第十話「“アレキサンドリア小町”」
■カディ:十五年前
私は魚が嫌いだった。
骨はあるし、ボソボソしているし、食べる部分も少ないのでよく残そうとしていた。
その度に父は私を叱りつけた。
「嫌なら食べないでよろしい」
食べたくはない。
でも、食べるのは、他に食べ物がなく、食べなければ死ぬからだ。
■アルス:五月十一日、早朝
第四ターンが終了し、いつもと変わらない朝がきた。
オレは自宅に辿り着くと、自室に行こうとして力尽き、玄関でバタリと倒れた。
次に目を覚ますと、オレはリビングで座布団を枕代わりに寝ていて、体にはタオルケットが掛けられていた。
もちろん、これはカノンの仕業である。
疲れ切っていたのは彼女も同じなのに、オレをリビングまで引っ張り、おまけに服も脱がせてくれたのだ。
まして旧晴海エリアから、二人でブルブリッツを押して帰った後である。
カノンは体力的にキツイハズなのに文句の一つも言わず、黙って最後まで押していた。
側のテーブルを見ると、家を出る時にはなかった急須とスポーツ飲料が置いてある。
恐らく水差しの代わりにして飲ませてくれたのだろう。
さらにその隣には、ハムサラダを挟んだサンドイッチもあった。
目覚めて腹を減らしたオレのために作ってくれたのだ。
何から何まで、見事すぎる嫁っぷりに泣けてくる。
ソファで熟睡している幼妻に感謝しつつ、サンドイッチに手を伸ばし、一口かぶりつく。
すると、どうしたのか視界が滲んだ。
サンドイッチを食べるなんてごく普通の事なのに、どうしようもなく涙が溢れた。
オレはガレージに工具セットを広げて、ブルブリッツの整備を始めた。
エンジンは完全に焼きついていて、これはバラさなければならない。
それにタイヤも限界なので、交換する必要がある。
黙々と作業をしていると、いつの間にか正午を回っていた。
「お兄ちゃん、おはよう、身体は平気?」
「おはよう、カノン。身体の修復は完了しているよ。ナノマシンも通常量まで再生産済み。ただ体力だけは時間がいるけどね」
「そんなんだ……でも良かった、元気になってくれて」
「カノンが寝てたオレを世話してくれたお陰だよ。ありがとう、サンドイッチ、とても美味しかったよ」
「うん! でも私もお腹が空いたから、何か作るね」
「いや、冷蔵庫には何もないし、外に食べに行こう」
「いいの? 私、お金持ってないけど」
「美少女とデートしたいのさ。付き合ってくれますか、お姫様?」
「お金のない私を誘うなんて、まさか未来あるこの身体が目当てなんじゃ」
そう言って幼い自分の身体を抱き締めるカノンは、本当に可愛らしい。
手が汚れていなければ、抱き締めたかもしれない。
二人で笑いあっていたが、それも波が引くように消えていった。
「こんなコトしゃべってたら、お姉ちゃんが現れて、お兄ちゃんを追いかけて回してたのにね」
「……そうだね」
そう、カディは、もういない。
オレを置いて、姿を消した。
今日は平日なので、善良な一般人は学校か会社にいる時間である。
昨日までであれば人目も気にしたが、もはやそんな常識は麻痺していた。
女子小学生を連れた男子高校生は、鳥肉屋「鳥正」の弁当を買い、天空海に点在する公園に向かった。
「うわぁ、凄くキレイ!」
「そうだろ? ここはオレの秘密の場所さ」
ここは旧晴海エリアの端にある公園だ。
公園は半ば天空海の中にあり、数百の小島が集まったような造りである。
「ここのスポットは誰もこないから静かだし、天空海が一望できるから心も落ち着く。サボるのにもってこいだ」
「うんうん、私も海が好きだから分かるよ。でも不思議だよね」
「何が?」
