


「嘘、べたべた!」

「だから、動いたってとれないぞ」


体を動かして糸から逃れようとするが、それは失敗に終わる。


「無残な姿だな」


唸るような低い声に、千穂は動くのをやめた。そして、声の主をまた探す。


「あんなカラスごときに攫われてくるとは」

「あ!」


千穂は漆と名乗った少女を思い出した。カラスであるはずだが人間の姿をした少女は、千穂と壱華の部屋から千穂をかっさらったのだ。やっと状況を理解する。


―うまく時間稼ぎできたと思ったけど


がちゃがちゃと玄関がうるさくなったことまでは覚えている。三人が戻ってきたことに慌てた漆が突然風を起こし、そのあと自分は意識を失ったようだ。


―やられた


樹、落ち込んでなきゃいいけど。と、千穂は自分の護衛係だった樹の心配をする。


―怪我してなきゃいいけど


結構強い風だったと千穂は思う。小さな樹は簡単に飛ばされてしまったのではないか、その時に怪我でも負ったのではないかと心配になる。


「どうした?恐ろしくて声も出ないか?」


―声ならさっきから出してるんだけど


熊に対して内心突っ込みを入れる。千穂はもう一度熊を見た。大きな熊だ。立派な体躯をしている。口元から覗く牙は、本来のそれより鋭いことを除いては普通の熊と変わりない。しかし、その牙が、確かにこれは妖の部類だと語っている。


「・・・あなたは、味方になってはくれないの?」


武尊が言っていたことを思い出す。情報提供者になることに反対している層もいるはずだと。その代表格が、この熊なのではないかと千穂は感じ始めていた。


「仲間になると約束したのは雑魚だけだ。俺たちはお前を食っていいと言われている」

「食っていいって、漆に?」

「あのカラスはお前をここに攫ってきただけだ。―食べていいと言ったのは、あのウサギだ」

「碧が!?」

「あお、とか言ってたかもな」


千穂は信じられないと声を上げた。味方にできなかったのではなく、食べていいと許可を出したことに驚いた。


―てか、食べていいって!?食べられちゃうの?


千穂は血の気がさーっと引いていくのが分かった気がした。


―どうしようどうしようどうしよう


いつだって自分はどうしようばかりだ。そして自分じゃ何もできなくて、結局あかりや武尊、壱華、啓太、樹に助けてもらってばかりだ。自分の非力さが悲しくて、恨めしかった。


―いつもこうだ


いつもいつもいつも


「ねぇねぇ、こいつ食ってもいい?ちょっとだけさ」


大きな亀のような姿をした妖が熊の妖にそう尋ねる。どうしよう、いつもこうだを繰り返していた千穂は思考の海から帰ってくる。


―食べられる!!


「待て、俺が食べてからだ」


残りはお前たちで分けろ。


「待って!絶対美味しくないから!お風呂にだって入ってないし!今日体育あったし!!」

「何わけの分からないことを言っている。どのような状況においても、銀の器は俺たちの餌だ」


その言葉に胸がつきりと痛む。


『銀の器は餌』


「好きで、なったんじゃないのに」


千穂は、目が熱くなるのが分かった。ジワリと涙が滲む。


「好きでなったんじゃない!放っといてよ!!」

「それが無理な話ということだ」


さて、と熊が千穂を床に押し付ける。千穂は暴れたかったがご丁寧に足まで糸で縛られている。攻撃する余地もない。熊が頸動脈に牙を突き立てようとしたとき、空気がずんと重くなった。それに熊も動きを止める。


「何?」

「来たか、なりそこないめ」


熊が千穂から離れる。暗闇に向かって唸る。千穂は視線をそちらにやると、ぼうと浮かび上がる影がある。白いワンピースに長い黒い髪。


―みんなが言ってた幽霊だ。


千穂は悟る。


「やっと入れた」


ふふふと幽霊は笑った。足元が、黒くなっているように見えた。幽霊はそっと千穂に近づくと、床に膝を付けた。すっと、指先で千穂の輪郭を撫でる。ぞくりと悪寒が走ったが、その指はとても滑らかな感触がした。


「漆ったら、あんなに私にあなたをくれるって言ったのに、最後の最後でここに結界を張るんだもの。驚いちゃった」


でも、それももう無い。にたりと、口元が裂けた。


「ひっ!」


その恐ろしさに体が凍る。動けなくなる。


「ずっと感じてた。あなたは特別だって。あなたを食べたら、きっとこの傷も良くなる」


―そんなことないよ。そう言おうと思って、口は動かなかった。


「それは俺の餌だ!」


ガオウと熊は吠えた。それにキッと、幽霊は顔を上げた。


「黙れ!ただの獣が!!」


爛と目が赤く光った。それにひっと千穂は息を飲む。


―嫌だ、嫌だ。怖い。


千穂は幽霊の手から逃れようと体をよじるが、一向に幽霊からも糸からも逃れることはできない。


「貴様こそ、元は人間の分際で!」

「うるさい熊ね」


ゆるりと幽霊は立ち上がった。少し幽霊と距離がとれ、千穂は呼吸がしやすくなったと思った。ゆっくり大きく息をする。涙は止まることなくあふれ続けていた。


―一人がこんなに怖いなんて思ってなかった。


あの兄弟に狙われた時も、壱華たちと一緒だった。こんな風にさらわれた経験が千穂にはまだなかった。これからこんなことが増えていくのかと千穂は恐怖に怯えていた。―いや、今日で最後かもしれない。ここで食べられてしまえば、もう怖い目に合わなくて済む。そんな考えが頭をよぎり、千穂は首を横に振った。


―余計なことは考えるな。今は時間稼ぎをしなきゃ。


きっと、みんな自分を探している。みんなが見つけてくれるまで、頑張らなきゃ。そう考える千穂の傍らで、幽霊と熊の対決が始まる。


「仕方ないから、あなたから食べてあげる」


グワリ幽霊は大きくなった。背は体育館の天井に届きそうだ。遠く離れても、目が赤く光っているのがよく見えた。


―あんなに大きくなって。

―そう言えば、漆の結界が壊れたって言ってたっけ。


それほど力があるとは聞いていなかった。もし漆の結界を幽霊が壊したと言うのなら、彼女には壱華の結界を壊す力があると言うことだ。それがなされず、千穂はここ数日自分たちの部屋で快適に過ごせていた。だったら、あの幽霊の力は今、あるいはほんの少しの前に強まったということになる。


―悪霊化してる?


