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 散々3

―なんの再現だ


 そう思って尻餅をついている千穂はびっしょりと濡れていた。


「ちょっと誰ー!バケツなんて仕込んだやつ!!」


騒ぐクラスメイトには見えていないが、けたけたと千穂の視界では小鬼たちが笑っていた。それに怒ればいいのか怖がればいいのか分からない。この悪戯は笑っている小鬼たちのものだろう。きっと偽本間の兄弟が使役した小鬼がやったことを見ていたのだろうと千穂は動かぬままに考えた。というか、そもそも


―小鬼たちって味方になったんじゃないの?


壱華はカラスの情報を小鬼から聞いたと言っていた。それなのにどうして。彼らなりの親愛の表現なのだろうか。そこまで考えていると


「千穂!どうしたの!?びしょびしょじゃない!!」


ちょうど登校してきたあかりが千穂の横に膝をついた。その時にあかりのスカートの裾が少し水を吸ったのを千穂は呆然と見ていた。


「あ!」

「悪いの俺たちじゃないからな!!」

「頼まれただけだからな!」


突如そんなことを言い出したかと思えば、小鬼たちはさっと身をひるがえして去って行った。突然どうしたのだろうと思っていると、どさっと音がして、また体がふわりと浮いた。その感覚に、お決まりのそれだと理解する。


「保健室連れてく。着替え頼んだから」


武尊はあかりにそう指示を出して歩き出した。それにやっと千穂は自分を取り戻した。


「自分で歩ける!」

「ここで下ろしたら何のために濡れたのか分からなくなるじゃん」

「何その言い分!!」

「俺が損した気分になるって事」


それにしても、ときれいな顔が千穂の方へ向けられる。


「きれいに濡れたね」

「うるさい!」


もう!と千穂は武尊から顔を背けるのだった。


「この前は平気だったのに、今度はまともに食らったんだ?」

「だからうるさいの!」


千穂は手持無沙汰てもちぶさたな両手を組んでますます武尊から顔を背ける。それに武尊は大仰にため息をついて見せるのだった。結局千穂は体育服で授業を受ける羽目になった。



「俺、学食のほうがいい」


大島がコッペパンにかぶりつきながらそんなことを言っていた。


「だったら一人で行けばいいんだよ」


答えるのは佐々木だ。紙パックのオレンジジュースを飲んでいる。


「俺、一人だと死んじゃうから」

「嘘つけ」


武尊はサンドイッチを口に入れながら冷たく言い放つ。


「そりゃ死ぬのは嘘だけど、寂しいだろう?」

「よく分からないな」


一人でご飯を食べることが寂しいと、武尊は思ったことがなかった。食事は幼い時から一人でとっていたわけではない。傍らにはいつも母親がいた。彼女と一緒に食事をとっていた。しかし、それでも一人が寂しいとは思わない。


「・・・お前、大丈夫か?」


大島が武尊の額に熱を測るように手を置いた。それを鬱陶しげに払う。


「大丈夫だから」


まったく、と小さくため息をついた。千穂を幽霊から守ると言った手前、武尊は昼食は教室でとっていた。


「高野原が教室で食べるからか?」


大島は武尊の視線をたどってそんなことを言う。隣の席にいる千穂にはその言葉は簡単に聞こえた。びくりと体が震える。


「やっぱりそうだ!お前、タイプは飯島とか言っておいて、高野原と付き合ってんだろう!」


それに千穂がまたびくりと震える。


「・・・・あまりけったいなことは言ってやらないで。大島を全力で怖がってるじゃん」

「図星だからじゃなくて?」

「大島が変なこと言うから、びっくりしちゃってるんだよ」


きっと、と佐々木が付け足す。―本当は図星である。千穂が襲われることを恐れているからだ。昨日は人の多い昼間に襲われた。あの幽霊にとって時間は関係ない。そんな状況で千穂をいくらあかりと優実がいるとはいえ置いて行くのは不安だった。しかし、それを言う義理はない。


「え?そうなの?」


大島にそう問われて、千穂はおずおずと頷いた。それに大島は武尊の机に突っ伏した。


「俺、怖がられてたの!?傷つくー」

「誰でもいいから彼女が欲しいなんて言ってるからでしょう」


武尊の声は冷たい。


「誰でもいいとは言ってない!美人かかわいい子がいい!」

「だったら千穂と付き合えばいいんだよ。告白して。ほら、後ろ向けばいるよ」

「怖がられてる俺が告白したところで断られるに決まってるだろう!」

「その判断ができるくらいの知能は持ってるんだ」

「二階堂は俺を馬鹿にしすぎ!!」


もう!といったん起こした体を大島はまた机に乗せた。そして繰り返すのだった。


「ああ~彼女欲しい」

「まずは予習をするようにすればいいんじゃないかな?」


武尊はやっぱり大島には冷たいと千穂は思った。


 千穂はざっと教室を見渡す。朝の水被り騒動でしばらくは犯人捜しでざわざわとしていた教室だったが、午後にもなれば落ち着いてくる。昼休みに入ってすぐ、いじめられているのかと斉藤に呼び出されて訊かれたけれど、そんなことはないと答えておいた。事実、そうであるわけだし。


