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第二十三話「不変なるモノと、変換されし世界の住民」

■現在:五月十五日、〇一:二九




「シグルーン《滄海》」

 “滄海のオケアノス”の常勝パターンでもあるフィールド変換。

 彼を中心に周囲の足場を液状化させるナノマシンを散布し、『地の利』を奪う。もちろん、範囲内の『滄海』と化した地面に触れれば、地面と同じ様に液状化されてしまう。


「くっ!」

 オレは一旦、外に出る事を選択し、外に向かうべく壁面に走る。

 オケアノスの攻略法は『闘わない事』だ。迂回しながらカノンを探しだすしかない。


「シグルーン《がすけぃど(カスケード)》」

 ヘングの訛りが強く抑揚のない声で呟くと、足首がフローティングユニット化され、液状化した地面から浮かび上がる。


「やっぱソレを使ってくるか」

 さらに浮いたヘングの肩・背中・肘・腰・脛が構造変換され、プラズマ・スラスターが構成される。


「ヘングのタイプは二式“武器を鳴らす者(フレイク)”の機巧変換。プラズマ・ジェットによる超加速―」

 と、ノンビリ予測している暇などなかった。

 気付けば、赤黒い肌をした戦士が、左斜め前にいた。


「『心炎』!」

 反射行動だった。魔剣の効果を発動させ、体内の潜在力を引き出していなければ初手で殺されていた。

 ほぼ同時に、ヘングの短剣による落雷の如き神速の連突きが襲いかかる。

 眼前には東館壁面。

「《桜濫》!」

 全身からナノマシンを散布し、壁を花びらに換えて飛び出した。

 ヘングは黒く尾を伸ばす様に残像を曳きつつ素早く距離をとり、一瞬で二階部分の壁に登る。


 その様は正に“黒き蛇”!


 “黒き蛇”は背中の排熱機構から大量の蒸気を排出し、冷却装置をフル稼働させている。


「死ぬかと思った。凄いじゃないかヘング。本当に一度はオレが勝ったとは思えない。ヘングは―」

「ヘングは符丁。我を真に呼びたいのなら“雷を友に走る男”と呼べ」

「失礼した。“雷を友に走る男”よ」

 詫びを入れると雷の戦士は黙って頷く。

 気付いたけど、《カスケード》を唱えた時は訛りが酷かったが、普段の会話で使う言葉については滑らかだ。

 何より威厳がある。


「改めて“雷を友に走る男”よ、殺したオレを恨む気持ちは理解しているつもりだが、貴方にとってこの闘いに意味はあるのか?」

「意味などない。喚び出されたので闘っているだけ。命令に背けん。如何に意味が無かろうと」

「なら全力で排除せざるを得ないね。前回はこちらが二人だったけど、今回は一人」

 “雷を友に走る男”は黙ったまま、排熱機構を閉じた。

「そして、お互い一度は死んで蘇った者同士。存分に現在いまを楽しもう」

「行くぞ」


 再び全身をプラズマで包み、残像を曳きながら攻めてくる“雷を友に走る男”の正面突破力は恐ろしい。

 だが、オレは一合交えて戦士の弱点を看破している。

 それは直線の動きに強く、横の動きに対応し辛い点だ。

 つまりは、

「横に振る!」

 気配だけで背後から迫る“黒き蛇”を右に避けると、オレの左側を通り過ぎていく。


「地形を味方にしなければ、そうそう掴まる事もないようだね」

 すると、“雷を友に走る男”は停止して振り返る。

「その通り。地形を味方にしなければ、“不覊の焔”は縛れぬ」


 “不覊の焔”はオレの事か?

 なんか誇らしい名前を付けてくれたが、手加減する気は……しまった。

「すでに、此処まで追いついていたのか、オケアノス!」


 オレは地面のさざ波から、足元に《滄海》が迫っている事に気が付き、東館壁面に左手から出した《錬成刀》を突き刺して壁にへばりつく。


 だが、オケアノスは出てこない。


「響派九月流“響鳴”!」

 闘気のソナーによる索敵でオケアノスを探すが、全く反応がない。

 少し距離が離れた“雷を友に走る男”は機関冷却中で動かない。

 周辺の地面は凄まじい勢いで『滄海』に変換される。


 静寂が支配する中、地中で蠢く気配を察知した。

「そこだ!」

 同時に地中から飛び出したモノに、ブーメラン型錬成刀を投擲するが、目標のオケアノスではない。

「鮫!?」

 それは図鑑でしか見た事はないがイタチザメと呼ばれる、凶暴な人喰い鮫の一種だ。

 ブーメランはイタチザメの頭部をサックリスライスして飛んでいったが、鮫は切断面からドロとなって崩れる。


「召喚術! ドロで造った鮫か!」

「正解だ」

 応えは上方の壁面内部よりあった。

 オケアノスは壁面を液状化させて潜り込み、下に注意を引きつけ頭上から襲ってくる。

「くそッ!」

 壁にへばりついている態勢は不利だ。右に移動しようとするが間に合わない!

「《鮫融掌》!」

 オケアノスの左手は、触れたオレの左肘下の部分を一瞬で液状させる。

「液状化攻撃か!」

「それも正解」

 オケアノスは教師が出来の良い生徒を褒めるように言うと、そのまま地面に潜った。

「お前はオレの先生か!?」

 とはいえ、記録を思い返せば、あの男は初めから教師気取りだった。


 間髪入れず、“雷を友に走る男”が超スピードで大洋を横断し、その勢いで壁面を登る。

 間に合わないかと思ったが、ギリギリで屋上に登り切り、初手は回避した。

 “雷を友に走る男”は勢いがつき過ぎて身体が屋上より上に飛び出してしまい、オレは態勢を整える貴重な時間を手に入れた。


 続けて襲いくるは、電光石火の連突き!