さっき触れてきたことを思い出す。実体のないはずのそれは、確かに千穂の頬に触れた。


―私だから?それとも実体化してきてるから?


涙は止まらぬままに千穂は考える。悪霊化したら、見境なく食い散らかすのだと武尊が言っていた。そう聞いたのだと言っていた。今幽霊は、熊を食べると言わなかったか。


―やっぱり悪霊になったんだ。


間に合わなかった―。なぜか、そんなことを思った。そう思えば、涙は恐怖から悲しみのそれに変わる。なぜ自分が悲しむのか、千穂には分からなかった。熊は唸り、巨大化した幽霊の足元に噛みついた。しかし、幽霊は、それを足を振ることによって振り落とす。熊は簡単に壁まで飛んで行った。


―幽霊の方が強いんだ。


千穂は、どこかぼおとする頭で考えた。幽霊は緩慢な動作で腕を伸ばすと、熊をつかみ取った。それを口元に運ぼうとする。熊はがぶりと幽霊の手に噛みついた。さすがにそれは痛かったのか、幽霊は手を放す。熊は、見事に床に着地した。


―猫みたい。


視線だけで二人を追って、千穂はそんな感想を抱く。


「なあなあ、今のうちにちょっと食っちまわないか?」


そんな声が耳に届く。


「いいかなぁ。後から怒られるぞ」

「だって、あいつあの女で手いっぱいだし、なんか女の方が強そうだし」

「ちょっとだったらいいんじゃないか?」


―良くない!まったくもって良くない!


千穂はまたうーうーと呻きながら体をよじる。しかしと言うべきか、やはりと言うべきか、体はちっとも自由にはならない。


―だめだ。食べられちゃうんだ。


今度はその恐ろしさに、涙を流す。


―泣いてばっかりだ。


もう少し、自分は強いと思っていた。こんなに泣くなんて思ってもいなかった。力だけではなく、心までこんなに弱いとは思っていなかった。そんなことを考えている千穂に、ぎゃーという声が聞こえてきた。視線をやると、幽霊が熊を掴んで、また口元に運んでいるところだった。今度は嚙まれないようにしっかりと握っている。圧迫感で、熊は悲鳴を上げることしかできない。


「待って!」


千穂の声に、ぴたりと幽霊は止まった。ゆっくりと視線を向けてくる。


「食べないで!」


そう叫べば、幽霊は自嘲の笑みを浮かべた。


「なぜお前が止める!」

「分かんないよ!でも、絶対良くないもん!」


そう、千穂はなぜ自分が幽霊を止めたのか分からなかった。ただ、幽霊が熊を食べてしまえば、もう戻れないと感じた。ただただ、嫌な感覚が千穂を襲った。


―止めなきゃ。どうにかして止めなきゃ。


必死に考える。何かヒントはないかと幽霊をじっと見つめる。


―あれ?


そして引っかかる。


―手も足もきれいなのに、どうして顔にだけ傷があるんだろう。


触れてきた滑らかな感触を思い出す。


―あんなにきれいな手だったのに


どうして?


「お前に言われる筋合いはない!」


幽霊の叫び声で千穂は我に返る。はっと目と目を合わせる。その瞳は確かに怒っていると語っていた。


「ある!」

「どこに!」


ここまでくると売り言葉に買い言葉だ。千穂は自棄になってあると叫んだ。どこにと問われれば、思いつかなくて唸る。


「嘘をつくな!!」


怒りにより風が巻き起こる。千穂は瞼を下ろして耐える。


「あるもん!関係あるもん!私だって、食べられるなら怖くないほうがいいもん!」


食べたられたらダメでしょう、と武尊がいたら突っ込んでいただろう。


「・・・・食べるなら先に食べろと言うこと?」


幽霊は手の力を抜いた。その隙をついて熊が手から逃れる。先ほどは見事な着地を見せたが、今回は体へのダメージが大きかったのか、べしゃっと音を立てて落下した。


「大丈夫?」

「貴様に心配される筋合いはない!」


ごほごほと咳込むようにしながら、熊は答えた。


「貴様を食うのは俺だ」


ガオウと熊は吠えた。すると、幽霊は千穂に伸ばしていた手を止めた。


―危なっ!


会話が成立し始めたからか涙は止まった千穂だったが、伸びてきていた腕に顔が引きつる。視界の中で、熊が幽霊に体当たりした。そこはさすが妖と言うべきか、幽霊の巨体はぐらりとかしいだ。


―だめだ、私じゃ止められない。

―助けて、武尊―


その声が届いたのか、ばたりと金属製の扉が倒れた。清浄な空気が流れ込んでくる。その空気に耐えきれない妖がざらざらと形を失った。それだけで、何が起きたのか千穂には分かった。


「武尊ー」


うわーと泣きながらその人の名を呼ぶ。武尊の顔は、暗いためよく見えなかった。視線が集まる中、武尊は呆れたように言った。


「呼ぶのが遅いよ」

「ごめん」


千穂は、なんで自分が謝ったのか分からなかった。

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