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第十一話「“屍喰の聖女”」

■アルス:現代の五月十一日、一五:〇三



「こうして船団の危機は回避され、少女は船団の救世主として、再び人々の尊敬を取り戻し、“アレキサンドリア小町”っていう立派な渾名も戴きました」


 話を聞き、オレは何度も頷いた。

「さすがカディだ。死にかけた船団を一人で蘇らせるなんて、カディに惚れたオレの眼に狂いはなかった」

「狂ってるのはお兄ちゃんの頭の中ですか? そんなセリフを聞かれたら、またお姉ちゃんに嫌われますよ」

 自分の恋人のように語るオレに、カノンが呆れている。

 なんかヘンだったか?


「そう言ってやるな。男は自分の惚れた女が褒められると嬉しい生き物だからな」


 その声は、背後の樹から聞こえてきた。

 油断していたわけではない。

 声の主の陰行が見事すぎたのだ。


「誰だ!」

 オレは右手から魔剣『心炎』を出し、カノンを自分の後ろに隠しつつ、樹に向かって剣を構える。


「慌てるな、俺だ」

 樹の後ろから出てきたのは、白い髪と白い肌、それに紅玉の瞳をした男、

 ジン・アルビオンである。

「『慌てるな』っていうセリフは、味方に対して言うものだから、お前が使うのは適切ではないぞ」

「一理あるな。だがゲーム期間中において、ゲーム時間以外での戦闘は禁止だ。剣をしまうといい」

 言われるまでもなく、すでに体内に収納済みである。

 それにしても気に入らないのが、カディも来た事がないオレのお気に入りの領域テリトリーに無断で入ってきた事だ。


「用はオレの顔を見に来る事か? なら済んだだろ? 早く家に帰れ」

「歓迎されていないのは分かるが、オレはお前にカディ・ケースの情報を渡せるぞ」

「今すぐ話せ」

「すごい食いつきだな。そこの小さなお嬢様の話に嘘があると教えたいのさ」

「嘘? カノンがオレに嘘を言うわけがないだろう」

 これまでそう思っていたけど、ジンが「嘘」と告げた時のカノンの震えを見逃さなかった。

 さっきの話の何処に嘘があるのだろうか?

 いや、そもそも嘘を告げて、何の意味がある?


「嘘というのは正確ではないな。さっきの話が途中で終わっていて、オチがついていないと言いたいのさ」

「オチ? みんなから敬意を込めて“アレキサンドリア小町”と呼ばれるようになり、メデタシメデタシじゃあないのか?」

 その疑問に対し、カノンは視線を落とした。

「……そうなのか、まだ続きがあるのか。でもなんでオレにそんな事を伝える? お前に何か特でもあるのか?」

「何もないし、どうでもいい事だ。それに有名な話だから、調べればすぐにわかる。ただ、俺が教える理由は、どちらかと言えばお前に対する個人的な興味だ」

「……すまないが、そっちの趣味はないぞ。だから告白は無駄だ」

 なんでオレが済まながっているんだ?


「第二ターンで、お前を殺したスヴァーヴァに止めを差したのは俺だ」

 いきなりの告白に、オレは愕然とした。

 目の前に『オレを殺したヤツを殺した男』がいる。

 それは胸の中で鐘が打たれる程に、動悸が激しくなる。

 全身から汗が吹き出て、呼吸が乱れる。


「《蘇生》のシグルーン。その痕跡がこの樹にあるな。この公園は立ち入り禁止区域ではないが、地図上では『旧晴海』エリアとなっている。お前はその盲点を利用して、ここにセーブポイントを作成して樹の中に隠していたのだろう」


 全て見抜かれていた。

 ゲーム開始の前日、オレが受け取った参加特典カードの内、一枚がシグルーンカード『限定蘇生』であった。

 死んだ場合、セーブした場所、作成時のステータスで蘇生するものだ。

 死んでもやり直しがきくのは良いのだが、問題が二つあった。


 一つ目は復活までに約二日かかる事点だ。

 もし、復活中に見つかって攻撃されれば、ひとたまりもなくやられてしまう。


 二つ目に、蘇生できる場所が『セーブポイントを作成した場所』に限定される事だ。

 『事象時戯の略儀』のルールには、ゲーム時間中はゲームエリア外に出た時点で失格になるとある。

 ということは、復活したタイミングがゲーム時間中であり、セーブポイントが自宅であった場合、その時点で失格になってしまう。

 そこでオレが考えたのは、一般人が立ち入れるエリアで人が来ない場所をセーブポイントに選ぶ事だった。

 仮に蘇生中もゲーム時間中におけるエリア内に留まるルールに適用されても、地図上では『旧晴海エリア』である。ルールには抵触しない。


「お前の工夫には恐れ入ったが、興味をひかれたのはそこではない。第一・二ターンで見せた狡猾さと残忍さだ。その男が死んでやり直したらマトモな闘い方をするようになっていた。第一ターンが始まる前に何があった?」

「……………………」


 別に隠しているわけではない。

 オレにも記憶がないからしゃべりようがないだけだ。

 第一・二ターンのオレがどうだったか知らないが、何かあったとすれば、セーブポイント作成以降であろう。


「そうか、話す気はないか。まあいい。話す中でその心底が覗けるだろう」

「……物好きだな、アンタ」

「認めよう。だが、人に裏切られた経験があるなら、どういった場面で人が豹変するのか興味を持つのは当然だと思わないか? まして、お前の好きなカディ・ケースのように、人の敬意と嫌忌の狭間で生きている人間の事例は貴重なサンプルだ」

「嫌忌? さっきの話に、嫌われる要素なんてないだろうが」


 さっきから何が言いたいんだ?

