第6話 ベビルーさんとスグル
ゴブリンたちの集落は、そこから少し離れた所の岩場にある洞窟の中だった。途中影からにゅるっと出て来るゴブリンにベビルーさんが俺たちの事を説明しつつ、30分ほどで到着した。
途中完全に日が落ちて月明かりだけになったが、ゴブリンたちも夜目が効くのか明かりを出したりはしなかった。目立つとからいう理由もあるらしく、足元がおぼつかない俺はグラツに手を引いてもらっていた。
実は最初は尻尾を掴もうとしたのだが、
「あっ……っ。し、尻尾はちょっと、勘弁してもらえないかな」
と色っぽい声で言われたので慌てて手を離したのだった。当然上面は甲殻に覆われているし、結構地面をペチパチ叩いているのだが触られるのには弱いらしい。解せぬ。
「お疲れ様でした。ここが、我々の集落です」
洞窟の中は流石に明かりが灯っていた。ゴブリンの夜目もスキルらしく、使わずに済むに越した事はないらしい。外から見てかなり見えづらい場所に入口があり、近くを通ったり空を飛んでいたりしただけでは簡単に見つからないようになっていた。
入口が狭かったため、グラツの翼が引っ掛かったので人間の姿に変身していた。ドラゴンの姿が実質全裸なためか、非常に薄手の服を好むようだ。タンクトップとホットパンツ。甲殻で隠れているのとはまた違った魅力に溢れている。
ちなみに少し奥へと進んで、通路が広くなったらドラゴンの姿へと戻っていた。翼を目いっぱい折りたたんでかなり窮屈そうだが、それでも変身しているよりは楽らしい。
「それで、我々に聞きたい事といのはなんでしょうか?」
案内されたのは応接室のような部屋。調度品も石造りが多く、ソファのような椅子も石で出来ていた。座り心地は決して良くはないが、背もたれのある場所で一息つけるのは嬉しかった。グラツに捕まっているだけでも、結構節々が痛くなっていたのだ。
グラツはその体型上、背もたれのある椅子には座れないので適当な岩を担いでソファの横に置いて座っている。彼女は石で出来たコップを器用に爪で挟み、甘酸っぱい果実のジュースを飲みながら答える。
「この世界の事を、教えてほしいんだ」
「この世界の事……ですか?」
不思議そうに問い返すベビルーさん。迂遠に聞いたりごまかしたりせず、直球勝負だった。それでは訳が分からないだろう。
「こことは別の世界から、事情があって呼び出されてしまったんだよ」
「は、はぁ……」
不信感を持たれているわけではなさそうだが、確実に理解されていない。それはそうだろう。いきなりそんな事を言われたら困る。
かと言って勇者だ魔王だの話をしてもいいのかどうか……。
「異世界から、魔王として召喚されたんだよ、私は」
そんな思案を知ってか知らずか、全力でぶっこんで行くグラツであった。まどろっこしいのは嫌いらしい。これまでの事でも十分に思い当る。
「ま、魔王……ですか?」
「アナライズとやらは使えるかな? それを使ってもらえれば、恐らく私のクラスに魔王があるはずだ」
「では、失礼して……」
そう言ってベビルーさんは立ち上がり、グラツの額に手を当て「アナライズ」と一言つぶやいた。城で初老の男がやっていたのと同じである。
「っ!? こ、これは……そん、ひえっ!?」
しばらく黙っていたが、突然叫び飛び上る。その声を聞いてか、部屋の入り口にゴブリンが集まって来た。部屋に扉は無いので外の様子はよくわかる。
「あ、も、申し訳ありません、失礼を……」
「あはは、びっくりさせたかな。でも大体わかってくれたと思う」
「は、はい……。そ、その、魔王様であるという事は分かりましたし、聞いた事も無いスキルばかりでした。他の世界からやってこられたというのも納得できます」
納得されたようだが俺にはさっぱりわからなかった。アナライズでスキルが見えるのは分かるが、一体どんなものが見えたらそこまで驚くんだろう?