 正面で受けるのは厳禁だ。

 横にかわし、回り込む。

 対して、“雷を友に走る男”はそのまま前進して、背後からの攻撃範囲から逃れた。

 オレの脳裏にあるのは、ひたすら距離をとって作戦タイムを取る事である。

 前を見れば晴海ビッグサイトのシンボルともいうべき大会議場の逆三角錐の建物。

 そちらに向おうと走り出すが、屋上まで追いついてきたオケアノスがそれを許さない。


「《シャークトレード》!」

 オケアノスが屋根を叩くと、周辺の液状化させた具材を使って再び鮫を形成して放つ。


「速い!」

 オレは知らなかったが、この召喚された機獣のモデルはアオザメ。英名でマコ・シャーク。鮫の中でも特に泳ぐのが速く、かつ獰猛。

 召喚された機獣鮫は全長三メートルほど。泳いだ後が液状化している。

「フィールド変換付きかよ」

 オレは必死で逃げつつ、チラリと後ろを見るとサイズがみるみる小さくなっている事に気が付いた。

「そうか、アレはナノマシンの塊で泳ぐ事で『溶け』ているんだ」

 ナノマシンが溶けた場所が液状化する。なら距離を稼げばいい。

 すると、機獣鮫は屋根の中に埋没する。

「助かった…!?」


 ザバァッ!


 機獣鮫はオレのすぐ後ろでジャンプして襲いかかる。

 アオザメには力強くジャンプをする習性があり、そこがゲームフィッシュとして人気らしいが、今のオレには迷惑な習性である。

 サイズは一メートル弱まで落ちていたが、その獰猛さは減衰していなかった。

 単尖頭の牙をむき出しにして、オレの頭部を狙う。

 さらには“雷を友に走る男”が迫って、挟み撃ち状態。


 ヤバイ! 完全に詰んだ!

 カディ! セレナ!


 胸の内で短く別れを告げるより早く、オレの頭部が齧られ、背中から心臓を刺され、死んだ事に気付かないまま終わる!


 ……事はなく、オレは足を滑らせた。

 尻から屋根の上に落ちるが、機獣鮫によって周辺の液状化が進行し、そのままザブリと屋根に潜り、さらに下まで抜けて館内に落ちる。


 落下開始一秒。


「た、助かった…」

 冗談抜きで死を覚悟したが、厄介な液状化効果に助けられた。

 落下しつつ屋根を見上げると、液状化した部分が水の様に落ちてこない。

 どうやら液状化というよりも『半液状化』というのが正しいようだ。

 ゼリーの様にプルプル震えているが、液体ではないので形は保たれている様な感じだ。


 落下開始二秒。


 この闘い方では負ける。

 足を止めれば、オケアノスのフィールド変換に掴まり、今みたいに嬲られる。

 機動戦になれば“雷を友に走る男”の速度に対応出来ず、ヒットアンドウェイを許してしまう。

 なら、どうする?


 落下開始三秒。


 特にオケアノスは何人もの『アルス』を殺しているだけあり、オレの思考を読まれている。

 あの男は、歴代『アルス』の行動パターンから後の先を取り続ける。

 だから、予測を超えなくてはならない。

 出来るか、オレに?


 落下開始四秒。


 出来る!

 何故なら、既に『アルス』とのリンクは切れている。

 全ての行動は、アルス・ミカミ・フォーリナーの意思だ。

 オケアノスはオレの行動を条件反射と言った。

 そうであるか、違うのか、それは次の一合で決めよう。



 オレは体勢を整え、カディ・ジン・土門と闘った二階中央ストリート『ガレリア』に着地した。

 着地した衝撃で足に損傷を負うが、ナノマシンによる修復が始まる。

 オケアノスに融かされた左手も、ほぼ修復が終わった。何度かグー・パーを繰り返し、感覚を馴染ませる。


 周りを見ると、通路の東側は先程の崩落で途切れている。進めるのは西館方向のみだ。


 ボトンボトン!


 何か大きな物が上から落ちてくる音がして見てみれば、それは背中の蒼色も綺麗な機獣鮫。上を見上げると、天井から鮫が産まれ、次々と下に落下し、一階を《滄海》に換えていく。


「準備は整ったみたいだね」

 上に声を掛けると、機獣鮫の材料に使ったため空いた穴からオケアノスと“雷を友に走る男”がオレを見下ろす。

「さてアルス、引導は用意した。後はお前が素直に受け取れば終了だが、素直すぎると興が冷める。程々に愉しませてくれ」

「オケアノス、これまでの『アルス』を散々殺してオレを予測した気でいるのだろうけど、そう上手くはいかない」

「ホゥ?」

「何故ならオレは『アルス・ミカミ・フォーリナー』という別物だからだ。遺伝子配列だけで『同じモノ』と判断しない方がいいぞ」

「そのセリフを聞いたのは、今回で七度目だ。そして毎回死んでいったぞ」

 オレも恐らくそうであったとは思っていた。だから動揺はない。

 オレは愛刀である魔剣『心炎』を床に突き刺し、両腕を広げる。


「オレを見ろ。オレは他の誰でもなく、ただ一個の存在だ。

 造り出された理由なんて知らないけど、オレは今のオレが『独り』である事を知っている。

『群体』でないオレはオレも何をするか分からない。

 世界そのものが敵なのかもしれない。そうであったとしても、一つだけハッキリしている事は」


 脳裏に浮かぶは、夢で見た桜吹雪と其処にいた女性の桜色の瞳。


「世界の全てを桜に換えてやる」


「青少年の主張は承った。だが現実は世界が変わる事を許さない」

 オケアノスに何の感銘を与えられないのは当然だ。あの男は『アルス』を殺し飽きている。だけど、それでもあえて宣言するのは、

「オレが勝利した時のために、ちゃんと言わなきゃいけないのさ」

 という事だ。


 すると、“雷を友に走る男”がオケアノスを止めた。

「我が話す。少し待て」

「構わないが…意外だな」

 オレも同感だ。“雷を友に走る男”は威厳に満ちた目でオレを見下ろす。


「かつて我の祖先は皆が在るがまま自然に生きていくための法を産み出したが、それは作られたものではない。世界の有り様を明文化したものにしか過ぎないのだ。男女平等であり、より正道であって人道的。それは当然の事。かつて存在した超巨大国家の憲章にも組み込まれ、また我らもその協力を惜しまなかった」


