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 取り合い3

 壱華は、女子生徒の背をさすっていた。


「大丈夫?」


触れた背中から、ぶるぶると震えが伝わってきた。


「もう、大丈夫だから」


そう言って、顔を覗き込もうとするが長い髪が邪魔で見えなかった。


―そう言えば、ここは啓太の学年の階ね


と言うことは、この女子生徒は高等部の二年生である可能性が高い。


―だったら、先輩ってことよね


敬語に直した方がいいかしらと壱華は考えるが、今更だとあきらめる。


「立てる?」


ここにいつまでも座り込んでいるのも良くないだろう。とにかくここを離れよう。耳を澄ましてみたが、静かだ。二人と幽霊はだいぶここから離れた場所にいるようだ。


―どこまで追いかけていったのかしら


啓太が参戦したことで武尊は今日で方を付けたいと考えているはずだ。どこまでも追いかけるつもりだろう。


―だったら、私必要だったかしら


自分を置いて全速力で走って行ってしまった二人を思い出して、壱華は少し拗ねた。


「もう大丈夫だから、部屋に戻りましょう?」


そこまで話して、どうして幽霊は学校にしか出ないのだろうと、はたと壱華は思い至る。寮に出てきたという話は聞かない。寮には入れない何かがあるのだろうか。


―偽本間たちの妖は入り込んできたのに?


そこら辺は教頭に確認を取った方がいいかもしれないと壱華は思った。結界の張られ方がよく分からない。いや、分からないことがそもそもおかしい。普通、結界の存在は感じることができるはずだ。それがないということは、結界の張り手は相当の上級者だということになる。


―やっぱり、あの先生は怪しいのよね。


うーんと唸っていると、少女がぽつりと言葉を発した。


「―余裕だな」

「え?」


幽霊におびえ震えているとは思えないほど冷たく固い声だった。戸惑っていると、少女はくつくつと低く笑いながら体を震わせた。


「お前も馬鹿だな。一度は私と会ったことがあるというのに」


そう言うとぶわりと風が起き、少女は宙に浮きあがり壱華を見下ろした。その角度に、記憶があった。


「あなた、カラス?」


そう呟けば、少女は嫌そうな顔をした。


「漆だ。覚えておけ」

「うるし・・・」


確かにきれいな黒色だと壱華は思った。しかし、問題はそこではない。


「あなた、何をしてるの?」

「何って、そうだな」


うーんと漆はこの学校の制服のまま考え込む。そして、にぱっと笑った。楽しそうに笑うのに、なぜその顔はどこか暗いのだろうか。ぞわりと肌が粟立つ。


「お前を先に食わせてやろうかと思ってな」

「先って」

「後からお前の大事なお姫様も頂くということだ」

「させるわけないでしょう!」


壱華はやっとスカートのポケットから札を取り出した。動きを封じる呪いを唱え始める。


「遅い!」


突き出された腕から放たれた霊力が物理的な力を持ち壱華に襲い掛かる。壱華は見えないそれを漆の腕の角度から予測し避ける。呪いを止めるわけにはいかなかった。それは自分の負けを意味するからだ。


「縛!」


その一声とともに札を漆に放つ。しかしそれは漆を取り巻く彼女の霊力により阻まれる。


「くっ!」


悔しさに歯噛みする。動きが封じられないなら攻撃するしかない。しかし、詠唱に時間がかかる。


―どうする?


ちらと二人が消えていった角を見やる。それに気づいた漆が笑う。


「あいつらは来ないぞ。結界に閉じ込めたからな」


見れば、漆はそれはそれは嬉しそうに腕を組んでいた。


「ここも結界の中、それとは別の結界にあいつらは閉じ込められている。今日はご主人様の力も使ったからな!気づくまで時間がかかるだろう」


―ご丁寧な説明だこと!


その余裕に腹が立つが、実力差が大きい。仕方がないと、壱華は攻撃呪文の詠唱に入る。それに漆の哄笑が響いた。


「あははは!無駄だ!大人しく喰われろ」


漆がぱちんと指を鳴らすと、その場に幽霊が現れた。


「二人は言われた通り一つ下の階に引き寄せたよ」

「ご苦労。褒美だ。喰っていいぞ」

「そう」


幽霊は口が裂けたような笑みを浮かべた。長い髪から覗いた目が妖しく光った。壱華の詠唱は続いている。


「破!」


バチバチと爆ぜる。壱華の放った札は、漆の結界か霊力に阻まれ幽霊に届かなかった。


「っくそ!」


壱華は二人が消えた場所に向かって走り出した。


―とにかく合流しないと!


あのカラスとは力差がありすぎる。武尊に任せるしかない。


「追え」


後ろで呟くように落とされた声がなぜか聞こえた。


―追ってくるのは幽霊だけなの?


ということは漆は来ない。結界内とはいえ、無力化されたわけではない。力は使える。


―幽霊だけならどうにかできるかもしれない


一度武尊に助けてもらったことが頭をよぎるが、忘れろと首を横に振る。今自分が打てる手は二つ。どうにかして二人と合流するか、走るのをやめて迎え撃つか。―壱華は両方を選んだ。


―とにかく、一つ下の階まで下りる。そこで迎え撃つ。


幽霊が言っていたことを思い出して、壱華は武尊が飛び下りた階段を駆け下りる。そして下の階にたどり着きあたりを見渡す。そこにも誰もいなかった。


「もう!・・・・―啓太!武尊!どこ?!いるの?」


大声で呼ぶ。しかし、返事はない。


「いないのかしら」

「どこまで行くの?」


するりと冷たい感触が首から、肩から伝わってくる。


―もう追いついたの?