 オレにある事ない事を吹き込んで、カディと断絶させようと考えているなら無駄だ。

 すでにコンビは解消済みだ。


「何を狙ってオレにそんな話をする?」

「カディ・ケースの真実を知り、何かの因子で狂気に奔るお前の選択を知りたい」

「知ってどうするんだ?」

「それは俺の事情だ。お前には関係ない。聞きたくないならもう帰るがね」

「待て、聞かせろ。少なくとも、それが今のオレの選択だ」


 それを聞いて、カノンは肩を落とした。

 どうやら聞かせたくないようだが、オレは聞きたい。

 良くない話みたいだが、カディが何かに悩んでいるなら、命を懸けて解決してあげたい。

 この気持ちは誰であっても、例えセレナがいても止められない。


「ならば座るといい。俺も座る。そして聞くといい。“屍喰の聖女”の物語を」




■十年前:船団都市アレキサンドリア



 少女の活躍で、餓死寸前だった船団は蘇った。

 少女は“アレキサンドリア小町”と呼ばれるようになり、門人達もお嬢の評判が前以上になって誇らしげであった。

 ただ、何故か少女から笑顔が喪われたままであった。


 そんなある日、船団に一隻の小さい船が訪れた。

 それは『祈祷師』と呼ばれる集団であった。

 船には六人乗っていて、祈祷師の長は『聖者』と呼ばれていた。



「貴方が有名な『聖者』様方御一行ですか。お初にお目にかかります」

「こちらこそ、会見につきまして、ご快諾頂き、誠にありがとうございます」


 聖者は特に表情を映さず、気軽に応対してくれた船団長パトリックに対しても愛想笑いの一つも浮かべない。

 年齢も四十代にも五十代にも見えるが、実はもっと若いかもしれない。


「して、如何なるご用件でしょうか? 我々に出来ることであれば、ご要望に応じたいと思います」


 現在、アレキサンドリアは困窮しているが、助けを乞う者に対して援助の手を差し伸べるのが基本方針である。少なくとも、話をする前から断るような非礼を働く事はなかった。


「有り難き御言葉です。されど、我らは貴兄等に何かを求めて推参したわけではありません」

「では、逆に我等を助けていただくためにいらっしゃったのですか?」

 パトリックが冗談めかして聞いてみると、聖者は仰行に頷いた。

「正にその通りです。単刀直入に助けて差し上げたい。先日、別の船団都市にてアレキサンドリアの外交官とお会いしました。彼は困窮した船団の救援を必死に交渉しており、その至誠に胸を打たれた次第です」

