第五話「殺人鬼は真っ白いまま」
■三ヶ月ほど前の二月中旬
朝の教室における、アーリアとの会話であった。
「何、私の足をジッと見て。ひょっとして欲情したの?」
「今のアーリアの脚じゃあり得ないよ」
バキッ!
「それで? ちなみに、それ以上みたらお金取るわよ」
「イテテ、違う! 間違えるな! ダメなのは今であって、未来は別だ!」
「誰が私の脚の評価をしろっていったの!」
「え?」
「不思議そうな顔をするな!」
「いや、オレはアーリアの脚を見て、もったいないなーって、思っただけだよ」
「ふーん。じゃあ、可能性はあるわけだ」
「かなり有望だ。アーリアは身長が高くて脚も長い。ただ、日々の食事量と運動量が足りてないので、肉感が無いのが欠点だ」
「食べたらすぐに肉がついて、アルス好みの細い脚にならないじゃない」
「だから運動をして絞るのさ。確かにアーリアの細い脚は今でも美しい。けど、それは人形のような美しさだ」
「それだとダメなのかしら?」
「オレたちは生きている人間だよ。なら、生命力に満ち溢れた脚を見せつけるようにしないといけないのさ」
「ふーん。じゃあさ、もし私の脚がアルスの目に適うようなら、毎日ケアしてくれる?」
「当然だろ! 実はオレ、アロマの調合もしていて、アルス式美脚マッサージとセットで美脚スタジオをプロデュースしようと考えているんだ。アーリアも協力してくれるなら、オレが毎日アロマオイルを塗ってマッサージして、丹精込めて育て上げたその脚をモデルに―――」
ウンタラカンタラと、長くなるので以下略。
で、十分後。
「―――というわけで、オレは美脚と共に生きる覚悟は出来ている。その時は美脚アーティストとして、一緒にやろう!」
「考えとくわ。それと教室、ドン引きだけどね」
「ねぇ、アーリア」
「何、マチコ?」
「さっきから気になっているけど、顔が赤いのはどうして(くすっ)?」
バキッ!
「な、なんでよ! そんな訳無いでしょ!」
「いや、何でオレが殴られるんだよ」
「何でかしらね、アルス?」
ポン。
「来てたんだ、セレナ。おはよう、今日はバイクじゃないのかい?」
「おはよう、アルス。今日は自転車よ。セッティングを変えようとしたらブルブリッツの機嫌を損ねてね。もっとも、今の私ほどじゃあ……ないけどね」
「えっと、肩に置かれた手が重い、痛い、痛い! なんかあった?」
「教室中に聞こえるほどのでっかい声でプロポーズしている男がいるのでね」
「え、誰が? って、痛い、肩の、その手!」
「アルスのことよ。分からなかった?」
「はぁ!? 何いってんだか、ワケがわからないよ」
その隣りで、何故か勝ち誇ったかのように笑うアーリア。
「うふ、おはよう、セレナ。私、将来アルスと美脚スタジオを経営するから、セレナもモデルとして雇ってあげるね」
ブチッ!
「オラァ!」
「うわっ、セレナ!? ほ、本気の蹴り? キミの脚はそんな事するためじゃないだろ!」「黙りなさい! アルスの望み通り、美脚で死ね!」
「落ち着けって! こういう時は素数を数えろ。イチ、ニイ、サン」
「お前は残り時間を秒読みしろ! サン、ニイ、イチ、ゼロ!」
グシャァッ!
そして、三日後の日曜日早朝。
オレとセレナは伊豆市にある早咲きの河津桜を見るために、朝五時起きでツーリングに出かけた。オレが桜好きと知り、セレナが誘ってくれたのだ。
三日前にはあんなに怒っていたけど、やっぱりセレナは優しい。
それを言ったら怒っているんだかなんだか判らない顔をされて、こう言われた。
「やっぱりアルスは女心を理解していない」
河津桜は二月上旬から咲きはじめる。
伊豆までバイクで三時間程だ。途中の道の駅で朝食を食べつつ、気持ちよく流そうというプランだ。
ブルブリッツはセレナが使うので、オレはロッソフォアである。このバイクも夏休みにセレナと組み立てたものだ。
セレナといつもの『港の見える丘公園』で待ち合わせをした時だった。
「見てみ、セレナ」
「なに?」
オレが指差す方には、長い髪を束ねてジャージ姿でジョギングするアーリアがいた。
「こんなに朝早いのに、感心なものだな」
「…………」
「アーリアは常々『マラソンするくらいなら脚をへし折ってでも休む』とか何とか言っていたけど、人目のつかない所でちゃんと努力していたんだな。いや、アーリアの脚を折るなんて、人類の未来の可能性を放擲するに等しい暴挙だけど」
アーリアはオレ達の視線に気づかず走りぬけ、公園へ消えていく。
「行くわよ、アルス」
いうと、セレナはブルブリッツを急発進させた。
「あ、ちょっと待て、速いって!」
■アルス:五月八日、〇三:一七
あの場から離脱したオレはカノンを拾い、バイクでひとまず距離をとる。
「お兄ちゃん、アレが有名な白い画面に白い服の殺人鬼、スヴァーヴァだね。噂通りすぎて、スグにわかったよ」
「ああ、もっとも白い服じゃなくて、白いマントだったようだけど」
“スヴァーヴァ”。
その存在は、数千年前から語り継がれる都市伝説。
白い仮面に白い服、或いはマントという、夜でも非常に目立つ姿。
伝説というには目撃情報が多く、記録映像に撮影された事もある。
退治された事例も存在する事から、自分の正体を隠すために、有名な殺人鬼に扮しているといわれている。
ただ、共通するのは凶悪な殺人鬼であるという点だ。
この白衣面の殺人鬼は、常にその白き身を血飛沫で彩る。
「君子危うきに近寄らずだ。取り敢えずは距離をとり、様子見に徹する」
「お兄ちゃん、何処に向かってるの?」
「旧晴海エリアの端だよ。オレは夜明けまで旧晴海からは出られないから、外縁付近まで送る。とにかく、ここから離れれば誰も追ってこない」
このゲームは午後十一時から夜明けまでと時間制限があり、ゲームエリアも旧晴海と限定されている。ゲーム時間中にエリア外に出れば即失格である。
逆に言えば、敗北必至であった場合、エリア外に出れば命は助かるルールだ。
走っていると、すぐに旧晴海最大のショッピングモール『ルルポート晴海』が見える。
大陸都市屈指の巨大ショッピングモールであったが、現在は再開発に伴う取り壊しが始まっている。
道は暗くて分かりにくかったが、ルルポート晴海は大きくて遠くからも見えるので、方向はあっている。
「お兄ちゃんの目には暗視機能は付いてないの?」
「《眼術機》関連どころか、基本的にシグルーンは持ってないよ」
「さっきの桜とかスゴかったのに」
「あれも、何で出来たか自分でも謎なんだよなぁ……あ」
バックミラーを見ると、オレが心許ない事を言ってしまったために、カノンの表情が曇っていた。
「いや、大丈夫だ。オレには魔剣『心炎』もあるし、何よりオレが最強と信じる流派、響派九月流もある」
「………………」
「はは、ホラ、もう出口――」
それは唐突に起きた。
何の前触れも、気配も殺気も無く、白き影が舞い降りつつ、その剛剣を振りおろした!
