表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/27

第六話「いつもと違う日常の非日常」

 桜が溢れる夢幻回廊。

 ということは、ここは何時もの夢の中だろう。

 気がつけば、左右に果てしのない桜の樹が連なる並木道。

 桜はなんでこんなにも心が惹かれるのだろう。

 魂のレベルで美しいと記憶されているかのようだ。

 根は大地を穿ち、樹は女性がシナをつくるかのように艶めかしく、枝は女性の細い腕と指先が空の彼方を差すようにあどけない。

 いっそ、桜は女性の生まれ変わりじゃないかとすら思う。


 後ろから長い黒髪の女性がオレを追い抜く。

 声を掛けようとするが、声は出ない。

 そんなオレに、その黒髪の女性が少しだけ振り返る。

 その横顔から見える瞳の色は桜色。


 何時もの夢であれば、ここで記憶が途絶えるが、今日は一つ違った。

 オレの右手が前を歩む女性に手が伸び、指先がその肩に触れた時、女性の口許が蕾のように綻び、その顔を見ようと近づこうとすると、触れた指先から桜の花びらとなり、オレが桜になって散ってしまった。




■アルス:五月八日、〇九:〇〇



 眼が覚めると、そこは何時もの自宅。いつもと違うのは、リビングのソファーで寝ていたことだ。

 あれ? なんで、ベッドで寝てないんだ?


「おはよう、アルス。先にコーヒーを戴いているわ」

「ああ、おはよう、カディ。あるものは好きに飲むなり食べるなりしていいよ」


「お兄ちゃん、おはよう! 勝手にベーコンと玉子を使っちゃった!」

「おはよう、カノン。朝食を用意してくれるのかい?」

「そうだよ、もう九時過ぎてるけど」

「あぁ、眠ってたのは三時間ほどか」

「もう出来上がるから座ってて」

「了解です」

 身体に掛けてあったタオルケットを剥ぎ、のそのそ立ち上がるとダイニングのテーブルにつく。カディが素早くコーヒーを淹れてくれた。

 オレはカディからコーヒーを受け取ると、寝惚けたまま口をつける。

 あ、美味い。そういえば朝にコーヒーを淹れてもらうのは何年ぶりか?

 いや、記憶にないな。


『ニュースRPKのお時間です。今朝ですが、野毛山動物園にて動物が檻から逃げる騒ぎがあり――』

 動物かぁ、関係ないな。オレ達の事はニュースにならないんだ。


「へぇ、ラーノスって動物園があるんだ? みんなで食べるの?」

「お姉ちゃん……さすがにそのセリフ、外で言ったら笑われるレベルじゃないよ」

「じょ、冗談よ」


 目の前に目の醒めるような美少女が二人もいると、何時ものコーヒーが倍以上、美味く感じる………ん、ん?

「って、か、カディ!?」

「な~に? 大きな声を出して」

「な、なんでキミがオレのウチに!?」

「私もいるよ!」

 カノンが少し怒ったかのように、オレの前にベーコンとスクランブルエッグとサラダが盛り付けられたプレートをドン、と置く。


「まだ寝惚けてるの? 私もカノンも寝るところがないって言ったら、家まで連れてきてもらったじゃない」

 そうだった。

 あのジン・アルビオンという白い男がいきなり出てきた後、夜明け前までの時間制限でゲーム第三ターンは終了して、家に帰ってきたんだ。


「こんな二人の美少女の笑顔が朝から見れば、スグに目が覚めて当然でしょう」

「カディって、美少女という歳なのかい?」

 バキッ!

「やっぱ、コッチの鉄拳が早いわね」

「……完璧に目覚めたよ。カノン、朝の支度ありがと」

「えへへ~、どういたしまして。お姉ちゃんもどうぞ」


 カノンのエプロン姿はとても似合っている。オレが普段使っている水色の飾り気のないものだが、カノンが着ると幼妻といった風情で、後ろから抱き締めたくなる。

 オレにはロリ属性はないハズだが、なんか魂の次元で惹かれる。

「アルス、その性犯罪者予備軍の目でカノンを見たらコロスわよ」

「いや、待て、違う! そんなコトない!」

「……私、軽いジョークだったんだけど……そこまで盛大に反応されると逆に危険を覚えるわ」

「まあまあ、私が可愛いのは熱力学第二法則ですら捻じ曲がる領域だから」

「そのココロは?」


「私の可愛らしさは劣化しない!」


 何が面白いのか、オレの目の前では美少女コンビが大爆笑をしていた。

 そういえば、この家で笑い声が聞こえたのはいつぶりであろうか?

 これもまた記憶にないな。



「カノン、とても美味しいよ。特にベーコンが生焼けなのが良い!」

「よかった、そう言ってもらえて」

「そぉ? 私はカリカリの方が好みたけど」

 見ればカディの皿にあるベーコンはカリカリベーコンだ。

「いや、ベーコンは生焼けに限る。脂を僅かに溶かした程度に抑えて、何も塗っていないトーストに載せて食べるのが一番だ!」

「うふふ、お兄ちゃんと私は食べ物の好みが合うね。トーストにバターは要らないの?」

「ベーコンの脂があるから十分さ」

「じゃあ、合格だよね!」

「何に?」

「お兄ちゃんのお嫁さんに!」

「あぁ、すでに予約済みだ。毎日オレを起こしてくれ」

「私は返品不可の買切扱いだからね!」

「了解です。なら今日から妻としての務めとして、お風呂に…」


 バキッ!