「それはありがとうございます。それでどういったご援助をいただけるのでしょうか?」


「私は微力ながらも祈祷の法力を所有致しております。聞けば、船団は不漁が一ヶ月以上も続いているとか。ならば、私の法力で魚を集めて差し上げたいと思います」

 パトリックは爆笑しかけて、それが出る直前に飲み込んだ。


「それはありがたい。もし可能であれば、是非にお願い申し上げます。ただ……」

「如何なされましたか?」

「ご存知でしょうが、船団は困窮しきっておるので、満足な御礼も出来かねる状況です。そんな中、お願いするのは恐縮ですが」


 ここで初めて、聖者は笑った。


「心配無用です。我等は喜捨(寄付)を募っているわけではありません。我等が喜捨するのです」

 誇らしげに語る聖者に、内心では不審感を拭えないパトリックは、遠慮なく聞いてみる事にした。


「その様な事をしていて、聖者様にどういった利益がございましょうか?」

「利益を得るのは私ではありません。我々に関わる方々が得るのです。我等は自らを喜捨する事により、より良い世界に導くのです」

「ほう、では聖者様は世界の水先案内人といったところですか?」

「水先案内人……」

 聖者はその言葉を吟味するように、一度だけ刻む。

「良い言葉です。正に私は世界の水先案内人を目指すべく、九つの海を渡り続けているのかもしれない」

「わかりました。こちらとしても、聖者様の法力で魚達が戻ってくれば、それに勝る喜びはありません。ただ、何かしらの御礼はさせていただきます」

 聖者は一度右手を振り、話は終わったとばかりに立ち上がる。

「では早速、祈祷を行いたく存じます」


 二時間後、船団の中央船ヴィクトリアの甲板に、キャンプファイヤーのような櫓が組まれ、火がつけられた。

 周囲には、船団の子供達が『大漁追福』と書いたお手製のノボリ旗が何十個も並ぶ。


 この様子を見た船団の人々は、あまりにお手盛り過ぎる儀式の様式に、こいつは好きな事だけを言って人々を惑わせる詐欺師の変種だと噂した。

 パトリックも、聞えよがしの陰口を聞きつつ、苦り切った顔をしていた。


 この様式は、全て聖者の注文通りである。

 大量の火があればいいとの事で、青年会にキャンプファイヤーを作らせた。

 ノボリ旗も、書く人が気持ちを込めてくれればいいと、パトリックの孫とその友達に書かせたものである。

 パトリックですら半ば後悔しかけていたが、ここまで来るとどうしようもない。魚が来る事を祈るよりも、早く終わる事だけを祈るだけだ。


 そんなパトリックの気持ちも知らぬげに、『本職』による祈祷は、見物に来た何千という観客を前にして始まった。

 この日の気温は三十四度を超える、真夏の炎天下。

 盛大に火が焚かれたキャンプファイヤーの前で、聖者と呼ばれる男が汗を滝のように流しつつ、祈りを捧げはじめる。


「我、聖者の銘を持ちて、神籬ひもろぎより願い奉る。厳しくも糧を齎す母なる海よ、我等が至誠を天地海に捧げ、今再び豊饒なる恵みを齎し給え」


 両手で組むのは龍神印。

 本来は雨乞いに使われるが、この場にいた人々にその知識はない。

 そして、聖者は巡礼服の袂に手を入れると、白い何かを出した。

 後でこれが『鯨の骨』だと、聖者は答えたという。

 聖者は二度、その白い何かを天に差し出すと、キャンプファイヤーに放り込んだ。

 観客からは無形のどよめきと、幾つかの失笑が湧く。


 その後、聖者は特に祈る様子も見せず、ただひたすらに火だけを見ていた。

 いつしか夏の空は朱に染まりつつあり、火が燃え尽きた時には陽が沈む寸前であった。

 藍色の空に、西からの茜色の陽が聖者を照らす中、聖者は厳かに告げる。


「これで明日からは大漁です」


 観客からは大声援が起こる………わけもなく、ただ疲れた溜息だけが一斉に聞こえた。




 ■アルス:現代の五月十一日、一六:〇三




 ジンの長い話が終わり、オレも観客と同じ気持ちになった。

「ふーん。要するに聖者は詐欺師というか、劇場型の法螺吹きだったわけか。無料招待の演劇と思えば罪もないし、いいんじゃないの?」

「ふふ、普通はそうなるな。だが、それだけでは有名な話にならない。結果はそちらのお嬢さんに聞いてみるといい」


「ん? 違ったかい?」

 カノンに振ると、どこか恨めしげにジンを睨んだ。

「はい、結論から言うと、次の日から大漁でした。それもこれまでにないほどの豊漁で、アレキサンドリア史上最大級の海ヘビも仕留めて、一気に食料事情は好転しました」


「信じられない……ホンモノか?」

「船団の人々も同じです。次の日の早朝は『聖者様とやらの御利益にあやかりに行こう』とかなんとか言っていたようですが、そんな言葉は間もなく消えました」




■船団都市アレキサンドリア:十年前



 大漁!

 正に豊漁!

 網ですくっただけでも鯵が釣れるのではないかという位に大漁であった。

 ほぼ一ヶ月ぶりに魚がまとめて獲れたのである。これではしゃがない漁師はいない。

 夢中になって作業に勤しみ、気がつけば積載量限界まで獲り尽くしていた。


 漁船が次々に帰還し、船揚される鯵の豊漁ぶりに船団が沸き返った。

 魚はすぐに市場に出回り、その日は、どの家庭でも鯵の塩焼きや刺身を食べた。


 空けて次の日も大漁。

 そうなると『聖者様とやら』は、歴とした『聖者』となり、船団中のみんなから敬意を捧げられる存在となった。

 聖者は「結果を確認するまでは留まる」と宣言していて、船に留まっていた。

 しかも、特に聖者はその功績を誇る事もなく、贈り物も全く受け取らず、無愛想な目でお礼を口にする人々を眺めていた。


 船団を代表して、パトリックは是非御礼をさせて欲しいと頼み込んだ。

 すると、聖者はいつもの口調で一つだけ所望した。


「では、この船にも皆様を救済した『奇蹟の少女』がいらっしゃると伺っております。その方と会談させていただけませんか?」


 パトリックは思いもかけない要望を告げられて、正直戸惑った。

 年端のいかない少女を、意図が不明なまま合わせていいのか咄嗟に判断がつかなかった。

「御心配なく。会談は皆様の見ている前で行います。先日の祈祷した場所にイスとテーブルを用意して頂くだけで結構です」

 こちらの心配を見抜いたかのような提案に、パトリックは最終的には少女本人に決めてもらうと答えた。


 次の日の正午、またもや大勢の観衆の中、奇蹟の二人、即ち“聖者”と“アレキサンドリア小町”が顔を合わせる事となった。


「“アレキサンドリア小町”様、会談にご快諾頂けたこと、とても感謝しております」

「いえ、聖者様の御祈祷のお陰で、私達みんなが助かりました。ありがとうございます」

 聖者と少女は互いに頭を下げあい、和やかとは言えないまでも、可もなく不可もない様子で進行した。


「聖者様は私に何かお聞きしたい事があるのですか?」

 このセリフは、予めパトリックが用意してくれた台本そのままである。パトリックはこの会談に反対していて、今度こそ速やかに終わって欲しいと心から祈っていた。


「“アレキサンドリア小町”様は」

「カディと、お呼び下さい」

「ではカディ様、貴女のお力で船団に行き渡る程に鳥肉をお作りになられたとお聞きしましたが、これは事実でしょうか?」

「事実です」

「成る程。貴女のお力はナノマシンに起因するものと存じます」

「……その通りです」

 少女はそれがどうかしたのか、といった態度を取ろうとしていたが、僅かに回答が遅かった。

「では改めてお聞きします。貴女のお力は『人を治す力』ですか?」

「っ!?」

「人の怪我を直すのと、鳥の骨から鳥そのものを再現するのは、同じようでいて全く別物です」

 少女の日焼けした顔が、次第に青ざめていくのが観衆にも分かった。


「怪我をした人を治すのは、シグリヴァは『修復』といいます。『修復』のプロセスは遺伝子構造の解析。解析後、それを設計図にして再構造化。結果として人体は元通りとなり『修復』されます」