「《硬気功》ォ!」
ほとんど無意識で車体を左に倒したが、斬撃はオレの頬を斬りつつ、右肩を切断寸前まで斬り、アスファルトを粉砕した。
ドガッ!
「お兄ちゃんッ、左斜め!」
カノンが叫ぶ方向を見ると、ショッピングモールの入口が取り壊し中で開いたままだった。
激痛はペインブロックで誤魔化し、右腕が千切れかけていたのでアクセルを手で回す代わりに、脳内アプリでブルブリッツを加速させてルルポート晴海に突っ込んだ。
「ハァハァ……」
エントランスを抜けると、右側には廃材が多かったので左側のフードエリア方向にバイクを走らせる。ライトだけでは散らかっている店内は走りにくい。
「お兄ちゃん、腕……」
「ああ…悪いけど、右腕を傷口にくっつけといてくれないか。直りが早くなるから」
ペインブロックは痛みを消してくれるが、気分の悪さだけはどうしようもない。
幸いにして、傷口は早くも修復が開始され、もう少しで支えられなくても右腕は接合されるだろう。
「《硬気功》で防がなかったら腕が取られていた。にしても、あの白仮面、バイクで走ってきたオレ達に追いつくなんて、異様に脚が速いな」
「こっちは道沿いに進んだから、ショートカットできる徒歩ルートの方が早かったのかな」
「それでも異常だ。空でも飛んだのか……って、フワフワ浮いてはいたか」
「でも、どんなテクノロジーで飛んでいたのかな? 反重力エンジン搭載型とか」
「ナイナイ。そもそも、反重力エンジンは数千年前に技術が喪われている遺失技術だ」
ただカノンの指摘は正しい。どうやってあの白い殺人鬼は先回りをしているのだろうか。
その時だった。
屋内の照明が、非常用で薄暗くはあったが点いたのだ。
「な、灯りが点いたってことは……」
「お兄ちゃん、ひょっとしてだけど、私達、エサ箱に飛び込んじゃったかも。そもそも、入口付近で待ち伏せして、バイクがスピードを保ったまま飛び込める場所に建物の入口があったのは偶然じゃない気がする」
「オレも同じ気がするよ」
ガラガラガシャンッ!
「今の音、ひょっとして入口のシャッターが降りたんじゃ…」
「まあ、後でゆっくりとスイッチを探そう……あの、二階にいる白いヤツを斃した後に」
斜め上に視線を向ければ、器用にも手すりの上に仁王立ちする白いマントに白い仮面の殺人鬼が、右手に分厚い太刀を無造作に垂らしつつ見下ろしていた。
スヴァーヴァはゆっくりと身体を倒すと、重力に引かれるまま1Fに落下する。
オレはバイクを走らせ、フードエリアに入った。
「く、やっぱり行き止まりかっ。こっちの出入口もしっかりと塞がれている!」
後方からは白いマントをなびかせてスヴァーヴァが迫る。
オレは右のエスカレータを見ると、意を決しバイクを右に向けた。
「お兄ちゃん、ひょっとしてだけど……」
「ああ、一丁、ロデムに挑戦だッ」
ブルブリッツのアクセルを全開にし、エスカレータを駆け上がる。
「きゃぁああああッ!」
カノンの悲鳴とスヴァーヴァを置き去りにして、バイクは激しく揺れながら疾走し、一度ターンして二階フロアに辿り着いた。
「大丈夫か?」
「な、なんとか……でも、おかげで出口から遠くなったんじゃ…」
「さっきから思ったんだけど、カノンは頭が回るな」
「一応デイトレードで一万カルマン(約百万円)稼いで、自力でラーノスに来たけど」
「い、一万カルマン!? ……すげぇな、新車が買える――ッ!」
今度は油断しなかった。
右側のカジュアルウェアショップのウィンドウの向こう側で、厚重ねの剛刀を尻につくほど振りかぶる白い姿を捉えた。
ガシャンッ!