「お兄ちゃん、お姉ちゃん、洗い物も終わったよ。そろそろ出ましょう」

 朝食も食べ終わり、しばらくするとカノンが手を拭きながらキッチンから出てきた。

「あ、ゴメン、洗い物を全部お願いして」

「気にしなくていいよ。泊めてくれたし、ベーコンも食べられたし」

「ベーコンでなんて安上がりな…」

「船上都市だと、お肉はまず食べれないよ。ラーノスとか上級都市が高いお金を取っているからね」

 オレはそれを聞いてマズイ事を口にしたと思った。

 オレからすればベーコンは安くて当たり前の食材だが、土地柄によって価格設定が雲泥ほど離れていたようだ。オレは話を変える。

「外に出るって、何処に行くんだい?」

「モチロン、お仕事だよ。昨日まで集めた材料はなくなったから、また探して売りに出ないと」

 明るく当然のように言うカノンの逞しさに、改めてオレは敬意を抱くと、イスから立ち上がる。

「了解した。昨日、オレが言ったとおり手伝うよ」

「ホント? 嬉しいよ。現地の人がいれば、販売も捗るかも」

「ああ、手っ取り早く、買取してくれるリサイクル店を探すよ。修理だって、オレは得意だから役立つぞ」


「そういえば、アルスの家って生活感はないけど、工具とか船とか飛行機とかのパーツがいっぱいあるわね」

 カディが家中を見渡すが、オレからすると普通である。

「そうかな、父さんと母さんが研究所勤めで家に帰ってこないのはいつものことだけど」

「え、帰ってこないの? 連絡とかは?」

「メールは毎日きているよ。もっとも、今朝のメールも『今日は帰れないからヨロシク』だけど」

「……現代の家族って荒んでいるわね」

「ほっとけよ」

「でも、生活感がないのは事実ね。男の独り暮らしってかんじで、趣味以外に何もない」

「いいだろ、別に」

「お姉ちゃんはどうするの?」

「特に何もないわ。観光でもしようと思っていたけど、お金も少なくなっているから、私も手伝うわ」

 カディとカノンは示し合わせたようにオレを見た。

「な、なに? すごーく、イヤな気配なんですけど」

「ううん、べっつにぃ~」

「そうそう、お兄ちゃんがいつステーキをご馳走してくれるのかなぁ~って、思っただけだよ!」

 ハイ、忘れていなかったみたいね。



 そういうわけで、オレ達三人は旧晴海に出ることにした。

 三人仲良く、オレのブルブリッツで三ケツである。


「今さらなんだけどオレ、今回のゲームに関係して、指名手配を受けているかもしれない」

「アルスが? どうして?」

「オレも事情を把握しているわけじゃないけど、オレの友達が晴海で死体となって発見された事と行方不明のままの件で、重要参考人か容疑者にされている可能性が高い」

「それはないわね」

「どうしてだい?」

「ゲームに参加するプレイヤーは、期間中に事件等の拘束を受けない。それに晴海エリアでの出来事についても、基本的にはゲームエリアは『無人である』という前提がある。無人のはずの場所で殺人も行方不明もあるわけがない、という論法よ」


 カディは当然の事のようにいうが、オレの通う学校ではそうはいかないだろう。

「ま、周囲がどれだけ疑っても、アルスがこの件で警察に追われる事はないわ。それが各都市間で定めたルールだから。でも、だからって無闇に無関係な人を殺しちゃダメよ。あまり目立つようなら、処理されても文句はいえないし」

「処理って、法的に拘束を受けないのに?」

「何言ってるの。そのために他のプレイヤーがいるじゃない」

「あ、そうか。警察が捕まえられないなら、プレイヤー達に懸賞でもつけて始末させればいいわけだ」

「そういう事。自分の力に自信があるなら、あえて無関係の人を殺して、自分を的にさせ、アリ地獄に引きずり込むように探す手間を省いたやり方もあるわ。実際にそれで勝ち抜いた人もいるらしいけど」

「そりゃ相当な化物だな。そんなのと闘わずに済んでよかったよ」

「同感ね。ま、そういった訳で、特に気にすることないわよ。ラーノスだったら、しっかりした統制もあるし、何より今回のラーノスはえらく気合いが入ってるようだし」

「ん? なんの話?」


 オレは何も知らないから素で聞き返したのだが、カディは不審そうな目でオレを後ろから見ていた。


「……そういえばさ、気になっていたけど、アルスはラーノスからどういう話を聞いたのかしら? どうも、アルスからは都市の利益を一身に背負うような気負いがないし」

「気負いも何も、話なんてないよ」

「無い!?」

「うん、出場予定の人が事故で死んだので、蘇生のシグルーンを渡すから取り敢えず出てくれ。イヤになったり死んだりしたら止めてもいいって」


 バックミラーに映るカディは深刻な顔をして黙る。

 無理もないか。カディは船上都市アレキサンドリアの利権のために命を懸けている。

 そこにオレのような覚悟の薄いヤツがいれば気に入らないだろう。


「多分、アルスが気にしている事と、私の考えている事は違うわよ」

 カディの碧眼がいつになく陰を帯びている。

「アルス、この『事象時戯の略儀』は各都市が莫大な予算を割いて挑む、いわば国家事業よ。だから『イヤになったら抜けていい』なんてありえないわ。まして今回のラーノスはね」

「今回のラーノスってなんだい?」


「今回のゲーム盤上は『真贋都市パラドクス』が開催予定地だったけど、ラーノスが強力に開催地変更を申し入れたの。曰く『出場予定プレイヤーが不慮の事故で死んだために派遣が間に合わない。だから開催地をラーノスにしてほしい。そのかわり他都市の開催地費用負担を通常の五割とする』って破格の条件を出した」

「それは本当に破格の条件なのかい?」

「他の都市は知らないけど、私の都市は貧困に喘いでいるからね。今回の都市エントリー登録費用も借金して捻出してたし」


 借金してまでこのゲームに出場する。なるほど、カディの必死さも理解できる。

「それなのに負けるようなプレイヤーをゲームの駒として投入するワケがないわ」

「その通りだね。ただ、オレは本当に何も聞いていない。『蘇生』のシグルーンがあったから、ゲームに挑戦したいというのもあるけど」


「なるほど、私もアルスがウソを言っているとは思わない。でもラーノスには、莫大な費用を捨ててでも貴方が出場するだけでいい理由がある。ゲームの勝敗を問題にしない程の何かが」


