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第十八話「A・R・S」

■現在:五月十五日、〇〇:〇六




 第二ターンの顛末が終わると、再びアルスの周囲は暗闇となり、浮いているのか落ちているのか判らない空間に戻った。


「オレは死んだのか……かえって良かった」

 すると虚空の果てより、この暗闇に引きずり込んだスコールの低い声が聞こえてくる。


《良かった? 何がだ。せっかくスヴァーヴァとして覚醒出来たのに》

「何が気に入らないんだ? スヴァーヴァがそんなに有り難いのか? そもそも、何でオレはあんな姿の殺人鬼みたいな格好になれたんだ?」

《『殺人鬼みたいな』ではなく『殺人鬼そのもの』だ。質問に対しての答えは俺も聞いていない。ただ、スヴァーヴァこそ、世界に革新を齎す貴重な存在だとクライアントから聞いた》


「殺人鬼だぞ? なんで世界の革新で貴重なんだ!?」

《さて……だが、一度はその存在となったのだ。他の誰でもなく、お前の意思で》

 その言葉にアルスは狼狽する。

「ち、違う。あれはオレじゃない。アレは……アレは」


《アレは、お前だ》


 果てより響く声は、明確に断ずる。


《今いるお前は四月三十日のセーブポイントから分岐した存在だが、同一のルートを辿れば必ず同じ選択をする》

「しない! 今更オレはみんなを傷つけるようなマネは絶対にしない!」


《それはな、アルス》


 スコールの声は、幼子を諭すかのように穏やかであり、何処か禅僧の悟りきったような雰囲気を帯びていた。

 アルスはそう感じた事に、激しく動揺した。


《あくまで一つの結末を知ったからの、ただの結果論だ》


「…………」

 アルスには反論の余地がなかった。


《お前という存在は、遺伝子レベルでデザインされたものだ。人の気質は四つの塩基配列の組み合わせにより決定される。お前の選択に至る思考も、全てデザインされた遺伝子の導きだ。それ以外の選択は絶対に出来ない》

「い、遺伝子で性格なんて決められるか。人の性格は育った環境で……」


 《そして、お前の『いるフリをした両親』との不在家族という環境も、全てラーノスが決めて用意されたもの。オケアノスも遺言で言っていただろう? 『何人ものお前に出会ったが、みんな同じ様な性格をしていて、次に何を言うか分かっている』と》