スヴァーヴァはウィンドウを破壊しつつ、全力の大上段による斬撃を繰り出す。
「フローティングターン!」
オレはバイクをウィリーさせ、そのまま一八〇度ターンさせ、スヴァーヴァの斬撃を回避。斬撃は床に大穴をあける。
「なんつー威力だ。剣で受けても、確実に砕かれて殺られ…るッ!?」
それは目を疑いたくなる光景であった。
スヴァーヴァは剣を振り下ろした姿勢のまま、霧が散るが如く、その姿を消した。
「消えた!? 何処に?」
「お兄ちゃん!」
カノンが右の人差し指を向けた前方に、塵が集まるかのようにスヴァーヴァが宙に姿を出現させる。
「しゅ、瞬間移動ッ!? そんなバカな!?」
オレの虚を突き、スヴァーヴァは剣を振りかぶりつつ、オレに向かって斜めに降下する。
今度こそマズイ! 『心炎』を抜く暇がない!
オレはとっさに右手から短刀サイズの錬成刀を生み出し、投擲するのがやっとだった。
投擲した錬成刀は正確にスヴァーヴァの顔面へ飛ぶが、それが突き刺さる寸前に、再びスヴァーヴァは霧の如く消えた。
と、思った瞬間!
「後ろ!?」
左に振り向けば、白き殺人鬼は背後に出現し、一足一刀を超えた必殺の間合いで大上段に構えていた。
(殺られた!)
もはや、回避も防御も受け付けない死地であった。
カノンがいなければ百に一つ、回避が出来たかもしれない。
しかし、オレにカノンを見捨てられない。
「価値は、新しく作ればいいよ」
その一言をくれた、誰よりも眩しい存在を、オレは命に代えても守りたい。
それは、偽りなき本当の気持ちだった。
だから、身体が反応できないこの斬撃時間において、最後までオレにだけ当たるようにと祈る事が、最後にオレが出来ることだった。
尻まで振りかぶられ繰り出された斬撃は、オレとカノンとブルブリッツを間違いなく両断できる軌跡で迫り、覚悟を決めたその時!
あとゼロコンマ一秒というタイミングで、右斜め上の三階から飛び込んできた何かに、スヴァーヴァは蹴り飛ばされた。
スヴァーヴァは派手に吹っ飛び、ウィンドウを突き破りつつブティックの中に転がった。
「危ないトコだったわね、二人とも」
「あ、キミは……」
「お姉ちゃん!」
そこには、カノンの姉であるカディ・ケースが、五千人に一人くらいの見事な褐色の脚を魅せつつ、長い髪を手で払いながら立っていた。
「無事だった? カノン」
「ありがとう、お姉ちゃん! でも、なんでこんな処に?」
「そのとおりだ。キミがここにいるって事は、キミも――」
「そうよ、私もこのゲームの出場者ってワケ。意外だった?」
「別に。スヴァーヴァに追い掛け回されている状況で、驚きの許容量がすでにマックス状態さ。ただ、ハッキリとさせなきゃいけないのは、キミとオレは敵同士ってことだ」
「ま、そうね。貴方がさっきガヴァビスから獲ったチェスメキアを、いただこうかしら」
「そうしてあげたい気持ちは嘘じゃなく本当にあるけど、それは出来ないね」
「ま、実力でいただくから、問題ないわ」
「ちょ、ちょっと待って!」
そこでカノンが慌てて間に入る。
「お姉ちゃん、いきなり飛び出してきて何をいうの! お兄ちゃんは私を守ってくれてたんだよ!」
「わかってるわよ。でもね」
パァンッ!
カディは厳しい表情でカノンの頬を容赦なく叩いた。
「こんな危ない所に来ている貴女に対しても怒っているわ」
「ご、ごめんなさい、おねえちゃん………」
叩かれた頬を押さえながらもカノンは素直に謝り、カディは表情を緩める。
「だからこれ以上カノンを危険な目にあわせたくないから、急いで追いかけてきたのよ。さ、バイクから降りて、こっちにきなさい」
「分かりました。でも、いやです」
カノンはプイッと顔を背けると、オレを見上げる。
「さ、ここは危険です。早く移動しましょう」
「それもそうだね。ここは勇ましいキミの姉に任せよう」
オレはためらうことなくアクセルを吹かし、ブルブリッツを走らせる。
「どっちに向かうの?」
「瞬間移動が使える相手に、どっちもこっちもないけど、とりあえずこの場から離れたい」
「ちょっと、ちょっと!」
そんな会話をするオレ達の後ろから、あわててカディが追いかけてきた。
「貴方達、何気にヒドいわね。助けに来てあげた私をほっぽっていくなんて」
「そうだった。お礼をまだ言っていなかった。どうもありがとう。それじゃ」
「お姉ちゃんありがとう。それじゃ」
「ちょっと!」
オレとカノンが多少おざなりでもお礼を言って去ろうとしたが、カディはありったけの力でオレの右肩を掴む。
「い、い、痛い。さっきまで切断寸前だった肩で、まだ完治していないんだ! 触るな」
「なら、黙って乗せなさい」
「まあ、半分冗談だ。だけど、この場は離れよう」
「同感ね」
オレの右肩は、カディの治癒によって一瞬で修復されていた。
カディが無理矢理リアシートに座ろうとすると、早速、文句が出た。
「カノン、このリュック邪魔だから捨てていい?」
「お姉ちゃん、このバイク二人乗りなんで、降りてくれませんか」
「ハイハイ、ケンカしない」
カディがシートに座るのを確認すると、オレはエスカレータへブルブリッツを走らせる。
