4.お勉強会1
なぜこうなった。それが武尊の心境だった。ちらりとリビングを見やるとローテーブルで女子四人がおやつを片手に勉強している。ダイニングテーブルを見ると、そこでは兄弟が勉強している。いや、兄貴は眠くて揺れている。優実がいるから、碧は寝室に隠してある。もし勝手に出てきたら手あたり次第見かけた妖怪を切ると脅しも忘れずに。それが効いたのか今のところおとなしくしているようだ。
土曜日で学校は休み。いっそのこと外の方が安全じゃないかとあかりが外出を千穂と壱華に提案したが、武尊の側が一番安全だと言い張る千穂に勉強会に案を変えた。本当は一緒に出掛けてもいいのだろうけど、兄弟が女の買い物についてこられるとは思わなかったし、何より啓太が反対した。そこで、武尊を講師に勉強会を開催しようということになったのだった。
『兄ちゃんに勉強教えてやってください!』
玄関で樹が必死な声で頼んできたことを思い出す。
『兄ちゃん全然勉強しないんです!予習も復習もしなくて!』
見たわけじゃないけど、絶対赤点量産してるはずだし!と啓太の心をえぐるような言葉と一緒に部屋に来た。武尊にはまだストックがあったから二年の勉強も分からないことはない。でも、年下に教えられるとはどんな気持ちだろうと啓太は気分を害しないかと勘ぐったが、それは杞憂でお願いしますと啓太は頭を下げたのだった。
自分の分の紅茶を淹れ直した武尊は、カップを持ったまま啓太の隣に座った。
「寝ないで」
「もう無理ー」
「無理じゃないから。ここ、公式当てはめるだけだよ」
問題集とは別に開かせているのは教科書だ。教科書の公式をこれ、と指して啓太を見る。
「公式使うだけかよ!」
「数学は公式と公式で問題作るからね。ここはまだ序の口だから公式一つ使えれば終わり」
「兄ちゃん序の口で寝てたの!?」
「うるさい!テストまでに間に合えばいいんだよ!」
「・・・・・毎週やる?」
「勘弁してください」
武尊のありがたい申し出に、啓太はノートに額を付けた。
「はい、顔上げてー」
がしっと頭を掴んで持ち上げる。
「武尊がスパルタでよかったー」
その光景を見て、樹はほっと安堵して笑顔をこぼすのだった。それに、樹は実はサディストなんじゃないかと武尊は少し思ったが、どうでもいいことなので頭から消した。
女子側はあかりにめぼしいところは説明してあるし、隣で説明を聞いていた壱華も理解していたようなので二人に任せればいいだろう。
―てか、マンツーマンじゃん。女子。
二人とも厳しそうだから、頑張れーと心の中で応援を送っておいた。案の定こっちと同じような会話が聞こえてくる。
「だからここは公式を使って」
「ほら、優実。おやつばかり食べないの」
「難しく構えすぎなのよ。一問目なんだからそんなに難しい問題出ないわよ」
「これさー公式多くて分かんない」
「だから教科書開いたままにしてるんじゃない」
「でも、どの公式使えばいいか分からない」
「条件をちゃんと整理して」
女子も女子で大変そうだと武尊はため息をついた。そして先ほどの応援を取り消して、先生役をやっているあかりと壱華に送り直した。
―お茶でも淹れなおそうか
二人とも、そろそろ気が立ってくるころだろうし。
「二人は何か飲む?」
ついでに兄弟にも訊いておく。
「俺、牛乳」
「俺、ミルクティーがいい」
「お茶で薄めないでそのまま牛乳飲めよ。背、気にしてるんだろ?」
「うるさいな!いいの!」
「はい、了解」
がたりと立って、女子の方にも声をかける。
「お茶、淹れなおそうか」
「「お願いします」」
教師役は疲れた声でそう答えたのだった。
おぼんに回収したカップやらマグカップやらコップやらを乗せて、武尊はキッチンに入る。ケトルに水を入れスイッチを入れながら意識を玄関の外にやる。
―やっぱりいるな
人間ではない何かが外にいる。入ってこないのは人が多いからか、自分の霊力にあてられないようにするためなのかは分からない。そこで、見ているのだろうか。玄関の扉も、廊下とリビングダイニングを仕切る扉も通り越して。―何のために?