あれだけ走ったのに。壱華は一瞬狼狽するが、札を手に詠唱に入る。その途端、背中に衝撃が走り、詠唱が止まる。壱華は膝をついて衝撃に耐える。


「った・・・」

「だめよ。その変な呪文は唱えさせないから」


両手両ひざを床についている壱華の顔に、冷たい手が添えられる。ひやりとした感覚に、背筋が凍る。


―食べられる


磯崎茜の顔を思い出し、体が恐怖にこわばる。


―私の顔も、あんな風になっちゃうのかしら


『食べられたら無くなるはずなんだ』


武尊はそんなことを言っていた。


―それとも、顔が無くなっちゃうのかしら


「っ!嫌!!」


どうにか手を動かして幽霊の体を払う。


「まだ抵抗するの!?」

「それはこっちの台詞だ!」


その声は、待ち望んだ少年の声だった。壱華はあからさまに顔に喜色を浮かべた。


―助かった!


「武尊!」

「壊れろ!!」


しつこいと言外に告げてくる。ぱりんと音がした。びきびきと硬質な音が響き、そして確かに結界が消失したのを感じた。


「「壱華!」」


黄金の剣を手に階段から飛び降りてくる少年が一人、どう見ても飛び降りたと言うよりは落下している少年が一人。


「啓太!武尊!!」

「くそっ!」


幽霊は二人の姿を認めるとすっと姿を消した。


「あ!逃げた!」


啓太が叫ぶ。どさっと鈍い音がする。啓太が手と膝から床に着地した音だ。


「てー」


痛たたたたと手をぶらぶらさせる啓太に壱華は駆け寄った。


「もうだめかと思ったんだから!」

「ごめん。危なかったとこ悪いけど、カラスは?」


少し息を切らした武尊が啓太と壱華のもとに歩み寄る。壱華は涙を滲ませながら顔を上げた。


「あ、えと、あの襲われてた子がカラスだったの。えと、カラスじゃなくて漆って呼べって言ってたわ。あ、そんなことどうでもいいわね。それで、漆が先に襲ってきたんだけど、途中から幽霊も参戦してきて、私、二人を探して走ったのだけど幽霊だけが追いかけてきて漆は追いかけてこなかったの」


「走れる?」


武尊は存外厳しい声で二人に問うた。会えたことにほっとしていた二人はその厳しさに内心首を傾げる。


「俺はいけるぜ。体が丈夫なとこが長所だしな」


そんなことを言いながら啓太は立ち上がる。そして、立てるか?と壱華に手を差し伸べる。壱華はその手を取って立ち上がった。膝が笑いかけていたがどうにか気合で真っ直ぐにとどめる。


「私も、大丈夫」


武尊は厳しい顔で二人に振り返った。


「千穂が危ないかもしれない」



啓太と武尊は走った。階段を駆け上って、壱華がいるはずの場所を目指す。しかし、壱華がいるはずの場所には誰もいなかった。


「部屋に送っていったのか?」


啓太が頭の周りにクエスチョンマークを飛ばす。それに武尊は首を横に振った。


「たぶん、三人でいる時から結界の中に閉じ込められてたと思う」

「なんでそう思うんだ?」


武尊は視線を持ち上げて啓太を見た。


「俺たち、あんなに全力疾走したのに誰も現れなかったし、誰ともぶつからなかったでしょ?」

「・・・・・確かに」


放課後とはいえ、心置きなく全力疾走ができた時点でおかしかったのだ。なるほどと啓太が頷く。納得した様子の啓太から視線を外す。


「女子生徒の悲鳴にも、俺たちしか集まってこなかったみたいだし」

「それはおかしいな」

「急ごう。壱華が危ないかもしれない」

「でも、どこに行くんだよ」

「俺たちは壱華を探してこの階に来た。壱華も俺たちを探しているかもしれない」

「だから、どこを探してるんだよ」

「いったん戻ってみよう。すれ違ってるのが一番怖い」


そう言うと、啓太が言い返す前に武尊は走り出してしまう。


「おい!」


慌ててその背を追いかける。


「壱華は俺たちがこっちに向かって走っていたのを見てたはずだ」


問題はそのあとだ。そのあとどこに行ったのかが分からない。この階には気配がないからいないものと仮定する。すると上か下か。ここまできたらもう賭けるしかない。


「とりあえず、元いた場所に戻る!」


下を取った。先ほどと同様踊り場に飛び降りる。


―当たった


階段の下に倒れ込む壱華と、その顔に触れる幽霊の姿があった。啓太がそれを見て階段を下りようとする。


「まっ―」


武尊はその背に手を伸ばすが、すでに遅し、啓太はびたんと見えない壁にぶつかった。


「・・・・だから待ってって言おうとしたのに」

「・・・・なんでここに結界があると思ったんだ?」


ずるずると下に滑り落ちながら啓太が尋ねる。武尊はため息をつきながら剣を取り出す。


『その剣に切れないものはないよ』


碧は確かにそう言った。ならば、この結界だって切れるはずだ。武尊は深呼吸をして大きく振りかざす。


一方的にか、壱華と幽霊の会話が聞こえる。


『っ!嫌!!』

『まだ抵抗するの!?』


壱華に拒絶された幽霊が叫ぶ。それこそ諦めが悪いのは幽霊の方だと武尊は思った。三度目の正直と言うが、三度目さえも失敗している。諦め時だ。シャランと音を立てながら大きく振りかぶる。そして振り下ろした。


「それはこっちの台詞だ!」


―幽霊に向かって文句を言うことも忘れずに。

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