「こんなに広い海が空を飛んでるなんて」
「そうだよなぁ、空飛ぶ洗面器に入ってるならまだしも、海水そのものが空を飛んでるのは不思議だよなぁ」
天空海は大陸都市ラーノス最大の観光スポットであると同時に、最大の謎でもある。
恐らく、かつて存在した反重力システムによる結果と言われているが、確証はない。
過去の記録は数千年以上前に失われたらしい。
「ま、オレは目の前にこの海があるだけでいい。存在に理由なんていらないよ」
「そうだね。理由なんて、いらないよね」
少女はオレに向かって、満面の笑みを注いでくれる。
まだささくれ立っている心が落ち着き、急激に空腹を覚えた。
「さ、食べようか」
「うん! お腹ペコペコだよ」
レジャーシートに座り弁当を開けると、オレの選んだ鳥唐コロッケ弁当のメイン、鳥の唐揚げを一口で食べる。
「美味い。ここの鳥はあんなに安いのに、なんでこんなにも他より美味いんだろう」
「いきなり食べたりしたらダメだよ。ハイ、麦茶」
「ありがとう。いただきます」
「はい、私もいただきます…んん、本当! この焼鳥美味し~」
カノンは焼鳥弁当の正肉の串を一口食べただけで、目を細めた。
「でしょ、鳥正の焼鳥を食べると余所では食べれなくなるよ」
「私には焼鳥が初めてだから、そんな贅沢は言いません」
しまった。失言してしまった。
「ゴメン、そんなつもりはなかったけど」
「いえ、私は生まれて初めて焼鳥が食べれてとても嬉しいよ。それに生まれ育った場所が違えば、文化だけでなくて生活水準も違うのは当たり前です。私は船団都市アレキサンドリアの暮らしも好きだし、ラーノスの下とも思っていません」
説明する時のカノンは知的な口調になるけど、本当にこの娘は賢い。何より、説明に引き込む魅力がある。
「唐揚げを食べてみて。こっちも美味しいよ」
「わぁ、嬉しい。じゃあ、コッチのと交換で」
「いいって、食べてよ」
「ハイ、いただきます」
ニコニコしながら食べるカノンを見ているだけで癒される。
そのお陰で、一番聞きたい事も、聞けそうな気がしてきた。
「カノン、カディの事を、オレに教えてくれないかい?」
聞かれたカノンは、しばらく口をモグモグさせているだけだった。
唐揚げを嚥下しきると、真っ直ぐに聞いてきた。
「その前に前提条件を確認しますが、お兄ちゃんはお姉ちゃんの事が好きなのですか?」
直球だった。
そうでなくても答えにくい質問なのに、あんな別れ方をした後では、なお辛い。
でも、カノンにはウソは言えない。
「好きだ。セレナよりも好きだった」
「好きだった? 過去形ですか? なら忘れた方がいいと思います」
年下の少女はバッサリと切り捨てる。表情も冷たいものに変わっていた。
「そう出来ないから辛いんだよ。
カディとのコンビは最高だった。
最後に負けたけど、オレのパートナーはカディしかいないと思った。
カディがオレの背中を守り、オレは勝つためにカディの背中を踏みつけもした。
これが他の人だったら出来なかった。カディだから甘えて頼って守りあって一緒に死ねた。カディのために命を使い切ってもいいと思った!」
「もういいですよ」
「いや、まだだ。
オレは自分がシグリヴァと気がついてから悩んでいた。
シグリヴァは殺されない限り、理論的に死なない。
これから千年も生きていかないといけないのかと思うと、目の前が真っ暗になった。
セレナと添い遂げようにも、五十年もすれば孫くらいに外見が離れて、お互い耐えられなくなるのは必然だ。
でも、そんな中でカディに出逢った。
カディとだったらケンカしても、千年一緒にいられる!
オレにはカディが絶対に必要なんだ!」
パンッ!
