ニトさんのてによる微妙な作品
……で、読んだ。
喫茶店に入る頃はまだ興奮冷めやらぬ状態だったので、相川先輩に言われて来たはいいものの、果たして平常心を保っていられるのだろうかという疑問もあった。
しかし落ち着いて考えてみれば、ニトさんの状況がこれ以上悪くなることはないということなので、今まで張っていた緊張の糸がふつりと切れた様になってしまい、その反動かは分からないけれどいつも通りに近い雰囲気の中、あたしたちは作品に目を通した。三人とも見やすいように、優香、あたし、雪風の順でカウンター席に横一列で陣取りながら。
それは合格を確信した高校の結果発表を待つ、くらいの心理状態なわけで、徐々に明るいやり取りも戻ってきた。
それで、もう一度繰り返すが、読んだ。たった五枚、製本して十ページの短編だったので、それなりの読書耐性を持つあたしたちは早かった。じっくり読んだにもかかわらず。
「うーん……」
思わず唸ったのはあたしである。というのも、何というか、この作品は、まあ……
「言っちゃ悪いけど、さほどだよね?」
コラ、と額を小突きはしたが、優香の言う通りだった。いや、ミステリとしては成功していると思うのだ。三つ子を容疑者としたアリバイもので、一読した限りでは犯人が誰なのか、特定できない。謎もあるし、トリックもありそうだ。ミステリを読まないニトさんにしては、すごく上手くやったと思う。ミステリ的に。
「どこが変なんだろうねー」雪風が首を傾げた。「なんというかあ、あんまり、小説って感じがしないんだよねえー。証言と呟きだけの構成だもん」
全く同意だ。つまり、物語として成立するギリギリのラインの作品なのだ、この『シネマリバイ』は。何とか会話体で繋げているのでいいが、一歩間違えるとただの推理パズルになってしまう。
「でも、昨日一日で仕上げるぶんにしては、相応な感じがするよね。まさにニトさんが書いたって感じがするよ」
こう思うところもあって、あたしはフォローした。そもそもニトさんに創作経験があるとは聞いていない。これが初の試みかもしれないのだ。だったら作品構成も、このようになるものではないだろうか。何より映画好きという要素が大きい。まるでこの作品、移り変わる映画のシーンを切り取ったかのようではないか。
「それに、ミステリとしてはちゃんと考えられている気がする!」すっかり明るさを取り戻した様子で優香が声をあげた。「だって、このタイトルってさ、映画館、つまりシネマのアリバイを縮めてシネマリバイとしているけど、死ね、茉莉、Bye! って駄洒落にもなってるよね。タイトルにダブルミーニングがあるんだし、本筋もしっかりしてそうだよね!」
ああ、そうか。あたしと雪風はポカンとしてから首肯した。優香は本当に見た目だけはバカなのだが、そのまま鋭いことをポンポン言い出すから奇妙だ。毒舌を吐く執事並には奇妙だ。まあ、「タイトルが凝っている→本筋がいい」は偽の命題だけど。
「そういう優香は、真相がもう分かったとか?」
「またまたあ、由梨乃さーん。私の性格考えて下さいよ!」
「うん? 性格って、どんなー?」
「見抜いていたら、いの一番に発表し出すってことでしょ」
あたしが一蹴するように答えると、雪風も納得げにはにかんだ。
「でも私、全然わかんないよー、犯人」
「雪風と一緒。あたしもさっぱりだよ」
「何を隠そう、私もです!」
「優香はさっきから隠してないでしょ」
ともあれ。三人とも小説の出来に文句をつけるような真似はしながらも、ニトさんが仕掛けた謎を解くには至っていないのが現状だった。相川先輩だったら、快刀乱麻を断ちすぎて乱れていない麻まで微塵切りにしそうな瞬殺推理をおっぱじめそうだが、生憎あたしたちの知性はなまくらなので何の麻も切れない。
しかし、せっかくこうしているのだから、真摯に作品に向き合って解答を導き出したいものだ。それが今意識を失っているニトさんへの礼儀じゃないのかな、とも思うし。別に、ニトさんが作品を読んでほしくてあんな風に倒れていたとは考えていないけど。
「しょうがない。各々推理タイムといこうか」
あたしは一つ手を打ってから、コーヒーを啜った。良くも悪くも普通の味だ。
「えー? みんなで考えないのー? 言うじゃない、三人よれば、えっと……」
「文殊の知恵」雪風よ、それくらいは出そうぜ。
「そうそう! もんじゅの知恵! ……え? 原発?」
「原発違う! 高速ぞうしょきゅろ!」噛んだ、言ってから後悔。右側が見られない。満面の笑みの優香がいるはずだ。かといって左側にも忍び笑いの雪風がおり、あたしは努めてカウンター席に乗った五枚の作品に目をやり続けていた。ちぇっ、早口言葉と数学は大の苦手なんだよ!
「高速じょうしょきゅりょだって、じょうしょきゅりょ」
「……コラ優香! そこまでひどい噛み方してないだろ!」
一発殴って万事解決。そのままあたしの指示通り、個別に推理を組み立てる時間となった。
とはいえ、あたしもこれから考えなくては。ええっと、容疑者は相川奏太、信也、大地の三人。どのみち犯人が相川になるところに、ニトさんの執念が見られる。もしも三つ子が女でそのうち一人が美奈だったら犯人は確定だったのにな、なんて。
しかし、奏太にはカラオケの、信也には藤村劇場での映画の、大地にはキネマBでの映画のアリバイがある。見た感じ、どれも説得力があるように思えるが……どう崩すべきか。
何度か文章を目で追う。三つ子って安直だよな、とか、渋滞ってご都合主義だよな、とかと思いもしたが、犯人当てのミステリなんてそんなものだ。あまり読んだことないけど。
──ん?
不意に、一つ閃くものがあった。気になる点を見つけたのだ。
これ、もしかして……
そこを起点に、自分の考えをまとめていく。不肖志波由梨乃、どうやら自分なりの推理ができつつあるようだ。なんだか嬉しい。
考えていると、両側から「おっ」とか「あ」とかと、声が漏れだすのが聴こえてきた。優香も雪風もなにかしら思いついたらしい。他力本願を掲げて全国行脚をしそうだった雪風も、こうして推理しているではないか。あたしは俄然、やる気が湧いてきた。相川先輩の提案は功を奏したようだ。こうして三人とも、うまい具合に時間を過ごせているのだから。