ニトさんへささげる机上の推理
「みんなあ、考えはまとまったー?」
自分が推理し終えたのだからもうとっくにできているだろう、と翻訳できそうな調子で雪風が尋ねた。まあ、雪風が最後だったのは事実だ。あたしと優香は揃って顔を綻ばせた。
「おおー、すごいねえ。じゃあ、誰から発表するー?」
「ん、待ってよ。推理は被ってるかもしれないじゃん。というか、被っていたらそれが答えの可能性高くない?」
言ったもん勝ちでは少し面白くない。あたしは口を挟んだ。
「あ、それもそうだねえ」雪風はほっぺたをぽりぽり掻いた。「じゃあ、どうしようか」
「とりあえず、犯人の名前を指摘するのはどうかな?」
優香が提案。なるほど賢いやり方だ。というわけで、それに倣うことにする。
三人で一斉に告白タイムだ。せーの、
「犯人は相川奏太!」と優香。
「犯人は相川信也~」と雪風。
「犯人は相川大地だ」とあたし。
……完全に食い違ってしまった。ま、まあいいや。
「じゃあ、順番に発表していこうか」言いながらあたしはじゃんけんの用意。これで決めるのが一番いい。トランプやコインは気障ったいし、そもそもここにない。
結果、雪風→あたし→優香の順になった。優香が嬉しそうだ。まあ、確かにこういう推理合戦は、最後に推理を開陳する奴が正しいわけだけれども。
「さ、じゃあ早速雪風、どうぞ」
「え、いきなりー?」
「いきなりも何も、あんたが最初を引いたんでしょ」
あたしの振りで、雪風は少しだけ真面目になって語りだした。
「えっとねー。私は犯人が相川信也だと思ったわけだから、信也の証言のところを見て欲しいのね。後半の方、三ページのあたりかなー」
そちらに目をやる。『シネマリバイ』には、手書きでページ番号が記されていた。ぱっと見た感じ、特に変だとは思わない。相川信也が映画について語っているだけだ。それにしても、「へいおん!」とは。なんて安直なパロディだろう。そのくせちょっとイデオロギーがかったところもあって、映画好きのニトさんの思想が垣間見えたような気がした。
「それでね、ここでこんなふうに書いてあるよね?『ファンならおいしい内容でした、夜に友達ともメールで盛り上がりましたし』って。これってさー、ちょっと変じゃない?」
ほう、と優香が感心したような表情を見せたが、あたしにはまだつかめない。その、通にしか分からないような小料理屋的雰囲気に多少の敗北感を覚える。
「だってね、相川信也は一人で『へいおん!』を観たんだよ。なんでその日の夜に友達とメールで盛り上がれるのかなー?」
「なんでって」あたしは虚を突かれながらも答える。「別に、いいじゃん。その友達と同じ時間に映画を観る必要はないでしょ」
「あ……そうかあ」
え? 納得しちゃうの? 却ってあたしは困ってしまった。カツアゲされて拒否したら謝られた感じだ。どうすればいいのだ、これ。
「あ、でも、大丈夫」雪風は姿勢を正した。「こういう考え方もありかも、ってことで推理する路線に切り替えるー。あのね、この証言からねえ、信也には『へいおん!』を四日に観た友達がいる、ってことは分かるよね?」
「まあ、そうだけど」
「だったらその友達が共犯なら、アリバイなんて楽に作れるよねー」
ああ! そういうことか!