目から火花が散る程の威力で、平手打ちを喰らった。
強制的に横を向かされた顔を正面に戻すと、少女は見た事もないくらいの強い瞳で睨みつけていた。
「叩いてごめんなさい。でももう充分です」
「そうだね…………ゴメン」
頬は燃えるように痛むが、憑き物は祓われたようだった。
しばらく二人とも黙って弁当を食べていたが、特にその沈黙がつらいということもなかった。
「オレは何かで躓くと、必ずここにくるんだ」
唐突に語りだしたために、カノンは顔の上に疑問符を載せていた。構わずオレは続ける。
「オレにとって天空海は相談相手で、語りかけると『それでいいじゃないか』とか『もっとこうした方がいい』とか教えてくれるんだ」
「…………今回の件は、相談したらなんて答えたんですか?」
「『カノンに相談しろ』って言われた」
「本当に?」
「まぁ、疑わしいのはどうしようもないけどね」
自分でも苦笑してしまう。
「……カディの事、教えてくれないか?」
「どんな事を、ですか?」
「何だっていいよ。カディの生い立ちとかなんでも」
「それを聞いてお兄ちゃんがどう思うかわかりませんが、今の見たままのお姉ちゃんではダメなのですか?」
「そうじゃないよ。単に好きな人の事を一つでもいいから知りたいだけだよ」
「そうですか……じゃあ、何を話そうかな」
■船団都市アレキサンドリア:十八年前
この時代は西暦の頃に比べて大地が十分の一しか無かった。
全て戦争と、それに伴う地殻変動の結果である。
百億を超えていた人口も、十分の一以下にまで落ちたといわれている。
地殻変動期において、人類が大量の船に乗り、海上で生活することになったのは必然であった。
何万隻と船が海上に行き交えば、それだけトラブルも発生する。
すると政治力と軍事力を求め、船が集まり「船団」化するのも当然の成り行きであった。
そうして時が流れる事、数千年。
船団都市でも、屈指の規模を誇るアレキサンドリアに一人の少女が生まれた。
この少女の家は武術を教える道場であり、限られたスペースしかない船上において、広い道場を所有しているのは船団の名士の証拠でもある。
少女は、赤子の時から道場から響く気合いを子守唄に、すくすくと育っていった。
しかし、成長した少女が「シグリヴァ」と呼ばれる常人とは違った存在であると判明した時から、少女の運命が狂いだした。
■船団都市アレキサンドリア:十二年前
シグリヴァとして覚醒する要因は、危機に対する本能的な防衛本能である。
そこに本人の嗜好と思考がミックスされ、シグルーンとして発動する。
アレキサンドリアの少女も、そのパターンであった。
物心がついた時から修練は開始され、厳しい内容に生傷が癒えることはなかったが、少女は必死で食らいついていた。
少女が六歳になったある日、組手中に腕を折った。
父はやり過ぎたかと慌てた。
この当時、少女の妹が母のお腹にいた影響で母の情緒は不安定であり、何かと父に当たり散らしていたのでより焦ったが、どうしようもない。
取り敢えずの応急処置をしようとすると、娘の腕はすでに修復されていた。
「カディ、お前の腕?」
「……治りました」
「治っただと?」
「痛くて耐えられなくて、早く治ってって必死に祈ったら元に戻りました」
シグリヴァ大分類でいう一式“スクルド”が開眼したのである。
一式「スクルド」は『修復機能特化型』であり、最重要機能所持者だ。
父は単純に喜んだ。
ケガをしてもすぐに修復されるのである。武道家として、これほど有利な事はない。
程なく、娘は他人のケガも修復出来ることが判明した。
こうなると道場運営も変わってくる。
激しく鍛錬を行っても、全て元通り治る。
医者もいらなくなり、怪我人はドッと道場に押し寄せた。
困るのが船団の医師達である。
協議の結果、高い金を取る事、その利益の半分をアレキサンドリア医療連盟に差し出す事になった。
父はその結果に満足した。