「そんな……」

 この時のアルスの心境を一言で言えば、『自己の喪失感』であろう。

 スコールの言うことが真実であれば、今の想いも苦悩も自分を設計した人間の意図という事になる。

 この『アルス・ミカミ・フォーリナー』が本当に空虚な存在であるのなら、これから一体何を寄る辺にして生きていけばいいのだろうか。


《聞いてみればいい》

「え、聞くって、誰に?」

 《勿論、お前自身さ》

「オレ!?」

 いきなり禅問答みたいな返しに、素で驚く。


《無論、ADAMS(オールラウンド・ディメンション・アライブ・マテリアル・システム)の子たる『A・R・S(アライブ・リレーション・システム)』自身に》


「……えっ?」

《何も疑問に思わなくてもいい。ただ問えばいいのだ。かつてこの世界にいた自分という分身達に》

「いきなりそんな事を言われても…」

 《さあ、遥かなる過去に想いを馳せよ、アルス》


 促されても、どうしたらいいのか判らないので、ただ疑問符を頭に浮かべるだけだったが、それは向こうから来てくれた。



 まずは潮騒。

 寄せては引く、永遠の波響き。


 次に蒼天。

 空深く続く、積層された蒼穹。


 そして疾風。

 世界の果てから吹く風が、アルスの背中目掛けて吹き抜ける。


 暗闇は何処にもない。

 膝下まで浸かった美しい海と、同じ色をした空に、透明な風に吹かれていた。


「ここは?」

 周囲を見渡しても地平線の彼方まで海で埋まり、ここにはオレ以外、誰もいなかった。


《来たんだ、三番目のアルス》


「えっ、どこ?」

 聞き覚えのある声に、オレはドキリとする。

 この声、いつも聞いている……そう、自分の声だ。


《ドコ? 何処にもいるよ。何処にもいるからボクらは“アルス”なんだ》


「“アルス”?」


 すると右側に人の気配が現れ、そちらに振り向く。


 其処には、自分がいた。


「“アルス”?」

 自分でもマヌケな事を言っていると思う。

 しかし、それ以外に言いようもない。


 其処には、紛れも無い、同一の『自分』がいた。


「そう、ボクも“アルス”。キミと特に姿が似たアルスだ。他にもいる」


 “アルス”がオレの後ろを指差す。

 振り向くと、その先には夥しい人数の“アルス”達がいた。


 背の高いアルス。

 背の低いアルス。

 髪が長いアルス。

 髪が短いアルス。

 痩せているアルス。

 太っているアルス。

 オレと同い年位のアルス。

 年上のアルス。

 幼いアルス。


 不思議と中年以上の“アルス”はいなかった。


「こんなに…なんでオレが?」


「その答えは簡単だ」

 背が高く、髪の長い“アルス”が応える。


「オレ達は三千六百年前に」

 背が低く、少し太めの“アルス”が応える。


「ボク達は」

 四歳位の小さな“アルス”が応える。


「「「造られたからだ」」」


 全ての“アルス”が答えた。


「…………」

 オレは内容よりも、“アルス”達に圧倒され、何も言えなかった。


「驚いたみたいだけど、悪く思わないで。此処まで来れたアルスはみんな驚くから、これもボク等の儀式だね」

「ここに来られた“アルスも、来れなかった“アルスも、みんなそれぞれの人生を送り、その『望まない結末』を迎えた」


 視線を遠くに向けると、五歳くらいの幼い“アルス”と眼が合う。

 あの少年も、望まない結末を迎えたのだろうか。


「ボク等はキミに何かをしてくれと言うことはない。ただ、事実だけを伝えるだけだ」

「事実? 何のこと?」

「キミが幕引きを出来なければ、キミもボク等の中に入り、次のアルスが終りを齎すのを待ち続ける事だ」


 辺りを見渡すと、ざっと百人超の“アルス”達が近くから遠くから、自分を見つめている。

 その瞳は期待と憐憫。

 そして、もっと明確な感情、『忿怒』を見せる。


「“スヴァーヴァ”」


 正面の“アルス”が、過去の映像で自分が成った姿を口にする。

「アレに成ったキミなら、出来るかもしれない」

「その“スヴァーヴァ”とは何だ? それになんでオレはあんなのに成った?」


 沈黙する“アルス”。

 いや、周囲の“アルス”達と情報のやり取りをしているかのようだ。


「まず二つ目の質問から答えよう。何故キミが“スヴァーヴァ”に成ったか、それは判らない。ボク等にとって“スヴァーヴァ”は鬼門。何故ならこれまでの百八十二人のアルスの内、“スヴァーヴァ”に出会った事のある五十八人全員が殺されたからだ」


「なっ!?」


 およそ三分の一の“アルス”が殺されたのかと思うと、殺人鬼の伝説は伝説では止まらない存在だと分かる。

 なら、なおの事、なんで自分がそんなモノに成るんだ?


「そして一つ目の質問。ボク等も歴代の“アルス”の目と耳を通じて、その正体に辿り着こうとしてきた」


 突如としてオレの脳裏に、襲いかかってくる“スヴァーヴァ”の映像が浮かぶ。

 斬撃を回避出来ず、オレは斬り殺された…ところで“アルス”達のいる海に戻された。

 今のは、他の“アルス”の記憶か?


「今のは殺された時の記憶の一部。ボク等が知る限り“スヴァーヴァ”は二千八百年程前に出現した。そして、当時の“アルス”は最初の犠牲者となった」


 背の高い、ちょっと大人びた雰囲気の“アルス”がオレの前に進み出る。


「あの恐るべき仮面の存在は、二千八百年過ぎても忘れられない。だが、何より驚いたのは、私達を見つけた途端に殺しにかかってくる“スヴァーヴァ”に、私達“アルス”から登場した事だ」


 見下ろしてくる“アルス”の眼差しに『忿怒』は見えず、どちらかというと『諦念』が見える。この“アルス”は、オレをどう思っているのだろうか。


「誰が名付けたか、白仮面を“スヴァーヴァ”という固有名詞が付けられ、その存在は伝説という形で存在し続ける。今も、目の前に」


 全ての“アルス”から強烈な視線に晒され、オレは反射的に身構える。


「“スヴァーヴァ”とは何だ?」

 オレの押し殺したような声にも、“アルス”達は反応しない。

 ただ、ジッとオレを見ているだけだ。


「“スヴァーヴァ”は、別名を“眠りを齎す者”。転じて、永遠の眠りを齎す『殺人鬼』として捉えられる」


「だからボク達はもしかしたらと思った。永遠に此処に留まり続ける“アルス”に終わりという眠りをもたらすのではないかと」


「何かを期待されても、オレには応えられない」

「何も期待などしていない。ボクが死んだのは十七年前で、この中じゃ最後だ。でも記憶の共有化が済んだ今、特に期待する気持ちもない。ただ、キミの行く道をみているだけだ」

