通り魔のジャック
第一章 通り魔『ジャック』
お母さんが「今年もあと二カ月か」と、ひとり言を言って、カレンダーをやぶり捨てた。わたしも声につられて、壁かけのカレンダーを見る。
十月。ズラリとならぶ日づけの上に、モミジとイチョウのイラストが描かれている。
ああ、そんな時期なのね、と思っていると、おどかす自宅の電話が鳴った。
お母さんが「はいはい」と言いながら、廊下へかけていく。すぐ「はい、宮下です」とよそゆきの声が聞こえてきた。
「あら中山さん」
お母さんの声が素にもどった。それがきゅうに「……はい。はい」と真剣なあいづちにかわる。
なにごとだろうと思って、ソファーから起きると、妹のイノリも、同じように廊下に目をむけた。
しばらくしてお母さんが青い顔をしてもどってきた。
「アオイ。タクマくんが、通り魔におそわれたんですって」
トオリマ?
「今の電話、タクマくんお母さんからよ。男の人にうしろからつき飛ばされたって……。商店街の公園よ。すぐ近所の」
やっとわたしの中で「トオリマ」が、「通り魔」になった。
「タクマが? だいじょうぶなの?」
お母さんはうなずいた。
「本人はいたって元気なんだけど、念のため病院で検査を受けているんですって」
お母さんは身ぶるいしたあと、「明日、塾だったわよね?」とわたしにたずねた。
「お母さん、用事があって、車で送ってあげられないの。電車で行くのもこわいから、明日は休みなさい。いい?」
わたしは「うん、わかった」と返事をした。
タクマの人なつっこい顔がうかぶ。良からぬことを思いついたイジワルな顔も。
タクマと通り魔。
聞きなれた名前と聞きなれない言葉があわさっても、うまく実感がわかなかった。
次の日、学校は集団登校になった。わたしは五年生だから、低学年の子らを引きつれて黄色い旗を持つ六年生について歩いた。
生徒玄関に到着すると、タクマの下駄箱をチェックして、くつをぬいだ。
タクマはやっぱりきていない。
五年三組の教室の前までくると、「タクマが」「通り魔って」「マジ?」と言う声が聞こえてきた。
わたしは「おはよう」と言って、教室に入った。するとクラス委員のユンちゃんが、すぐ「アオイ」と話しかけてきた。
「タクマのこと、なにか知らない? 通り魔の話、知ってるわよね?」
わたしはうなずいた。
「本人は元気らしいよ。でも、念のため病院で検査してるって。タクマのお母さんから聞いた」
ユンちゃんは、ぽってりとしたくちびるをへの字に曲げた。目が怒っている。
スカートのすそを返すように、「あっそう」と言葉を返して、ついでに自分もそっぽをむいて、行ってしまった。
ユンちゃんはタクマのことが好きなのだ。だからわたしとは、とてもそりが合わない。
わたしがタクマの幼なじみだからだ。
しかもただの幼なじみじゃない。同じ病院で同じ日にうまれて、同じ幼稚園に通園した、スーパー幼なじみだ。
ユンちゃんはそれをとてもうらやましがっている。こっちはだた迷惑なだけだけど。
***
タクマは一日だけ学校を休んで、なに食わぬ顔で登校してきた。
怪我はしていない。背筋をピンとのばして、やたら目がかがやいていて、口もとは笑っている。いつもよりずっと元気そうだ。
「おまえ、だいじょうぶかよ」
男子がタクマに声をかけると、タクマは芸能人みたいに「やあ、どーもどーも」と手をふって答えた。
調子に乗りやすいところも三割増しくらいになっている。
タクマはランドセルをおろし、わたしを見つけると「よ! 心配したか?」と手をあげた。
わたしは鼻で笑ってやった。
「するわけないじゃん」
「だよねー。そうだと思った!」
タクマは「へへっ」と笑うと、教卓の上に立った。
「あー、テステス。テステス。ただいまマイクのテスト中―」と、エアマイクの電源をオンにする。
「よし。はい、みんなちゅうもーく! 通り魔からきせき的に生還したオレの話を聞け。話と言うか、まあ、頼みごとだな。うん」
タクマは、ひとりでうなずいた。