別に金儲けをしたいわけではない。
彼は、船団における自分の発言力が強くなった事を喜んだ。
少女に妹が生まれた。
姉となった少女は、日々の鍛錬と医療行為の忙しい合間を縫い、妹を大事に育てていた。
なぜ十歳にもならない少女が面倒を見ていたのかといえば、母の情緒が妊娠中よりも悪くなっていたからだ。
母の躁鬱が酷くなり、次第に家族としての繋がりが壊れてきた。
元々、母は船団でも「お嬢様」と呼ばれる階層出身であり、ひたすら夫の道場を支える「おかみさん」にはなれない人だった。
母はハンサムで強くて頼り甲斐のある有力な男と結婚して、それだけでいいと思っていた。
しかし、現実は違った。
結婚前なら、好きな時に友達と遊びに行けたし、恋人だった男に会いたくなければ会わずに済む。
結婚すれば嫌でも毎日顔をあわせ、家事もし、道場の運営にも関わり、子供が出来れば面倒を見なければならない。
夫婦生活に疲れていた時にカディがシグリヴァに目覚め、大勢の人が道場に押し寄せるようになると、完全に心は破綻した。
結婚前までは社交界でもてはやされた大金持ちの美少女は、対人時に心を押し殺して笑顔で応対は出来る。
「笑顔」という名の嘘が、永遠のお嬢様の心を壊したのだ。
また、父はこの頃から政治的活動に手を出し始めていて、家庭を顧みることが少なくなったのも響いた。
少女といえば、感謝とその力におもねる人々に囲まれ、人気者だった。
しかし、大勢の人に囲まれながら、孤独であった。
孤独を唯一癒してくれたのが、まだ喋れない妹の存在だった。
■船団都市アレキサンドリア:九年前
妹が二歳になった。
少女は九歳。
道場は門弟千人を超え、隆盛を極めていた。これは、門人になれば優先的に治療を受けられるからでもある。
船団評議会も道場拡張を許可し、大工をしている弟子達が率先して、道場のある船『紫雲丸』を改造し始めた。
父はより政治活動にのめり込み、母の躁鬱は改善が見られない。
紫雲丸の大改造が一年かけて完了し、盛大な道場開きが行われた。
二百畳の新道場には船団の有力者が集まり、飲めや歌えやの大宴会である。
少女が見た事もないようなご馳走が並び、この時は普段の孤独も忘れられた。
特筆すべきは、肉が出たのである。
肉は鳥肉であり、鍋にしてみんなで食べた。
「カディちゃん、お鍋はどう?」
「美味しいです! こんなに美味しいの、生まれて初めて食べました」
宴会の料理担当は門人達の奥様方である。
彼女達も鳥肉をたっぷり食べられると聞き、喜び勇んで手伝いに勤しんでいた。
鍋は水炊きであり、鳥肉の他に新鮮な魚や野菜も入っていて食卓を賑やかにしていた。
「そう、あたしらも同じよ。たっぷり食べてね!」
「ハイ!」
アレキサンドリアに限らず、船上都市の人々にとって、肉は最大の贅沢である。
数百年前に、大陸都市ラーノスと雲海都市シュリアスが放ったシグリヴァ達により牧場船は全て沈められ、船団の牛と豚は全滅した。
この時からアレキサンドリアの苦難が始まり、回り回って少女の身に降りかかる事になる。
牛と豚は失ったが、鳥は手に入れることが出来た。船団は総力を結集して飼育を行い、必要数には至らないものの、なんとか供給体制を整えた。
とはいえ、数量が少ないので配給製である。おまけに配給チケットと現金が揃って販売されるので貧しい人の口に入る事はなく、チケットはその日の糧に換えるために売却される事がほとんどだった。
それは些細な出来事だった。
大宴会から一ヶ月後、船団奉仕の一環として、門人一同が掃除と修繕工事を行った。
これはケース道場の月一回恒例行事であり、地味な活動ではあったが、船団の人々へのアピールとしては一番効果的であった。
この日、少女の父は上級評議員との会合があり、不在であった。
代わりに指揮は、古参の師範代が務めていた。
下水設備の清掃と修繕を終わらせ、修繕班は全身から汚物の匂いを漂わせて看板に向かっている時だった。