「スグルは見ても驚けないんじゃないかな、スキルの事よくわからないだろう?」
「確かに」
でもすごく気になります。ある意味履歴書の資格欄みたいなものか? 違うか。
「ほら」
「はっ!?」
そういうとグラツは人差し指の爪を俺の額に向ける。何を、と思った瞬間頭の中に文字や数字の羅列が飛び込んできた。
死△スグラツィA
種z○Q:ア□スドラgOん
Kラス□ta□る
Shいn\ryU Lv56…
「ちょ、ちょっと待ってちょっと待って。やめっ、駄目だっ、っ、これ……頭がっ……!!」
大量の文字列。そして何か意味のある言葉。次々と頭の中に飛び込んで来るモノに、理解が追い付かない。そして、アタマがそれを拒否する。
頭痛がひどい。吐き気がする。胸も痛い。動悸が激しい。焦点が合わない。俺の頭はどうなってしまっているんだ。グラツ、グラツ。死、リューズ、セイ……。
「っ、ごめん、ごめんっ!
彼女にはこの世界の仕様のアナライズで見てもらった方がいいと思ってそうしてもらったけど、これは私たちの世界でのステータスを見せる方法なんだ。
こんな反応になるなんて、思いもしなかった! こんなに負担が大きいだなんて……ごめんよ……」
「っ……く」
動悸が収まり、荒い息を落ち着かせる。落ち着いて目を開けると、人間に化けたグラツの胸に頭を抱きしめられていた。彼女の鼓動が、はっきりと聞こえていた。
「だ、大丈夫……。もう、大丈夫だ。だから、そんな顔しないで……」
グラツとは出会ってまだ一日もたっていない。しかしその間、ころころと多くの笑顔を見せてくれた。そんな彼女の表情が、ひどく曇っていた。
「ほ、本当に大丈夫かい? 調子悪いようなら、完全回復薬とか、出すよ?」
「大丈夫だって……。グラツも焦る事あるんだな」
「それは私が落ち着いてしっかりしているように見えていたという事かな? それとも、おバカ……」
「さて、話の腰を折ってしまって申し訳ない。それで、ベビルーさん。この世界の事、出来る限り教えてほしいんだ」
「どうして話を逸らすのかな!?」
憤慨しているグラツをスルーして、折った腰を戻そうとベビルーさんに話を振った。こんなやり取りをしている内にグラツは元の姿に戻っている。どれだけ人間の姿が窮屈なんだろう……?
あとでその事を聞いてみると、布団圧縮袋との回答をもらう事が出来た。それは確かに窮屈どころの話ではないが、グラツの世界に布団圧縮袋があるのに驚愕だよ。
「あ、は、はい。そうですね、どこから説明すればよいやら……。
口頭で説明するより、歴史や地理の書物を読むのはどうでしょうか? 多少ならここに人間の書物もありますし、我々が記したものもあります。
それを読まれたうえで、質問していただくのがよいかなと」
この世界は書物の価値がそう高くは無いのだろうか? 聞くと、どうやら所謂洋紙があるようだ。人間はもちろん、ゴブリンなどの一部の亜人も作る事が出来るらしい。
その辺りを聞いてみる限り、どうやら大昔に伝えた人がいるようだ。そうか、召喚されてるのは、俺たちだけって訳でもないだろうしね。
そうなると、文化レベルが結構チグハグなのかもしれないな。中世レベルと思っていたけど、いろいろと現代に通じるものがありそうだ。
「集落の中にある書物を集めようと思いますが、一晩時間を頂いてもよろしいですか?」
「ああ、別に急がないからそれでいいよ。できれば何か、食べ物を分けてもらえると嬉しいな。もちろんただでとは言わないよ。それと、部屋の片隅でいいから寝床にしてもいいかな」
「はい、今日はご馳走しますよ。お客様なのですから。お二方は生肉は大丈夫でしょうか?」
生肉は流石に怖い。厚意はありがたいがそれで体を壊しては元も子もないからな。
「私は大丈夫だけど、人間はやめておいた方がいいと思うよ」
「申し訳ないです」
「いえ、それならば果物を用意します。人間も食べているはずのものです。肉を調理できればいいのでしょうけれど、生憎我々にはそういう文化がありませんので……」
「至れり尽くせりで申し訳なくなるよ」
気を使われまくりである。情報が欲しいというこちらからの願いなのに、どうやら完全にお客様扱いのようだ。ここまでしてもらって本当に良いのだろうか。
「気にしないでください。我々の生き方でもあるのですから」
そういうとベビルーさんは頭を下げ、退室して行った。
「彼女自身言っていたが、生きていくための助け合いという事なのだろうね。敵が多い分、味方も増やさねば生きていけないんだと思うよ。
情けは人の為ならず……人間の言葉だったかな。ふふん、ここまでしてもらえば、恩を返さなくては、と思うからね」
それは同感である。俺が出来る事がどれほどあるかはわからないけれど。
「ま、打算だけでも無さそうだけどね、彼女の……この集落のゴブリン族の性格は」
俺の知っているゴブリンとは見た目以外何一つ一致しない。でも、いい人達と出会えて本当に助かってる。この世界に落ちた時はいきなりのピンチだったけど、グラツからの出会いはとてもいいものだ。
「もちろん私の機嫌を損ねたくないと言うのも、あると思うけどね」
貴女はオチを付けないと気が済まないのでしょうか?