 普段しゃべらない雰囲気の“雷を友に走る男”が長々と語り出し、オマケに話の意図が見えず、オレは反応に困った。出来るのは黙って聞く事だけだ。


「だがその憲章も解釈を変え、ただの題目と成り果てた。世界の有り様に『解釈』などない。そのままなのだ。自然のまま受け入れるものであり、人の思慮を働かせる類いではない」

 “雷を友に走る男”の遠くを観ていた目が、オレに帰ってくるのを感じる。


「“不覊の焔”よ。お前は『世界の全てを桜に換えてやる』と言った」

「いかにも」

「世界の有り様に手を伸ばす者は、いずれ世界の悪そのものと成る」

 オレの身体が震えた。

「それでも、世界を桜に換えるのか」

「当然」

 オレは即答。

 身体が震えたのは、断じて怖れや畏れではない。それは、世界を震撼させる端緒についたと、偉大なる戦士に認めて貰えた事による高揚だ。


「世界を換えるという行為が自然の理への反逆と知ってもか?」

「当然!」

「何故だ?」

 その問いに、オレは“雷を友に走る男”の隣に立つ男に視線を向ける。


「それはオレが『善人と言う名の白い仮面』をつけているからさ」


 オケアノスは微笑する。

 正しくその顔は、成長した生徒を見る教師の顔だった。

「ヘングよ。覚悟の定まった男に言葉は不要だ」

「仮面を付けても隠せぬのが生き様よ」

 “雷を友に走る男”の言葉に、オレも笑った。


「心配御無用。オレの仮面はすでにヒビ割れている」



「《オケアノスの業雨》!」

 オケアノスは天井全てを《滄海》に換え、濡れるモノ全てを液状化させる死の雨が降り注ぐ。

「《桜濫》!」

 対して、オレは高密度でナノマシンを散布し、業雨を桜の花びらに換え、同時に駆け出す。

 オレは《桜濫》で液状化業雨から身を護っているが、足元のガレリアは間も無く崩れ落ちる。

 オレは次の足場を探すが、正面はすでに崩落済み。背後は機獣鮫が回遊して液状化済み。

 右側の東館もオケアノスがいたのなら《滄海》と化している可能性が高い。

 とすれば行き先は一つ、左側だ。

 左側には東館1・2・3が連なっている。オレは左右を繋ぐ回廊を走るが、

「っ!?」

 頭上より爆雷が如き一撃を間一髪で回避。

 その衝撃は周囲の桜を吹き飛ばし、その中心に赤黒い蛇が鎌首をもたげていた。

「逃さぬ。此処で必ず仕留める」

 “雷を友に走る男”は《カスケード》で浮揚し、その風圧が周囲の桜を舞い上げる。桜吹雪の狭間から、火花が散る黄色の眼光がオレを捉える。

 戦士の身体がプラズマに覆われ、パリッと音が鳴った気がした。


 ビュンッ!


 その音が途切れるよりも速く、例の残像を残す超スピード突撃がオレを襲う。

「《桜濫》!」

『心炎』を一振りして全力でナノマシンを散布するが、プラズマの鎧を纏う相手にナノマシン侵食は効果無効。徒らに周囲を桜の花に換えるだけだ。“雷を友に走る男”は桜吹雪の中を構わず突っ切り、正確にオレの心臓を貫いた。


「ムッ!?」

 突き刺した心臓から桜の花びらが散る。

「分身か」

 “雷を友に走る男”も手品のタネに気が付き、東館2に向かうオレの背中を見つけた。

 ガレリアは《オケアノスの業雨》と“雷を友に走る男”の着地の衝撃で崩落寸前であり、全体にヒビが走る。

 “雷を友に走る男”は一旦プラズマを停止させ、排熱を開始しつつ、オレを追いかける。

 が、突如として左脚を失い、バランスを崩して転倒しつつ、頭から正面のコンビニ跡に突っ込んだ。

「ガハッ」

 コンビニ跡はシャッターが閉まっていたが、“雷を友に走る男”突っ込んだ勢いでシャッターとその後ろの強化ガラスを突き破っていた。


 戦士は切断された自身の左脚を確認しつつ、身軽に起き上がり片脚だけの《カスケード》で浮揚した。

「いいのかい? 《カスケード》を使って。それを使うと、もうオレには勝てないよ」

 それには応えず、聞いてきたのは別の事であった。

「背中を見せて逃げていたのも分身か」

「そういうこと。オレはお前の弱点を突かせて貰った」


 戦士の目が、手すりの側で『心炎』を持ち、業雨で身体から血を流すオレを見た。

 オレは マニュアル式の《分身スレイブユニット》を作れるのは一体が限度だが、単純な行動をとるだけであれば《分身》を二体まで作れる。

 先程の変わり身用に一体と、ただ背中を見せて走らせる用にもう一体用意し、本体のオレは手すりの影に隠れて、通り過ぎようとした“雷を友に走る男”の左脚を斬り飛ばしたのだ。

 ただ隠れている間は気配を絶つために、無防備のまま《オケアノスの業雨》を浴びざるを得ない。業雨は止んだが、最後の一降りに見舞われ、幾らかダメージを負ってしまった。


「その《カスケード》は水面や陸上を高速で移動できる便利なシグルーンだけど、一つだけ欠点がある。それはカロリーを異様に消費する事だ。そもそも全身からプラズマを発生させるだけでも莫大なカロリーの消費と半端ない熱量を発する。本来のプラズマ突撃であれば回避されても二段三段と連続攻撃で本領を発揮するのだろうけど、《カスケード》に自身のストレージを割り振ってしまったので、一回使う毎に排熱しなければならない」

