第1話 管理者さまとスグル
どうしてこうなった。
呆然と天を仰ぐその視線の先にある物は、石造りの天井。
右を向けば、やはり石を積み重ねた壁。
左を向けば、同じような壁と嫌な匂いのする壺。
後ろを振り返れば、石の壁と、小さな穴。その穴には鉄の棒がいくつもはめられている。
そして正面に視線を戻せば左右に伸びる通路。
ただし、その通路と俺がいる場所の間にはやはり鉄の棒が幾本もはめ込まれていた。
勘違いする事もない、悩むまでもない典型的なデザイン。
とどのつまりここは、牢屋の中であった。
「どうしてこうなった……」
☆☆☆
俺がまどろみから意識を覚醒させると、そこは真っ白な空間だった。
まだぼんやりとしている頭を叩き起こし、はて、何が起こった? と記憶を探る。
確か、新宿の書店にコミックを買いに行ったはずだ。
電車を降りて、てくてくとホームを歩いていた事は覚えている。
そして、そこからの記憶がどうしても思い出せない。
うーん、うーんとうなっていると、背後から鈴の音のような声が聞こえた。
「ようこそ、スグルさん。貴方は、勇者として召喚されました」
は? と後ろを振り返ると、そこに居たのは長い銀髪の幼い少女だった。
人懐っこい笑みを浮かべたその少女は大きく腕を広げ、こちらを見つめていた。
貫頭衣と言うのだろうか、薄手の白いワンピース状のその衣服からはうっすらと体のラインが透けて見えている。
「私は、異世界フォアネムの管理者の一人、リュクス。
人間達の召喚術によって呼び出されようとしている貴方に力を授けましょう」
そう言って少女……リュクスはにぱっ、と満開の笑顔を見せる。
あいらしい仕草を見て少々照れながらも、俺は答えた。
「いりません、元の場所に戻してください」
「貴方に授ける力は……え?」
断られるとは思わなかったのか、リュクスは笑顔のままで硬直する。
今のこの状態が夢なのか現実なのかはイマイチ判断がつかないが、どちらにせよ彼女の申し出を受ける気は無かった。
「えと、そんな、困ります」
「俺も困ります」
取りあえずは現実として処理する事に決める。周りの雰囲気こそ幻想のようだが、意識も感覚もはっきりとしている。
夢や幻と決めてホイホイ動いては、もしもの時に後悔すると思ったからだ。
「チッ……」
小さく舌打ちしたようだが、それははっきりと聞こえていた。地獄耳は聞き逃さないのだ。
しかし、これは間違いなく裏があるようだな。かのセダンな異世界みたいに召喚主のいう事を鵜呑みにしてはいけないのだ。
いや、この場合召喚したのはこの少女ではないようだが。
「勇者として召喚されて調子に乗っていたら転生者とかもっと上位の神から召喚された奴にころころされるんですね、知ってます!」
ひきつった笑みで再び硬直しているリュクスをにらみ、胡坐をかいてふんぞり返る。
勇者として召喚されてチヤホヤされたら、調子に乗らないという自信は無い。大して自分に自身があるわけでもない小市民な俺がうまくやれるだなんて、幻想だ。明らかに罠だ。そう、俺は知っているんだ。web小説とかで!
「いや、あの……。なんといいますか、誤解と偏見があるようなのですが」
「あんたが明らかに猫を被っているのはわかっている。
どう考えてもこれはよくない。返還を希望する!」
確かにシチュエーションとしては心躍るものがあるが、現実には前述の危険性が考えられるし、そもそも勇者などと召喚されてきったはったを望まれても、困ってしまう。
立場としては平均的な社会人で、ちょっと平均的ではない趣味があるだけだ。
例えリュクスが好みドストライクの容姿をしているとはいえ、断固として拒否するべき案件だった。不思議と欲情を催す程でもないのだが。
そのリュクスはしばらく何かを考えたいたようだが、まとまったのか大きくため息をして腰に手をあて面倒そうに顔をゆがめた。
「どっちにしても戻れないんじゃよ。お主もう死んでるからのう」
「ほわい!?」
今度はこちらが驚愕する番だった。
確かに妙なタイミングで記憶が飛んでいたが、死んだとはどういうことだ。
発車する電車に巻き込まれでもしたのか?
答えを求めリュクスを見つめると、馬鹿にした表情で言葉を吐いた。
「覚えていないようじゃのう。都合よく記憶を消したもんじゃ。まぁ死んだ瞬間の記憶なんぞ、覚えていたくはないじゃろうからな。
お主は発車する電車に引っかかって、巻き込まれてこんな感じになったのじゃよ」
そういってどこからともなくボードを取り出す。
そこにはスグ/ルとかかれていた。うん、遠まわしだが俺には分かりやすい説明をありがとう。
「ていうか巻き込まれてそんな状態って」
「その時不思議な事が起こった! と言うことじゃな」
「は? ちょっとまて、それって!」
「いやはや。不運が不運を呼んでしまったという事かのう」
ちっともかわいそうに思っていない顔でそんな事をのたまう。
頭に来た俺はつかみかかろうと立ち上がるが、手を伸ばした瞬間リュクスの姿が消える。
「わしがやった事ではないんじゃよ」
心外だ、と言うニュアンスがこもった声は背後から聞こえた。
こいつは人の背後取るの好きだな。
「後腐れなく勇者を召喚するための、召喚術の付随効果じゃな。
お主のようにやや強引に命を絶たれる場合もあれば、丁度死にそうなのを拾う場合もある。
召喚対象は死んでもおかしくない状況にある者の中からランダムじゃな。特殊な力はわしが与えることになっておる。
まぁ、宝くじに当たったと思えば」
「宝くじどころかとんだ貧乏くじじゃないか!」
自慢じゃないが生まれてこのかた、くじと名のつくものでまともな賞品が当たった事は無い。
だからといって貧乏くじの特賞が当たられても全く嬉しくない!