「だってさあ、相川信也が映画を確かに観ていた、としている証拠は、あの語りようだったわけでしょー? 確かに観ないであんなことはできないだろうから、それは結構説得力があると思うよー。それでも、そういうアリバイ工作を狙っているのなら、大丈夫だよねえ。共犯者の友達が、目を皿のようにして鑑賞してー、後で全部教えればいいんだから」
恐ろしく語れる友達に観てもらったあとで話を聞けば、めちゃくちゃ語れるようになるという論理か。突飛すぎるが、ありえないこともない。
「一理ある。すごいよ、雪風!」
優香が拍手した。えへへとはにかむ雪風。確かに、それも一つの推理だ。正直、あたしごときでは反論できそうにない。ただ、一個だけ言いたいことがある。
「……そんな真相で、いいのかな?」
そう。そこに尽きる。雪風の推理は非常にそつがない。しかし、さらっと一行だけ書いてあり、どうとでもとれる「友達」を共犯者にした、だなんて解決、ミステリ的に許されるのか? むしろこれは、別の真相を想定したニトさんの、作品構築の穴に見えてしまう。
「由梨乃の言う通りかもしれないけど」優香があたしのほっぺたをつついた。「ニトさんはミステリに興味のない人種だよ。私たちも適度にしか読まないけど、それよりもさらに、ね。だったら意外とこれが真相かもしれない!」
「それは、そうかもだけど……って、優香だって自分の考えあるでしょ?」
「もちろん! ゆえに雪風の推理はただの抜け道です!」
「ええーっ! ひどいよお~」
ぐったりと溶けそうなスライムのようにカウンターにへばりつく雪風。多少可哀相だが、あたしはあたしでこれまた持論があるわけで、下手な慰めをかけるくらいならば、と心をプチ鬼にして口を開く。
「えっと、じゃあ次、あたしの推理ね」
「ほいきた! たしか犯人は、相川大地だったよね」
優香が元気よく乗り、雪風もむっくと体を起こしてあたしを見た。ちょっと緊張するな。テンパると固まる性分が首をもたげつつある。
「えっと、あたしも相川大地の証言の後半部分が気になったんだな。四ページ目ね」
該当箇所を指差す。優香と雪風が視線をそこに刺した。
「その中の、『続編とか出ないかなあ、次はキネマBで観るつもりです、看板綺麗だったし』ってところがミソね」
言って優香を見る。やはり、もう分かったぞという表情をしている。くそう、この天才タイプめ! エジソンの言う九十九パーセントの努力なんて嘘っぱちだと思った。まあ、雪風に説明する感じで頑張ろう。
「どういうこと?」
やっぱり雪風は分かっていないし。でも、親近感がすごくて百合の花が見えそうだ。
「次『は』キネマBで観るつもり、だよ? でも今回も相川大地はキネマBで観てるよね。まあこれは誤植だとしても、その後の『看板綺麗だったし』というのはおかしい。だって、相川奏太の証言にもあったけど、キネマBの『へいおん!』の看板は擦ったような傷があったんだから」
「ああー、なるほどー。……じゃあ、相川大地は映画を観てないんだー」
「そうなるね。つまり、彼女が全部庇っていた。もちろん、映画の上映時間以外は本当に一緒にいたんだろうね。ただ、一時から三時の間だけは、口裏を合わせてもらっていた」
「もしかして、外で落ち合おう、というメールもそのための工作なの? 映画を観ていない相川大地はそうするしかないわけだし、それを不自然でなくするための布石ってことだけど」
優香の的確な補足にあたしは頷いた。「そう。まさにそういうこと」
「でも、証言にもあったけど、相川大地と彼女は付き合い始めたばかりなんだよね。そんな子がわざわざやってくれるのかな?」
「そこは、まあ……やってくれたんじゃないの?」
あたしはお茶を濁した。彼女によってはやってくれそうな気がする。仮にあたしがその立場なら、オゾンホールが紫外線を通すくらいに情報を筒抜けにしてしまうだろうが。