 聖者はそこで一度、水を飲んだ。

 水を持たなかった観衆は固唾を飲む。


「では、鳥の骨から鳥そのものを再現するのはどうでしょうか? 人体と同じように遺伝子構造を解析して修復。修復した鳥を食べて、骨だけ残し、それを修復。これは同じ『修復』かどうか」

「……………………」

「答えは違う。それは『複製』と呼ばれるものです」

 観衆はざわめく。

 それがどうかしたのか?

 何が言いたいのだと、半ば非難の目で見る者もいた。


「体内にあるナノマシンを自在に操るシグリヴァという存在でも、理論的に可能であっても、絶対に出来ない事がある。それが『複製』。世界の何処かにある筈の、ナノマシンを総括してコントロールするシステムにより、『複製』は禁止されている。よって、カディ様の『骨から再生させて増やした』というのは有り得ないと結論付け出来ます」


 少女は震えていた。

 それでも、目は聖者を射抜いていた。

 何でそんな事を言うのだろうと思った。

 何の得があり、みんなの前で自分を追い詰めようとしているのだろうと思った。


「では、カディ様はどのようにして鳥肉を増やしたのか? ここからは私の推論です」

 聖者は前置きして続ける。

「同一の物質を複製する事は出来ない。しかし、もし構造解析した遺伝子情報を『別のモノ』に転写する機能を有していたのなら、これは可能です」


 少女は観念し、目を閉じる。


「例えば、先日の台風で流れてきた大量の屍体に遺伝子情報を転写して構造変換を行い、分子レベルで屍体を『鳥肉と同一のモノ』にする」


 シン


 千を超える観衆に沈黙が下りる。

 誰もが言っている意味が理解出来ない。

 話の内容が難解だったのか?

 そういう人もいたかもしれない。

 ただ今回の話に限るなら、そういった人ほど、聖者の言わんとしている事が早く理解出来た。


「…………つまり、炊き出しに出た鳥肉は、人の屍体?」

「………………………………………………………………」

「どうなのですか、カディ様?」

 少女は目を開き、あっさりと答えた。

「その通りです」


 言葉では表現し難い、重苦しいざわめきが沸き起こる。

 この雰囲気を端的に表す擬音は何であろうか?

 あえて言うなら、一斉に沸き起こった、人が胃の中身を逆流させた『吐瀉』の呻きと同じであろう。


「―――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」


 もはやそこは阿鼻叫喚。

 吐きに吐き、吐いてない者も、人が吐いているのを見て吐く、吐瀉の連鎖。

 観衆が落ち着くまでに、それほど時間は掛からなかったが、少女からしたらどうであろうか?


「聖者様、なんでこんな事を言うのですか? 言わなければ何も起こらないのに。誰も傷つかないのに」


 すると観衆から怒声が沸いた。

「ふざけるな! ひ、人の屍体を喰わせておきながら、お前がどうこう言える立場か!」

 少女はその声の方向に顔を向ける。

「でも、あのままだとみんなが死んじゃうと思った。なんとかしたいと思った。人が人を食べる事は許されないと分かっている! それでも食べなきゃ死ぬなら、人の屍体を鳥肉に換えられるなら、そうすべきだと思った!」

 少女の叫びに対する、助けた人々の答えは、怒りだった。


「そんな事をお前に強要される謂れはない!」

「いくら鳥肉と同じ物に換えられても元は人だ! 人を食べてまで生きていたくない! 死んだ方がマシだ!」

「第一、あと少し辛抱すれば聖者様が来て、俺達を助けてくれたじゃないか!」

「いえ、助けられませんでしたよ」

 聖者はいつもの愛想のない声で言った。

 その声は日常会話の大きさにも関わらず、誰の耳にも届いた。


「私がこの船団に来たのは、前に訪れていた船団で、貴方達の外交官が少女の奇蹟を誇らしげに語っていたからです。それがなければ通り過ぎていました」

 観衆の一人が尋ねる。

「では、聖者様は私達をお救いになるために来てくれたのではないのですか?」

「私は訪れた先で人が困っていれば誰でも助けます。救済は特別な行為ではなく『当然』の如く行う事です。特に恩に着ていただかなく必要はございません」

 素っ気ない聖者の言葉に、激昂した観衆は感情の行き場を失い沈黙した。


「私の目的は奇蹟の偉業を成し遂げたカディ様にお逢いする事。ただ、それのみです」

「私にこんな酷い事をしておいてですか!?」

 少女はその大きな瞳に、大粒の涙を溜めながら叫んだ。


 少女は心から傷ついていた。

 人が人を食べてはならない。

 そんな倫理観は、少女だって持っている。

 だけど、あの状況では最善策ではなかったのか。

 あれ以外に方法はあったのか、少女は対案を欲していたが、誰も示すことなく一方的に非難する。

 少女が一番堪えたのは、『それなら死んだ方がマシ』という言葉だった。

 人を食べないようにするために、わざわざ分子レベルで屍体を変換したのである。

 変換したので屍体の数は千と八。

 少女は何度も気絶しながらも、船団全員に『鳥肉と海藻のスープ』を届けるために、死力を振り絞った結果がこれだった。


 溢れる涙はなんなのだろうか?