 プラズマを纏っている状態であれば、オレの暗がりから放った斬撃も回避されたかもしれない。しかし、少しでも早く冷却させるためにプラズマを停止したのだ。


「だが“荒ぶる大洋”の《滄海》は我にも効果が及ぶため《カスケード》は使わざるを得ない」

「“雷を友に走る男”よ。お前は個にして全で在るが故に余計なモノを付け足す事が出来ない。それが完成されたモノの限界だ」

 歴戦と大地との対話で鍛えられた戦士の瞳は、賢者の悟りを連想させる。

 そして、巌の様な顔と存在感を持つ男の沈黙は、何故か物悲しさを覚える。


「世界の理は決まっていようとも、時代の波が一様である事を許さない。それが、自然の摂理に抗う行為だとしても。お前が“悪”と呼ぶオレは、ヒビ割れた仮面の奥から覗いた世界が全てだ。それが気に入らなければ、オレは何度でも幾らでも、世界を桜で埋め尽くしてみせる」


 “雷を友に走る男”の左脚は修復が始まらない。《カスケード》を使って浮いているせいだが、シグルーンを解除すればオレから攻撃を受ける。しかし、《カスケード》は消耗が激しいので、間も無く増殖限界を迎える。

 オレはひたすら時間が過ぎるのを待つだけでいい。


「時代の波。それこそ大地と共に生きる我らの苦しみの根源。《滄海》の様に沈黙を守る海であったなら、きっと世界はもっと静かであっただろう」

「でも、それは死んだ世界だ。抗う人がいて、それを許さない人がいて、そうして編み上げるのが歴史というものだ」


 “雷と共に走る男”の、彼の部族の苦悩は理解できる。

 しかし、億を超える人が生きている世界で、大多数による多数決の脅威は、真実が累卵の如き脆さなのだろうと想像する事は容易い。


「誰もが“雷と共に走る男”の様に一人で完結しているわけじゃない。足りない機能は付け足して生きるのが普通だ。それがシグルーンなのか他人かの違い程度だ」

「ならば、真実を悟る者はどう生きていけばいい? それならば真実など悟らず、人の叡智の立脚点を得て誇りにする事が不幸な事なのか?」

 戦士は怒鳴る事がない。それは、諦念の発露なのだろうか。


「そうだな…真実を知るというのは、辛い事もあるよな…」

 夜遅く帰ってくる両親を慕い、メールと置かれていた金だけで繋がれていた、そう信じていた二人が存在しなかったという事実は、オレ自身を見失いそうな程の衝撃であった。

 今でも胸に痛みを覚える。

 しかし。


「それでもオレは此処で、この世界で生きていきたい。オレにとって、出会ったヒト全てが世界なんだ。カディやセレナ、そして“雷と共に走る男”の様に敵として出逢っても」


 オレは過酷な環境の中、苛烈な選択をして、今もそれを遂行している人を知っている。

 自分で解決手段を見つけて、手が届かないかもしれない場所に手を伸ばそうとしている人に出逢っている。


「オレは大切な事を教えてくれた人を、ただ裏切りたくないだけ。そこに世界の真実なんて関係ない。オレは人との出逢いを基準に、世界に挑む」

「ならば、やはり我らは敵同士。もはや問答は不要」

 片脚で浮かぶ戦士は、傷口から血を流しながら直立し続ける。

「“雷と共に走る男”よ、空の大地で永遠に眠れ」


 両者が動こうとした瞬間、

「《シャークトレード》!」

 機獣鮫が背後から迫り、オレは右に跳ぶ。鮫はそのまま、コンビニ跡地のおにぎりコーナーの棚にぶつかり、周辺を破壊しつつ溶かした。


「ヘングよ、意にそまぬ共闘であろうと、今は戦友だ。私に助けを求めよ」

「助けなど数千年前から叫んでいる」

 “雷と共に走る男”の口調は、どちらかといえば吐き捨てるような調子だった。


「邪魔するなよ、オケアノス!」

「せっかくの対決だ。より盛り上げるために受け入れろ」

 まあ、こちらの都合を鑑みないのも世界の一部か。そう思えば、多少は怒りも冷める。

 オレはそのまま走る。


「逃さんぞ、アルス! 《陥裂海峡》!」

 走るオレが次の一歩を踏んだ瞬間、半径五メートルの範囲が液状化し、避ける間も無く一階に落ちた。

「うおっ!?」

 驚きはしたが、バランスを戻して両脚で着地する。

 幸いにしてそこは《滄海》と化してなかったが、波が西館やエントランスがある方向から押し寄せようとしていた。

「くそ、何がなんでも西館には逃さない積りか。ならココをアイツの墓場にしてやる」

 東館5の扉を通ると、反対側と同じくガランドウな空間があった。

「まだ此処は《滄海》となっていないか」

「いや、既に仕掛けは済んでいる」

 オレの独り言への応えは、上からだった。先程の機獣鮫が空けた穴から、オケアノスは下にいるオレを見下ろしていた。


 ズズッと、重たげな地響きを感じる。

「いよいよ最後の仕上げだ。お前が他の『アルス』と違うならば、他の誰もが耐えきれなかった大波に耐えて、俺に一撃を加えてみせろ」


 次の瞬間、液状化された物質が東館4の扉から、そして扉、壁の順に液状化して呑み込み、さらに水量を増やしつつ、館内に押し寄せた。


「これぞ“滄海のオケアノス”の本領!」


 オケアノスは《滄海》に飛び降り、顔だけ出して《滄海》のコントロールを開始する。

「オレは《滄海》に触れる事により、《滄海》を自身の一部として自在に操れる」

 《滄海》は盛り上がり、それは天井まで届く。すると天井も液状化され、《滄海》の一部と変換される。

 目の前で増殖し続ける《滄海》には脅威などという言葉も生温い。


「凡てを呑み込み、溶かし、無限に増殖する最強の対軍シグルーン。その名も」


 足下には《滄海》が押し寄せ、オレは背中を見せつつ東館4の扉と対角線上に走り出して距離を稼ぐが、もうどうにもならない。

 《滄海》はオレの走る速度よりも早く迫り、反射的に跳ぶ。


「《大地の果てを埋め尽くす三千の愛娘(オケアニデス)》!」


 大長城と化した《滄海》の波が奥から順に、怒濤の勢いで崩れる。

 その様こそ、正に『問答無用』!