「でも、オレが頑張らなければ、お前達はずっとこのままなんだろ?」


「キミが死ねば、新しい“アルス”が増えるだけ。次のアルスを一緒に見続けるだけさ」


 その一言にオレは愕然とする。

 この大勢の“アルス”の中にいて、自分でない、他の“アルス”を見ているだけの永遠。

 まともな神経ではいられない。


「…オレは、どうすればいい? どうすればお前達を終わりに出来るんだ?」


 その質問は、ここにいる全ての“アルス”が待っていたものだった。

 故に、淀みなく返ってきた。


「それは世界を造り換えるか、完全に破壊するか、二つに一つ」


「そんなこと…出来ない、出来るわけない」

「あの辺に固まっている“アルス”達がわかるかい? 彼等がスヴァーヴァに殺された“アルス”達だ」


「ッ!?」

「それぞれ強力なシグリヴァとして覚醒したけど、結局は殺された。その最強の“アルス殺し”に恐れるモノなどない」

「力だけでなんとかなるか! それに使い方も判らない!」


「怖れるべきは『怯懦』のみ。何が怖い? 望んでそこに辿り着けない事か? 死んでここに来る事か?」

「う…」

 突如として口調を厳しくしてきた“アルス”に、オレは完全に気圧されていた。

 そして何より、“アルス”の指摘が正鵠を射ていて、何一つ反論出来なかった。


「オレは、ただの高校生で…」

「違う! 同級生を殺した高校生だ」

「ッ!」


 足元が崩れ、気付けばオレは足元の海に両手をついて、四つん這いになっていた。


 目の前に映るのは、透明な海の水面。

 でも、オレの影で濁っているように見える。

 その濁って揺らぐ水面に映るのは、恋人と友人を殺した男の顔。


 オレは、みんなを、殺してしまった。

 “アルス”は言う。


「目的のために持てるもの全てを捧げられるキミに、出来ない事などない。何よりもはや縛り付ける柵もない」

「今となれば、お前達が柵だ。いや、呪いか」

「呪いは自責の産物。他者から与えられるものではない。与えられるのは、あくまで自分」


 すると、“アルス”達が左右に分かれ一つの花道ができ、その先に一人の“アルス”がいた。

 彼はこちらに歩き出し、その度に足元の海から音を鳴らす。


 近づいてくる“アルス”を見上げると、その顔は……、


「まさか…オレ?」

 それ以外、何者でもない。

 オレの顔だ。

「そうだよ、オレは第二ターンで死んだ『アルス・ミカミ・フォーリナー』だ」

「バカな……」

「驚かなくてもいいだろ? 死んだら此処に来るんだ。ただオレも不思議な気持ちだ。死んでいるのに生きている自分がいて、お前が感じた事や思った事が直接伝わってくる。まるで、生きているみたいに」


 オレには解る。

 目の前の“アルス”は、紛れもない自分だと。


「オレはみんなを殺した」

 もう一人の自分の宣言は、身体が溶けそうになる程に力を奪った。

 いや、よく見ると、

「身体が、溶ける?」

 実際に身体が溶けてきた。


「自己の崩壊が存在を不定にする。受け入れろ。もう誰も蘇らない。そして、受け入れろ。オレ達“アルス”の言葉を。いつだってそうしてきただろ?」

「……何の話だ、こんな時に!?」

「何って、迷った時はいつも天空海に向かって相談してきたじゃないか」

「それが何だって言うんだ?」

 もう一人の自分は、ヤレヤレと言わんばかりに続けた。


「天空海は失敗作とされ、生まれる事すら叶わなかった“アルス”の集合体」

「………は?」


 何ソレ?

 意味が分かんないけど。


「地に堕ちて土に還る事も出来ず、かといって天を昇り成仏する事も叶わない何億何兆何京の“アルス”の構成体。それが天空海の正体だ」


「そんな……あの天空海が、オレ達?」


「天空海がどうやって空に浮いているのか? 世界七不思議だったが、なんてことない。天空海は海の形をした人であり、上にも下にも行けない哀れな“A・R・S”だよ」


 天空海から吹く、心地の良い風。

 天空海が奏でる、心を鎮める波。

 天空海が教える、波乗りの楽しみ。


 朝起きて、バイクを走らせれば、何も考えずに天空海に出て、朝焼けの海を見た。

 辛い事、迷う事があれば、ただひたすら夕焼け色に染まる水面を見て慰められた。


 その天空海は、たまたまこの世に生まれられなかったオレ自身だというのか?