作業中は立ち入り制限がされていたが予定時間を超過してしまったので、トラキア号の人々と行き会ってしまった。
修繕班は自分達の状態を心得ているので、すぐに通路に並び、すれ違うのを待っていた。
その時である。
「臭いな。下賎な者はなんでこんなにも臭いのだろうか?」
「臭いからこそ下賎なのですよ」
「なるほど。なら、下水設備から出て来なければいいのに。そうすればこちらが臭い思いをしなくて済むのに」
こういった事をこれ見よがしに言われ、修繕班は腹を立てたが、相手にしなかった。特に今回が初めてではない。何より疲れきっていた。
悪態をついた方は、気が済んだのか、笑いながら立ち去っていった。
この時はこれで済んだ。
修繕技術があるという事で、初めて下水設備の整備に参加した若い門人がいた。
彼はよっぽどブン殴ってやろうかと思ったが、周りへの迷惑を考えて堪えた。
しかし、夜のお疲れ様会で、この時の悔しさをぶち撒けた。
「ふむ、そんな事があったのか」
「はい、臭いのは事実ですが、あくまで我々の親切による奉仕です。もう少し態度を改める余地があるのではないでしょうか」
「その通りだ。だが、人とはそんなものだ。人の下に人を作らなければ気が済まないのだ。だからこそ私は船団を少しでも良くしようと、多くの人に会い、繋がりを作るようにしている」
「館長は船団評議員になるつもりですか?」
「なれるかはわからないが、それを目指したい。今日の事は悔しかっただろうが、我等は同じ船団員であると同時に武道家だ。人としての品格を落とすことはない。わかるな?」
「ハイ! 分かりました!」
「よし! では呑んで濁った気持ちを洗い清めよ」
「ハイ! 頂きます」
この会話は、当然、他の門人も聞いていた。それが門人達の心の底流に横たわることとなった
人の不満と言うのは際限なく膨らむものだ。
特に自分達が上り調子である場合、それを許容する余地が狭くなる。
認められないというのは辛いものだ。
そうなると、より攻撃的になりやすいのが人の性である。
そして、その一週間後、嵐がきた。
海上における台風は日常茶飯事であり、船団では十分にその対策は取られている。
例えば船と船はアームで繋ぎ、船団全体で一つの大地を形成しているが、これは転覆防止にもつながっている。
数百隻の船が連結しあう事により、互いにバランスを取り合って支えあっているのである。
古来でも、嵐の時には三隻の船が横並びになって綱で結び合い、転覆に耐えるようにしたらしい。
この年の台風は大型ではあったが船団都市アレキサンドリアは耐えきり、特に脱落船を出す事もなかった。
しかし、スーパーセル直下にあった別の船団都市ブルタスはモロに喰らった。
船と船を繋ぐ連結アームは破壊され、四十二隻の船団は散り散りになった。
少女はその日の事をよく覚えている。
いや、一生忘れられないというのが正確であろう。
台風は去り、台風一過の晴天がアレキサンドリアを照らし、船団中を沸かしている中、彼等は流されてきた。
「多数の船が接近!」
「海賊か!?」
「いえ、違います。先頭の船はヨーハン号、船団都市ブルタス所属の船です。他にも同所属船多数。合計十三隻!」
「台風で船団が散り散りになったか。一応、警戒態勢はそのまま、先遣隊を派遣し状況確認。被災船であれば救助を行う」
当時のアレキサンドリアの船団長はパトリック・ハルシオンという、老練な六十代の男性である。若い頃から多くの船団都市を渡り歩き、先代の船団長に見込まれて働くようになり、ちょうど二十年前に船団長を引き継いだ。
被災船の救助について、船団都市連盟にも救助義務が明記されているが、そうでなくとも助けられる人を助けるのが海に生きる人々の矜持である。
被災船には、合計五千六百名の人々が乗船していて、心身共に疲弊しきっていた。
まず怪我人と病人をアレキサンドリアの船に移し、治療に当たる事となった。