 カディがオレを、ラーノスを疑うのは最もである。

 オレだって不審な思いは抱いてはいる。ただ、それに対する答えを、この場で捻り出すのは不可能であった。



「探そうと思えば、色々と役立ちそうなものがあるね」

 オレは三人で集めたガラクタもどきの山を見上げる。

 旧晴海はオフィス街。再開発が決まり、すでに全ての企業が引越ししているが、置いていかれた荷物も多い。中にはそのまま使える冷蔵庫なども置きっぱなしだった。

「お兄ちゃん、手伝ってくれてありがとう」

「どうってことないよ。高く売れそうで、手がかからなさそうなのからやっつけるか」

 オレはオーディオプレイヤーを山から抜いて、早速チェックに入る。

 工具類は家から持ち出していたので、作業もオフィスビルのロビーに折り畳みシートを敷き、その場で作業を開始した。

 その間、カノンは商品を磨き、カディは冷蔵庫などの大型家電を運ぶリアカーの調達に消えた。


「オーディオプレイヤー、修理完了だ」

 オレはこれまたオフィスで手に入れたヴァイオリン名曲集CDを再生する。

 すると『Kanon』が流れ始める。


「『Kanon』だよね。私と同じ名前の曲」

「そうだよ。とてもいい曲だ。同じ時間がずっと流れていくようで心が落ち着く。カノンと同じだね」

「うふ、なんか私を口説いているみたい。お兄ちゃんに恋人はいるの?」

「ああ、いるよ。同じクラスメイトだ」

「そうなんだ。とてもキレイな人でしょ?」

「まあね。ただキレイなだけじゃない。脚が一万人に一人くらいの美しさを持っている」

「脚? お兄ちゃんは脚好きなんだ」

「少しニュアンスが違うな。美脚を世に広めたいという使命感というか義務感だな」

「ふ~ん、よくわからないけど、その脚に惚れて恋人にしたと」

「恋人にしたって…それがセレナの耳に入ったら『恋人にしてやったのはこっちよ』って、怒るだろうな」

「セレナさんっていうんだ……もしだけど」

「ん?」

「私の脚が二万人に一人だったら、お兄ちゃんはセレナさんを捨てて私を恋人にしてくれる?」

「はは、その論法が罷り通ると、三万人に一人の美脚を見つけたらカノンを捨てることになるよ。美脚は確かにオレにとって必須条件だけど、それが絶対的な価値を有しているわけじゃないよ」

「じゃあ、私に可能性はないの?」

 流し目でオレを見るカノンには、不思議な色気というか、魅力がある。

 姉も美人だが、こういった才能はない。まあ、これから殺しあう可能性のある男に色気を見せても仕方がないかもしれないが。

 オレに幼女趣味はないと言い聞かせつつ、出来るだけ真摯な態度で正直な気持ちを伝えようと思った。


「可能性がないわけじゃないよ。ただカノンにはまだ早い。でも今から準備をすれば五年後にはどうなるか分からないね」

 するとカノンの顔がニパっと明るくなった。

「どう準備すればいいの?」

「そうだね。まずは脚をマッサージしつつ、筋肉の形を整える事からだね。そしてちゃんと食べて適度な運動だ。肌の艶を守るためにもアロマオイルで手入れも重要だよ」

「マッサージってやり方があるの?」

「勿論だとも。『アルス式美脚術』には数種類のマッサージ法があって、今のカノンに相応しいのが『ストレッチ&リラックス法』とオレが命名したマッサージがいいよ!」

「へぇ~、ちょっとやってみて欲しいな」

「任せなさい。今からやっていれば、長くて細くて艶やかで柔らかい脚が出来上がるよ」

「くす、なんかお兄ちゃん、お肉を育てているみたい」

「ああ、ある意味、食べてしまいたいくらいになるだろうね」

「きゃあ、お兄ちゃんに食べられちゃう!」

 カノンの可愛らしい笑い声が、オーディオプレイヤーから流れるヴァイオリンの名曲と共に広いオフィスビルのエントランスに響く。


 オレも思わず調子に乗ってしまう。

「ふふふ、お前を残さず食べてやるぅ」

「あはは」

 外には暖かい五月の陽射し、中にはカノンの温かい笑い声。

 オレは陽だまりのような時間に、これからのゲームや友達の事を忘れた。


「何を食べるのかしら?」

 勿論、絶対零度の領域にある、カディの声を聞くまでの話だったが。




■アルス:五月八日、一七:〇一



 オレ達はステーキ専門店『飛騨天領』に来ていた。

 夕方五時の開店と同時に入り、他に誰も客がいなかったので、座敷に通してもらった。

 といっても、カウンター五席、テーブル四つ、座敷二部屋という小さな店である。

 最近オープンしたばかりの店で、表に出ているおススメメニューの黒板に『A3等牛・お代官コース:三十五カルマン(約三千五百円)』とあり、比較的リーズナブルだったのでチェックを入れていたのだ。