というか、あたしの推理の穴も、雪風と似たようなものと言えばそうなのである。だって、彼女が共犯という答えだ。一行だけ出てきた「友達」よりはマシだが、それでもミステリ的にどうなのだ、と言えなくもない。そもそもあたしの推理は相川大地の証言の前半で具体的に潰されている。それを、後半の発言の矛盾を手掛かりに全部ウソでした、とやっているだけだ。相川奏太の証言を伏線としている辺りがまだ救いを持つが、これもニトさんの見過ごしに過ぎないのではないかという気がしてならない。
だってニトさん、ミステリ初心者だから。
正直な話、あたしが一週間でSFを書いてこいなんて言われたら、意図せぬ形で「この世の不条理がまかり通った世界」を舞台にした物語ができそうだ。考証が甘すぎるために生じた矛盾によって。A.C.クラークの名言はと訊かれ、「少年よ大志を抱け」と即答した記憶もある。高度に発達した人たちは確かにあたしからしたら魔法使いだ、本当に。
「ま、まあ、あたしはこれくらいで。最後、優香でしょ。自信あるの?」
「うん、ない!」
「「ないんかい!」」雪風とのデュオ。
「いや、本当ないよ」てへへ、と頭をなでる優香。しかしそのままふざけることはせず、すぐに真顔になった。
「まあでも言うよ。私は相川奏太犯人説を出します。ええと、私も証言の後半が引っかかったんだよね。ここね、二ページ目。『行ったのが野球場じゃなくて良かったですよ』ってとこ」
確かにそこは、あたしも何が言いたいのかよく分からなかった。
「これ、単なる雑談にも見えるけど、ここで思い出してほしいな。被害者はバットで撲殺されていたんだよね。……連想ゲームみたいじゃない? だから相川奏太は、事情聴取中につい犯行現場を想像して、被害者がバットで殴られているのに野球場に行かなくて良かった、って言ってるんだよ!」
「そうかあ!」
あたしは叫んだ。雪風も驚きの表情を浮かべていた。確かにそうだ、これは露骨な伏線だ。なにせ、相川奏太は被害者の死因を知らないはずなのだ。バットから野球を連想するわけがない。彼が犯人ではない限り。
「もちろんこれがただの雑談の可能性もあるよ。でもさ、相川大地の証言に、こんなものがあるよね!」
優香は興奮気味にまくし立てて、四ページ目を指した。その指先には、「そういや今日、映画館近くの会場でプロレス大会やってましたね」の文がある。
「映画でのほほんとできたんなら、行かなくて良かったと思う例は、このプロレスになるのが普通じゃないのかな? まして作中の時期は一月だよ、野球なんてシーズンオフもいいとこだよ! というわけでこの発言はおかしいから、相川奏太が犯人ってことになります!」
びし、と挙手して自信満々の小学生のごとく締めくくる。雪風がおおーと口をすぼめながら拍手した。さっきのお返しみたいだ。あたしも感心したが、まだ疑問が残る。
「うーん、確かにそうだね。説得力あるよ。けど、奏太はどうやって殺したの?」
「それは……頑張って!」
「アホか!」ここに来てまさかのうっちゃり。なんという竜頭蛇尾だろうか。
「いやー、それがね、やっぱり相川奏太の友達が共犯じゃないと成り立たないんだよね。だからそれは提示できるけど……雪風と由梨乃と一緒で、それでいいのかなあってなっちゃった。だから自信がないんだよねえ」
ううむ、と考え込む優香。やっぱりちょっとバカっぽいから、脇にさりげなく佇むコーヒーカップが似合わない。
ともあれ、これで推理は出揃った。三人とも食い違っているだけあって、どこか腑に落ちないところを、三説とも含んでいる。もっとすっきりした解答を導けそうなんだけどなあ、とは感じるのだが、それを実現することはできない。歯がゆい気持ちが芽生えかけ、
「おい、お前ら」
一瞬で吹き飛んだ。いつの間にか、相川先輩がそばにいたのだ。そして完全に思い出す。先輩がここに来るということが、何を意味しているのかを。
「ニトさん、意識戻ったんですか?」
切羽詰まり気味に雪風が問う。すると先輩は、普段ならあまりやらないことをした。無邪気さを見せるような笑みをこぼしたのだ。
「ああ、戻った。骨折以外は健康状態。これでもう大丈夫だ」
