小さな家(青居 空)
その家は郊外にあった。
乗り降りする人の影もさほど多くない、各駅停車しか止まらないローカルな駅から自転車で2~30分はかかるような場所。田畑の合間を抜けてゆくゆるやかな坂の上にひっそりとその家は建っていた。
家の裏には年輪を重ねた木々が立ち、横に流れる小さな川には小魚が跳ねていた。それは、いくら郊外とはいえ、今どきめずらしいくらいに田舎情緒のある家だった。
敷地も最近の建売住宅にくらべ余裕があった。庭にはさまざまな花や草木が植えられていたし、小さいながら池もあり、そこには鮮やかな色のカエルや見たことのない魚が気持ちよさそうに泳いでいた。隅には蔵さえ建っていた。
その家に向井ハルヲはひとり住んでいた。もともとは叔母の木ノ下千代乃の家ではあったが、親元を離れて高校に通うハルオが『家の手入れを欠かさずする』という条件で借り、住んでいたのだ。
なるほど、そのかいあってか、その木造の日本家屋は建物こそは古かったものの、庭木も芝も手入れされ、全体としては小奇麗な印象だった。
しかし……
「またモノを増やしちゃったな……叔母さんに怒られるかなあ~」
ハルヲは出窓に置かれたキノコの鉢を眺めながらつぶやいた。
あの日、不思議なキノコ娘から受け取ったキノコの鉢をそこに置いたのだ。隣には幸運のサボテンや得体のしれない置物、石ころなどがところ狭しと置かれている。それどころか、部屋中、いいや家中、いやいや、その家の建っている敷地中がそんな有り様で、よく見れば細々としたモノが至るところに置かれていた。それらの大半はハルヲが買わされたり、どこからかもらってきた怪しいモノたちだった。つまり、小奇麗ではあったものの、大小様々なモノがそこいらじゅうに溢れかえっている家だった。
「でもこの綺麗な青い色は叔母さん気にいるかもしれない。いいやきっと気にいるはずさ」
そう自分に言い聞かせながら、キノコの鉢の居場所を決めかねて右へ左へと動かしてた。
「うーん……キノコって直射日光はダメだよなぁ。てかキノコって植物?植物なら光合成には日光がいるよね…………」
そういって鉢を持ち上げたとき…………
ガラガラガラガラーーーーッ
いきなり玄関のドアが開いた。
「たのもー!たのもー!たのもー!でございますよぅ!しかし、引き戸とかっ!昭和デスカ!それとも大正?明治?江戸ってことは無いですよね?!」
つづけてバタバタと騒がしい甲高い声が家の中に入りこんできた。
「き、君はあの時の…………」
そう、それはいつかのキノコ娘だった。
あの日と同じレインコートに長靴、傘をさしている。
「いつぞやはおみそれいたしましたしっ!よろしくお願いに参りました!」
「…………えっと……」
なぜウチが分かったのか?何をしに来たのか?
ハルヲにはいろんなことが分からず、急に部屋を埋め尽くした騒がしい空気を処理できずにいた。
「えっと……」
しかし、少女は何を言うでもなくニコニコしたまま傘をクルクルと回していた。
「あ!あああーっ!失礼つかまりました!アオイソラです!」
「はぁ……青い空……ですか?」
「青居 空デス!あ・お・い・そ・ら!イントネーション間違わない!白い雲でも、緑の草原でもなくアオイソラ!あ・お・い・そ・ら!ワタシの名前は青居 空と申します!で?アナタは?」
「はぁ…………青居……空さんですか……ぼ、ボクは……向井ハルヲ……です」
「ハルヲね!ハルくんって呼べばいいデス?それともハル?ハルボー?それともハルハルプロダクション、略してハルプロ?いわんやハルハル?」
「い、いやあ……」
「で?」
「え?」
ソラの傘の回転が心なしか速くなった。
「それ……どうするつもりです?」
「え?あ!……や」
ハルヲはやっと自分がキノコの鉢を持ったままなコトに気がついた。ソラはそれをジッと見ていたのだ。
「食べるの?食べようとしてたの?」
「い?いやあ……」
「アナタに預けたのに?ワタシの分身と言ったのに?大船に乗ったつもりで任せとけ!って言ったのに?」
「い、いやあ。それは……言ってないような……」
ドンッ
ソラは床を思い切り蹴って部屋の中に入ってきた。
ずんずんとハルヲの方へ近づいてくる。
「え?ちょ、ちょっと勝手に家に入られたら困る感じなんだけど……」
「ハルハルがハッキリしないからでしょ!武士は食わねど高いびきっていうじゃないですか!ですよね?」
「……そ、そこは高楊枝かなあ……」
「そうそうそれそれ!だから二言はない感じですよね?」
「い、いやあ……ちょ、ちょうど困ってたんだよ……だから……コレ……やっぱ返すよ」
そう言うとハルヲはキノコの鉢をソラの方に差し出した。
「ちょっと、どういうつもりです?」
「どういうつもりっていうか、ちょっとキノコって育て方分からないし……てか、そもそもなんで渡されたのか分からないし……だから返すよ」
「なるほど。手に負えないから逃げ出すってワケですか」
「そ、そんなコト言ってないよ。言ってないけど……」
「叔母さんとやらに叱られるからです?」
叔母さんと聞いてハルヲが慌てるのを見て、ソラが含み笑いをしたように思ったハルヲは奥の歯を少し強く噛み締めた。
「な、なんで叔母さんのことなんて……し、知ってんだよ」
「さあてね~、なんでですかね~。あ、ちなみにキノコは植物じゃあないですよ~だから光合成なんてしませんし~でーもぉー叔母さん叔母さんって……ハルハルはマザコンならぬオバコンですか?」
「な、なんだよそれわっ!か、関係ないだろ!」
ハルヲの顔はみるみるうちに真赤になっていった。
「キミには関係ないだろっ!帰れよ!コレ持って帰れ!」
ハルヲはカラダを震わせながら怒りにまかせて、鉢をソラの胸元につき出した。
「きゃっ」
鉢を持つ手がソラの胸に触れ、ソラがその手を払おうとした時、鉢はハルヲの手を滑り落ちてしまった。
鉢は床にぶつかると……砕けた。
鉢は真っ二つに割れ、土が無残に散らばった。植えられていたキノコも無傷ではいられず、真ん中で曲がってしまった。するとそこからみるみるうちに青く美しかったキノコは黄色くなっていってしまった。
「ダ、ダメーーーーーっ!」
その様子を見たソラの顔からも血の色がひいていくと一度叫び、その場に崩れるように倒れてしまった。
「え?キ、キミ?ど、ど、どーしたの?」
ソラは、その手も、肌も、腕も、顔も、その髪の毛の色までもが黄色く染まっていった。。普通な状態ではない。それは、鈍いハルヲにもよくわかった。