 人の非難に傷ついたから?

 頑張った自分に報いる事が出来なかったから?

 助けた人々に裏切られたから?


 八歳の少女は、涙の意味も分からず、ただひたすら涙を流した。


「カディ様、『聖者』という存在は人を救済する者を指すわけではありません」

 聖者は立ち上がり、少女の側に歩み寄る。

 少女は慌てて立ち上がり、一歩後ろに引くが、聖者は気にせず二歩前に進む。


「“聖者”とは、救済のために自らの手を汚してでも成し遂げた者こそに捧げられる称号です」

 そう言って左手で少女の右手をそっと掴み、右手の平を手首の上に乗せた。

「それは裸足で七五〇キロ、血塗れになりながら休みなく歩かされ、最後には処刑される程に辛く苦しいものです」

 聖者は片膝をついた。

「畏れを知りつつ、敢然と立ち向かい、船団の人々を救済した貴女こそ、『聖者』の称号に相応しい」

 聖者の右手に触れられている部分が熱い。

「なにを?」

「貴女に私がしてあげられる事は二つ。一つは『聖痕』を貴女に差し上げる事。『聖痕』はいつか必ず貴女の力になりましょう。心から必要がないと思えば完全に消去も可能です」

「そんな事、私は望んでなんかいない」

「聞きなさい」

 聖者は一喝して黙らせる。

「二つ目は、聖者となった貴女に相応しい銘を差し上げる事」

 聖者は手を離し、少女の右腕には二匹の蛇が絡み合ったような小さなアザが刻まれていた。


「貴女の銘。それは“屍喰の聖女”」


 それだけ告げると、聖者は背を向け、歩き出した。

「全てにおいて、貴方は勝手すぎる人です」

「“聖者”を一般的な良識では測れません。だからこそ、その結末は無残となるのでしょう」

 聖者の足は止まらず、甲板の端まできた。

「聖者様のお名前を聞いておきます」

 すると聖者は振り返り、何時もの無愛想な顔で答えた。

「名もすでに喜捨しております、私をあえて呼ぶなら“巫覡の聖者”とお呼び下さい。それでは、遥か先の遥か彼方で、またお逢いしましょう」


 こうしては“巫覡の聖者”去った。

 醜悪な真実のみを白日の下に晒し、にも関わらずそれを一顧だにせず、“巫覡の聖者”は去る。




■アルス:現代の五月十一日、一六:二六



「結局、何者かは分からずじまいなんだ。何者でもないお騒がせ屋なだけかもしれないけど」

「そうですね。私もそれで間違ってないと思います」

「でも、聖者の仕事は終わったけど、カディにはその後に続きがあるんでし?」


「そうだ、その後が本番だ」

 いきなり喋り出すジンに、アルスは鼻白むが、取り敢えず黙って続きを聞く姿勢になった。

「俺からすれば屍体を鳥肉に換えて食うなど、どうってことはない。だが、連中にそんな悟性を求めるだけ無駄だ。破局は間も無く訪れた」




■十年前:船団都市アレキサンドリア



 “巫覡の聖者”が去り、その場には千の観衆と“屍喰の聖女”だけが取り残された。

 誰も立ち去らず、誰も立ち去れず、口を開く事も出来ず、ただ事実の前に立ち竦んでいた。


 口を開けたのは、聖女となった少女の父である。


「なんで、私に相談してくれなかったんだ? せめて私が聞いていれば」

 その言葉に、『聖女』の中の少女の部分が猛烈に怒りを発した。

「聞いていたらどうしたんですか!?

 何かいい方法を思いついたのですか!?

