ボロアパートのジャック
一日が終わると、わたしとタクマは、めずらしくいっしょに下校した。
いつもはたがいの友達を連れだってバラバラに帰るのに、今日は自然にそうなってしまった。
学校の校門をぬけると、タクマは「今朝はマジで助かったぜ。サンキュー」と、お礼を言った。
わたしは「べつに助けたつもりないし、わたしも反対派だよ」と、そっけなく言う。
「ナイトランドへ行くのやめなよ、タクマ」
「イヤに決まってるじゃん」
タクマはまゆを寄せた。
「すっげーキレイなところだぜ? アオイも来たら気に入るって」
「でも、いつ、もどれなくなるか、わからないじゃない」
「バカだなあ。だいじょうぶだって」
わたしはあきれ返った。
「ねえ、やっぱりつき飛ばされた時に、頭とかぶったんじゃないの?」
「ちげぇよ。オレにはわかるんだ。『ジャック』っていいやつだよ」
「どうしてわかるの?」
「なんとなくだよ。なんとなく」
こっちの心配をよそに、タクマは新しいおもちゃを見つけたような、はずんだ口調で言う。
わたしはあの手この手でタクマを説得しようとした。けれどタクマはあっさりと笑って、「だいじょうぶ」に「絶対」までつけてくる。
あまりに腹が立って、我に返った。もう、垣根にとりかこまれた十字路にたどりついている。
右に行けばタクマの家で、左に行けばわたしの家だ。
タクマはわたしに、こんしんの「だいじょうぶ!」を言ってのけると、「じゃあな!」と手をふり、自分の家のある方へ行ってしまった。
もう知らない!
わたしはべーと舌を出し、見捨ててやるように、そっぽをむいた。
わたしの家は、最寄り駅の地下道をくぐった北側にある。田舎か都会かといえば、田舎寄りだけど、駅前の商店街は、人通りもそこそこある。
昔ながらの布団屋さんや床屋さんのあいだには、かわいらしい雑貨屋もあって、おしゃれだし、かわいいし、わたしもよく重宝していた。
今はハロウィンのオレンジと黒色の配色がよく目立っていた。
わたしは駅うらにまわると、ロータリーをぬけて、シンプルな住宅街を歩いた。しゃれたアパートと、ささやかな高さのマンションを通り過ぎる。
我が家は、その先のオンボロアパートの横にある。
すれちがう人に頭を下げながら歩き、家の近くまでくると、むかいから背の高い男の人がやってきた。
やけに肌の白い人だと思ったら、外国人だった。
高校生くらいに見える。洗いざらいの白いシャツを着て、手には紙ふくろを持っていた。
栗色のやわらかそうな髪の毛の下には、ガラス玉をうめこんだような青いひとみがある。
ふいに外国人と目があった。
わたしはあわてて視線をはずし、自分の家の前で止まった。するとなぜか外国人もわたしの家の前で歩みをやめてしまった。
わたしはびっくりして外国人を見あげた。
外国人もわたしをしげしげとながめ、わたしの家に視線をうつすと、やわらかくほほ笑み、また視線をこちらにもどした。
「こんにちは。この家の人?」
なめらかな日本語だった。
わたしは「そうです……」とこわごわうなずいた。
「お父さんかお母さん、いる?」
外国人は大きな一歩でこちらに近づいた。
わたしは身をすくませながら、かすれた声で「呼んできます」と言って、家の門をくぐった。
玄関のドアをあけて、お母さんを呼ぶと、リビングから「ただいまを先に言いなさいよ」ととおる声が飛んできた。
「ただいま。お母さん、お客さん!」
言い直すと、お母さんは目を丸くしながら、リビングから顔を出した。手ぐしで髪を整えながら小走りでやってくる。
外国人は笑みをくずさないまま、門をくぐり、家に入ってきた。
お母さんもおどろいているみたいだった。それくらい外国人が家をたずねてくるきかいなんて、ないのだ。
外国人は「こんにちは」と言って、頭を下げた。
「おとなりのアパートに引っ越してきた者です。ジャック・ウォードと言います」
「ジャック!? 」
わたしはあわてて口をつぐんだ。
学校で、ずっと通り魔の『ジャック』の話ばかりしていたせいだ。
ジャック・ウォードと名乗った外国人は「ありきたりな名前でしょ?」とわたしにウインクをよこしてから、お母さんにむきなおった。
「おれの部屋の窓と換気扇が、お宅の窓とくっつくような位置にあるんです。うるさくなりますが、よろしくお願いします」
そう言って、白い紙袋をお母さんにさし出した。商店街にある和菓子屋さんの名前が印刷されている。
「まあ、ごていねいに」
お母さんはうやうやしく紙袋を受けとった。
「この子の部屋の窓なんですけど……。まあ、勉強に集中するタイプじゃないので、お気づかいなく」
わたしがあわてて頭を下げると、ジャック・ウォードは「うるさかったら、教えて」と言った。
まるでソファーにくつろいでいるような表情をしていて、わたしはぎゃくに緊張しっぱなしだ。これではどちらが家の住人なのかわからない。