 中年のウェイターからお絞りが渡され、飲み物を聞かれる。

 食後の珈琲はコースに含まれているとのことなので、オレンジジュースを三つオーダーした。


「それでは、今日も一日お疲れ様と言うことで」

「「「カンパ~イ」」」

 チンとそれぞれのグラスを当てると、まずは一口いただく。

 美味い。冷えた果汁が体に染み渡る。


 間もなく、先付けの牛肉の握りとサラダが出てきた。

「うわぁ、生のお肉のお鮨だ」

 一人一貫だけではあるが、見栄え的に高級感が漂うのが嬉しい。

「表面を軽く炙っております。お塩が掛かっているので、そのままお召し上がりください」

 ウェイターがニコニコ笑いながら説明をしてくれた。

「ふむふむ、ではそのままいただきます」

 カディは物珍しげに牛握りをジロジロ見ると、一口で食べる。

「うぅう、美味いッ! 肉本来の甘みと、軽く炙る事により肉から脂が溶け出し、旨みに溢れている。また肉が柔らかくて舌の上で肉が溶けるようだ。イエ、実際に溶けている」

「本当に美味しいね。こんなの生まれて初めて!」

「そこまで盛大に喜んでいただけて何よりだよ」

 二人が喜んでくれたので、オレとしては凄くホッとした。

 ウェイターと目が合えば、彼も嬉しそうにお辞儀をしていた。後で知ったが、この中年のウェイターは店のオーナーだった。


 サラダを食べていると、一度、本日のメインディッシュを見せにきた。

「三名様合計六百グラムのA3等牛になります」

 ウェイターの手にある大皿には、三枚の分厚い肉が載っている。

「……見事なサシだ……美しすぎる」

 オレは知らずに感嘆していたが、カディとカノンの二人は声もなく、大きな瞳をさらに大きく開いて凝視していた。

「カットしましたら、お持ちいたします」

 ウェイターが一度下がると、二人は呆然とした様子で黙っていた。

 間もなく、熱く焼けた炭が入った七輪がテーブルに載った。

 どうやら、このお店は焼肉のように自分で焼く趣向らしい。

 ステーキのイメージとは違ってしまい、その点はオレの調査不足であった。

「お兄ちゃん、どうしよう……私、ドキドキしてきた。ホラ」

 カノンはオレの手を握って自分の胸に導こうとするが、それはカディによって差し止められる。

「コラ、カノンの胸を触っていいのは未来の旦那様だけよ。気持ちは十分に分かるけどね」


 ミシミシ。


「カディ、オレの腕が握り潰されそうだから手を離して。あと修復して」

「(無視)あ、お肉がきたわ」

 大皿にはサイコロ状にカットされたA3等牛が盛り付けられていた。

「生でも食べられる鮮度のお肉です。お好みに応じて焼いてください」

 ウェイターの言葉にカノンはコクンと頷いた。

「じゃあ、一番焼きはワタクシ、カノンが務めさせていただきます」

 真剣な顔でそっと肉を網の上に載せる。


 炭火で炙られた肉は、間もなく煙を出し、漂う芳ばしい香りは場に沈黙をもたらす。

 網の上には肉が三つ。カノンが肉の両面を焼くと、それぞれ無言で肉を取る。

 手元の小皿には、塩・わさび醤油・ニンニクバターの三種類のソースが渡されていた。

 全員、最初の一口は塩をつける。

「「いただきます!」」

 カディとカノンは勢いよく叫ぶと、焼けた肉を口の中に入れる。


「「美味しいッ!!」

 二人は感激し、モリモリご飯を食べる。

 そして、新たなる肉を網に載せる。


 ラーノスの牛肉は『飛騨牛』と呼ばれるブランドの末裔であるらしい。『飛騨牛』なるものがどれだけ凄いかは知らないが、ラーノスでは国家事業として『ラーノス牛』の生産と出荷を行っている。


「ライスはお替り自由だから、どんどんオーダーし…」

「ライスお替り!」

「もう一つ追加ね」

 肉を一口でライス一杯。これはお店も泣き笑いかも。

 もっともウェイターは美人姉妹が喜んでいるのを見て嬉しそうで、お替りのライスは大盛りで持ってきていた。

 泣いていたのはウェイターではなく、カディの方であった。


 肉を焼き、食べる。

 そして泣く。

 涙を拭うと、新しい肉を焼き、焼ければまた食べる。

 また泣く。

 この繰り返しである。

 異様な光景だ。

 だが、もっと違和感を覚えるのは、姉が泣きながら食べているのに、隣で食べている妹は全く気にする素振りを見せない事だ。


 とりあえずカディは置いといて新しい肉を焼いて食べてみれば、牛肉の焦げた香り、素材そのものの旨みが渾然一体となり、まさに口福。心は幸福。

 こんな贅沢をして良いのだろうか、いや、良いに決まっている。

 何故なら、オレは今、生きているからだ。

 カチャカチャと、黙々と箸を鳴らしながら食べる三人に言葉はない。

 肉の焼き方を試しつつ、自分にとっての最適解の焼き加減を探索と言う行為は、なんて楽しいのであろうか。そして、食べ切った時の寂しさは筆舌しがたい。

 肉を食べると、実感を覚える。

 あぁ、生きていて本当に良かった。


 全員、ほぼ同時に食べ終わり、ご飯粒一つとして残す者なし。完食である。

 カノンも小さなお腹を撫でつつ、満足気にお茶を啜る。

 先程まで泣いていたカディが、涙の跡を残しつつ声を掛けてきた。

「ねぇ、アルス」

「お礼ならいらないよ」

「そうじゃなくて、お肉お代わりしていい?」

「自分で払え!」

「ジョークよ、アレキサンドリア・ジョーク」

「全てのアレキサンドリア市民に謝れ!」


「うふふ、なぁにカノン、貴方のお腹、ポッコリ出てるわよ。何ヶ月?」

「えぇ~、まだ出逢ったばかりなのに。お兄ちゃんの責任だからね」

「アルス、コロス」

「なんだよ、それ。しかも、ビミョーに韻を踏んでるけど、上手くないよ」

「あはは、二人っていいコンビだよね」

「「なワケない!」」

「ホラ、ハモった」

「マッタク、少し脚を崩させてもらうわ」

 カディは褐色の素足を組み直して胡座をかいた。

「あの、私の脚をジィッと見ないで欲しいのだけど」

「うん」


 以前にも思ったけど、カディの脚は健康美の体現だ。筋肉のつき方から、武道を相当にやり込んでいるのが判る。直接さわればよく判ると思い、手を伸ばしてみた。

 すると、視界が一転して首が絞まっていた。

 あれ? ちょっと、いやかなりキツイ…って、くるじい! ロープロープ!