「とりあえず、出口を探して……」
「お兄ちゃん、進むなら三階にいくべきだよ」
「何故だ、より出口から遠くなるぞ」
「相手はお兄ちゃんにそう言わせたいの。だから、絶対に出口で待ち伏せしている」
「む……」
返す言葉も無い。まさにその通りだ。
「しかし、相手は何処にでも出現できる。あの瞬間移動はやっかいだ」
「おにいちゃん、あの瞬間移動だけど、どんなテクノロジーが使われているの?」
「え…っと、それは、だ」
言われてみれば、あの瞬間移動を理論的に説明できない。確かに、数千年前に世界を統一した神帝は瞬間移動の技術を完成させたという伝説はあるが、この現代においては聞いた記憶が無い。
「でも、目の前に『現れ』たり、後ろに『移動し』たりは事実だ」
「目の前に『見え』たり、後ろに『見え』たり、というのが正確な表現です」
「どういう意味だい?」
ブルブリッツは激しく揺れつつも、カノンの指示通り、三階に上がる。
「一旦、バイクを止めてください」
「でも――」
「落ち着いて考えてみると、あのスヴァーヴァにはいくつもおかしい点があります」
「それは分かっているけど……」
「いえ、何がおかしいか、それをまずハッキリさせるのが、勝利への第一歩です」
「う……」
十二歳の女の子に指摘され、十六歳のオレは色んな意味で動揺してしまう。
これでも高等教育を受けているのだが、明らかにこの少女の方が賢い。
それにいつもの間にか、カノンの口調がいつもの舌足らずなものではなく、人に物を教えるものになっていた。
「思い返してみて、あのスヴァーヴァを最初に見たときから不審でした。まず、どうやって浮いているのか。次にここの入口で奇襲を受けた時も、どうやって回り込んだのか。私は一連の流れをパッドに書いてみました」
カノンはリュックから電子パッドを出すと、素早く箇条書きにしていく。
①頭上に浮かぶ
②ルルポート晴海の入口で待ち伏せて攻撃してくる
③二階から見下ろし、一階に落下してくる
④二階で奇襲され、姿を消す
⑤前方上空に現れ、すぐに姿を消す
⑥後ろに現れ、攻撃される
「こうして見ると、役割みたいなものが見えませんか」
カノンから電子パッドを見せられ、オレも漠然と感じていた疑問が少しずつ解けてきた。
「ああ、①③⑤は単にこちらを見ているか姿を見せるパターンと、②④⑥攻撃してくるパターンの二通りだ」
「はい、恐らくそれがあのスヴァーヴァの謎を解明するための道筋」
幼い名探偵の説明で、オレも次の作戦を思いつきつつあった。
「カノン、データ解析は出来るかい?」
「それは、単なる解析ではなくて、悪い事の方ですか?」
「悪い事の方です」
「まあ、ショッピングセンタークラスであれば」
オレ達の会話についてこれていなかったカディは、少しイラついていた。
「さっきから、何、謎々しているのかしら。わかるように言ってほしいわ」
「カディ」
「な、なによ」
「分担作業をしようっていっているのさ」
「よくわからないけど、わかったわ。でも、面白いわね」
「何が?」
「だって、三日前に貴方を殺したスヴァーヴァを、何故か蘇った貴方が倒す。自分で自分の仇を討つなんて、そうそうないと思うわよ」
「………三日前、オレを殺したのは、あのスヴァーヴァか…………」
「そうよ。貴方の首をその手にぶら下げていたわ。すぐに握りつぶしたけど……そういえば、なんで生きているの?」
「それは後だ。カディはカノンと一緒に、オレの愛機と共に店の壁際にいてくれ」
「オッケー」
オレは左側の『火ノ國屋書店晴海店』にブルブリッツに乗りながら侵入すると、壁際で止める。
カノンはリアシートで、忙しく電子パッドを打ち始める。
「さて、セレナの愛機は壊されたくないので、壁際に置かせてください」
ここにいない書店の店員に伝えると、オレはブルブリッツから降りる。
もっとも、これからすることを考えれば、店の端にマシンを置く事など、断る必要もないだろう。
オレは魔剣『心炎』を構えると、勢いよく横に振るった。
ズバッ!
オレは手当たり次第、本棚を斬り、斬り口からはオレのナノマシンで変換された数千の桜の花びらが薄暗い店内を満たした。
「アルス、何をしているの!?」
「カディ、薄暗い店内に舞い散る桜って、なんか幻想的に見えない?」
「はぁ!?」
「やっぱり、舞い散る桜にはロマンがある。それは言葉に出来ない概念だ」
オレは柳生新陰流でいうところの『無形の位』、全身の力を抜いて手にした魔剣『心炎』も下に向けたまま、花びらの行く先を追う。
薄暗い桜舞い散る店内に、桜の狭間から白き殺人鬼が気配もなく突如として出現した。
スヴァーヴァはすでに剣を振りかぶっており、溜めることなく剣を振り下ろす。
「その瞬間移動の秘密も、様剣術の理由も、オレはすでに見抜いている」
『無形の位』は構えなき構え。
オレは無造作に魔剣『心炎』で斬り上げた。
斬ッ!
『心炎』はスヴァーヴァの両腕を下から切断し、剣を握ったままの両腕が宙を舞う。
「お前の、いや、お前達(‘)の正体は!」
「アルスッ、右上ッ!」
カディの叫びがオレの耳朶を打つ。
スヴァーヴァはオレの右上に出現し、上空から剛剣を振り下ろした!