「―千穂を手に入れるために?」
それとも
「俺を試すため?」
考えているとポンとケトルから音がする。お湯が沸いた証拠だ。それで紅茶を淹れて、女子組のカップに紅茶を注ぐ。砂糖とミルクはすでにローテーブルにあるから問題ない。マグカップに紅茶と牛乳を入れてミルクティーにする。ガラスのコップには冷たい牛乳を注いだ。それをゆっくりと配っていく。
「もうギブ」
優実がぼすっと背にあるソファに後頭部を投げだす。
「こんなところでギブされたら、目標に全然届かないわ」
どうしようかしら、とあかりはため息をついた。
「スケジュールでも組んだの?」
紅茶をテーブルに置きながら武尊は尋ねた。あかりは頷いた。
「スケジュールって程でもないけど、昨日の数学の応用問題まで解説できないかと」
「それは無理そうだから半分にしてあげて」
「武尊、神~」
「日ごろから勉強しないから困るし迷惑かけてるんでしょ?」
もう高校生なんだからしっかりして。と喜ぶ優実に釘を刺すことは忘れない。
「私、文系にするから数学はいいよ~」
「文系にいったって数学からは逃げられません~」
壱華がよく伸びる千穂のほっぺを引っ張る。これは相当きているな、と武尊は壱華に同情した。
「ていうか、いつも武尊がノート見せてくるだけで説明してくれないからこうなるんじゃん!」
千穂がかみついてくる。
「違うでしょ?予習写して満足してすぐ板書に行っちゃうのは千穂でしょ?てか、解説は先生がしてくれるじゃん。それが授業じゃん」
「先生何言ってるか分からないんだもん!」
これはもうだめだ。逐一面倒を見ていくしかない。テスト前に騒がれるより先に勉強会が開かれてよかったと武尊は心底思った。
「お茶、ありがとう」
壱華が髪を耳にかけながらため息交じりに礼を言う。
「どういたしまして」
そう答えてから兄弟のもとへ行く。ことりと音を立ててミルクティーと牛乳を置く。
「どうも~」
「ありがとう」
啓太は教科書の公式をにらみつけながら礼を言い、樹は嬉しそうに笑って礼を言った。相当お気に召したらしい。悪い気はしない。
「樹は分からないところとか無いの?」
基本的に騒がしいこの場所で、樹は静かだった。兄に突っ込む時を除けば。
「えーと、割合がちょっと難しいかなって」
「見ようか?」
宿題をやっているのだろう。答えは教師が持っている。樹が解いた問題の答えが正しいかどうか樹には分からない。
「いいの?!」
わーいと樹はプリントを武尊に差し出す。添削を喜ぶ小学生がそういるだろうかという感想を抱きながら武尊はプリントを受け取る。
「兄ちゃんもこれくらい頼りになればいいのに」
「悪かったな」
「大丈夫、もうあきらめたから」
「じゃあ、いちいち攻撃してくるなよ」
「俺はあきらめても大丈夫だけど、兄ちゃんはやばいじゃん」
「確かに」
「武尊まで!鬼だ!」
「どうとでもどうぞ」
―よくできてるな、と樹の宿題を見ながら武尊は器用に会話を続ける。最後の二問が、割る数と割られる数が逆になっていたからそれを指摘する。
「100%超えたから不安になった?」
「うん、変なのかなって」
「電車は乗車率100%超えるよ。満員電車見れば分かると思うけど」
新幹線も、立っている人いるよ?と言えば樹は納得したように頷く。
「でも、飛行機は100%までだね」
「立って乗ると危ないもんね」
「そういうこと」
物分かりがいい。樹は返されたプリントに書いた自分の答えを消して解き直し始めた。
「あとは全部合ってるよ。よくできてる」
「本当!?」
目を輝かせる樹が可愛くて、ついくしゃっと頭をなでた。
「本当」
「えへへー」
こういうやり取りを、樹は啓太としたいのかもしれないと武尊は思った。そんな樹の兄啓太は教科書を置いてノートに何やら書き出した。それを横目に見て、答えが出た瞬間に言ってやった。
「正解」
「マジで!?」
きらきらと目を輝かせて武尊を見るところはよく似た兄弟だと思った。
「俺、ここ得意になるかも」
「調子に乗らないで」
「・・・・・はい」
どこまでも弟が強い兄弟だと武尊はため息をついた。注意を向ければ、ペースを落としたことで千穂と優実も少しずつ分かり始めたらしい。
ふうと一息ついてまた玄関の気配を確認する。
―この様子だと、明日も来そうだな。
部屋を見渡して、お茶の補充をしておこうと武尊は思った。