「見るなって言ったばかりで触ろうとするヤツがあるか!」

 座敷にうつ伏せにされ、背中からスリーパーホールドを決められてしまった。

「ぷ、お姉ちゃん、お兄ちゃんの上に乗っかって亀の子みたい。それともおっぱい押し付けてるの?」

「なっ!? そんなわけないでしょ!」

 カディはパッとオレから離れたが、カノンの紫色の瞳がどこか黒い。


「まあまあ、カノン、オレも悪かった。カディ、許して。別にセクハラを働くつもりはなかった」

「……別に怒ってないわよ」

「ただ、キミの脚は千人に一人の美しい脚だから、思わず触れたくなったんだ。でも、性的な意味合いはないよ。とはいえ、女性からすれば気持ち悪いよな。悪かった」

「そんなに私の脚が好きなの?」

「当然さ」

「『お姉ちゃん』のじゃなくて、『女性』の脚が好きの間違いです。なに赤くなってるんですか」

 カノンがなにやらブツブツいっているが、聞き取れない。


「初めて会った時も私の脚を見ていたわね」

「ゴメン。ただ、オレは目指すべき美脚を探しているんだ」

「探す? なんで?」

「オレは美脚専門のエステサロンを作りたいんだよ」

「船上都市じゃ流行らなそうな職種ね」

「そんな事ないさ。何処の都市だろうと美しくありたいと思うのは、女性にとって永遠の心理さ」

「そうかしら? 私は全くないわけじゃないけど、お金を払ってでもってほどじゃないわ」

「それはカディが人よりもキレイな顔をしているからさ」

「えっ!?」

「そりゃあ、生まれつき顔立ちが良くて、自分でも自信がある人とそうでない人とは思い入れが違うよ」

「そ、そうかしら?」

「そんなものさ。カディの脚は特に千人に一人の美脚だ。でも、もう少し手をかければ一万人に一人どころか十万人に一人になるね」

「ふ、ふ~ん、よく分からないけど、当然よね」

「…お兄ちゃんの言うことがマッタク理解出来ない上に、お姉ちゃんも何が当然だかも意味不明だよね(ボソ)」


 食べ終わり、食後の珈琲とデザートに抹茶アイスクリームが出てきた。

 デザートまでついて三十五カルマンだから、相当リーズナブルだ。


「少し質問をするけど、オレを殺したのがスヴァーヴァと言っていたけど、あのおばあさんは自分の傀儡ではないって言っていた。他にもいるのか?」

「それは分からないわ。スヴァーヴァは有名な都市伝説の殺人鬼で目撃例も多いし」

「他にもスヴァーヴァに扮しているプレイヤーがいてもおかしくないか。ところで、オレは殺されたせいか第一・第二ターンの記憶がないけど、どんなだった?」

 それにはカディは沈黙する。


「そんなに酷かったか?」

「殺人を前提としているゲームに酷くない事なんて無いけどね。ただ、貴方達はもの凄く楽しそうだった」

「貴方達?」

「オケアノスって男よ」

「オケアノス?」

「貴方のパートナーよ。本当に覚えていない? あんなに息の合ったコンビだったのに」

「済まない、全く記憶にないんだ。オレの記憶はゲーム開始前日までなんだよ」


「そう。覚えてないならしょうがないけど、貴方達は強かったわ。何より恐ろしかった。ゲーム第一ターンでいきなり二人も殺し、ゲームの主導権を握ったわ」

 カディの手が僅かに震えている。

「あの調子で進行すればゲームは最終の第五ターンを迎える前に終了すると、私達は共通の見解を持った。そこで、一つのアイディアが出たの」


「共闘、だね」


「そう。ゲーム参加特典で三つのカードが渡されたけど、私が持っていたのが『同盟イベント』だった。効果は発動ターン内において対象プレイヤー一人に対して同盟を強制する。私はエンクスと同盟を結び、交渉と成り行きで六人のパーティを組む事になった」

「ゲーム参加者の半分か、それは凄いね」

「凄くないわ。アルスとオケアノスのコンビは私達を全く問題にしていなかった。現に六人掛かりといっても、実質的におばあさんが持っていた傀儡八体入れて合計十四人もいたしね」


 なるほど。カディは昨日の段階で、老女のスヴァーヴァが一体だけでないことは知っていて黙っていたわけだ。まあ、信用されないのはしょうがないけど、ちょっと凹む。


「オケアノスはシグリヴァの中でも、特に有名な人で、誰もが警戒していたわ。普段は大人しく全く暴力の気配なんて見せないけど、戦闘となったら嵐の海のように暴れるわ」

 脳内アプリでネット検索をしてみれば、確かに有名人だ。

 賞金稼ぎの最上位にランクインしている。

 西暦時代と違い、現代では犯罪を取り締まる警察が弱い。

 犯罪者がシグリヴァであれば常人の警察官では話にならない。勿論、警察官にもシグリヴァはいるが、ある程度のレベルであれば軍に入るか、オケアノスやガヴァビスのようなフリーランスの方がはるかに稼げる。

 犯罪者の取締りが賞金制なのはそのせいだ。

 もっとも、賞金稼ぎが賞金首である場合も多数あるが、そうであっても行動に制限は加えられない。


「彼は一匹狼タイプで人と手を組むというのは聞いたことがなかった。それがどうしてか、無名のアルスと手を組んだ。私は貴方を調査したけど、実績も何もないから、強者の気紛れかと思った」

 カディはそれまでテーブルに視線を落としていたが、言葉を切ると、オレの目を覗き込むように見る。


「それは間違いだった。アレは正に狩りだった。確実に敵を追い詰め、連携によって斃す。そう、二人の信頼感がこちらにも伝わるほど息が合っていた」

 正直、信じられない。オレはこれでも人見知りする方だ。少なくとも初対面の人に全面的な信頼を置く事はないと思っていたけど。


「結果だけど、私達は分断策を採り、オケアノスの撃破に成功して、残りはアルスだけだった。貴方は昨日の第三ターンで桜の花びらに換えるシグルーンを使っていたわね」

「《桜濫》のことだね。さっき名付けたばかりだけど」

「あんなシグルーンはもってなかったわ。オケアノスと同タイプのフローティング・スピナーを使っていただけ」


「それでオケアノスを斃して、どうなった?」

「それからはよく分からないの」

「なんで? 六人の同盟と八体の傀儡があったんだろ。大したシグルーンを持っていないオレを倒すのは難しくないと思うけど」

「オケアノスは私を含めた三人で撃破したけど、もう片方のアルスを追うチームは裏切って姿を消した。例のおばあさんはアルスを追うチームにいたけど、あの人も姿を眩ませたわ。お陰で奇襲を受けて、私は殺されかけた」

 恨みがましい目で見られ、オレはただ恐縮するしかない。それにしても、聞けば聞くほどオレがオレでないみたいだ。


「でも、あの時のアルスは心神喪失状態にも見えたわ」

「なんかあったのか?」

「さぁ…そこからは私も受けたダメージが大きくてよくは見てないのだけど、少ししてから放電現象があって、私がそちらに目を向けたら、アルスの頭をぶら下げたスヴァーヴァが帯電する中で立っていた」