 オレが話しかけてきた言葉を、叫んだ声を、みんなどう感じたのか?


「誰でもそうだ。生まれてきて、生きている限り自分しか見えない。真実が目の前にあっても、誰も教えてくれない」

 もう一人のオレは感情を交えずに独白する。


「天空海に沈む“アルス”は、オレの悩みを聞いて嗤ったかもしれないな。『生まれてきたくせに』とね」


 それじゃあ、オレ達は生まれてきた事も罪だというのか?

 オレの意思で生まれてきたわけじゃない。

 オレ達は造られた存在なのに。


「『世界は残酷だ』の一言で済ませられれば良かったのに。こんなにも不公平だ。同じ一つの胚から造られても、“アルス”ですら不公平なのだから」


 身体が融けて足元の海と一つになる。

 その海の中は「無」であった。

 何も見えず、何も聴こえず、何もしない。

 かつて、天空海に嬉しい事や悲しい事、相談事を伝えた時のようなやさしさなど欠片もない。

 その「無」に繋がれる白き靄が揺蕩う中、アルスは夢を見ていた。

 それは、一度も逢った事のない、桜色の瞳をした女性の夢。


 今なら解る。

 自分はこの女性に一度も逢った事はないのに、夢でずっと見続けていたのは、自分ではない他の“アルス”の記憶だという事。


 桜並木を一緒に歩いた記憶は、彼女に出逢えた“アルス”にとって、何よりも倖せな記憶であり、恐らくは歴代“アルス”も夢で見続けていたのだろう。


 そして、もう一つ気がついた。


 夢で見る桜並木は遥か彼方まで広がっているが、この桜は、ひょっとして人が桜に換えられたのではないだろうか、と。


 桜の樹は女性のしなやかな腰元の様に艶めかしく、樹より伸びる枝は女性の腕の様に嫋やかだ。

 咲き乱れる桜の花は笑顔が咲いた様であり、散りゆく花びらは瞳から零れ落ちた涙の様に儚い。


 道理で美しい訳だ。

 きっとあの桜は、何千何万もの女性が換えられた桜だった。


 そしてアルスは夢から覚め、スヴァーヴァという現実に覚醒する。




 ■五月十五日、〇〇:〇六



 カディが黒いボールを受け取ったのは十二時間前、例の移動型カフェである。

 そこでアルスからの手紙を受け取ったが、同時にもう一通の手紙を受け取った。

 その内容は簡潔であった。


《膠着状態になったら、この黒いボールをアルスにぶつけろ》


 カディはその場で手紙を読み、仲介してくれたカフェのマスターに誰から届けられたか聞いてみた。

 無論、回答は『知らん』という冷たい一言だったが。


 取り敢えず無害そうだったので、ウエストポーチにしまっておいたが、この時は使用するかどうか未定であった。

 しかし、手紙の主が予測しているように状況は膠着し、カディは効果も判らないまま、変化を望んで投げたのである。


 すると、黒いボールは布状に広がってアルスの頭に被さり、アルスはそれをすぐに剥いだが、頭部に付着したバイオチップの影響か、激しく悶えていた。


「これは神経系か精神侵食系の宝具?」

 カディの視診ではそのように見える。

 だが、十秒としない内にアルスの動きは止まる。


「効果が浸透しきったかしら?」

 その直後だった。


 アルスの『顔』が浮き上がり、白く染まる。

 その浮き上がった『顔』は、正しく『仮面』。


「これは!?」

 アルスに起こった突然の変化に、カディは戸惑うが、同時に嫌な予感がした。

 その感覚はよく覚えている。

 あの時の、『聖者』を名乗る男に出会った時と同一。

 自分の世界を壊される、怖気を覚える感覚だ。


 見れば、アルスの服の色も白く染まり、身につけているジャケットが白いロングコートに変換される。

 明らかにナノマシンによる『物質変換』。

 ロングコートの前が、太い四つのベルトに銀色の美錠バックルで留められる。


 その姿は忘れようがない。

 第二ターン、アルスの顔の皮を手にしていた純白の殺人鬼そのもの。


 全身の服、手袋、マフラー、靴下、靴に至るまで白く塗り潰し、肌を全く見せず、白以外で視認出来る別色は髪の黒色と仮面の眼窩から光る緋色の瞳だけ。


「ま、まさか…その姿…アルス、貴方が」

 心の底から、魂の根源から、見ただけで恐怖を喚起する圧倒的存在。


「“スヴァーヴァ”!」


 こうして文章にすると、アルスの姿が変化に要した時間が長く感じるが、それはカディの相対的時間による感覚であり、実際には一秒にも満たない。