 それまで出来なかったのに、人の屍体を鳥肉に換える事を告げればアイディアが閃くのですか!?」

「そういうことを言っているのではない。ただ、人として守らなければならないものがあると言いたいのだ」

「そのために死んでも構わないのですか!?」

「それは極論だ」


 少女は漸く絶望した。

 父も含めて、誰もが何も考えず、何の責任も持たず、ただ救世主が現れるのを待つだけの、人の形をした子羊でしかなかった。

 少女は子羊を助けたいから、禁忌を犯した訳では断じてない。


 誰も何もしない。

 それでいて、不都合な事は人に全て押しつける。

 世の常と言えばそれまでだが、その厳しさを九歳の少女に求めるのは、いい歳をした大人達としては情けなさ過ぎる。


 少女がそこまで考えが至り、誰もが助けるに価しないと悟った時、少女は“屍喰の聖女”と成った。


「極論? 笑わせないで下さい」

 俯いた娘から、地の底から響くような声を聞いた時、父は不覚にも震え上がった。

「極論も何もない。真理は一つしかありません。それは」

 少女は顔を上げ、高らかに宣言した。


「『イヤなら食べるな』。それだけです」


 シンと静まり返った甲板から“屍喰の聖女”も去ってゆく。

 後に残されたのは、聖女が子羊と断じた、人の姿をしたイキモノだけであった。


 その日より、アレキサンドリアは真っ二つに割れた。

 “屍喰の聖女”の行為こそ生き残るための唯一の方法であり、容認するごく少数の人々。

 もう一つは、たとえ分子レベルで変換しているとはいえ、人を食べてはならないという大多数の人々。


 聖女は一人で屍体を引き上げていたわけではない。護衛の師範代達も協力して引き上げていたのだ。

 しかし、それを知らなかった道場の門人達は一斉にやめ、広い道場は聖女と十名にも満たない人数となった。

 館長の父も道場に出てこない。

 父はその日から拒食症になり、この三ヶ月後に餓死した。


 道場はすでに寂れきっていたので、父の死はさしたる問題でもなくなっていた。

 躁鬱病の母は以前、部屋から出てこない。

 何人かの旧門人が部屋に出入りしているが、もはやどうでもいい。

 聖女にとって大切なのは、まだ二歳の妹である。

 その存在だけが、聖女を年相応の少女たらしめていた。


 そして、その日が訪れた。


 聖女に反発する圧倒的多数の人々が、聖女の一番大切な妹を人質に取った。


「妹を離して下さい」

「人喰いの化物にはこの娘をわたさないわ!」

 どこか調子外れな金切り声を上げているのは、躁鬱病を患う母だった。

 母は男達に守られつつ、紫雲丸の講堂にある壇上舞台中央に立っていた。

 講堂中は百人の男達が壁際に控えていて、少女は完全に取り囲まれた。


 普段であれば、講堂はスポーツ教室や集会に使用されているが、事前申請で個人使用も可能であった。

 その日、少女が道場で鍛錬をしていたが、今も通っている門人が仕事で出前に行った帰りに騒ぎを聞きつけ急報した。

 百人規模での無断行動は、船団法で『暴動行為』と認定される。

 そうなると個人での解決も困難とアルベルト師範代は判断し、保安局に通報に走らせつつ、彼自身はパトリック船団長に穏便な解決を依頼しにいった。

 本来であれば、アルベルト自身が講堂に行きたいが、船団長に依頼出来るのが彼以外では少女だけである。

 少女はすでに飛び出したので、アルベルトが行くしかなかった。


 壇上にいる母のお腹を見れば、明らかに妊娠している程に膨らんでいた。

 昼間から男達が入れ替わり立ち代り来ていれば、何をしていたか想像もついていたので特段驚く事もない。

 問題は母に抱きかかえられ、力の限り泣いている妹だ。


「お母さん、私の妹を返して下さい」

「お前の妹じゃないわ。この子は私の子です」


 少女も問答で母をどうにか出来るとは考えていない。会話を続けて、自分に協力してくれる門人達が救出する時間を稼ごうとしていた。


「なんでこんな事をするのですか?」

「決まってるでしょ! お前から引き離すためよ!」

「引き離す? 普段全く面倒を見ていないのに、今さら母親になるのですか?」

「私が産んだ!」

 全く会話が成立していなかった。

 少女はふーと息をつき、それがまた母の神経を逆撫でした。

「わかりました。ではそのままその子を抱いたまま家に帰ってください。皆様に迷惑ですよ」

「あそこは私の家じゃない! 私は私の家に帰るんだ!」

「よくわかりませんが、おじいちゃんの家に行くのですか?」

「お前の祖父じゃない!」


 『~じゃない』という言い回しは、喋り出したばかりの幼児特有の反応である。

 少し前までは子守りのバイトをしていた少女からすると、母は幼児と同レベルであった。

 それだけに、父はあの母のどこを見て結婚したのかと考えると、情けなくなる。

 まあ政治的野心の強かった父は、母の実家の力が目当てとかその程度だと予想はしているが。


「私はお父さんとお母さんの子供なので、お母さんのお父さんなら、私のおじいちゃんのです」

「違う! お前は私の子じゃない! お前は化物の子だ!」

 今更、母の言葉では傷つかない。

 ただ、少女を怒らせただけだ。


「なるほど、一理ありますね。お母さんのお腹の子はお父さんじゃないでしょ? お母さんは結婚する前も後も、知らない男の人達と遊んでいたでしょうから、私の父親も誰だかわかりませんね」


 八歳の少女に、これだけあからさまに侮蔑され、怒らない大人はそうはいない。

 まして、思い当たる節が多すぎる母は顔を真っ赤にした。

 母を守るように取り囲む男達も、視線を泳がせる。

「元からお前のような化け物が私から生まれるものか! お前は産まれた時に悪魔によって取り違えられたんだ!」


 その言葉に、少女の嗜虐的な部分が刺激された。

 少女はククッと嗤う。


「いえ、違います。私はお母さんの子です。私が化け物なら、お母さんが今も捕まえている妹も化け物です」

 その言葉に、母はヒッと悲鳴を上げて、抱きかかえる妹を見る。


「化け物は腕の中だけじゃありませんよ。その下のお腹の中にも。ね、お母さん?」


 かつて娘であった少女の言葉に導かれ、腕から腹に視線が下がる。

 震える手で自分の膨らんだ腹に触れた時、

「キィィィィイッヤァアァァァッ!」

 身の毛がよだつ程の悲鳴を、講堂中に響かせ、少女を除く全ての人の耳を塞がせた。


 そこからの行動は誰も予想がつかなかった。

「ヒィィィイッ!」

 母はそれこそ穢らわしいものを捨てるかのように、妹を放り投げた。


 壇上にいた男達も驚愕する中、少女は機敏に反応した。

 壇上舞台までダッシュし、ギリギリで妹をキャッチした。

 妹は泣き、姉は妹を抱きしめ、背中を撫でる。

 その時、出遅れたが隠れていた少女の味方が講堂に飛び込み、少女の周りに立ち、周囲の男達を視線で制した。

 依然、壇上舞台では悲劇のヒロインよろしく、天井に向かって口を開いていた。


「ち、違う、これは違う、化け物じゃない……化け物はアイツ、このお腹の子は……………………………ダレ?」


 その瞬間を、一人の人間が崩壊する瞬間を、少女と講堂にいる男達が見た。

 母は母でなくなり、女でなくなり、最後に誰でもなくなったのが、誰の目にも感覚として理解した。

 その沈黙は何秒だったか?