 そこで、オレが死んだのか。別に自分の仇を討ちたい訳ではないけど、白仮面の中身を知りたい好奇心はどうしようもない。

「アルスを殺したスヴァーヴァが私の同盟者達に襲い掛かろうと一歩を踏み出した時、私達が設置したトラップにハマって、夜明け前に出逢ったジンに斃された」

「えっ!? 斃したの? なんで?」

「なんでって……斃して悪かったの? 仇を取ったようなものじゃない」

「そういうわけじゃあないけど…釈然としないものが残る」

「気持ちは分からなくもないけど、アルスを殺したスヴァーヴァは塵になって消えたし、正体は不明ね」

「塵になって消えた……あの朝方の男だね」

「そう、ジン・アルビオン。銘は“凶塵”」


 銘とは、字名であり、称号であり、ステータスでもある。

 銘を所有する者は自身の仕事料を上げることが出来るし、敬意を払う対象として扱われる。

 銘を得るための条件は、単純な相対的な評価と戦いぶりによる。


「“凶塵”か……ジンのシグルーンは三式『ゲンドゥール』のナンマシンによる物理的侵食能力《ミスト》だ」


 シグリヴァの使用するナノマシンにもタイプが複数あるが、その内の三式『ゲンドゥール』は物質変換能力だ。

 そして、ジンが遣った《ミスト》は最も有名で使用者ユーザーの多いシグルーンの一つであり、その効果は分子レベルでの物質破壊だ。

 ジンが周囲に纏っていた白い霧がナノマシンであり、あの白い霧が物質の内部に入り込み、内部からナノサイズの『枝』を縦横無尽に伸ばして破壊する恐るべき効果だ。

 物質防御は不可なので、フィールドを展開するかプラズマで焼き払うしかない。


「昨日、アルスはジンと闘おうとしたけど、極力回避した方がいいわよ。正直、勝てるとは思えない」

「そんなに強いのか?」

「子供みたいな姿をしているけど、味方殺しも辞さないほどに凶悪で有名なシグリヴァよ。アルスとオケアノスのコンビと闘った時も、私はエンクスとジンと同じグループだった。二人とも強かったケド、ジンは別格ね。接近戦ではまず勝てないわ」

「ご忠告、痛み入ります」


 すると今度はカノンがオレに質問をしてきた。ただ、その内容がマズかった。

「確認するけど、お兄ちゃんの《桜濫》っていうシグルーンだけど、スバリ遠距離射撃が出来ないよね」

 オレは思わずカディを見た。

 そして、カディは鋭い目でオレを見ていた。

 恐らく、オレも同じ目をしているだろう。

 お互い立場の違う敵同士。ならば、相手の弱点を探るのは常道だ。

 テーブルには肉の香りはすでになく、あるのは緊迫した空気のみ。

 オレもカディも口を開かず睨み合う。


「ストップ! 私も話す順番を間違えました。私が言いたかったのは、共闘するにあたり互いのレギュレーションを確認したかっただけです」

「共闘? 私にはそのつもりはなくてよ」

「それはウソです。お姉ちゃんも現状では勝ち抜けないと思いきわめています」

「カノン、いくらあなたでも言って良い事と悪い事があるわ」

「では勝てるのですか? 触れたものを桜にして散らしちゃう人とか、塵にしちゃう人に」

「当然勝つ。私のシグルーンは全体攻撃よ。ナノマシンと違って有効範囲も広い。誰が相手でも、作戦次第で勝てる」

「オレ、明日ガスマスク買いに行こう」

「な、それは反則よ!」

「いや、直接的に殺傷するものでなければ持ち込み可だろ」

「うぐぐ」

「という風に、お姉ちゃんの苦戦は免れません。ここは利害関係を調整すべきです」

「利害関係ってどの部分よ」

「それはお互いに譲れない部分を確認してからです」

「そういう事は先に言わないから」

「お兄ちゃんは、私が質問するまで黙ってて下さい」

「……ハイ」


「お姉ちゃんがゲームに参加したのは、賞金のためですか?」

「もちろん違うわ。私が欲しいのは『許可証』よ」


 すると、カノンは大きな瞳でオレの眼を覗き込んだ。

 なんだか、彼女の蒼い瞳を見ていると、引き込まれそうだ。なんかクラクラしてきた。

「お兄ちゃんも同じですか?」

「そうだよ。オレはちょっと知りたい事と、まあ、ゲームへの挑戦もあるけど」

「知りたい事ってなんですか?」

「個人的なことだよ。他の人の利害に影響は与えないから」

「でも、何がなんでも『許可証』が欲しいのですね?」


 カディの背中が緊張するのが分かる。

 ゲーム優勝者に与えられる最大の賞品。

 ゲーム参加時に参加特典として三枚のカードを渡されるが、それとは別に優勝者には賞金と賞品が渡される。賞金額は一千万カルマン(約十億円)と莫大であるが、それとは別に金では買えないこの世界で貴重なアイテムが賞品として授与される。