「今後、この町で通り魔におそわれる仲間がふえると思う。たぶんまちがえない。それでなんだけど、通り魔におそわれた時、親に言わないで、とりあえずオレに報告してほしいんだ」
教室が、シーンと静まり返った。みんな「はあ?」って顔をしている。マンガだったら教室の上の方に「ドン引き」って文字が書かれているかもしれない。
タクマは近所のウワサ好きのおばさんがするように手をふって「まあまあ、俺の話を聞いてくださいよー」と、通り魔におそわれた日のことを教えてくれた。
タクマが通り魔におそわれたのは、十月一日の話。
夕ぐれだった。といっても、ほぼ夜に近かったという。
塾の帰りにコンビニでお菓子を買いこんで立ち食いしていたら、すっかり遅くなってしまったらしい。
タクマは暗い道を、競歩のマネごとみたく早足で歩いて帰りをいそいだ。横断歩道をわたり、ドブ川の流れているほそい歩道を歩いていると、とつぜん「やあ、こんばんは」と若い男に声をかけられた。
タクマはふり返ろうとして、できなかった。
「あれっ?」と思ったそうだ。
自分のほおが、かたいアスファルトにくっついたのだ。目はろかたに生えた雑草を見ていた。
タクマがつき飛ばされたと気づいた時、若い男はタクマの背後でケタケタ笑っていた。
「おれはジャックだ」
若い男は英語なまりの日本語で、名前をなのった。
タクマの背中はジンジンと熱をおびはじめた。
「悪いねえ、こうしないとダメなんだ。痛みはすぐに消えるから安心してくれ。それで、えーっと……、うん、だいじょうぶ。招待状は、たしかにわたした」
若い男は満足そうに言った。
「さあ、楽しんでおいで。最高に楽しいハロウィンを過ごすといいよ」
若い男はそう言い残し、笑いながら去っていったのだという。
めちゃくちゃ、おそろしかったそうだ。
あたりまえだ。これで楽しいなんて言ったら、神経をうたがう。
タクマは、からだについた土を払うのも忘れて、ダッシュで家に帰った。
事情をきいたタクマのお母さんは青ざめて、タクマを病院に連れて行った。
むずかしい顔をしたお医者さんに診察され、脳の検査をした。さいわいにもタクマは、無傷だった。体の痛みはとうに消えてしまっていた。
タクマのお母さんは「こわいわねえ」と言いながら、学校へ連絡して、警察に被害届を出して、そのままアオイの家にも連絡を入れて、ようやく落ち着いたそうだ。
「やだ。こわい」とユンちゃんが言った。まわりの女子も同じように顔をゆがめている。
タクマはヘラっと笑った。
「まだ、つづきがあるんだよ」と言って、また話をはじめた。
検査を終えて、家に帰ったタクマは、自分の部屋の窓に手紙がねじこまれているのを見つけた。
セピア色の封筒に、オレンジ色のインクで「中山タクマさまへ」と記されていた。
タクマは首をかしげながら封筒を開けて、中身を見た。すすけた便せんが二枚はいっていて、黒色のインクでこう書かれていた。
『ジャックでございます。先ほどはナイトランドへの招待状を、お受けとりいただき、まことにありがとうございました。説明が不足していると思い、追伸の手紙を送らせていただきます。どうぞご一読くださいませ』
クラスの女子が悲鳴をあげた。
『ジャック』の手紙をわたされ、読み進めていたコウくんが、「通り魔が家にきたってことだろ? 」とたずねた。
「いいから二枚目も読めって」
タクマに言われ、コウくんはイヤそうに先を読んでいった。
『私は、あやしい者ですが、危ない者ではございません。非常識な者ですが、非常におもしろい者です。だれもがわたしを見ていますが、だれも気づかないでしょう。
私を信用するもしないも、タクマ様のご自由です。ご招待したナイトランドへのご来場も、ご自由におえらびください。
ナイトランドは、ハロウィンの装飾にいろどられた、おとぎの世界のようなところです。もちろん行きたい時に行けて、帰りたい時に帰れます。それは保証いたします。何度でもあきるまでお楽しみ下さい。
招待状はあなたの背中についております。空中を三回ノックすれば、ナイトランドのとびらが開き、三度おじぎすれば、あなたの世界に帰れます。きっとご満足いただけることでしょう。