 あらゆる物理的、分子機械工学的な防御を全否定して真理も俗塵も凡て呑み込み尽くす!


「だけど死なない! それが『アルス・ミカミ・フォーリナー』だ!」

 跳び上がったオレは重力に従い、《滄海》と化した床に落ちるより早く、幅広型の錬成刀を精製して足下に敷いた。


「来いッ、『白海月』」

 全身から白い糸が生え、それが分子レベルで服と靴の中に侵食する。それに応じてカラーリングも白に塗り変わる。

 そして、顔の一部が盛り上がり、それは白い仮面となる。


「今さらスヴァーヴァか! もう間に合わん!」

「スヴァーヴァじゃない!」

 仮面の一部に亀裂が入り、それは急速に広がって仮面を割り、素顔を晒す。

「何を着ようが付けようが、『アルス・ミカミ・フォーリナー』その人さ!」

 仮面が顔を覆うのは右眼と右頬辺りで、顔面積にして約三割。

「なんとも中途半端な仮面だ。それともお前の殺人鬼としての成分比率か!?」

「それは今から教えてやる!」


 手から幅広型の錬成刀を精製し、それを足下に敷いて着地する。

 いや、既に《滄海》が押し寄せていたので『着水』か。


「その剣はサーフボードの積りか? 浮力もない剣では浮かばないぞ」

「浮くんじゃない。滑るのさ」

 オレは足下からナノマシンを調整しつつ散布し、黒い液状の《滄海》を僅かに桜に換えた。

「この濃度じゃない。もっと薄く」

「む!? 何の真似だ?」

 この時、オレは足元が固まったのを感じた。

「今だ! 響派九月流《大海嘯》!」

『心炎』を後ろに向けて闘気の奔流を放ち、その勢いでオレは錬成刀に乗ったまま《滄海》の水面を滑り出す。


「バカな。何故《滄海》に融かされず水面を滑る事が出来る」

 その問いに、オレは《滄海》上に乗りつつ、押し寄せる大長城から逃れつつ答える。


「オレはお前の《滄海》の特性に気付いたのさ」

 先程の《業雨》を《桜濫》で防御した時、《桜濫》の濃度が落ちた時に桜に変換されず、かといって液状のままじゃない。天井の破片が『融かされた状態』で固まっていた。

 つまり、二つのナノマシンが一つの物質内でぶつかりあった場合、同一濃度のナノマシン同士では中和しあう状態が発生するのだ。


「自力で『拮抗点』に気が付いたのか!」

「その通り! オレは《滄海》となった床に《桜濫》で中和して床を元の固形物に換える。あとは闘気で推進力を生み出して、その勢いで《滄海》の上を錬成刀で滑ればいい! ちなみにオレはプロサーファーのライセンス持ち! “天空海の波乗りアルス”とはオレの事だ!」


 景気よく啖呵を切ったが、《オケアニデス》の波はオレの速度よりも遥かに速かった。

 大長城は重力に従って上から崩れ出し、頭上に覆い被さる様に迫り来る。

 それは重たげにチューブ状になり、天空海の人口波を彷彿させる。

 東館から外に出るためには、前方の東館6の隅で何故か開いている通用口しかない。

 幸いにしてチューブの出口と同じ位置であるが、間に合うか!?


「その白き姿は黒い波の上でよく映える! 《オケアニデス》に抱かれて昏き海の夢に沈め、アルス!」


 その言葉に脳裏に浮かぶのは、地平線の彼方まで広がる無限の海と、其処に立つ数百の『アルス』達。

 終わらない夢の中で、いつか終わりを齎す、自分達と同じ遺伝子構造を持った存在に儚い望みを託す存在。


 その無数の人柱に加わる新しい柱は……オレ。


「巫山戯るな! 夢は沈ませるモノじゃない! 人を浮かばせるモノだ!」

「否! 夢は出口なき想いの逃避! 俺はお前の現実を既に閉ざしている!」


 前方の目標とする通用口に、赤黒い肌を月明かりに照らす戦士が片脚で立つ。

 それは、正に不動の巌。


「“雷を友に走る男”!」

 真理を識る戦士はフローティングユニットで浮かび上がり、全身のプラズマ・クラスターからプラズマを放出して全身を輝きに変える。


「アルス、お前の旅は此処までだ。一時でもコンビを組み、こうして闘えて楽しかったぞ。さらばだ」

 オケアノスの哀惜を滲ませる言葉に嘘はない。

 オレを惜しんでくれるのか。

 それは嬉しいが、嬉しくない!

 だから、オレは生きる。


「過去形で語るな!」


 出口に浮かぶ“雷を友に走る男”は、一声だけ掛けた。


「今から其処に、“不覊の焔”よ!」



「シグルーン《雷神の御遣い(ヘング)》!」

 “雷を友に走る男”の全身から発生させたプラズマを、後方に噴射して加速する全力全速攻撃!

 手にした短剣が狙うはただ一点、オレの大脳基底核にあるバイオチップ。

 今にも《オケアニデス》の波に食い殺されそうなオレへの突撃は確実に死ぬだろうが、ルーンブック『屍触教典儀』によって一時的に現世に帰ってきた戦士には関係のない話だ。

 赤黒い残影を曳きつつチューブの中を疾走し、一秒にも満たない時間でオレに辿り着くだろう。


 正に前門の雷神、後門に海の愛娘!