 それが『許可証』。


 それも種類があり、その中から選ぶのだ。

 即ち、『黄金の通行許可証』『深紅の殺人許可証』『群青の通商許可証』『純白の居住許可証』『漆黒の閲覧許可証』と、以上の五つである。

 この『許可証』は個人に交付されるものであり、生涯有効である。他人に貸与・譲渡は不可能であり、『許可証』に対する制限は都市間憲章により禁じられている。


「当然ほしいさ」

「お金では解決できないほどですか?」

「さて、どうだかな」

 昨夜も思ったけど、カノンの論理的思考には感心する。いつの間にかに、主導権を握られてしまった。

 とはいえ、そうそういいようにさせるわけにもいかない。


「ここでアレコレ条件を付けても、優勝した段階で反故する事は出来るだろ? そう考えれば、ここでの口約束に拘束力はないね」

 それにはカディが答えた。

「いえ、賞金であれば出来るわよ。優勝した時の口座指定で割り振りも決められるわ。それに一旦登録すると対象者全員の了承がないと変更不可だから。死んだ時は別だけどね」

「つまり、賞金は予め折半可能だけど、もったいなくなったらゲーム終了時に殺せば総取りも可能ってことだ」

「ま、そうね」

 オレとカディとの間には不信がわだかまっている。

 当たり前だが、ゲームプレイヤーは潜在的な敵である。状況によっては、カノンの姉であっても殺さざるを得ない状況もある。

 そして、オレにはその覚悟がある。


 優勝しなければ、あの・・『許可証』が手に入らない。


 そのとき、カノンが手を二度打った。

「わかりました。この話は明日に持ち越しましょう」

「カノン、オレは共闘を考えていないよ」

 そう伝えると、カノンは悲しげにオレを見た。

「お兄ちゃんは、こうして一緒にお肉を食べた私のお姉ちゃんを殺したりして何とも思わないのですか? それとも、お肉は美味しく無かったのですか?」


 痛いところを突いてくるな。だが、答えようもない。出来るのは沈黙を守るだけだ。


「お兄ちゃんにとって、一番大切な事ってなんですか?」

「言う必要はないよ」

 カノンが何か言おうとしたが、カディがそれを制した。


「いいわ、なら聞かない。でもね、特に私が損しない事ならお肉をご馳走になった分、手伝うわよ。無料でね」

「私も手伝います!」

「気持ちは受け取るよ」

 オレの態度に落胆したようだ。

 だけど、オレ自身の事に二人を巻き込みたくない。


「お兄ちゃんも強情です。本当に交渉の余地はないのですか? 例えばお姉ちゃんを好きに出来るとか」

「なっ!? 何を言うのよ!」

「お姉ちゃんも、そっちの方では覚悟はないわけですね」

「あ、あるわよ! 勝つためなら、『許可証』を手に入れるためなら、なんだってする。どれだけ汚れたって構わない」

 突如としてカディの碧眼に紅い焔が灯る。

「アルス! もし私を勝たせてくれるなら、賞金は全部差し出すわ。今日から毎晩、私を好きにしてくれて構わない! そのかわり、私を勝たせなさい!」


 凄まじい気迫だ。

 生半可な回答をすれば、この場でオレを殺しかねない。


「お姉ちゃんは自分の処女を差し出すなんて、その覚悟は本物です」

 こっちの娘っコも、どれだけ本気なのだろうか。

 分かって言っているのだろうが、それにしてもオレを見つめるその視線は無邪気そのものだ。


「どうなの、アルス? 貴方は私を抱いて私を勝たせる覚悟はあるかしら?」

「ない―」

「お姉ちゃん! 女の子がそんなに身体で迫ったらはしたないよ。こんなにお腹を大きくした状態だとムードもないし。もう妊婦状態です」

 カディは指摘されて、茹でタコの様に顔を赤くして、下を向いた。

「さ、珈琲も飲み終わったし、そろそろ出ませんか?」

 カノンは人に伺いを立てているように言うが、すでに立ち上がっていた。

 カディもディパックを持って立ち上がる。


 オレも立ち上がるが、頭の中はさっきの会話でいっぱいだ。

 もちろん、カディの身体を好きに出来る事じゃない。そんな事をすれば、後でセレナに半殺しでは済まないレベルでヤられるだろう。

 オレが考えているのはカノンの事だ。

 誤解を招かないように言えば、別にカディを好きにしたいわけではない。そうしたい気持ちが全くないわけではないが……いや、全くない!

 オレが考えているのは、カノンがいつの間にかにカディを共闘方向に誘導していた事だ。恐らく、カディは気がついていない。

 そして、オレが断ろうとすると、いきなり会話を打ち切ってきた。

 これも偶然じゃない。

 オレは初めてカノンに対して警戒心を抱いていた。


 店を出たのは七時過ぎであったが、五月の空はまだ明るい。これが社会人なら、もう一軒ハシゴしようとかなるかもしれないが、金のない高校生は家路につくだけである。



「アルス、私も正直に言えば共闘を望むわ。でも、賞品については考え直して欲しい」

「それは少しムシのいい話じゃないかい?」

「分かってるわ。でも、どうしても私達の都市には必要なの。上位都市による天上連合に船団都市同盟の通商機構を潰され、幹事都市だったアレキサンドリアは貧困の極みにある。何がなんでもアレを持ち帰らなければならない」

「アレって、青いヤツの事?」

「そうよ、私が、私達がたとえ身体と命を差し出しても欲しいもの。それは『群青の通商許可証』。これと優勝賞金を使って持ち帰るの」

「持ち帰るって何を?」

「牛よ。種牛を持ち帰るの」

「なるほどね」

 ラーノスや土壌を持つ都市では家畜の生産はそれこそ国家事業であり、輸出の最重要品目である。

 対して船上都市にとっては最も高額かつ、政治的に立場を弱めてしまっている案件だ。


「二百年以上も前だけど、かつてラーノスやシュリアスのシグリヴァ達によって、私達の牛は皆殺しにされた。それから牛肉攻めで、私達からなけなしの金品を絞りとり続けた。別にアルスから取り返そうと思っているわけじゃないわ。でも、私に出来る数少ない都市再興の手段なの」

「首尾よく優勝して、種牛も購入できて、でもラーノスを出た瞬間に襲われて全頭殺されるかもしれない。いや、手っ取り早く船ごと落とされるかもしれない」

 嫌な話だが、オレがラーノスの支配者なら間違いなくそうする。


「その可能性は高いわね。いえ、必ず襲われるわ。それでも挑まなければ、アレキサンドリアは永遠に経済的奴隷から抜け出せない」

「それは賽の河原で石を積もうとするものだよ」

「そうね。鬼が来て積み上げた石を全部倒されるかもしれない。それでも、積める石があるのなら、私は何度でも積んでやる!」




 ■アルス:五月九日、〇八:〇六



 明けて次の日、五月九日。

 オレたちは修理したジャンク品を売りに出掛けた。

 調査の結果、隣街の地下街で日曜市が朝から開催されていて、そこに潜りこませてもらった。


「うわぁ、すっごい賑わい!」

 カノンが感嘆するが、気持ちはオレも同じである。バイクで二十分ほどの近い場所で、こういったお祭りイベントが毎週開催されているとは知らなかった。

 日曜市は、食べ物から雑貨、家電、骨董品まで、なんでも持ち寄って自由に販売出来る楽市だ。税金もかからず、参加料を払うだけである。

 オレたちは当日参加なので、ダメ元で実行委員会に連絡してみた。運の良い事に法事で来れなくなった店主がいて、場所が空いたのでタダで使わせてもらえた。

 実行委員会からすれば、場所が空くよりは何処かの店を入れた方が良いらしい。



 さて、修理したオーディオ機器を中心に、大小五十品目が並ぶ我が市というと、

「こちらの型落ちスピーカーは発売時希望小売価格千二百カルマンが、なんと中古価格二百九十カルマン! 動作はこのカノンが保証! お買い得ですよ!」

「こちらのオフィスチェアは、上級職用の高級品! 少し使い込んでいるけど、そこがイイ! 安心安定不動の逸品! 価格は運賃出せないから二百カルマンでいいわよ!」

 美少女姉妹がスピーカーで宣伝すると、オジサン達がワラワラと寄ってきた。

 コレは期待大か?


「オゥ、姉ちゃんナンボだ?」

「このスピーカーセット? オジサンだったら、まけても良いわよ」

「ちゃうちゃう、お姉ちゃんがだ」

「………………」

 暫しの沈黙。

 バキッ! ドカッ!