注意事項。ご両親や大人の方に、ナイトランドのお話をするのは、ごえんりょください。大人はあやしい世界を危ない世界といっしょにしてしまう可能性が高いからです。ご友人さまへは、こちらでじゅんに招待状を配布しております』
クラスで一番かわいいユミが「タクマくん、このナイトランドってところへ行ったの?」とたずねた。
コウくんが笑った。
「信じるなよ。バカ。デタラメだよ。めちゃくちゃ書いてさ。相手の反応を見て楽しんでんだよ」
「でもさ。タクマくんのことだから、試したんでしょ? 三回ノックしたんじゃない?」
タクマは口ぶえをふきながら、ユミを指さした。
「わかってるぅ~! オレってば、五回もためしたんだぜ」
コウくんが「ほらね」と笑った。
「やっぱりデタラメじゃん!」
タクマが首をふった。
「ちがう。ちがう。だれが行けなかったって言ったんだよ。五回行ってきたんだ。んで五回帰ってきたの。ホントにいつでも帰れるのか試したんだ」
コウくんは目をしばたたかせたあと、熱を測るようにシンヤのおでこに手をあてた。
「熱はないな」
「ねえよ」
「おまえ、通り魔におそわれたショックで、変な夢でも見たんじゃない?」
「ホントにあったんだって」
タクマはコウくんの手を払って、クラスのみんなに両手を合わせて見まわした。
「信じられなくてもいいよ! でもとにかく、親には言わずに、オレところへ連絡してくれ。すげーいいところなんだ!」
「いやよ」
女子グループから声があがった。ユンちゃんだった。ユンちゃんのみけんに、深いしわが一本きざまれている。
「バカらしい。そんなところに行くのやめなさいよ」
タクマは「たのむよ~」と言って、頭もさげた。
ユンちゃんのみけんにもう一本しわがふえた。
ダメだ。このしわはちょっと力を入れたぐらいじゃあ、折れない。
わたしはユンちゃんとタクマの顔色を順にうかがいながら、「あのさ」と口を開いた。
「そんな必死になって、みんなにお願いしなくても、『通り魔におそわれておとぎの世界に行ってきました~』なんて親に話しても、信じてくれないよ。ぎゃくに病院に連れて行かれて、入院させられちゃうんじゃない?」
ユンちゃんがすごいいきおいで、わたしをにらんだ。
「さすがアオイ! かしこい!」
タクマはわたしをあがめるようなジェスチャーをする。
わたしは「うるさいなあ」とタクマをにらむと、「ほら、もう先生くるよ」と自分の席についた。
HRの始まるチャイムが、とても良いタイミングで鳴ってくれた。
タクマはあわてて席につくと、息をたっぷりふくんだ小さな声で「あとでオレのスマホの番号くばっとくから! よろしく!」と言った。
みんなもふに落ちない表情でしぶしぶ席にすわる。
わたしが消しゴムをいじっていると、うしろの席から、「あんた、ばかじゃないの?」と声をかけられた。
ふりかえると、ユンちゃんと目が合った。
「なに味方してるの? 通り魔よ。通り魔! タクマの話が──、百歩ゆずってホントだったらどうするわけ? いつ、もどれなくなるか、わからないじゃない」
わたしは心の中で、そうだよねえ。うん、わかる、とあいづちを打った。
ユンちゃんの言うことは、正しい。ホントだったら、タクマをナイトランドへ行かせないように説得するべきだ。みんなは被害に会わないように防犯をする。あやしい人を見かけたら親に言うべきだ。
じゃあどうして、タクマをかばうようなマネをしたのだろう。
わたしはけんめいに考えた。
幼なじみだから? タクマのことが好きなユンちゃんに、イジワルしたくなったとか……?
わたしはうーんと頭をひねった。どれもちがう気がした。
先生が朝のHRをはじめても、わたしはいろんな理由を見つけては、それを却下した。
そしてひとつ、おかしな理由を思いついた。
『ジャック』が五年三組の教室にいたのだ。そしてわたしをあやつって、タクマの味方をさせたにちがいない。
……バカっぽい。ないない。
わたしはすぐその理由を紙のように、まるめて捨てた。