しかし、オレは動かない。
「アルスッ!」
剛剣はオレを捉えるが、当たることなく、すり抜けた。
「えっ!?」
驚くカディに、冷静に見るカノン。
オレは唇を釣り上げる。
「二人一組ならぬ、三人未満一組による人形劇だ!」
左真横の何もないハズの暗闇に向かって『心炎』を振るい、確かな手ごたえと共に、大量の桜が舞う。
オレの左真横、暗闇から白いマントを羽織った白仮面が、胴体を切断され、崩れ落ちた。
「片方は遠距離操作された傀儡による待ち伏せ役。ただしこちらは二体。もう片方は誘導役で、宙に浮いたり突然出現するのは『幻術体』だからだ」
誘導役は行動範囲を限定させ、待ち伏せ役の場所まで誘導する。
待ち伏せ役は幻術で姿を隠し、近づいたところで全力の一撃必殺で対象を斃す。
遮蔽物の多い限定された空間であれば、効果は絶大だ。
「館内の照明を点けたのは、私達に幻術体を見せるためね」
「その通り。何より敵側も視界を確保するためだ。恐らく待ち伏せ役は傀儡の視覚から見ているが、幻術遣いは館内の監視カメラから見ている」
「でも、傀儡が二体だって、よく気がついたね」
「瞬間移動じゃないと分かった時点で気づいたさ。冷静に考えて、一体だけだと早すぎる。でなければ、幻術体に気を取られて二体目に殺られただろうね。種明かしすれば何てことないが、千年を超える都市伝説が先行しているせいで、なかなか気付きにくいけど」
「本棚を斬ったのは?」
「あれは桜の花びらを飛ばして、幻術体と傀儡の存在と場所を確認するためだ。幻術体であればすり抜けるし、幻術で隠れている傀儡付近にいけば花びらは消える」
幻術で隠れている傀儡付近だけ人型に桜が消えていたので、オレからすればバレバレだった。
「お兄ちゃん、監視カメラのハッキング先がわかったよ。直線距離で南西一二〇メートル」
「よくやった。すぐに追いかけるぞ」
その時、目の前で浮いていた幻術体が消え、両腕を斬り飛ばした傀儡其の一が身を翻して逃走した。
「逃すか!」
オレは『心炎』で脚力を引き上げて加速し、脚を斬りつけたが思ったより相手が早く、僅かに掠っただけで、桜の花びらも一枚しか飛ばなかった。
それだけであったが、大きな衝撃を受けたのはオレの方であった。
「この感触、まさか!?」
「アルス、後ろ!」
カディの叫びが無ければ危なかっただろう。
胴体を切断された傀儡その二が上半身だけで起き上がり、オレに剣を投擲する。
「破ッ!」
面積の小さい顔面を狙ってくれたお陰で、回避は楽だった。
僅かに顔を動かし飛来する剣を避けつつ、一気に間合いを詰めて傀儡の首を刎ねる。
首は切断面から桜の花びらを散らしつつ宙を飛び、カディ達の目の前に落下した。
「油断よ、アルス」
「あぁ、済まない、助かったよ」
オレは礼を言いつつ、ブルブリッツのそばにいる二人の元へ戻った。
「ふ~ん、これが伝説の殺人鬼の顔かぁ。仮面の下の素顔って、意外に若いのね」
「お姉ちゃん、この人はスヴァーヴァに変装した人形だよ。中身はただの死体だから」
「わかってるって」
「ホントかなぁ」
そんな二人のやり取りを聞きつつ、リノリウムに転がる首を『心炎』の切っ先でこちらに向けさせた。
「なっ!?」
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「殺人鬼はお知り合いだった?」
カディの軽口は、残念ながら洒落にはならなかった。
「タカユキ……オレの友達だ」
「えっ?」
「なんでタカユキがスヴァーヴァに?」
タカユキもだが、他にもオレの友達が行方不明になっている。
さっき逃げた傀儡といい、イヤな予感しかしない。
封鎖された入口は心炎で斬りつけ桜に変えると、オレたちは本体へ直進する。
「最初にキャッチしたポイントはここかい?」
「このビルの屋上にいたけど、さすがに移動したみたい」
オレは正面の十階建てビルを見上げる。
「このビルの電源は?」
「つい今さっき入った履歴があるよ」
カノンの電子パッドによる解析は異様に速い。オレも出来なくはないが、彼女の倍以上は時間が掛かる。
「オレ達がここに来るまでに掛かった時間は五分弱だ。乗り物を使っていれば他のプレイヤーに見つかる。とすれば、隠れながら徒歩で逃げている可能性が高い」
「今から見つけるよ」
「出来るのかい?」
「向こうもパッドを使ってこちらを見ていたから、そのパッドを探すの」
「ねえカノン、流石に相手も警戒して、電源は切ってるんじゃない?」
「うふふ、お姉ちゃん、なら電源を入れればいいだけだよ」
カノンがパッドにタッチすると、遠くから軽快なラッパの曲が流れる。
チャララ~ララ、チャラララララ~。
なんとも魂のレベルでラーメンを食べたくなる様なメロディーである。
「そう言えば腹が減ったな」
「そうね、もうすぐ夜明けだから、ゲーム時間も終了ね。今日は和食の気分だわ」
「お姉ちゃん、お兄ちゃんがさっきステーキをご馳走してくれるって言ってたよ」
「ホント!? ラーノス特産のA五等牛! ここに来て本当に良かったわ」
「お、おい、チョット待って。ご馳走するのはカノンだけであってカディには――」
「お姉ちゃん、霜降りって知ってる?」
「サシが入ったお肉でしょ、食べた事ないわ。さすがラーノスよね」
「……聞いてくれないし。人の気も知らないで」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
「ん? 何がだい?」
「お兄ちゃんには、私がついているから」
「なんでまた、いきなり」
「お兄ちゃんが私を守るために、命を懸けたことはちゃんと理解してるよってコト」
ミラーを見れば、飾り気のない満面の笑顔でオレに言葉をくれるカノンに、オレは照れてミラーから目を逸らした。
「別に、オレは……」
「照れない照れない。私もついてるよ」
「カディは取り憑いてるの間違いだろ」
「アハハ」
「マッタク……ツイてるんだか、ないんだか」
