取り合い4
「ああ~また負けた」
千穂はぽいとコントローラーを投げた。レーシングゲームで樹と千穂は遊んでいた。それが啓太相手ではなく、樹相手でも千穂は勝てなかった。
「何で~」
嘘ーと言いながら手足をバタバタと動かす千穂に樹はため息をつく。
「―特技が逆走だからじゃないかな」
「啓太と同じこと言う!」
「だって事実だもん!」
俺だってこのゲーム得意じゃないはずなんだよ!と樹は力説する。千穂はうーと唸りながら唇を尖らせる。
「それに、なんでこのゲームにこだわるのさ。他にもゲームはたくさんあるじゃん」
これとか、と樹は格闘ゲームのソフトを手に取る。千穂はそれをちらと見るとすぐにそっぽを向いた。
「そのゲームは直接相手に吹っ飛ばされるからイライラするんだもん」
「あー分からなくはないけど」
自分もよく啓太に吹っ飛ばされる樹としては、その気持ちはよく分かる。そもそも、啓太に勝てるゲームがない。それを思い出して、樹もなんだかイライラしてきた。
「てか、兄ちゃんゲームしすぎじゃない?本当勉強してよ!」
「・・・それ、本人がいるところで言った方がいいよ」
「千穂もでしょ?」
千穂は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「啓太よりは勉強してるもん」
「そう思ってるだけじゃなくて?」
「それは・・・・」
言い返せなくて、千穂はまた唇を尖らせる。
「樹は意地悪だ」
「意地悪じゃないよ。本当のことだよ」
「生意気ー!」
そう千穂がゴロンと寝ころんだ時、牙がぐるると低く唸り始めた。樹がそちらに目をやると、クルルも肩に乗るサイズから白鳥を思わせる体躯へと変貌を遂げる。
「何か、来る」
「え?」
千穂は身を起こすと樹のそばに移動する。隠れるように樹の後ろに回る。樹も、千穂をかばうように腕を広げた。
ぞくりと悪寒が走ったのと、バタンと廊下とリビングを隔てる扉が開いたのは同時。ぎゅるぎゅると風が渦巻き、一点へと集中していく。そして風は集まりきると消えてしまった。そこに現れたのは長い黒髪が印象的な少女だった。
「あ、カラス」
千穂はぽつりとつぶやいた。彼女が壱華や武尊の言っていたカラスだと、千穂はなぜか思った。その呼びかけに、少女は眉根を寄せた。
「どいつもこいつもカラスカラスカラス!私にはご主人様からもらった漆と言う名があるんだぞ!!」
びゅっと風が吹く。その勢いに千穂は目を閉じた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
千穂は慌てて謝った。すると風は嘘のようにやむ。うっすらと目を開けてみれば
「分かればいいんだ」
えっへんと胸を張る漆が目に入った。
―あ、扱いやすいかも
千穂は恐怖心が少し弱まったのが分かった。ふうと息を吐きだす。
「それで、何の用なの?」
樹が千穂を背にかばいながら漆を睨みつける。
―ああ、せっかく忘れてたみたいなのに
目的を忘れたように胸を張っていた漆は、はっとして二人に向き直った。
「用など一つしかあるまい」
びしっと千穂を指さす。それにびくりと体が震える。
―そうなるよね
樹の背に隠れて、漆の視線から逃れる。
―どうしよう。樹だけじゃ荷が重そう
三人が早く帰ってこないかと千穂は願った。
「あの三人なら来ないぞ。結界に閉じ込めてきたからな」
「結界なんて武尊が切り裂いちゃうよ!」
樹は漆を睨みつたままそう答える。ふふんと漆は笑った。
「だとしても、二重に張ってきたからな。それに何で幽霊を残してきたと思っている。三人は幽霊退治に一生懸命だろうさ」
―はめられた
樹はぎりと歯を食いしばった。幽霊への対処ばかりを考えていた。まさか幽霊を囮に使われるとは。
「漆には千穂は必要ないでしょ?」
