路地裏
「……あんちゃん……あんちゃん!オイ!あんちゃん!大丈夫か?」
ハルヲは肩を揺さぶられるのを感じて、重いまぶたを1/4ほど開いた。
「こんなに若いのに行き倒れかい?それともホームレス?悪い夢でも見たんかいな?」
黒い服の人物がハルヲの前にしゃがみこみ肩を揺すっていたのだった。
「ボーヤ、金がねーのか?だから、そのキノコ、売ろうとしてるのか?そーやろ?でもよ、そんなもん誰も買わねえぞ?まあいい、オレが買ってやるからよ。親切だろ?オレはよ」
乱暴に喋る黒い帽子に黒い上下、黒い靴といった風体の黒服の人物は、男にしてはいくぶん高い声で、そう言うのと同時にキノコの鉢に手をかけた。メガネ越しの瞳が赤く輝いているように見える。
「い、いや、イイです!」
その目の光を受けて、急に意識がハッキリしたハルヲは反射的に鉢のはいったエコ袋を手元に引き寄せた。
「買ってやるからよこせ!って言ってるやろが!」
怒鳴って強引に手を伸ばす黒服を逃れ、間一髪、ハルヲは自転車に飛び乗ると走りだした。街はすっかりと暗くなっていて、家々には明かりが灯っていた。
「ま、待て!この野郎!待たねーと殺すぞ!オイコラ!聞いてんのか!チキショー!オレとしたことがヘマしたぜ!こんなチャンス二度となかったのに」
怖くて振り返れなかったが、黒服はひとしきり叫び散らしていた。
しかし、不思議と道を行く人はその声を気にした様子はなかった。
ガタッ ゴトッ ザザザァ チャリチャリチャリーーーー
「はぁ はぁ はぁ い、いったい……今のは……な、なんだった……んだろう……はぁ はぁ はぁ」
ライトもつけ忘れたまま、家への田舎道を自転車で右へ左へ、無我夢中で漕いだハルヲはやっとのことで止まり、街のほうをふりかえった。少し息が落ち着くと、とっさにカゴに放り込んだキノコの鉢のことが心配になり、おそるおそるにエコバックをたぐりよせた。袋をそっと開けてみれば、そこには月明かりに青く輝く空色茸と、黒いキノコ、そして真っ赤なキノコの鉢があった。
「増えてる……こ、これは、あの人の……キノコ?アマニタ・ムスカリアさんの……あれは……やっぱ夢じゃなかったんだ……でも……コレって……コノ赤いキノコって……毒キノコ?」
ハルヲも聞いたことこがあった。『派手なキノコには毒がある』と。
そしてその赤いキノコはハルヲもどこかで見たことがあった。
紅天狗茸である。
実際、派手なキノコには必ず毒があるわけでもなく、派手でないキノコには毒が無いわけでもなかったが、紅天狗茸はれっきとした毒キノコであった。と、言ってもベニテングタケはその派手さ、知名度に比べ毒自体の力は強くなく、それが原因での死亡例は極めて少ないという。
いずれにせよキノコらしいキノコであったが、ハルヲは顔も見ることができなかった白モヤの声の主、アマニタ・ムスカリアのことを思い出していた。
「アマニタ・ムスカリアさんって……どんな顔なんだろうなあ。あのやさしい声、透き通るような腕……きっと美人なんだろうなあ」
そんなことを思いながら、ふと思い出したようにもう一度『空色茸』を見た。そしてその元気な様子を見ると、自転車を家へと走らせた。