 呼吸も瞬きも許さない張り詰めた空間で、母だった存在は、何処に隠していたのかハサミを取り出し、逆手に持って思い切り振り上げた。


「止めて!」

 しかし、壇上舞台にいる男達は誰も動かず。

 母は躊躇いも手加減もなく、ハサミを自分の腹に目掛けて振り下ろした。


「やぁめてぇっ!」

 少女が叫んだ時、少女の内で『何か』が爆ぜた。

 煙が吹いたわけではなく、光ったわけでもない。

 しかし、誰もが『何か』が講堂を埋め尽くし、『結果』が産まれた事だけは理解した。

 ただし、理解出来たのはそこまでである。

 講堂にいた人々で、『結果』そのものを理解出来たのは少女だけであった。



■アルス:現代の五月十一日、一六:五二



「で、何があった?」

 続きを督促するが、カノンはなかなか口を開こうとせず、茫漠として天空海を眺めていた。

 ジンも聞きもしない場面では喋るくせに、黙ったまま木に寄りかかり腕を組んで目を閉じていた。


「……まず、お姉ちゃんを誤解して欲しくないと初めに言っておきます」

「承知している」

 カノンは頷くと、オレに向き合った。


「シグリヴァは感情が高ぶった時、無意識にナノマシンを増殖させて周囲に散布するケースがあります」


 それはオレも経験済みである。

 第三ターンで、カノンと一緒にビルから落ちた時、オレの中でナノマシンが活性化して、降り注ぐ瓦礫を全て桜の花びらに換えた。

 オレの生存本能か何かは分からないけど、あのお陰で《桜濫》に目覚めた。


「お姉ちゃんも講堂でお母さんがお腹にハサミを突き刺そうとした時、ナノマシンが講堂中に散布されました。そして、そのナノマシンを浴びた講堂内の人達は別の姿に換わったのです」

「……何になった?」


「みんな鶏になりました」


「ッ!」

「正確には鶏と人間を合成した様な鳥人間です。お姉ちゃんと私を除いて、みんな自力で立てず床に転がり、人とも鶏ともつかない泣(鳴)き声が船中に聞こえたと言います」


 オレは何も言えず、ただその様子を想像するだけである。

 講堂の中心には幼い姉妹がいて、二人を取り囲む百人が『別の何か』になる光景。


 其処は、正に地獄絵図。


「その時に船団長とアルベルトさんが駆けつけました」


 船団長も講堂に来た時に、その光景を咄嗟に理解出来なかっただろう。

 しかし、原因だけはすぐに気がついたに違いない。

 “屍喰の聖女”によるものだと。


「話自体はこれで全部です。お姉ちゃんとアルベルトさんは道場を売って、修理が進んでいた難民船に道場を立て直し、そこで生活する事になりました」

「カディは罪に問われる事はなかったのかい?」

「幸いにして私が誘拐された事は誰もが認識していたので、正当防衛扱いになり、不問とされました」

「それは良かった」

「ですが、お姉ちゃんの存在は危険極まりないということで、以前のように出歩く事が出来なくなりました。船団の人々の本心は、お姉ちゃんに出て行って欲しい。でも機嫌を損ねたら鳥人間にされる。そうなるとみんなが取る態度は一つです」

「無視、か」

「はい、その時から、お姉ちゃんはいても『いない人』になりました。パトリックさんは心情的にはお姉ちゃんの味方でしたが、船団の代表者でもあるので大多数の人の意見を無視する事は出来ません」


 パトリックは船団市民の連日に及ぶ陳情に、精魂尽きるほどに疲れ切っていた。

 少女の住む道場周辺には、抗議活動を行う数百人の集団が、連日シュプレヒコールを行っている。

 船団市民は少女を追放処分にしろという。

 しかし、船団法に照らし、少女の正当防衛は法務局でも正式に認められている。

 その事を説明しても、『シグリヴァが船団内にいれば、同じ事が起こる』と強弁する。

 その点に関しては、パトリックも同感である。

 だが、『シグリヴァである』という理由で追放にすれば、二度とアレキサンドリアにシグリヴァは来なくなるだろう。

 シグリヴァに対抗できるのはシグリヴァだけ。

 これは世界の常識である。

 船団にも他に三名のシグリヴァがいるが、期間契約であり、実戦でどれだけ使えるかも分からない。

 少女は、船団市民出身の初めてのシグリヴァであった。

 それだけにその力を役立てたいし、もしも子供が出来れば確率的にもその力が次世代に引き継がれている可能性は高い。

 にもかかわらず少女を否定する者たちは船団の未来を見ずに、目の前の現実しか見ていない。


 もしも再びラーノスやシュリアスが攻めて来た時に、どう対応するつもりなのか?