「まったく、何が不満なのかのう?
望めばニコポでもナデポでもおまけの能力なんでもござれなんじゃよ。
ハーレムでも無双でもなんでもこいじゃ。何が不満なんじゃ?
他の召喚者に殺されるなど、被害妄想もいい所じゃぞ。
これでもわしは、人間の最高権限者なのじゃからな」
「つまり魔族とかなんかそういうのには別の権限者がいると」
つぃ……とリュクスは目をそらした。このやろう。
とは言えこのままじゃらちが明かない事も事実。取りあえずはもう少し彼女の言い分を聞いてみよう。
「……そもそも勇者ってなんなのさ」
「初代の管理者が作ったゲー……システムの一環じゃな」
「今ゲームって」
「知らぬな。続けるぞ。
術の行使によって異世界よりランダムに選ばれた者に、管理者がその権限で能力を与え、召喚者の敵を打ち倒す者。それが勇者じゃ」
「鉄砲玉じゃねえか」
「その通りじゃよ」
そう答えるリュクスからは、特に隠し事をしているような気配は無かった。なんかもうどうでもいいやという諦めの気配はある。
もっとも、俺が読める顔色がどれだけ正確なのかは全く自信が無いが。
「本来なら気持ちよく召喚されてもらうのがわしの仕事なんじゃがのう。
お主、ちょっとばかりひねくれすぎなのじゃないか?」
勝手に召喚しといて酷い言いぐさである。これは立派な拉致だぞ。わかってんのか。
それにリュクスは知らないのだろうが、不思議とこの手の話はweb小説でありふれている。それでなくとも昔から巨大ロボットに乗るのがお約束のお話である。いいじゃないかファンタジーロボット。いやよくない。俺としては山を登る奴がいいが。いやよくないってば。
「大体なんで異世界人にそんな事をやらせるんだ?
力を与えるにしても、その世界の人間にやらせればいいと思うんだけど」
「それにはわしら管理者が地上に降臨するか、地上人をこの場所まで引き上げなくてはならないんじゃよ。それはめんどく……コストがかかりすぎてな。現実的では無い。
それに、人間の許容量の問題もあるんじゃ」
ふぁさり、と流れる銀髪をかきあげ、ため息をつきながらそう言った。
「まーどうあがいても同じ世界の人間の限界は大差ないと言う事じゃ。
わしらから能力を付与してもたかがしれている。
その点、上位の世界から誰かを落とせば、コストも安く許容量も大きい。エコじゃなエコ」
引き上げるよりも上から落とした方が楽と言う事なのか。
「というか物理的に上の世界なのか、俺のいた世界は」
「物理的に上下という訳ではないわ。
お主らを作ったのがわしらを作った者より上位の存在なのじゃよ。根本的な質が違う。
あくまで素材が優秀で許容量が大きい、というだけで個々の能力が高いという訳でもないがな」
むしろ魔法など使える分、個々の能力はこちらの世界の方が高いはずじゃよ。と付け加える。
余りにもあれこれ勝手な言い草ではあるが、一応は理解する。真実かどうかは確かめようがないので、とりあえずは気にしない事にしておく。
「でもそういう事だと俺たちの世界の神様だか管理者から文句言われないのか」
と言うか上位の管理者やっぱりいるんじゃないですか、やだー!
「わしとしてもそうじゃが、いちいち人間の一人や二人どうなろうと気にしないからのー。
今回はそういうシステムがあるからわしがわざわざ出張ってきているだけじゃよ。
それにもしお主の世界の管理者が動いた場合は、お主を助けるためになると思うがの」
それならそれでさっさと助け出してほしい所だけど。
現時点で干渉が無いなら望み薄な気がするな。
えーと、となると次はリュクスの世界の人間が召喚術を使った理由か。
「フォアネムでは様々な種族が生活しておる。お主らがファンタジーとかRPGとか言うそんなのを想像してもらえれば大体あっとるよ。
それで特に仲が悪いのが人間族と魔族というわけじゃな」
身もふたもない説明でかっ飛ばしてくるが、実際分かりやすいので文句も言えない。
「ながーい間戦争をしていて、土地を取ったり取られたり、殺したり殺されたり。簡潔に言えばそういう事じゃな」
二者の関係を至極簡潔に、あっさりと説明する。
そんなのを眺めているであろう管理者の性格が悪い事はよくわかった。
「わしだって基本的にそういう風に作られた存在じゃからなぁ。
それでまぁ、今回魔族が勇者召喚……人間族から言う所の魔王召喚をしたのでな」
「おい」
「それに対抗するために、人間族も勇者を召喚しようとしている、という訳じゃ」
総力戦じゃねえか! 行きたくねえ、そんな戦場!!