「あ、なんか上手い事言った気でいる人がいます」
「……もういいです」
命の遣り取りをした後であり、これからもする三人であったが、笑い声をシートに乗せて、ブルブリッツは音の鳴る鬼へ疾走する。
■五月八日、〇四:二四
音の鳴る方へ来てみれば、道端に壊された電子パッドが置いてあり、その側に車椅子に乗った老女と、隻腕の白き仮面の殺人鬼が立っていた。
「腕が一本だけ治っている」
カノンの呟きに、オレは頷く。
「ああ、どうやら修復したみたいだが、なんで右腕だけなんだ」
それにはカディがあっさりと答えた。
「修復ではなく移植よ。ただし細胞レベルのね」
「なにそれ?」
「私はナノマシンで対象の細胞を解析した上で増殖して修復するわ。ただ、あのおばあさんには修復能力はないようだけれど、自分の肉体をナノマシンで分解し、その細胞分だけ対象に移植する事で修復と同じ効果を得ているわね」
車椅子のおばあさんを見れば左腕と、膝掛けで分かりにくいが両足がなくなっている。
「確かに、あのおばあさんは昼間にカフェで刺繍をしていた。あのスヴァーヴァの右腕を修復するかわりに自分の左腕と両足を削ったわけか」
「そして、恐らくおばあさんの無くした部位は、もう自力修復はできないわね」
「どうしてだ?」
「シグリヴァの修復機能の一つの目安が外見年齢よ。基本的に老化は修復機能とリンクしているからね。自己増殖機能はほぼ皆無と思っていいわ」
「その通りです」
その温かみすら感じる声は、目の前のおばあさんのものだった。
穏やかな表情ではあったが、身体の部位を二割以上差し出して苦しそうではある。
「私の身体は今以上に良くなる事は無いでしょう。元々、シグリヴァとしては低いランクです」
「おばあさん、三日ぶりね。私の事、覚えてる?」
カディが当たり前の顔をして声をかけるが、顔見知りだろうか。
「ええ、当然よ、カディ。元気そうで何よりよ」
「本当にそう思っているのかしら? 貴方達の裏切りのお蔭で、私は危うく死に掛けたわ」
「『事後承諾』になってしまったことは、申し訳なく思っているわ」
「承諾した記憶はないけど、ひょっとしてボケたかしら? それとも世迷言?」
「世に迷っているという点では、その通りね」
子供をあしらうかのような老女に、カディは舌打ち寸前の顔で黙った。
話しぶりからすると、そこそこの知り合いのようだ。
ただ、現時点ではオレには興味のないことだ。
「一応、聞いておくけど、ゲームから降りる気はないか?」
「御座いません」
「何故? 雇い主に義理立てしているなら止めた方がいいですよ」
「義理立てなんて、そんな訳ありません」
オレの言葉に、おばあさんは鼻で笑った。
「なら、何で」
「私の家族が人質に取られているからです。敗北は認められても、ゲームを降りれば家族を殺すと」
ヤレヤレだと思う。聞かなきゃ良かった。とはいえ、オレの出方は既に確定している。「ならしょうがないね」
「しょうがありません」
「なら最後の質問だ」
「なんでしょうか? パートナーだった『スコール』の事は話せませんが」
幻術遣いは『スコール』さんというのか。
「興味ないからそっちはいいよ」
それを聞いたカディは、えっ、という顔をしていて面白い。素直なヤツだ。
おばあさんの方は、時間を追うごとに呼吸が苦しそうである。
「おばあさんの連れているスヴァーヴァの素体だが、それは何処でどうやって手に入れた? それと、オレを殺したのはそこのスヴァーヴァか?」
苦しげに息をする老女の口元が、微かに歪む。
何だ、この感じ?
さっきまで気品も感じたおばあさんから、何か妖怪じみた怖気を感じる。
「ふふ、なるほど。三日前、いや既に四日前でしたか。四日前の貴方とは別人なのですね」
「どういう事だ」
「ふふ、輝く刀身に狂気を写していた貴方も、戦場を忘れれば常人に戻れますか。それはそれでよろしいかと思います。あれ程の狂気を悪夢に変えることもなく忘却に捨て置けるなら、それはとても幸せな事です」
何が可笑しいのか、老女は笑い続けた。
が、それもピタリと止んだ。
「アルス、貴方はゲームから降りなさい。今なら戻れます。戦場の狂気に犯され、貴方が狂気の一部となる前に」
「折角のご提案だが、謝絶させてもらうよ。こちらも事情があるんでね」
「でしょうね。ただ、貴方には私と違って永い人生がある。私がそう言ったという事だけは、覚えておきなさい」
「敵なのに心配するのか」
「私は軍人ではなく、ただの刀剣吟味役。あまり儲からない鑑定士よ。それがあの時、どうしようもなく人を一人、『人鬼傀儡』を使って殺人をしたばかりに、私の人生は狂ってしまった」
突如として、老女は慚愧に堪えていた。感情を昂らせ、視線は遠い過去に。
時間にして数秒であったが、その数秒の間に老女の時間は半生を超え、オレの元へと戻ってきた。
「あの男を殺したことで、数千の人々が助かった。でも、私は助からなかった」
老女は今や一つだけとなった掌を見て、溜息をつく。
「直截的に殺したのは私の《人鬼傀儡》。でも、血で手が汚れたのは私。その時に私は気がついた」
老女はジロリとオレの眼を覗きこみ、オレは知らず息を呑み込んでいた。
「殺人とは、行為そのものを指すのではなく、自分の世界の中で『いなくなっていい』と、その存在を否定する事だと」
カディもカノンも、老女の気に呑まれていて、身じろぎ一つ出来なかった。
こんな時に襲われれば、間違いなくアウトだろう。
「ただ一つの殺人が、次の殺人を呼び込み、その連鎖は止めどなく続き、遂には家族を人質にされる処まできてしまった。そう、仮面のない、真正の殺人鬼に」
「もういいよ。最初の質問に答えて」
その声は、自分でも驚くほど冷え切っていた。
老女は疲れたように溜息を吐いた。
「答えましょう。今から四日前、貴方から二つの素体を頂きました」
「そんな事、あり得ない!」