それは賭けの言葉だった。千穂を必要とするほどこの漆という名のカラスは弱くない。そして教頭の使い魔だという。彼は底が知れない力を持っているように思う。ならばいっそう漆に千穂は必要ない。教頭から力を分けてもらえばいいのだから。
「そうだ、私にその娘は必要ない」
「じゃあ、どうして」
漆は樹の言葉に眉根を寄せて髪を払った。
「自由を愛するわが主人の自由を奪った罰だ」
「主人って、教頭先生?」
「その呼び名も汚らわしい」
「だって、名前分からないもん」
そう言えば、むっと押し黙る。
「・・・・お前たちが呼んでいい名じゃない」
「だったら教頭先生で良いね」
「むう」
漆は唸る。教頭先生という呼び方も許容できないらしい。しかし、名前を教えるのはもっと嫌で、漆はむむむと考え続ける。
―このすきに逃げられないかな
しかし、ルートは押さえられている。漆は主の呼ばれ方で悩み中だ。樹はつと視線を牙とクルルにやる。二匹とも準備は万端だ。
―行け
視線を漆に投げると、牙が漆に飛び掛かった。大きな口を開けて漆に襲い掛かる。クルルはまだだ。余計なものを燃やしてしまう可能性がある。
「っち!小癪な」
手を振って強風を起こすと牙を吹き飛ばす。狭い部屋では簡単に壁に打ち付けられてしまう。
―狭いのは不利だ
樹はあたりを見渡すが、逃げ道はどこにもない。どこか、どこかに隙がないかと樹は目を細める。
「千穂!」
小さな声で後ろに千穂に話しかける。強風に目を閉じていた千穂がうっすらと目を開ける。
「何?」
「どこか逃げられそうなところない?」
「逃げられそうなところ?」
千穂も部屋に視線を走らせる。しかし、樹同様何も見つけられない。それでも、千穂には思うところはあった。千穂は樹の袖を引っ張る。
「逃げられないけど、時間稼ぎはできるかも」
「そうなの?」
うんと頷いて、千穂は立ち上がった。それに樹は慌てる。樹が不安そうにしているの感じながら、千穂は口を開いた。
「ねえ、漆は風を操ることができるの?」
「そうだが」
またえっへんと胸を張る。風は起きない。漆は聞いてもいないのに説明を続ける。
「操ると言えばそうだが、私自身が風のようなものだな」
「漆は風なの?」
「そんなものだな。―それがどうした」
漆は閉じていた目のうち器用に片側だけを開いて千穂を見た。千穂はえへへと笑いながら言った。
「いや、私たちの近くには風を操る人はいなかったから、すごいなと思って」
―どうだ。
千穂は笑っていない目で漆を見つめる。漆は思った通り、後ろにひっくり返るのではないかと思えるほどに胸を張った。
「まあ、風を操ることは簡単ではないからな」
ふふふふと漆は笑っている。頬も上気しているように見える。
―この調子だ
「漆はすごいんだね」
本当は壱華も風を起こすことはできるから、風を操る人間がいないというのは嘘になる。しかし、漆の方がより精密に繊細に操ることができるのは火を見るよりも明らかだった。
―怒らせないように、褒めて、褒めて
視線をずらせば、壁にたたきつけられたはずの牙は体勢を立て直したようで、クルルも宙にゆったりと浮いている。せっかくだからと千穂は聞いてみた。
「漆くらいすごい妖が、どうして幽霊なんかに手を貸してるの?」
「ん?幽霊だけではお前たちを困らせるのに心もとないからな」
―本当に私たちに困ってほしいんだな
それは困ると、千穂は眉根を寄せたかったがどうにか意志の力で押しとどめる。
「だったら、漆一人で動いても良かったんじゃないかな」
「それはだめだ。私が主犯になったら、あの金髪の男は私を切るだろうが」
―読めてきた。漆は千穂たちが嫌いだが、直接手を下すには武尊が怖いのだ。そして、武尊より弱い。だから、千穂たちを狙う何かを手伝うことによって自分の本懐を遂げようとしている。
―え?今後も狙われ続けるってこと?
敵は次から次に現れるだろう。そのたび漆はその敵と手を組むのだろうか。
―え?困る困る!
そうなるなら、武尊に退治してもらわなければならない。
―武尊!早く来て!