 そう、カディは『恐怖』していたのだ。

 思考も伴わず、ただ本能的に。


「カディ、どいてろ!」

 二階のスロープから見ていたジン・アルビオンの反応は速かった。

 二階から飛び降りつつ、シグルーンを発動させる。


「懲りずに冥府から還ってきたか! ならば再び送り還してやるぞ。《塵壊破》!」


 ジンは上方より、スヴァーヴァとなったアルスに向けて、分子崩壊を齎すナノマシンを放射する。

 白い靄状のナノマシンがスヴァーヴァを覆うが、白き殺人鬼は回避もせず、無機物のような紅い瞳を正面のカディに向けたままだった。


「俺の《塵壊破》が効かない!? まさか、以前の戦闘で耐性を身につけたのか? それとも別の効果か?」

 本来であれば、《塵壊破》を浴びた物質は例外なく分子レベルで塵に還元されるが、このスヴァーヴァには全く効果がなかった。



 スヴァーヴァとなったアルスの全身からナノマシンが散布され、リノリウムの床が桜の花びらとなって舞い上がる。


「アルスの《桜濫》だ。それも体外にナノマシンを放出している。ナノマシンの放出方法が判らないって言っていたのに!」

 カディは後退し、ジンも迂闊に接近する愚を悟り距離を取った。


 スヴァーヴァは動かない。

 不気味なまでに、カディから眼を逸らさず、その行動を注視している。


 ヒュン!


 二階から風を切り、五本の棒がスヴァーヴァの身体に突き刺さった。

 これはエンクスの『黒釘』であった。

『黒釘』はエンクスのナノマシンで造られた、いわばナノマシンの塊である。

 通常使用時では、相手の身体に傷付けた際に、『黒釘』の接触面のみ解凍され、ナノマシンが対象内部に入り込む事で効果を発動する。

 エンクスはスロープから飛び降り、カディとジンの前に立つ。


「外からの攻撃に強いなら、内部から喰い破るまでだ。俺の上位シグルーン《スプモーニ》で!」


 このシグルーンは、一般的に《カクテル》と呼ばれる。

 術者のナノマシンを、ナノマシンを保有する対象内部に流し込み、自分と対象のナノマシンと共鳴と反発を同時に引き起こすことで、対象の構造崩壊に導く。


 第四ターンでレンダの機獣ラーを倒す程の威力であるが、近距離で発動しなければ効果が弱いという欠点がある。

 これは『黒釘』が電波を受信するアンテナと同じ働きをしているためだ。


 だが、エンクスの侵食能力であれば、例え至近距離であっても何もさせない。

 スヴァーヴァは『黒釘』で刺された部分から不自然に体組織が泡立つように盛り上がり、組織崩壊が始まっていた。


「スヴァーヴァだろうと機獣だろうと、内部からの侵食には弱い! 自らのナノマシンに喰われて朽ち果てろ!」


 ……ように見えた。


「ん?」

 泡状に盛り上がった部分は元に戻り、スヴァーヴァは何事もないか様に、身体に刺さった『黒釘』を引き抜いた。

 エンクスには次の動きが全く見えず、気づいた時には、『黒釘』が右肩に突き刺さっていた。

 痛みは、遅れてやってきた。


「ガァッ! 無効化だと!? 近距離からのランダム・モジュレーションによるナノマシン侵食なのに!」


 自身の奥義が一瞬で無効化され、おまけに『黒釘』を神速で投げ返されたエンクスは思考に寄らず、ただ本能のままに後ろに下がろうとする。

 その反応がカディのものと同一であると、本人は気付いていないだろう。


 その時、スヴァーヴァはリノリウムの床に落ちていた魔剣『心炎』に向けて手を伸ばし、魔剣は独りでに動き出し、主人を見つけた仔犬の様に手許に戻ってきた。


「くっ!」

 エンクスはペインブロックで痛みを消しつつ、右肩から『黒釘』を引き抜こうとするが間に合わない。


「忍法・土遁《旋蜂殲潰》!」

 すんでのところで、宗像土門の最大奥義が割ってはいる。

 数千の巻きビシによる大旋風が、スヴァーヴァに直撃し、黒い暴風に呑み込まれた。


 この術は巻きビシを電磁力で大回転させてぶつけるものであり、物理的ダメージは勿論、巻きビシをコントロールしている電磁力が範囲内のナノマシンを死滅させる効果を併せ持つ。

 生半可な構造変換や物理防御では防げないので、回避が最も有効だ。


 エンクスもそれは知っていたので、スヴァーヴァがこれを喰らってくれて、心からホッとした。


 が!