ちょっとだけイヤな気分になった。
わたしはくつをぬぐタイミングものがして、お母さんとジャック・ウォードのやりとりをながめていた。
すると妹のイノリが大きな足音を鳴らして、かけてきた。
「おかあさん、だれがきたのー?」
イノリは幼稚園の制服を着たまま、お母さんの足にからみつくと、ぶえんりょにジャック・ウォードを見た。
「やあ、こんにちは。となりに引っ越してきたんだ。よろしくね」
ジャック・ウォードは背中を丸めて、あいそよくイノリとあくしゅした。
イノリは「おっきい!」と正直な感想を言って、それから「じゃあね。これあげる!」とポケットから、乱雑に作られた折り紙をとりだした。
オレンジ色の……、たぶんハロウィンのカボチャだ。目と口がクレヨンでアンバランスにぬりつぶされている。
「すごい。よくできているね。ありがとう」
ジャック・ウォードはだいじそうに折り紙を受けとると、もう一度「よろしくお願いします」とおじぎをして、笑みを絶やさないまま玄関から出ていった。
お母さんが紙ぶくろを見ながら、にへぇと、ほおをゆるめた。
「すごくかっこいいわね。それにすごくいい子」
「知らないよ。そんなの」
「わざわざお菓子をもって、あいさつしに来てくれたのよ」
「近所のみやこ屋さんじゃん」
お母さんが「あんた。かわいくないわよ」としてきする。
「……でもさ。あの人、どうしてあんな古いアパートに住むの?」
お母さんは感心なさそうに「さあ?」と言った。
「ほかに空きがなかったんでしょ? ここって交通のべんがいいし、人気なのよ」
わたしは「ふーん」と言って、ランドセルを玄関におくと「ちょっと偵察してくるー」と庭に出た。
「ち失礼なことはやめなさいよ!」とお母さんが注意した。
わたしはお母さんをムシして、門のかげから、ジャック・ウォードの背中をぬすみ見た。
ジャック・ウォードはゆったりとした歩調で歩いていた。そしてイノリの折り紙を、おもむろに顔によせると、マジマジと見て、指のすきまからハラリと落とした。
わたしは思わず「うわ……」と、声をもらした。
ジャック・ウォードがいなくなるのをまって、折り紙の落ちた場所まで走ると、側溝の穴をのぞいた。
イノリの折り紙が転がっていた。運悪く、泥の岸辺に引っかかっている。
ここらへんって、イノリがしょっちゅうのぞきこんで遊んでいるのに。百パーセント見つかる。
わたしはあわてて、家の物置から朝顔を育てるために使った花の支柱を持ってくると、側溝のすきまにつっこんだ。泥と水を引っかき回して、どうにか折り紙を見えないところへ押しやる。
作業を完了すると、庭先からお母さんの声が飛んだ。いそいで支柱を物置にもどし、そ知らぬ顔をとりつくろって家にもどった。
お母さんが仁王立ちして、待ちかまえていた。
「ちょっと! 盗み見なんて、失礼なことはやめなさい」
「べつにバレてないよ」
「それでも失礼でしょう。絶対やめなさいよ」
「はーい」
わたしはてきとうに返事をして、床に転がったランドセルを拾い上げると、自分の部屋にもどった。
部屋に入ると聞きなれない音がした。勉強机の前にある窓を見ると、ジャック・ウォードのいる部屋の換気扇が苦しそうにまわっている。
ブォーン、ブォーン、ブォーン。
……うるさい。
バカ。
リビングにもどると、ジャック・ウォードからもらったみやこ屋のおまんじゅうをおやつ代わりに食べた。
おまんじゅうのうす皮の部分をかじる。おいしいと思いながら、まずい、泥だんご、と頭の中でののしった。
イライラしながらいっきにかぶりつくと、お母さんが「そうだ」とわたしを見た。
「今日、タクマくんが登校して来たんでしょ? どうだった?」
「ふつうに元気。ひょっとしたらいつもより元気かも」
お母さんはホッとした顔をして、「さすがタクマくんね」と笑った。
「あの子、昔から立ち直りが早いのよ」
「立ち直ると言うか、三歩、歩けば忘れるんだよ。にわとりみたいに」
わたしはジュースを飲みながら「そうそう」と続ける。
「通り魔がね。タクマに『おれはジャックだ』って名乗ったらしいよ。犯人って、ボロアバ―トに引っ越してきた人じゃない?」
そう言うとお母さんは「ばかねぇ」とイヤそうに言った。
「本名をわざわざ名乗るわけないでしょ。それに、あんないい子が通り魔なんてするわけないじゃない」
わたしは「いい人だと思う?」とたずねた。お母さんはあたり前でしょ? って顔をした。
その日の夜は、なかなか寝つけなかった。
タクマの顔と、側溝の奥に押しやられたかわいそうな折り紙が、頭の中をぐるぐると回った。
タクマもお母さんも「ジャック」って名前の人間を「いいやつ」、「いい人」って言う。
でも、わたしは、大きらい。
わたしは布団の中でうつぶせになると、ため息をついて、寝返りを打った。