そう願った時、ガチャガチャと玄関が慌ただしくなった。それに漆が我に返る。
「しまった!」
そう言うと、漆は風になり千穂を飲み込んだ。
「千穂!」
突然のことに対処できず、吹き飛ばされた樹が千穂の名前を叫ぶ。
「「千穂!」」
出かけていた三人が部屋に飛び込んできたけれど、その時にはすでに部屋は風で満ち溢れ奥に進むことができなかった。渦巻く風が消え、顔をかばっていた腕を下ろすと、そこにはゴロゴロと床を転がった樹とそれに寄り添う牙とクルルしかいなかった。
※
「あのカラス!」
ダン、と武尊は壁をこぶしで叩いた。それを啓太がなだめる。
「おいおい、そんなに怒るなよ。迫力がやばいよ」
「剣は何て言ってるの?」
壱華が長い髪を揺らして振り返る。その言葉に武尊は胸に手を当てた。剣は何も伝えてこない。
―危なくはないって事か?
―いや、そんなはずがない。あいつは一度千穂を狙っている。
武尊はそう思考する。
「どうしよう!攫われちゃった!」
樹がやっとのことで現実に戻ってきて兄に掴みかかる。
「碧のところに行こう。そして碧に味方の面子を集めてもらう。そいつらから情報を得よう」
武尊がそう判断する。四人は我先にの勢いで玄関へと走る。そしてエレベータに飛び乗って武尊の部屋へと向かう。扉を開けるなり武尊は叫んだ。
「碧!」
「何々~」
小さなぬいぐるみがリビングから出てくる。
「千穂が攫われた。お前が話して協力すると言った面子を集めてほしい」
「OK~」
どこでそんな言葉を覚えたのか、碧はぴょんと武尊の肩に乗りながらのんきに答えた。
「最上階にしよう。あそこはちょっと特別な場所だから声も届きやすいし集まりやすい」
「分かった」
碧の言った通りに四人は最上階にへと向かった。
「攫ったのはまだ取り込めてない反対派か幽霊かのどっちかだ。実行者はあのカラスだけど」
「どっちが可能性高い?」
「幽霊とカラスは繋がりを持ってた」
樹の問いに武尊は答えた。今日にいたっては千穂を攫うために作戦を立てていた。
「協力しているところを見た」
エレベータの中で武尊は焦るように上を向く。シャツの胸元を掴む。剣はまだ何も伝えてこない。武尊はそれが恐ろしかった。千穂との絆のようなものが切れてしまったような気がする。絆なんてそんな大したもの、無いだろうに―。武尊は自嘲の笑みを浮かべた。エレベータが止まる。降りると碧がぽんぽんと手を叩いた。すると、ずらずらと妖が姿を見せる。
「すごい」
「これで武尊の下に付くって約束したのは全部かな」
ぞろぞろと出てくる妖に樹は感嘆の声を上げた。
「千穂が攫われた。どこか心当たりはない?」
武尊がそう問うた。それに対し、妖たちはもじもじとしている。それに武尊は悟る。
「脅されてるの?」
小鬼がおずおずと頷いた。
「教えちまったら、俺ら殺されちまうよ」
「分かった、ここに啓太と樹を置いていく。二人にはお前たちを守ってもらう。これでどう?」
「そいつら強いのかよ」
「俺知ってるぜ!あの人間の変なオオカミといい勝負してた兄ちゃんだ!」
そう言われると気分は悪くないので、啓太は自然と胸を張る。
「ちっこいのも強い神獣出すぜ」
妖たちはあれやこれやと盛り上がる。
「それで、二人を置いていけば千穂の居場所は教えてくれるの?」
妖は急に黙り込んだ。
「本当に守ってくれるのか?」
ひょいひょいと小鬼が樹のズボンを引っ張った。樹は頷いた。
「それで千穂のいる場所が分かるなら」
「俺だって守るよ」
弟ばかりに任せてられないからな。啓太も力強く頷いた。それに妖たちはひそひそと会議を始めた。そして意を決したように言った。
「あの、銀の器に網のついた重そうなのが落ちた場所があるだろう?あそこだよ」
「体育館か!」
武尊は踵を返してエレベータに向かって走り出す。
「ありがとう!あとは任す!」
「任しとけ!」
「千穂をお願い」
「啓太!しっかりね!」
「分かってる!!」
壱華も武尊について行った。やっぱり壱華と啓太の会話はどっちが年上か分からないなと樹は思った。