また十三隻のうち、二隻の船は破損が激しく、乗っていた人々を移乗させる事が決定した。
移乗人数は合わせて千人。
さすがにそれだけの人数を収容出来る場所はないので、体育館や市民ホールに分散させ、またケガについて治療が可能ということで、少女の道場も診療所に選ばれた。
少女はてんてこ舞いだった。
被災船が来る前から、アレキサンドリア内の怪我人の治療に走り回り、ヘトヘトになって帰ってくれば、自宅の道場は骨折者で満員だった。
「父上、この人達は?」
「聞いていると思うが、被災した船で、骨折などの重傷者だ。お前の力で彼等を治してやってくれ」
「ハイ」
としか言えない状況である。
ナノマシンは高頻度で使用すればカロリーを消耗する。
また増殖制限にも掛かる。
制限については余裕があったが、体力についてはかなりキツかった。
しかし、目の前で傷の痛みに呻吟している人々を放ってはおけない。
炊き出しのおにぎりを一つだけ食べて、治療にあたった。
六時間後、骨折者は全員元通りとなり、道場内は歓喜に沸いた。多くの人々が涙を流しながら、少女に感謝をした。
少女はぶっ倒れる寸前だったが、喜んでくれたみんなの声が嬉しくて、笑顔で手を振り、その後に気絶した。
これが終わらない悪夢の第一幕。
少女の悪夢は、この日から始まる。
道場には引き続き、船に戻れない人々が寝泊まりしていた。
母はそれが気に入らないらしく、父に何度も怒鳴ったが、かといってどうにもなるわけではない。なんとか宥めて、部屋で大人しくするように説得するだけである。
母はその時から部屋に閉じこもった。
「食料が足りないか」
船団長のパトリックは沈んだ声で、部下の報告に感想を漏らした。
「ハイ、台風以降、魚が全く取れず、日々の食事がままなりません。また、被災船の五千六百名を引き入れた事で、急激に悪化した事も要因として挙げられます」
「それは初めから分かっていた事だ。言っても始まらない」
すると、別の事務官が口を開く。
「先日、紫雲丸での道場開きで大量に食料を消費したのも痛いですね」
これにはパトリックも苦笑した。
「今更仕方もあるまい。それに道場のお嬢さんは今回の台風被害では一番の活躍をしてくれた。彼女に免じてやってくれ」
事実、カディの活躍は船団中の人々が知っていて、誰もが感謝をしていた。
しかし、そうも言っていられない状況は、すでに訪れていたのだ。
その日も、少女は被災船の修理中に怪我をした人々の治療に派遣されていた。
その帰りである。
通路ですれ違った三人の男達に声を掛けられた。
「キミは紫雲丸にある道場の娘さんですよね」
「ハイ、そうです」
「キミは今の食料事情をどう思ってる?」
「はい?」
少女には質問の意図と内容が分からなかった。
すると、別の男が怒鳴った。
「だから、今、俺達がメシにありつけない事だ!」
怒鳴られても、道場で鍛えられている少女は萎縮しなかった。
その態度が勘に障ったのだろう、男達は激昂した。
「アンタ等が宴会なんて開いて、無駄に食料を喰っちまったせいだ! あれが無ければ、まだマシだった!」
「ッ!?」
その一言に、少女は衝撃を受けた。
少女は船団の食料事情について何も知らされていなかった。
むしろ、普段よりも食べさせて貰っていた。
お前のお陰で怪我人がみんな助かった。
君のお陰で復興も順調だ。
父だけでなく、修理船の視察にきた船団長にも直々にみんなの前で褒めて貰い、自分の仕事に誇りを持っていた時である。
突然、真逆の事を言われて、激しく動揺した。
「お前等、お嬢に何している!」
幸いにして、帰りの遅い少女を心配して若い門人達が四人迎えに来ていた。
四人はすぐに少女を背中に庇った。
「お前達も知っていると思うが、お嬢は船団への奉仕でみんなの尊敬を集めている方だぞ。謂れなき誹謗中傷は許さん!」
「謂れなき非難だと!? ふざけるな! 大体、お前等が船団の食料を食い尽くしてくれたせいだろうが」