 全方位塞がれ、逃げ場はない。


 オレの脳ではアドレナリンが止めどなく分泌され、認識時間が限りなく引き延ばされる。

 瞬きよりも短い刹那の邂逅で、オレは“雷を友に走る男”の黄色く光る瞳を観た。

 憎悪も怒りもない、在るがままを受け入れた瞳。

 きっとオレは千年生きても、あんな瞳にはなれない。

 恐らく、眼前の戦士は千年先でも在り様は変わらない。


 だからこそ、オレはこの突撃を読んでいた。

 もっと言えば、この大波による大規模攻撃も読んでいた。

 当然、攻略法もだ、オケアノス。


 オレは背後に向けて闘気を噴出させていた『心炎』の向きを、左斜め下に変える。


「秘儀《螺旋軌道斬り》!」

 前に推進させていた闘気の向きを変え、最大出力の闘気でチューブ状になった波を駆け上がる。

 その軌道は螺旋を描いて正面の《ヘング》をかわしつつ、“雷を友に走る男”の右肩から背中を斬ってすれ違う。


「美事」

 引き延ばされた時間の中、戦士は短く賛辞を贈る。

「その隠しきれぬ『悪』の素顔、生涯その割れた仮面で隠し通せ」

「承った」


 そして、時は再び流れを取り戻す。

 オレは《オケアニデス》を抜け、東館6の通用口から脱出し、その勢いを利用して右に方向を変えつつ走る。

 背後を見れば、《オケアニデス》はクライマックスを迎えて“雷を友に走る男”を抱擁し、その波を閉ざす。

 一瞬の間があり、《滄海》の波は東館の壁を融かして外に出てきたが、もはや勢いは失われていた。


 残るはオケアノスただ一人。

 背後からの追撃を警戒する。


 ザバッ!


 ……思考はなかった。

 気付いたら身体は勝手に動き、『心炎』を握ったまま右腕が、それも『白海月』に覆われた上腕部が一撃で融かされた。


「《鮫融掌》」


 避けられたのは勘働きが二割に、あとは運だけであった。

 気配もなく、背後を振り返っていたオレの、正面真下から飛び出してきたのだ。

 《オケアニデス》が館内から出る時に勢いが失われたのは、既にオケアノスが《滄海》から離れて地面を掘り進み、オレの前に回り込んだからか。

 それにしても、なんていう威力だ。

 オレの纏う宝具『白海月』はナノマシン侵食の七割以上を遮断するのに、それが全く用を成していない。


「《鮫融脚》!」

 オケアノスは空中で身体を捻って蹴りを繰り出し、オレは錬成刀を左手から出して防御しようとしたが、これもアッサリと蹴り折られた。

 いや、融かされた。

「『防御不可』特性のシグルーンか!」

「その通り。そして本気を出せばこの通り」

 オケアノスが着地すると、その地点を中心にして瞬時に《滄海》と化す。

 その範囲は半径三十メートル!

 最早、ナノマシン侵食時間としては世界最速でないかというレベルだ。


「《桜濫》!」

 咄嗟に足元を桜の花びらに換えるが、上手く拮抗点を見つけられず、足が沈みかける。

「く……《滄海》のナノマシン濃度を変動させているのか!?」

 信じ難いが、そうとしか解釈ができない。

 オレの《桜濫》の侵食率を変動させているが、全く拮抗点に噛み合わない。


「お前も相当に素質のあるシグリヴァだが、拮抗点検出は難易度Aランク。俺は至近距離であれば、幾らでもナノマシン濃度を変動させられる」

 『白海月』を纏っていなければ、とっくに足が融かされていただろう。

 向こうは《滄海》の上でも踏みしめる事が出来るようで、《鮫融掌》を打ち込もうとしていた。


「まだ手はある!」

 左手をかざしてダガー型錬成刀を射出しつつ、シグルーンを起動させる。

「《桜濫》!」

 ダガーとナノマシン侵食による二段攻撃。

 《滄海》の一部が桜の花びらに換わる。二つのシグルーンのコンボは大量にカロリーを消耗するが、今のオレに打てる最善の一手がこれしかない。

「無駄だ」

 オケアノスは一言で切り捨てると、ダガーはアッサリ右手で払い、融解する。

 同時に、水面上とは思えない速度で間合いを取った。


「ムダじゃない。お陰で服を脱ぐ時間だけは稼げたさ」

 オレはコートとして纏っている『白海月』を脱ぐと、それに新しく精製した錬成刀を刺し、それを重しにしつつ左回転の遠心力を利用して投げた。

「よし!」

 ギリギリだったけど、足は融けていなかった。

 何より、《滄海》は範囲の広さを選択されたお陰で、深さが膝下までであったのも幸運だった。

 オレは跳躍して、投げたコートの上に降りる。

「拡散しろ『白海月』!」

 コートは一瞬で分解され白い液状となり、《滄海》に拡がる。

 同時に足からナノマシンを散布し、《桜濫》で《滄海》の拮抗点を探す。


「ッ!? 《滄海》のコントロールが効かない?」

 オケアノスは自身の一部である《滄海》の変化に気がつく。

「そうか! 『白海月』を機獣化させて《滄海》内のナノマシン侵食を阻害させているのか! それもナノ単位で」

「御明察。オレは『白海月』を分解すると同時に約百ナノメートル・サイズの海月型機獣を構成した。その特性は『白海月』と同様に、触れたナノマシンを攻撃する。お前の《滄海》を形成するナノマシンを破壊し、濃度の変動と《滄海》の効果を下げさせる」


「《シャークトレード》!」

 オケアノスは《滄海》の一部で機獣鮫を三匹も造り、その獰猛な牙を差し向ける。


「見つけた!」

 その時、オレは確かな一歩を踏む。

 その一歩を起点に、横幅二十センチ程の細い道だが拮抗点を桜の花びらで構成し固定化した道が出来上がる。

 これこそ『花道』!