やった、と三人で抱き合う。やはり現実となると嬉しい。雪風が再びべそをかき始めたが、あたしの視界もなんだかぼやけて来たからよしとしよう。
「由梨乃、泣いてる~」
優香が茶化してきた。うるさいっ、と言おうとしたけど、ううぅっ、みたいなしゃっくりを無理矢理止めたときに出るような音声に変わってしまったので通じなかった。というか、あたしの涙フィルターからしても、優香の顔つきがいつも通りではないことが分かるぞ。
でも、そういうことはいいのだ。大事なのは、ニトさんが無事に生還したこと。いや、骨折しているから全然無事ではないのだが、車にはねられたのだからそんなものだ。
さっきまではニトさんが心配だったから何とも思わなかったが、よく考えてみるとニトさんをはねた野郎は相当の悪人ではないか。飲酒運転、は確定事項ではないからともかく、ひき逃げ? 全くもって許せない、と怒りの感情も立ち上ってきた。
けれど、やっぱり今は安堵安心の気持ちが一番強い。鼻水が垂れそうなのをずずっとすすり上げてから、一際大きい声で「ああ、よかった!」と叫んだ。
ひとしきり喜びをかみしめた後、ようやく周囲を気にして席に戻る。店の中だということを忘れていた。すると、喫茶店のマスターにあたしたちの突然の奇行の理由を説明して来たらしい相川先輩が戻ってきて、いつもの調子で言葉を紡いだ。
「それで、お前ら、似鳥の作品の謎は解けたか?」
「いや、それが……」
三人でたどたどしくなりながら、今までの過程を話した。先輩に『シネマリバイ』を読んでもらい、あたしたちの推理を告げる。
「ふむ……」
先輩はあごに片手を当てて考え込む素振りを見せ、数秒の後おもむろに『シネマリバイ』を手に取ってぱらぱらめくりながら眺め、一つ尋ねた。
「この小説──まあ、小説というか脚本というかよくわからん代物だが──は、似鳥が事故に遭って倒れているのを搬送した救急隊員が発見して、それを三上先生に渡して、それがここに回ってきたのか?」
「ええ、多分そうかと」あたしが答える。
「これを書いたのが三上先生だった、なんてことはないよな?」
「違うと思いますよ」優香が言った。「所々手書きの部分がありますけど、それはニトさんの筆跡ですよね? 先輩ならなおさら分かると思いますけど」
「……それもそうか。これは似鳥が書いたんだな。……あいつにしては、やるじゃないか」
感心したように相川先輩。
「ええと、ニトさんのそれ、ミステリとしてちゃんとなっているってことですか?」
「ん? そうね、まあ志波が思っているよりはな。プロが書いたとしてはご都合主義に過ぎると思うけれど、犯人当てとしてはしっかりしてる。いや、現段階でお前らが披露した推理からすればそこに疑問を挟むのも仕方がないとは思うけどな。ただ、そっちの推理も不十分であることに変わりはないよ」
極めて淡々と言葉を積んでいく相川先輩。この人と年が一つしか違わないということが、あたしには信じられない。いや、逆だ。この人があたしより一つしか上でないことが信じられないのだ。
「あの、先輩、もしかしてー……」
雪風が打診すると、先輩は軽く眉を動かした。
「ああ、全部分かった。実はお前ら、いいところついているぞ──全員根本から違うが、お前らの推理を聞いたから、さっさと解答にたどり着くことができたよ」
時計を見ると、もう正午。あたしたちは二時間近く考えていたことになる。それをこの数分で解き明かす先輩。やはり、格が違うのか。
ともあれ、あたしたち三人の推理は終わってしまった。先輩によればいいところをついているらしいが、どこらへんがそうなのかが分からない以上、手放しには喜べない。
しょうがない。探偵役の交代だ。あるいはここで探偵が登場するだけなのか。せいぜいあたしたちにできることといえば、これをミステリ小説に見立てて架空の読者に問うことくらい。
さあて、とりあえずのお約束。
──読者の皆様に挑戦です。『シネマリバイ』の真相はなんなのでしょう。あたしたちの推理をどう応用すれば、そこにたどり着けるというのでしょう?