「殴るわよ!」

「も、もう殴られてる!」

「うるさい! いつからここは売春市になったんだ!」

「いや、てっきりそこのスピーカーは見せ商品で、姉ちゃんが身体を売ってるとばかり……」

「死ね! というか私が殺してやる! こっちはお金が無くてピーピーしている上に、朝を食べ損なってお腹はグーグーしているんだ! 気が立っている私は怖いぞ!」


 スピーカーで立て板に水とばかりにがなるカディの声に、辺りからは爆笑が湧いた。


「まあまあ、落ち着けってカディ。オッちゃん達も場を盛り上げるためのパーティジョークだよ、ね?」

「お、おおう」

 ……本気だったのか。

「フンッ、そうだとしても品が無い!」


 すると、対面のパンを販売している屋台のお母さんがチーズフランスパンを持ってきた。

「ふふ、あんまりにも若くて可愛い女の子が売りにきたから、この人達も舞い上がったのよ。許してあげて。ハイ、朝ごはんの代わりにコレを食べて」

 差し出されたチーズフランスパンはまだ温かくチーズの香りが漂い、カディの口元は我知らず緩んだ。

「あ、ありがとうございます。あ、お金は……」

 財布を出そうとするカディを、お母さんは笑って制した。

「いいのよ、このオヤジ共にまとめて買わせるから」

「そっか、じゃあ問題ないわね」

 カディは渡されたパンにかぶりつく。

「とても美味しい……焼きたてのパンなんて十年ぶりです。ありがとう、これでまた闘えるわ!」

「ふふ、どういたしまして。さ、そちらの恋人とお嬢さんもどうぞ」

「ありがとうございます」

「ありがと、お姉さん!」

 カノンも受け取ると、早速かじる。

「恋人って、アルスは別にそんなんじゃないわよ」

 カディは妙に身体をくねらせていた。

「そうですよ。お兄ちゃんは私が予約済みなのでお姉ちゃんの恋人にはなれません」

 オレに流し目を送ってくるカノンの頭をそっと撫でると、今度はオレの頭がカディに掴まれた。

 若いお母さんはそんなオレ達を見ながらニッコリ笑い、そしてオヤジ共の肩に腕を回した。

「さて、アンタ達はウチで朝食を済まさない?」


 そんなコントが効いたのか、のんびりパンを齧ってるヒマもなく、お客は次々に来てくれた。

「ラグジュアリーが好き! 分かります! やっぱりライフスタイルは自分の演出として大切です! オジ様にはこのチェアにクリスタルの灰皿があると、一層魅力的ですよ!」

 カディはさりげなくついで買いを進める。


「二つあって無駄じゃないかという方は多いと思います。でも、それは違います! 一つとして同じものなんて、この世にはありません! 買った日、売った人、今日という一期一会の出会い。全てが、今日だけの時間と運命が産み出したただ一つのアイテム。まして、このカノンのサインが入った瞬間湯沸かし器は世界で一つです! お家に持ち帰れば、コレを見るたびに私の笑顔もずっと思い出せます!」

 カノンはなぜそんなにも、自分を前面にだすのか? そのプライオリティーは謎だ。


 オレはというと、販売は逞しい姉妹に任せ、オレは後ろでひたすら修理に勤しんでいた。

 朝から大活躍のスピーカーセットは早々に購入され、その後はオーディオにマイクをセットして客寄せをしていたが、そのオーディオも売れた。


 夕方五時、地下街に夕焼け小焼けが流れ、日曜市は終了した。

 最後まで売れ残っていた多目的体重計は、パン屋のお母さんに差し上げた。

 代わりにお母さんは売れ残ったクリームパンを袋に入れてくれた。


「よし、リアカーの固定は終了だ。二人とも乗っていいよ」

 片付けも終わり、オレはブルフリッツにリアカーを括り付けると、二人をリアカーに乗せて出発する。


「今日はいっぱい売れて良かったね!」

 カノンはご満悦である。

「ええ、私がチョット本気出せばヨユーよ!」

 カディは勝ち誇るが、カノンは早速茶々を入れる。

「そうかなぁ~、いきなりオジサンをぶっ飛ばした時はどうなるかと思ったよ」

「機械と違って、多少ぶっ壊れても治せるから許されるのよ」

「それもそっか」


 二人の会話を聞きながら地下街を流すのも楽しいものだ。

 オレもセレナも海が好きだから、必然的に天空海沿いに走る事になる。

 でも、雑多だけど活気があって生活感の溢れる地下街を走るのも乙である。

 すると、後ろからカディに呼ばれた。


「アルス、今日は楽しかったわ、ありがとう。今晩はホテルにありつけそうよ」

「別にウチを使ってくれても構わないけどね」

「これだけお金があるなら問題ないわ。あ、ちゃんと貴方の分も渡すわよ」

「いいさ、それは二人で使ってよ。それと、オレも楽しかった。五分に一回のペースで事件を起こすカディとカノンは、間違いなく今日のMVPだよ」

 道の悪い地下街の段差でリアカーが大きく跳ねる。

 カディとカノンはお互いを掴み合い、顔を見合わせて、また笑う。

 その時、トンネルを抜けて地上に出た。


「うわぁ~!」

 カノンが感嘆の声を上げた地上の空は、鮮やかな夕暮れ色。

 空は茜色から藍色の美しいグラデーションで彩られ、オレたちの心を奪い去る。


 ゆっくりと愛機を走らせるオレの後ろに、リアカーに乗るカディとカノン。

 夕暮れの景色の中、オレたちは暫し風を感じていた。


「お兄ちゃん」

「なんだい?」

「また、こんな穏やかな気持ちで、一緒に走りたいね」

「走れるよ、何度でもね」

「そうかな……明日の夜には、またゲームが始まって、お姉ちゃんとも闘うんでしょ?」


 風は流れる。

 言葉と思いを乗せて。

 オレは止めるべきなのか、この風と一抹の淋しさを。

 どんな道であっても、オレは今の気持ちを大事にしたい。


「そんなことないよ。オレはカディとの共闘を選ぶよ」

「ホントに!?」

「ウソなんかいわないよ、カノン………そうだろ、カディ?」


 バックミラーを除けば、カノンはニッコリ笑い、カディは何処か恥ずかしげに微笑んでいる。


 今日の風は、とても気持ちいいな。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