 オケアノスが《シャークトレード》を使ったタイミングなのは偶然じゃない。

 シグルーンを使用したせいで、《滄海》の濃度変動が完全に止まったからだ。

 これも幸運。

 そして、桜の花びらがオレの進むべき道を指し示す。

『花道』を踏むと、それは弾力のあるゴム板のような感触だった。オレは桜の花びらが構成する道を駆け抜け、《滄海》から脱出する。


「これが『今回のアルス』が実力。確かに発想力という点で、他を凌駕している……ならば!」

 オケアノスは三匹の機獣鮫を直接襲わせず、オレの横を追い抜いて回り込ませ、再び《滄海》に戻した。

 それだけではない。

 オケアノスの立つ《滄海》から夥しい数の機獣鮫が生まれ、一斉にオレに追いついて周囲を回遊する。


「《滄海回遊》。《滄海》を機獣鮫に変換し、任意の位置で分解させる事で《滄海》そのものを移動させる」

「次から次へと、色々と手品のタネは多いじゃないか」

 まったく悪態の一つもつきなくなる。どれだけネタを隠し持っているのやら。


「お互い増殖限界もそろそろだ。最後の決着をつけよう」

「望むところだ」

 何十匹もの機獣鮫が飛び跳ね、《滄海》に戻り、オレの外堀を埋める様に取り囲む。

 それらは周回しつつ《滄海》エリアを拡げ、それに伴い徐々に姿を小さくさせて消えてゆく。


 ズズッ!


 すると、重たげな音を出しながら足元が揺らぐ。

 どうやら、周囲は《滄海》と化し、立っている所が浮島状態のようだ。《滄海》の侵食が進み、揺れが激しくなる。


 オレの増殖限界も近い。

 何よりカロリーが限界だ。特に錬成刀はカロリーを消耗するので、残りの体力ではもう作れない。その証拠に右腕がなかなか修復されない。

 そうなると素手で迎撃せざるを得ない。

 ふと、今日のというか、もう昨日だが、出がけにカノンから渡されたポーチを思い出した。

 困ったら開けてと言われたが、今がその時なので開けて中身を掴んだ。

 すると、紙に包まれた丸っこいモノが三つ。

 プンとして香りからチョコだと分かった。

 さっきの冷たい笑顔じゃない、温かく慕ってくれている『妹』の笑顔が浮かび上がる。


「カノン、いつだってキミはスルドイ女のコだよ」

 チョコは緊急時に食べれるように、あえて簡略な包装だった。

 ヒョイと三つのチョコを、まとめて口に放り込む。

 カノンが気遣い、買ってきたチョコのビニール包装を破いて紙に包み直す姿を想像して、自然とオレの顔から笑顔と、元気が湧き出る。

 コレはチョコのカロリーが早くも取り込まれたか、それとも別の理由か?


 答えは決まっている。

 そして、この結末も決めている!


「悪いね、オケアノス。オレには勝利の女神が思いのほか多いようだ。地黄八幡にも懸けて、この闘いは勝った!」

「まだ速いぞ、アルス!」

 オケアノスは《滄海》に潜り、姿を消す。


 再び潜ったか。

 次はいつ出てくる?

 どの方向からくる?

 前か、後ろか、右か、左か、上か、下か?

 だが、どのタイミングで、どの方向からこようとも関係ない。

 オレの征くべき道は決まっている。

 思い煩う事なんて、もう何もない。


 いつしか浮島の揺れが収まっていた。

 《滄海》の水面は凪となり、オレの心は明鏡止水となる。

 足元の浮島は一秒ごとに小さくなる。

 完全に無くなるまで、あと三秒。

 二秒。

 一秒。

 ゼロ。

 時、来たれり。


 全てが同時であった。

 オケアノスは、正確にはオケアノスの《シャークトレード》により《滄海》を元に構成された機獣鮫が、前後左右、それも上下二段の八方向攻撃!

 さらにその包囲網の外から、一際大きい機獣鮫が跳躍し、その背にオケアノスが跨っている。


 逃げ場のない絶対の死地。


 全てが同時であった。

 オレは足元の《滄海》に『白海月』を液状にして溶かし、《滄海》の変動を抑えつつ拮抗点を算出する。

 見つけた瞬間に、カノンから貰った三つのチョコのうち一つ分のカロリーを燃焼させ、足元の《滄海》に《桜濫》を散布して拮抗点で凝結させる。


 そうだ。

 両親がいないと知って、オレは自分の立つべき場所を喪ったと思ったけど、無いのなら作ればいい。

 そして、作った足場を踏みしめ、全力で跳ぶ。

 征くべき場所は、右斜め上の機獣鮫――そうだな、せっかくだから『ブロディ』と名付けよう。


「そちらの鮫がお前の好みか!」

 オケアノスは吠えるが、オレはそれどころではない。

 ブロディは大きく裂けた口を極限まで開き、ノコギリ状の鋭い牙をむき出しにして迫り来る。


「《加速修復アクセル・リペアー!」

 カノンがくれた二つ目のチョコ・カロリーを消費し、右腕を瞬間修復させる。

 一度見ただけのシグルーンだったが右腕は完全修復され、オレは拳を力一杯握る。

「オォォォォッ!」

 雄叫びを上げ、修復が成ったばかりの右腕を、ブロディの口に突っ込んだ。

 間髪入れず、ブロディはバクンッと口を閉じる。


「何故せっかく修復させた右腕を自ら喰わせる!?」


 相対的感覚時間が引き延ばされ、時が止まる。


「覚えているか? 東館から脱出したオレの右腕を切断した事を。切断された右手には『心炎』が握られていた。その『心炎』は今ドコに在る?」

「む!?」

「オレは『心炎』と一体化したお陰で、常にその存在を感知する事が出来る。お前が《滄海》を移動させた際も『心炎』は機獣鮫と共に動いていた」

「まさか!?」

「これは賭けだった。オレの一部ともいうべき『心炎』を巻き込んでいる事が」


 止まった時の中で、ブロディの巨体が震える。


「八方向から同時に攻められても、オレにはスグに判った。此処にこそオレの一部が呑み込まれているのが!」


 そして、相対的感覚時間の傾斜が元に戻り、時は動き出す。

 ブロディの身体は爆ぜ、それはあたかも桜の花びらが詰まった風船が破裂したかの様に、その身を換えて撒き散らす。


 桜の中心で右手が掴むのは、オレの闘気を受け光り輝く魔剣『心炎』。

 自身の命と想いを託す魔剣を手にした瞬間に全身の闘気が昂り、ナノマシンが活性化するのを感じる。

 カノンからの最後のチョコも、燃焼させ力に換える。

 重力に曳かれ落下しつつ一回転。

 月光を弾く刀身が光の軌跡を描く。


「響派九月流《渦斬り》プラス《桜濫》、名付けて《渦桜うずざくら!」


 七匹の機獣鮫が桜吹雪となり、螺旋を描いて狂い咲く。


 頭上を見上げれば、そこにオケアノス。


「成程、お前は断じて他の『アルス』とは違う! ならば応えよう! 我が最強の一撃で!」

 跨る機獣鮫が液状となり、オケアノスの利き腕である左腕に高圧縮させつつ巻きつける。

 それは最強濃度で、触れるモノ凡てを融解させるシグルーン。

 矛盾を許さない、防御不可の最強の矛か!