「事実です。闘いに酔い、私がゲーム開始時に用意した六体の傀儡を全て破壊したのも貴方です。あの時、私達はあと一歩というところまで追い詰めましたが、貴方は新鮮な素体を提供する事を条件に、窮地を脱しました」
「ウソだ! さっき倒した傀儡はオレの友達だ。オレが友達を売るなど、世界が壊れてもあり得ない」
「なるほど、漸く理解しました」
「何をだ?」
「貴方の世界は、とうに壊れていたのですね」
「……時間稼ぎは十分だろ。決着をつけよう」
その言葉に、老女は淡々と呟く。
「そうでしたか。貴方の世界では、私はすでに殺されているのですね」
老女は顔を上げ、オレとカディとカノンを順番に見て、最後に姿勢を正した。
「アルス、それにお嬢さん達も、よく覚えておきなさい。一度も血飛沫を浴びたことのない、純白殺人鬼の末路を」
「幻術《求道、到ざれり》」
何処からともなく、いや、全方位から響く声と共に、視界は変動する。
「距離が、遠くなる……!?」
距離約10メートル程だった老女が、急激に遠くなり、周囲の景色が引き伸ばされる。
「お兄ちゃん!」
すぐそばに居たはずのカノンの声が遠い。視線を横に向ければ、カノンもカディも三十メートルも離されていた。
視線を切った間隙を縫い、スヴァーヴァが眼前に、それも急激に迫った。
振り下ろされる剣はかわしたが、返しの斬撃はかわしきれず、胸元を斬られる。
だが、スヴァーヴァの身体が開き、胴体がガラ空きだ。
すかさず右から横薙ぎの一撃を振るう。
「幻術《標榜、違う分岐》」
外しようもない距離でオレの一撃は空を斬り、オレは僅かに動揺しつつも距離をとる。
何故この間合いではずれたんだ?
「アルス、こっちから見たら、アルス自身が見当違いのとこに刀を振るっていたわ」
「………なるほどね、完全に視覚のコントロールを取られたな」
さっき老女が呼んでいた『幻術遣いのスコール』が遣う幻術の正体は、電磁パルスによる感覚奪取だ。
距離が遠くなったように見えたのは、遠近感を狂わされたため。
至近距離で外したのは方向感覚を狂わされたからだ。
どちらも厄介だが、一度見れば予測はたつ。
「カディ、幻術遣いのスコールを探せるかい?」
「さっきから探してるけどね、生体センサーもジャミングを受けているわ」
カディは顔をしかめながら答えているとこを見ると、脳内モニターは砂嵐が走っているのだろう。気分が悪そうだ。
「了解した。カディはカノンを守ってくれ」
「いえ、私がオフェンスよ」
「えっ!?」
「貴方は少しだけスヴァーヴァを抑えて」
「少しでいいのかい?」
聞かれたカディはニヤリと笑う。
「ええ、ほんの十秒ほど、ね」
カディは一歩前に出ると、右人差し指を舐め、空に向かって指を指す。
「風向きは後ろの海から吹く追い風。天は我に味方せり! シグルーン《ヴィーラ》!」
カディの身体から白い水蒸気のようなものが吹き上がり、それが風に乗って前方に広がる。よくわからないが、少なくともアレに触れたり吸ったりしたりは出来ない。
「風下に立ったウヌが不覚ね。おばあさんも、どっかに隠れているスコールも、まとめてやっつけるわ」
白い靄は前方を覆い、早くも老女に効果を発現させていた。
「コフッ……これは痺れ薬?」
「ふふ、一度吸えば、解毒は困難。毒の効果は修復や再生では阻害されない。これぞ闘わずして勝つ。私の信条に相応しいシグルーンよ」
「幻術《鏡像、其は偽神なり》」
再び囁くような声と共に、老女を中心にして不規則に鏡の壁が何十枚と現れ、周囲を迷路に換える。
「フィールド変換! アルス、気をつけて! 最高難易度のシグルーンよ!」
鏡の壁には自分が写り、反射を繰り返して何十人もの自分に囲まれる。自分の姿とはいえ地味にウザい。
カノンが鏡の壁に手を触れるとすり抜けた。
「お兄ちゃん、壁は幻術。壁は視覚を塞ぐだけで、身体はすり抜けるよ」
「その通りだ。結局、距離そのものは変わっていないし、カディの《ヴィーラ》も防げていない」
苦し紛れに視界を隠しただけか?
敵はどう出る?
オレを狙うか、カディを狙うか、カノンを人質にでもするか、殺すか?
狙いは九割方、カディだろう。
鏡壁があると、狙うタイミングが計れない。
だが、我が最強と信じる流派、響派九月流には視覚封じ対策の業がある。
「響派九月流《響鳴》!」
オレは『心炎』から闘気を発散させ、無行の位をとった。
オレにはこの構えなき構えが一番しっくりくる。
自然体でありながらも敵を待つこの姿勢。
嵐の前の静けさというか、祭が始まる前の一瞬の間隙というか、動と静の狭間が堪らなく好きだ。
さあ、来るといい。
殺戮の静寂に在る、オレの元へ。
其れは殺意の嵐ではなく、どこまでも無感動な白い人形だった。
隻腕の殺人鬼は鏡壁をすり抜け、カディではなく、オレに向かって大上段から大刀を振り下ろす。
「ありがとう、オレを狙ってくれて。そして観えていたよ」
『心炎』から闘気を発散させたのは、闘気を潜水艦のソナーのように全方位に放ち、障害物に当たり反射によって位置を判別した。
襲いかかる斬撃を躱すと同時に『響鳴』で位置を確認しつつ、右逆袈裟斬りを敢えて浅く放った。
白仮面は斜めに切れ、オレから見て右側の仮面が斜めに落ちた。
その仮面の下は、紅いルビーのような美しい瞳と、人形めいて整った白磁の顔。
「アーリア、その顔に似合わない大きさになった胴体は、あのばあさんに強化されてしまったせいだろう」
オレの大切な友達が、何の感情も映さないまま、オレを見つめていた。
スヴァーヴァは、いやアーリアは振り下ろした大刀でオレを突こうとするが、無造作に斬りとばす。
「キミはとても綺麗だったけど、肉感にとぼしく人形のようだった」
アーリアは諦めることなく、アスファルトを踏み砕くほどの勢いで右足を踏み込む。
狙いはオレの頭部への左ハイキック。
「今のように筋肉の固まりになっても、キミからは生命力を感じられない」
唸りを上げて、アーリアの左足が風を切る。
ガシィ!