 数百年前、何も出来ずにむざむざと大切な牛と豚を皆殺しにされ、育てていた牧場船を全て沈められた事を忘れたのか。

 また少女の側では、少女に助けられた難民達が少女が住む道場敷地内と基幹船の機関部に立て籠もっていた。

 難民も少女の立場を理解し、彼女を守ろうとしているのだ。

 しかし、機関部の占拠は重犯罪であり追放処分では済まない。

 道場敷地を挟み、両陣営が睨み合いを始めて一週間。共に譲る気配はなかった。


 このままでは、船団は内部から崩壊する。パトリックはこの状況を作った“巫覡の聖者”を心から恨んだ。

 最早、話し合いで解決する段階を超えた。

 ならば、船団長としての職権とその職責を懸けて、強権を発動する他ないと決心した。


 船団長パトリックは裁決を下す。

 まず少女について、先日のナノマシン暴走は強迫性侵害に対する正当防衛であり、無罪放免と改めて発布する。

 しかし、危険である事は間違いなく、周辺の市民に多大な不安を与えているのも事実である。

 そこで現在修復中の廃船に道場ごと移転を命ずる。

 少女については、これまでの功績と二万五千人の署名嘆願書を鑑み、月に千カルマン(約十万円)を生涯支払う。

 基幹船の機関部占拠について、船団法に照らし重犯罪である。

 しかし、状況から情状を酌量し、廃船にて無期限軟禁処分とする。

 道場周辺で許可なく抗議活動を行った市民について、前述した裁定結果に署名後、無罪放免とする。


 両者は即日了承し、少女はその日の内に修理船に移乗した。

 その日より、少女は修理された船から出てこなくなり、船団都市アレキサンドリアは静けさを取り戻した。



「なんでカディは船団を出て行かなかったんだ? その時すぐでなくても、今から亡命してもいいと思うけど。まして、こんな危険なゲームに出るなんて――」

「バカなお姉ちゃんだと思いますか?」

 下から覗き込むよう、それも至近距離で見上げるカノンの瞳に、オレは自然と笑顔になれた。


「カディがバカって事は、オレとコンビを組んだ時点で判明しているよ。カディは逃げない。確かに船団の人々に嫌われているかもしれないけど、だからといってカディは自分を信じる人がいるなら、見捨てたりしない!」

 その言葉に、カノンも笑顔になった。


「でも、カディは船団に留まるような女の子じゃない。今回のゲームで優勝して、それを最後に堂々と出ていこうとしている」

「私もちゃんと聞いたわけではありませんが、そうだと思います」


「カディが船団を出て、何処に行くのか見に行きたいな」

「それって、結婚したいってことですか!?」

「い、いや、そこまで飛躍してないけど、子供が出来ればそうなるのかな」

「飛躍し過ぎです!」

「えっ?」

「不思議そうな顔をしないでください! 結婚もしてないのにエッチな事をするのは厳禁です! お母さんの事もあるし」

 ポンとカノンの肩に手を置いた。


「大丈夫だ。オレは構えてカディを不幸にしないよ。セレナの事もあるけど、カノンの話を聞いて、ますます好きになった。セレナの封印はカディに解かせればいいだけだ。オレを信じてくれ!」


 カノンは可愛らしく唇を尖らせる。

「そんな事を言われても、お兄ちゃんは脚のきれいな人がいるとフラフラついていくからなー」

 それには我慢してもらうしかない。


「そういった訳だ。話をしてくれたのは感謝している。でも、ゲームは譲れない。カディはカディの勝算があるだろうけど、オレは手伝うと決めた」

 オレ達の眼は細められ、視線から火花が散る。


「オレは逃げも隠れもしない。だから、明後日の夜は、まずオレと闘え」

「いいだろう。だが、お前とカディの対決が先だ。その代わり、二人の決着がつくまでは手出しをしない」

「構わないけど、下手すれば二対一になる可能性もあるぞ」

「オレは問題のない強さだ。それに」

 ジンは少しだけ笑った。

「お前はそんな男ではないと、俺も思っている」

 ジンは背を向ける。

「待て、何故そこまでカディに入れ込む? 別に恋しているわけでもないのに」

「俺にも理由がある。どうしても無視できない理由が」

 それだけを告げると、歩き出した。

「では最終ターンで会おう」

 オレとカノンは、その背中が見えなくなるまで見送った。


「お兄ちゃん、あの人は誰よりも強い。ネットでも調べたけど、“凶塵”の銘を許されていて、請け負った仕事で敵に出会っても、敵が任務を放棄するらしいよ」

 それには苦笑するしかない。

「分かっちゃいるけど、脅さないでよ。どっちにしろ、オレに選択は決まってるし」

「そうだね。今回は勝つよね?」


 今回は、か………。

 昨日の夜、地下の廃墟の道で、地面に転がった自分を思い出す。


「ああ、絶対に勝つよ」


 もう二度と、目の前で好きと言える人の背中を見送るような事は、絶対にしない。

 オレは重ねて誓う。


「約束する。必ず勝つ。勝ってカディを取り返す!」


 カノンは右手を高く上げた。

「信じるよ、お兄ちゃんの言葉、全部!」

「応さ!」


 パァンッ!


 オレとカノンはハイタッチ決め、その音は天空海に響き渡り、ここに誓いは成立した。


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