「どうしたの?教室なんて見渡して」

「何かいる?」


あかりと優実がそう問うてくる。


「いるって何がだよ」

「噂の幽霊」

「ああ、あの女の前にしか現れない幽霊な」


大島が言うと何となく語弊があるように聞こえる。


「大島も幽霊になったら女の前にしか現れなさそうだよね」


武尊が野菜ジュースのストローをくわえながら言った。その言葉に大島はむっと考え込んだ。


「・・・・幽霊って見えないんだよな」

「普通はね」

「じゃあ、のぞき放題じゃん!」


ばん、と三つの腕が大島の頭を襲う。一つが武尊、もう一つが佐々木、最後の一つがあかり。あかりはその距離でどうやって大島の頭に手を届かせたのか謎だ。それほどの早業だった。


「痛ってぇな!」


大島が叫ぶ。


「一応友人なんだから、俺の品位を落とさないでくれるかな」


佐々木が珍しく不機嫌そうにそう口にした。


「冗談じゃん!てか、言うだけなんだから許せよ!」

「大島・・・・」


ぽん、と大島の肩に置かれる手がある。大島は涙を浮かべながら振り向いた。そこには真顔の優実がいた。


「あんた天才!?」


瞳がキラキラと輝く。


「そうかー!幽霊になっちゃえば合法で女の子に触り放題じゃん!」


優実はがっと音を立てて立ち上がる。それにつられるように大島も立ち上がりその手をぎゅっと握った。


「分かってくれるか!?」

「分かる!」

「優実、おやめなさいな。そんな品性のない男と一緒にいちゃだめよ」

「でも、やっぱり女子同士でも触ってほしくない子とかいるじゃん?幽霊になる手があったのかって」

「でも、幽霊だと見えないから、お話できないよ」


千穂が首を傾げながら冷静に突っ込む。その言葉に、優実は愕然としたように口を開けた。そしてしょぼしょぼと椅子に座り込む。


「おしゃべりができないのは嫌」

「そもそも幽霊って、死んじゃうってことよ?そんな物騒な願い思うものじゃないわよ」

「死にたくはないなー」

「だったら大人しくおやつを食べて。お昼休み終わっちゃうわ」

「はーい」


そのやり取りに千穂は笑った。


「今日も平和だなー」

「今日も?昨日は死にかけたのに?」


昨日のことをもう忘れたのかと武尊が突っ込んでくる。


「あ、忘れてた」


あははと千穂は笑った。


―平常運転のようで何より。


本当は水を被った災難な日なのだが、それさえも千穂は忘れているようだ。


―まあ、びくびく怖がられるよりいいか。


そう考えを締めくくって、武尊は空になった紙パックをゴミ箱に向かって投げた。



 放課後になり、千穂は体育のジャージに黒鞄という格好でエレベータに向かった。もちろん壱華と一緒だ。階段の前を通り過ぎようとしたとき、何かが足をかすった。それに簡単に千穂はバランスを崩してしまう。横を見るとそこには下りの階段があって。


―嘘でしょう?


「千穂!?」


伸ばされた壱華の指先は、千穂の指先をかすっただけだった。そのまま落ちるかと思ったとき、ぐいと腕を引かれた。


「もう片付くまで俺と離れるの禁止」


遅れて合流した武尊に腕を引っ張られた千穂は、両足の裏がしっかりと床に着いた。


「離れるの禁止なんですか?」


顔を出した優実がにやにやしながら問いかけてくる。後ろを向けば、優実の後ろに小柄な少女がいる。


―あ、お友達と一緒に帰るって言ってたっけ。


幽霊に会った赤尾沙也加を放課後迎えに行くと言っていたはずだ。


―この子が沙也加ちゃんかー


へーっと千穂は沙也加を眺めた。千穂よりは大きいが世間一般では小柄な方だろう。染めたのか髪は茶色だ。大きな瞳がくりくりしていてかわいい。


「千穂は幽霊に狙われてるっぽいから」


武尊がにやにやしている優実にそう答える。


「昨日の奴?」


優実は顔をしかめた。


「そう」

「武尊は見えるんだよね?千穂は見えないんだよね?」

「うん」


千穂は頷いた。


「なんで、千穂ロックオンされちゃったんだろうね」

「ねー」


千穂は少し顔をこわばらせながら笑った。


「もうさ、危ないんだったら四六時中一緒にいればいいよ。男避けにもなるし」

「俺はお守りじゃない」

「でも、守るって約束したじゃない」


気づけばあかりも参戦してきた。


「朝のだって、あなたがもう少し早く来てたら大丈夫だったと思うわよ?」

「じゃあ、登下校もだね―部屋まで送る」


―壱華がいるから大丈夫だと千穂は高をくくっていた。しかし、壱華といても危険な目にあった。ということは、護衛は増やすのが正しいということになる。


―そうだ、今は幽霊に狙われてるんだった。


武尊を待たなかったのは失敗だったかもしれない。


―でも、声かけづらいんだもん。


今日は部活が休みだとか言って大島が武尊のところにやってきて何やら熱心に話し込んでいたのだ。そこに割って入る度胸は千穂にはなかった。


どことなく厳しい武尊の視線に、千穂は心の内で謝った。


―先に帰ろうとしてごめんなさい。


「―分かってるならいいんだけど」


千穂の心を読んだかのような言葉に、千穂は驚愕するしかなかった。


「ほら、帰るよ」


武尊は千穂の腕を引っ張る。


「一人で歩ける」

「じゃあ歩いて」

「もう、意地悪」

「どこが」


そう言い合いをしながら歩く二人の後ろで、優実とあかりが顔を見合わせて笑った。そして、


「帰ろうか」


背中にピタリと張り付くように立っている沙也加に、優実はそう声をかけた。沙也加はうんと小さく頷いた。


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