「アーリア、オレはキミの脚を、こんな風に育てた記憶はないよ」
オレは右肘でハイキックをガードし、左の掌をアーリアの整った顔に当てる。
「さよならだ、アーリア。もし、あのばあさんが言うように、キミがこんな風になったのがオレの所為だったら、ゴメンね……じゃあね」
アーリアの頭部は、桜の花びらに換わり、夜風に散りゆく。
右腕に感じられていた蹴りからの圧力も消え、胴体はゆっくりと後ろに倒れた。
また、同じく鏡壁も消え、左斜め前にあった街路灯が消えて、かわりに一人の男が倒れた。オレは迷わず『心炎』を投擲し、狙い違わず頭部を貫く。
「勝負あり、ね」
遠くに見えていたカディとカノンの位置ももとの距離に戻り、オレは握った拳を右に突き出し、カディも左拳を突き出してぶつけあう。
下からはカノンがハイタッチを決めた。
「ああ、いいコンビネーションだった。面倒そうな幻術遣いのスコールも殺せたし、文句なしだ」
「そんなに簡単に殺すだなんて言ってはいけないわ」
老女は苦しげに息をしながらささやいた。
オレ達は警戒しつつも、老女のそばに寄る。
「大丈夫よ。私の《ヴィーラ》はすでに散っているわ」
カディがカノンを連れている時点で大丈夫だろう。
オレが老女を見下ろすと、閉じていた眼を開き、オレを見上げた。
「さっき、私は初めて殺した時の事を話したわね」
「ああ」
「ゲーム初日の第一ターンで初めて貴方を見た時、私はあの男を思い出した。貴方にその影を見た。でも、死んだはずの貴方が昨日の昼にカフェで再会した時、貴方は酷く傷ついていた。話しかけてみれば、とても素直で良い子だった。だから貴方が第一・第ニターンで見せた狂気は、ただゲームの色に染まっただけと分かった」
老女は咳き込んだが、言葉を続ける。
「選択一つで貴方が狂気に染まるというのは、私も先駆としてよく分かる。分かるだけに、悪夢から覚めた貴方を放ってはおけないわ」
「オレは、ゲームから降りない」
「困ったわね。なら、せめて隣にいる女の子達を守りなさい。きっと、良いことがあるわ」
オレがチラリと視線を向けると、カノンはニパッと笑い、カディとは互いに意味深な視線の遣り取りがあった。
「視線を交わすだけだと、本当の気持ちは伝わらないわ。アルスも言ってくれたでしょ。私と会話をしたら、元気になれたったって」
老女は微笑み、それは海から吹く優しい風に溶け込むように見えた。
「単純で流されやすいけれど、裏を返せばとても純粋で素直な貴方を、私は信じるわ」
「そういえば、おばあさんの名前を聞いていなかったね。オレの名前はアルス・ミカミ・フォーリナー、十六才の学生だ」
「そうだったかしら? 嫌だわ、本当に呆けたのかしら。私は…ッ!? アルス! 避けなさい!」
オレは思考するよりも早く後方に跳躍し、一瞬前までにいた場所に、白い髪をした一人の男が、一人だけ立っていた。
もうそこには、老女は何処にも居なかった。
まず右側の二人を確認する。
良かった。二人ともそこにいる。なんともないようだ。
そして、周囲に目を走らせる。
老女はどこにもいない。
車椅子もない。
まさか、この期に及んで幻術で消えたのだろうか。
改めて目を正面に向ければ、男はオレと同じくらいの身長をした男、いや少年か、年齢不詳の青年が物憂げにオレを見る。
「つかぬ事を伺うけど、さっきまでそこにいたおばあさんは何処に消えたが、ご存知で?」
前に立つ男は、少し首を傾げると、どこか面倒そうな気配を醸しだしながら答える。
「先程の老婆は何処にもいない。塵となって消えた。俺が消した」
白い髪に、赤い目。
白い素肌の顔は、仮面を付けたかのように無表情であり、それでいて捨て鉢になっているような稚気が見え隠れしていた。
「その顔、見覚えがある。昼間、あのカフェにいたよね。あの時は黒い髪に黒い目をしていたけど。で、おばあさんが塵になったというのは、どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。オレの『塵壊破』が、老婆を分子レベルで分解した。苦しむ間もなく、死んだ事にも気づかせない。この世で最も強く、最も慈悲深き導きこそ、この身に宿った“成仏への福音”だ」
わずかにオレの左瞼の上がひくついた。
「随分と勝手な事をいってくれるじゃないか。第一、あのおばあさんはオレの獲物だ。勝手に横から掻っ攫おうなんて、千年早い!」
オレは手にしている魔剣『心炎』に力を込める。
「勝手な事を言っているのはお前の方だ。俺は老婆など狙っていない。俺の獲物はお前だ。俺は涅槃より彷徨い出てきたお前に引導を渡しにきたのだよ」
「上等!」
別に老女の仇を討つつもりは毛頭ないが、せっかくだ。
存分に討ってやる。
「オレはアルスだ。名を聞かせろ!」
「俺の名はジン。ジン・アルビオンだ」




