序幕 勇者と魔王
平穏な草原。それは突如として荒れ狂った。
地響き、吹き上がる黒い竜巻。
離れた場所でその職務を遂行していた冒険者達は何事かと警戒し、その異変へと意識を集中させる。
荒れ狂う竜巻が消えた後、その草原にはぽっかりと大きな穴が開いていた。その深さは計り知れず、まるで深淵への入り口のように現れたのだ。
冒険者たちは、それが収まったと認識すると、何が起ったのか確認するために集団で現場へと向かった。しかし彼らがたどり着く前に、何者かがその穴から飛び出して来た。
黒い髪の、中肉中背の青年。一振りの剣をぶら下げ、血まみれの姿をしていた。しかし怪我をしているような気配はなく、その血は返り血のようであった。
それ以外には取り立てて特徴を持たない青年は、飛び出してきた穴から離れ、その穴をじっと見つめる。
少し遅れ、その穴から再び何かが飛び出して来る。黒く、深い闇の塊。辛うじて顔と胴体は人間の女性のそれを模しているソレは、異形としか説明できない姿をしていた。
獣のような骨格の、頑強な脚。先端に鋭い爪を備えた、太く巨大な腕。闇の帳を思わせる巨大な黒い翼をその背に背負い、丸太のように太く長い尾を揺らす。こめかみからは人間を突き殺せそうな鋭さと太さを持つ、凶悪な様相の角を生やし、その全身は黒い光沢を放つ甲殻に覆われていた。人間に見えるごく一部だけは、その大きさも人間と同様であったが、全身となると巨人のようで、大きな影となり太陽を覆う。
その異形は空に留まると、怒りに満ちた表情で辺りを見回す。一瞬、視線が交差した冒険者たちが恐怖を覚え立ち止まるが、その異形は気にも留めず、視線をさらに動かす。
次の瞬間、地上に居た筈の青年がその異形の隣へと跳躍した。約30メートル。人間の限界を越えた運動能力で、一瞬にして異形へと肉薄する。そうしたかと思えば、異形の耳元に顔を寄せ、何事かを一言呟く。驚いた異形が距離を取ろうとするのを尻目に、既に着地をしていた青年は再び弾けるような速度で跳躍する。
その動きに反応こそするも、回避する事は不可能だと思ったのか、異形は腕を交差し防御態勢をとる。
それを正面から、剣を構えた青年が流星の如き勢いでぶつかる。その甲殻は見た目の通り、あるいは見た目以上に頑丈なのか、貫かれる事は無かった。しかし不思議な事に青年は失速すること無く、そのままぐいぐいと異形を押していた。
予想外の事であったのか、異形は驚愕の表情を浮かべ、なす術もなく剣を突き入れられつつあった。
一瞬の膠着の後、異形が腕を払いその剣を弾く。素早く間合いを取り、口を開いたかと思うと、次の瞬間そこから黒い闇が噴き出した。闇の咆哮は渦となり、耳障りな音を辺りに響かせながら、青年を飲み込んだ。
異形はそれだけにとどまらず、その吐きだした闇の中へと踊り入る。まっすぐに、青年の元へと突き進む。しかし青年も、それを直接喰らう事無くあしらい、互いに空中で踊るように、直接攻撃の応酬を繰り広げていた。
拮抗したその応酬が続くかと思われた時、突如青年に異変が起こる。青年を中心に爆発したかのような衝撃波が発生し、異形はそれをまともに喰らい吹き飛ばされた。青年はその隙を逃す事は無く、剣で異形を薙ぎ払った。その一撃は異形も回避しきれず深く入り、咄嗟に防ごうと前に回した尾を切断し、さらにその胴の半分を切り裂かれる。悲鳴を上げる異形に、青年は執拗に斬撃を繰り出す。それまでは捌けていた異形もその一撃が転機となりなされるがままとなる。一撃一撃が、確実にその身を切り裂き、ダメージを与えて行く。
そして。
限界を迎えたのか、その異形は地上へと落下。その巨体は轟音とともに地に伏せる。力なく横たわるその身のダメージは深刻であるのか、起き上がる事は無かった。
「畜生……」
憎しみと怒りがこもった言葉が、異形の口から零れた。
……全ての始まりは、一月ほど前であった。