 オケアノスは左拳を握り、一直線に向かってくる。

「《無双鮫融拳》!」


 回避に全力を傾けるのが最善だろう。

 だが、オレは再び跳ぶ。

 その方向にしか征くべき道がないのなら、そのに向かってひたすら推して通る。

「響派九月流《逆流斬り》!」

 跳躍しつつ下段から斬り上げる逆袈裟斬り。


 ガッ!


 凡てを融解する拳と魔剣が激突し、鈍い激突音が響く。

 力と力の拮抗。

 位置取りでは、上から攻撃してくるオケアノスが有利。

 だが。威力は?


『心炎』の接触点が融解しだし、それはどんどん拡がってゆく。

 オレの瞳がオケアノスの瞳を映す。

 この男の瞳は、今までのような人を下に見ているような瞳ではなく、これ以上ない程に真剣であった。

 真剣に、オレとぶつかっていた。


「融けて折れて貫かれ、無の連鎖に還れ、アルス!」


 その咆哮が連想させたのは、オレが蘇生してから一週間の間に出逢った全ての人達だった。


 人形遣いの老婆とジンの、行き場のない怒りが詰まった紅い瞳が告げる。

「融けない。融かすべきは頑なな心」


 見せられた記録の中で、友達を売り、血に酔い痴れる白い仮面の狭間より覗く瞳が告げる。

「折れない。折るべきは思い上がり」


 カディと“雷を友に走る男”の、ちょっと寂しげで、でも強い意志と想いを抱く瞳が告げる。

「貫かせない。貫くべきはその想い」


 オレの心に吹いていた天空海の潮騒が告げる。

「還らない! オレが在るべきはこの世界! オレの心を無に換えさせない。在り続ける心は永久不滅だ!」


 『心炎』は融解寸前でも、オレの心を具現化した存在が消え去るなど有り得ない!


「今こそオレの心に在る“不覊の焔”を力に換えろ、魔剣『心炎』!」


 残る体力がない中、消えかかっていた闘気が燃え盛り、カノンのくれたチョコのカロリーも使い切った中でナノマシンも再起動する。


「闘気とナノマシンのデュアルだと!? そんなものは有り得ない」

「有り得る! 沸き立つ想いは力を湧かせ『心炎』と化す!」


 オレのナノマシンが『心炎』に注入され、一瞬で融けかかっていた刀身を修復する。


「魔剣を《加速修復》! そうか、これこそが、この限界を超える想いこそ、ただ一人で世界と闘い勝利した『イチムアンセツナ』の力か!」

「誰だ、それは?」


 復活した『心炎』が、オケアノスの《無双鮫融拳》にめり込む。


「オレの名は『アルス・ミカミ・フォーリナー』だ!」


 『心炎』は切断面から桜の花びらを吹かしながら左拳を斬り、手首・肘・肩を斬り、首を斬った。

 その首は空高く月に向かうように上昇し、見上げた月に重なった時、一瞬の間を置いて大地に落ちた。




 すでに《滄海》は解除され、元の地面に戻っていた。

 オケアノスの元に寄ると、彼は首から上しかないのに自力で顔を向けてきた。


「呆れた男だね。八百年も生きると、首だけでも動けるのか」

「この程度、お前もあと二百年も生きれば出来るさ」

「必要ないって」

 二人して笑った。


「強いな、アルス」

「だろ?」

「ああ、油断した積りはない。今の俺の出せる全力だった。お前達『アルス』を何十人と屠ってきたが、間違いなくお前が一番強い。いや、生きる事に一番貪欲というべきだな。だからこそ、どのアルスにもない智慧と工夫がある」

「少し照れるな」

 それにしても、肺も無くなっているのに、よくこれだけ喋れるものだ。

 今も傷口から桜の花びらが溢れている。


「もう最期のようだな。あと一つなら質問に答えられるぞ」

「なら、さっき言っていた『イチムアンセツナ』って誰の事だ?」

 いきなりの質問に、オケアノスは驚いたように目を開く。


「それか……答えよう。その者こそ数千年前に、ただ一人で世界に挑み、この世界からナノテクノロジーを消滅させた張本人であり、お前の魔剣『心炎』の二代目の所有者だ」


 思わず、手許の『心炎』を見るが、魔剣は沈黙して何も応えない。


「俺も会った事はないが、心の剛さだけで立ち向かう無鉄砲な人物と聞いている」

 そう言われても、ちょっと想像がつかない。疲れきっているのもあるが、数千年前だと伝説的すぎる。


「まあ、お前が呆然とするのもわかるがね」

 そう言って、首だけの男が笑う。


「いよいよお別れだ。十四日間のお前の成長を見れて良かった」

 オケアノスの視線は、オレの顔右半分を覆う仮面を捉える。


「思いの外『善人と云う名の白い仮面』分厚く、それでいて半分割れている。それも一興。善悪の乖離が甚だしい中で、お前という教え子がどう生きていくか――」


 オケアノスの海の色をした瞳が、オレの左の蒼と右の紅い瞳を真っ直ぐ貫く。


「――とても楽しみだ」


 最後の桜が散った。

 代わって、すぐ側にある天空海の潮騒が緩やかに流れる。

「…………誰が教え子だよ」

 その独り言に、いちいち答えてくれる教師はもういない。


「……大海が如く、引き際を得たのか、オケアノス?」


 今はもういない男に言葉を贈り、オレは潮騒を響かせる方へ、身を翻した。





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