グラツはそういうと立ち上がり、なぜか俺の横の背もたれの上にに後ろ向きで座っていた。普通には座れないのだから仕方がないのだが、可愛いお尻が俺の顔のすぐ横に来ているのだが、なおの事座り辛そうであった。いや、眼福だけどさ……。
それに気が付いているのかいないのか、鼻歌を歌いながらぺっちぺっちと尻尾を振り回すため、お尻辺りのお肉の躍動感が気になって仕方がない。顔を見上げると、壁面の彫刻や調度品に興味があるのか、きょろきょろと見回していた。
どうにか意識を逸らそうと、部屋の入口へと目を向ける。扉は無いため通路から丸見えであった。そして、そこにはベビルーさんより小柄なゴブリンが数人、物陰からうかがうように俺たちを見ていた。
ゴブリンの子どもだろうか。俺たちが珍しいのだろう、しきりに中をのぞき込もうとしているのだ。何か声をかけようかと思った時、影から出てきた武装したゴブリンに連れていかれてしまった。
「やっぱり影にいるのか」
「そりゃそうだ。信用してくれてるのか、過剰にこの部屋を見張ってる様子は無いけどね」
「なるほど」
こちらも見ずにそう答えるグラツ。やけに機嫌がいいな。この世界に来て初めて集団とまともに接触が出来たのが嬉しいのかもしれない。
「なあグラツ」
「なんだい、スグル」
「君に出会えて本当に良かったよ。グラツに出会えてなかったら、今頃どうなっていた事やら」
それは、こうして楽に立ち回れている事だけでは無く、精神的な支えとしても。
はっきり言ってトンズラこくにしても甘く見過ぎていたと思う。仮に召喚が上手く行っていたとして、その後逃げ出していたら。
上手く生きていけているビジョンが、今は全く見えていなかった。
「ははは。そうだよそうだよ。もっと頼っていいんだよ」
そう言いながら、ぶんぶか目の前を尻尾が跳ね回る。可愛い奴だな。
基本的には頼られると断れない性格なのかもしれない。魔竜王として君臨していたのはそう言った事情もあるのかもしれない。そう考えると、彼女を戦争へと向かわせた道筋が、なんとなく見えてくる気がした。なんとなくそう思う、と言った勝手な予想だけどね。
それでも彼女は、誰かに頼られることが嬉しいのだろう。放ってはおけないのだろう。召喚した魔族から罵られようと、しばらくは我慢していたのも……。
結果的には、グラツにとって都合が良かったのかもしれないな。
ああそうか、ここのゴブリンたちも、グラツといっしょなんだ。だからグラツは、似た者同士の居心地の良さに喜んでいるんだ。
「頼らせてもらうよ。もっとも、俺だって強くなるつもりだからな」
でも、ただ彼女を都合のいい存在として見ないように、思わないようにしないと。甘え過ぎて、調子に乗ったら終わりだ。
それでもきっと彼女は答えてくれる。だけどそうなったら、俺に彼女のこの笑顔を見る事はきっとできない。
「いいねいいね。やっぱり男の子なら最強を目指さなくちゃね」
「いやそれはどうだろう……。とりあえずステータス見ただけで発狂しそうになるのはなんとかしないと」
まぁそれはアナライズ覚えればいいだけの話か。そんなとりとめのない話をしていたら、ベビルーさん達が食事を持ってきてくれた。グラツには肉を。俺にはリンゴのような果実と、バナナのような果実を。
それぞれ甘酸っぱくて旨くて、甘さも酸味も過度じゃなくとても美味しかった。味自体は俺の知っている、似たそれと違ったんだけど。。
そんな歓待を受けた後、応接室の隅でグラツに出してもらった寝袋にくるまって、異世界最初の夜を過ごしたのだった。
ちなみに、グラツに抱かれた時の感想。
薄いけど柔らかかったです。
本日の投稿は以上です。ここまでお読みいただきありがとうございました。