 スヴァーヴァは無造作な魔剣の一振りにより、その剣閃から巻きビシは桜の花びらに変換され、黒い暴風は桜吹雪と成り換わる。


「何だとッ!」


 エンクスが最期に見たのは、斬り裂き桜吹雪の狭間から飛び出す白き仮面の殺人鬼であった。

 神速で間合いを詰め、左肩から右脇腹まで切断された。

 エンクスは切断面から全身を桜の花びらとなり、自身が散り逝く様を見つつ消え去った。


「…これが伝説の殺人鬼…スヴァーヴァか!」


 一流の忍びとして、そして経験豊富な忍びとして数多の強敵を屠ってきた男ですら驚嘆する圧倒的存在。


 横合いから絶妙なタイミングによる奇襲で、それも最大最強奥義だったにも関わらず、桜吹雪の中心にいる白き殺人鬼には傷一つつけられない。


 土門は、そしてジンとカディも同時に悟っていた。

 目の前にいる桜吹雪を従える白き殺人鬼に、単独では敵わない事を。


 その一方。

 スヴァーヴァと覚醒したアルスの頭部にへばりついていたスコールは、歓喜に打ち震えていた。


《ははは、よくやったぞアルス! クライアントの言った通りだった。お前には最強に成れる程の器がある。俺はその器が欲しい! 貰い受けるぞ、その身体ごと》


 スコールのバイオチップを覆う緑色をした粘性のある液体スライムがアルスの頭部に浸透し、全身のコントロールをほぼ百パーセント奪いとった。


 スコールは新たなる肉体を動かすべく、まずは魔剣を握る右手をあげようとするが、全く動かなかった。


《ん? まだ神経融合が完全ではないか?》

 改めて《スライム》に電気信号を送り、動かそうとするが、まだ動かない。

《それとも、まだ抵抗しているのか? なら無駄だ。完全融合したらお前の自我も俺の一部となる。これからは二人で一人として、仲良く―!?》


 スコールは有るはずのない違和感を覚えた。

 その違和感の正体は『痛み』。

 すでに肉体を持たず、他人の肉体を乗っ取っても感じるはずのない感覚。

 その『痛み』は肌を針でチクチクされた様な軽いものだった。


《何だ、この感覚? 三百年ぶりぐらいの『痛み』? …い、痛いッ!》


 それは激烈な『痛み』だった。

 針でチクチクされたという生易しい痛みではなく、例えるなら目玉の中に指を突っ込まれたような『痛み』だった。


《ぐぁあああっ! 何なんだ、この『痛み』は!? 有るはずが無いのに『痛い』! 『痛い』! お、お前の仕業なのか? お前は俺の融合侵食に耐えられるのか? こ、今度は熱い!》


 スコールは自身のバイオチップを覆う《スライム》がナノマシン侵食を受けて、徐々に桜の花びらを咲かせているのに気がついた。


《こ、これは、アルスの《桜濫》!? バカな、俺の《スライム》は対ナノマシン侵食耐性を備えているのに!》


 シグルーン《スライム》には、『生体維持』『融合侵食』『対ナノマシン侵食』と三つの効果を併せ持つ。

 本来であれば《桜濫》の侵食変換をキャンセル出来る筈であるが、この乗っ取りかけているスヴァーヴァの力は、スコールの想像を遥かに超えていた。


《俺の《スライム》ごと桜の花に換えるというのか! こんな事が、こんなバカな事が許されるのか!? 話が違うぞ! 危なくなっても助けてくれる約束だろ!? 今こそ助けろ!》


 ――御苦労様。


《なっ…――》

 何処からか聞こえてきた一言が、スコールが聞いた最後の言葉だった。

 三百年前に肉体を捨て、人から人の身体に乗り移り、誰にも顔と本当の名前を残す事も出来ず、目の前にいるカディ・ジン・土門の三人は存在にすら気づかれない。


 寄生者の人生は桜の花びらと共に消えていった。


 そして、新たなる当代の“スヴァーヴァ”が降臨する。



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