「宴会の食料は、個人所得の余剰分で賄っている。それは船団長も船長も評議会も正式にお認めになった事だ。その非難は不当である。ましてお嬢の預かり知らぬ事だ。また、お前達は年長者であるにもかかわらず、年端のいかない方に対してとる態度でもない。恥を知れ!」
最後の一言は、男達にも効いたようだ。三人は目で遣り取りをし、背中を向けた。
「そこのお嬢さんだって全く責任がないわけじゃないぜ」
「なんだと!」
「そこのお嬢さんが被災した連中を治療しなければ何人かは死んで、食料も多少回りが良くなっただろうさ」
「この野郎!」
一人が殴りかかろうとしたが、それは周りに止められた。
「よせ、殴る価値もない」
男達は通路に唾を吐いて消えていった。
「お嬢、気にしないで下さい。今回の台風が特別なわけではありません。たまたま道場開きと被災船が重なっただけです」
「………………ハイ」
しかし、少女は目を凝らすまでもなく、ちゃんと見れば日に日に雰囲気が悪くなり、陰口が聞こえるようになってきた。
断っておけば、大宴会が食料を消費したのは事実であるが、仮にそれがなかったにしても五千六百名の居候が増えた状況を鑑みれば大勢に影響はない。
ないが、不満の捌け口を探している人々にとって、絶好の口実になった。
父の立場も悪くなった。
父は憂いを終始顔に浮かべるようになり、食事もろくに取らなくなった。
依然、魚は獲れない。
すでに一日一食の配給制に変わり、食料事情は最悪だ。
不満は際限なく膨張していて、このままでは船団は内部から崩壊する。
少女は護衛に付き添ってくれているアルベルト師範代を連れて、連日ボートを出して釣りをしていた。
朝も昼も夜も。
しかし、全く釣れなかった。
釣れても一尾、二尾であり、何の足しにもならない。
その夜も、少女は不眠不休で釣りをしていた。
アルベルト師範代は、戻るようにと何度も勧めたが、少女は頑として聞き入れなかった。
実はこの時、少女に対する誹謗中傷も酷く、船上に居づらかったためでもある。
少女はフラフラになりながらも、ひたすら魚が食いつくのを待つ。
コンコン
最初は疲れによる幻聴かと思った。
しかし、次々とボートを叩く音に、これが現実と気がついた。
「コレは……難破した船の破片?」
見れば海流に乗って、次々と木片が流れ着いていた。
漂流物は大小様々であり、何れにせよ船が沈んだ事を示していた。
そして、少女は閃いた。
それは悪魔の囁きにも等しい閃きではあったが、少女に唯一出来る、現状を打破する一発逆転の秘策であった。
空けて翌朝。
道場前には数え切れない程の人々が列をなしていた。
「さあさあ、並んだ」
「慌てないで、いっぱいあるから大丈夫だ!」
「動けない人がいるなら案内してくれ。こちらから持っていくぞ!」
道場前で炊き出しが振る舞われていた。
中身は海藻と鳥肉のスープである。
門人達が次々と大鍋に肉と流れている海藻を小さく切ってブチ込み、塩で味付けしただけのものだったが、飢えた船団の人々には干天の慈雨だった。
父はしばし呆然と鍋の中身と並んでいる人々を見て、娘に質問した。
「この肉はどうしたんだ?」
「鳥の骨を修復再生させて、鳥肉として増殖させました。これなら元手はタダなので、私の体力が持つ限り複製出来ます」
「そ、そうか。そんな手があったのか! さすが俺の娘だ! よくやった! お前は私の誇りだ!」
感極まり、父は少女を抱き上げる。
並んでいた人々も歓声を上げ、辺りは歓喜に包まれる。
こうして船団の危機は回避され、少女は船団の救世主として、再び人々の尊敬を取り戻した。
船団の人々は、自分達を救ってくれた少女に一つの称号を与えた。
少女の愛らしい顔に因み、船団の護り手としてその名を冠する称号。
“アレキサンドリア小町”。
少女にとって、一番幸せだった時代の呼び名であった。