「行っても行かなくても死ぬしかなさそうじゃのう。悩まなくてよいの」
「よい事あるか!!」
ケラケラと笑う少女に、青筋立てて怒鳴り返す。
人を殺したあげく死地に送り込むなんざ、外道の所業どころではないぞ。
それを笑いながら述べるこいつも、大概おかしい。まぁ、所謂神様的な存在の思考なんざ、そんな物なのかもしれないが。
「ま、あえて言うならば召喚された後どうしようかは知った事ではないがの。
せめてものはなむけに、色々と便利な能力をつけてやると言っておるんじゃ。
わし達が与えられる程度の能力で世界を荒らしたところで、世界そのものに悪影響を与える事もないからの。余興じゃよ余興」
悪びれない調子でそう言う。最初に漏らしたように、どうやら完全にゲーム感覚なのか。
そんな思惑に乗るのはまっぴらだが……。
「それにこのままここでうだうだしててもいつか消えてしまうからの。
今は魂だけの、不安定な存在じゃ。
それならそれでわしはどうでもいいがのー」
そう言われてしまえば選択肢はない。なんだかんだいいつつも、枯れているわけではないない。25歳の若さであっさり死んでしまうとか勘弁して欲しい。
ならばせめて、向こうの世界でうまく立ち回る事を考えよう。
「……で、どんな能力をもらえるんだ?」
ようやく話が進められる、とばかりにリュクスはにっこりと笑い説明を始めた。
「身体能力の向上は基本として、経験値効率アップや限界突破は無条件でつけよう」
経験値効率て。限界突破って。
ゲームかよ。いやゲームか、こいつらにとっては。
「最初に言ったようにニコポナデポもどうかの?」
「いや、精神操作みたいな真似は精神衛生上よろしくない」
「慎重じゃのう」
何かのはずみで解除された時も怖いしな。
あたりまえだと叫びたいがそれより何か有用な事を考えよう。
戦闘技術なんて持っていないから、なにかしらの戦闘スキルはもらっておこう。
「他は……金とかが順当か」
「召喚したのは国家じゃよ? 十分なバックアップは受けられると思うが」
「バックれる気満々だからな」
正直な話戦争なんてやっていられない。
こっそりひっそりどこかで暮らす事を考えるとする。
「わかっておったがつまらんのう。それでも男なのか?」
「勝手に呼び出されて思惑に乗ってたまるかって言うんだ。
それでどうなんだ? 金」
「残念じゃが物品は無理じゃ。お主の身体を地上に再構成するのが精一杯の直接干渉じゃよ。
だからそうじゃのう、薬品調合、アイテム合成あたりが良いか。
あまり目立つのも望まんのじゃろうから、レア過ぎず有用なスキルはこの辺りじゃろう」
意外にもこちらの意を酌んでくれているようだ。
でもよく考えてみるとユニットのスキルをあれこれ考えるのは楽しいと思う。俺だってそうする。
「あとは鑑定とかそういうの適当にチョイスしとくかの。一つ一つ言っても理解できないじゃろうし時間の無駄じゃ」
「まぁそうだな。正直納得はできないが他に手もないし」
腹立たしい事だが。
腹立たしい事だが……!
「じゃあそろそろ、召喚先に転送するとしようか。
転送後はわしとのやり取りは出来ないからの、精々逞しく生きる事じゃ。
暇つぶしに眺めておるよー。
あー、思ったより時間かかったのう、まったく……」
「むしろなぜスムーズに行けると思った」
「お主みたいな輩はおだてて力を与えればノリノリでやってくれるって、マニュアルにはあったんじゃよ。あてにならんなぁ」
馬鹿にしくさってからに。
何か一矢報いることは出来ないのかと少ない脳みそをフル稼働させる。
転送後は例え何をやろうと、面白がらせる事はあっても意表を突く事すらできないだろう。
与えられる力で何をやろうと、それは彼女の、彼女たちの思惑から外れることはまず無理なのであろうから。
……で、あれば。
「では達者でな~」
にこやかに手を振るリュクス。
次第に俺の身体が光に包まれていくのがわかる。
そこで俺はおもむろにリュクスに手を伸ばした。
しかし触れる前に姿を消す。
「ふん、なにをやって……ひゃぁっ!?」
しかしもちろん、それは予想通り。
相手も特に考えてやっているわけではないだろうから出先の予想はつく!
すぐに身を反転し抱き付くように飛び、見事、リュクスの身体に抱き付き押し倒す事に成功した。
「ひああああああ!
ちょ、ま、な!?」
思った以上に効果があったようで、目をぐるぐるまわしながら慌てるリュクス。
その姿を見れた事、そしてドストライクな少女に抱き付けた事に満足しながら、俺の意識は白に塗りつぶされて行った。