咲き尽く想い
辺りは暗くなり、生い茂る草木がさらに闇を濃くしていく。
灯はその闇の中にいた。
「起きて」
灯は闇の中でぼんやりと明るく発光していた。
緑色の優しい光が、灯を中心に周りを照らす。
「ねぇ、起きて」
灯は下にある物をペチペチと叩いていた。
「お願い、起きて」
灯の下には彼がいた。
灯が叫び声を聞いた後、その叫び声がした方を探すと、地面が崩れた場所があった。灯は嫌な予感がして、慌てて崩れた先に下りると、そこに彼はいた。
擦り傷と泥にまみれ、彼は意識を失っていた。
始め、灯は少し離れて見守っていたが、状況が変わった。
空が曇り始めたのだ。
このまま雨が降り、彼が身体を冷やせば命に関わる。
灯は覚悟を決めて彼に近付き、顔の上に乗りほっぺたを叩いていたが、彼が目覚めることはなかった。
「なんて無力なの……」
灯は彼の名前を知らない。だから、彼の名前を呼びかけることも出来ない。
「何も出来ないし、何も知らない……」
灯は項垂れる。
その灯の視界の先に、ポツリと水滴が落ちた。
ついに雨が降って来たのだ。
「どうしよう……」
灯は周りを見回して考える。ここは木が傘になっていて、今はあまり雨がかからないが、それも時間の問題だった。
「そうだ!」
灯は彼の上から降り、茂みの中に入る。少し離れたところの雑草を引きちぎり、集め始めた。
「よいしょっと」
両手いっぱいに雑草を抱え、灯は彼の元に戻る。彼の上によじ登り、雑草を身体の上にかけた。そして、彼の上から降り、また雑草を集め始める。
灯はそれを何度も繰り返した。
雑草で彼の身体を被い雨避けにするのと同時に、彼の身体を温めようと思ったのだ。
灯が一回で運べる量は少量で、彼の身体を被うには何十往復としなければならなかったが、灯は諦めずに続けた。そして、何度目かの往復が終わった時、彼の身体が動いた。
「うう、う……」
呻き声が聞こえ、灯は彼の腹の上でピタリと止まる。
彼の顔を見ると、木の葉から落ちてきた雫が、彼の顔にかかっていた。
彼が腕を動かし、顔の上の雫を拭う。
意識が戻った様子の彼に、灯は慌てて彼の身体から降り、木の陰に隠れた。持っていた草を頭から被り、さらには土も身体にまぶして身体から発せられる光をなんとか隠す。
「う……。ここは……?」
彼は完全に覚醒したようだ。
灯は隠れながら彼の声に耳を澄ます。
「そうか……。俺、足場が崩れて落ちたんだ……」
彼のしっかりした声に、灯は安堵した。意識ははっきりとしているようだ。
「ん? 何だこの草……。まあ、いいか」
草が落ちる音がし、彼の声が上から聞こえてくる。
どうやら立ったようだ。
「痛っ。足が腫れている。捻りでもしたか?」
彼の言葉で心配になり、灯は彼の具合を窺いたい気持ちに駆られるが、ぐっと我慢し隠れ続ける。
「とにかく、どこかの山道に出ないと……」
地面を引きずるような音が聞こえてくる。
彼が暗い山の中を歩き始めた。
引きずる音が遠のくまで待ち、灯は木の陰から出た。
「こんな暗い中を動くなんて!」
無謀過ぎる。
灯は彼を追う為に、念入りに泥を身体に塗り付けた。
身体中をドロドロにし、灯は自分の身体を確認する。
だいぶ身体の発光を抑えることが出来た。
「よし、これで大丈夫」
灯は彼が向かった方向に進む。
「ゆっくりだったから、すぐに追い付けるはず」
灯の考えは当たっていたようで、すぐに追い付いた。
彼は足を引きずりながら、右手で前を探り探り歩いていた。
左手は腕を擦っている。
「うう、寒い……」
山の中を歩いたことで、彼は雨に濡れてしまっていた。身体が震えている。
「このままだと山道まで持たないかも……」
灯は彼の進む先を見る。
そして、思い出した。
彼の進む方向に山道はなく、それどころか地面さえもないことに。
この先にあるのは、彼が落ちた場所とは比べものにならないほど高い崖だった。落ちれば命は助からないだろう。
灯は青ざめた。
彼は前を探りながら歩いている。暗闇で前がよく分かっていないのだ。このまま進めば、崖から落ちるかもしれない。
「どうしよう……」
さっきは彼が気を失っていたから近付いたが、今は違う。出て行ったら確実に姿を見られる。
それは出来ない。
掟を破ることになる。
「どうしたら……」
灯が悩んでいる間にも、彼は前に進んでいく。
ゆっくりとだが、彼は確実に崖に向かっていた。
「どうすれば……」
一歩。
また一歩。
彼は崖に近付いていく。
「ダメ……」
彼は止まらない。
「ダメダメダメ」
あと数十歩。
そこまで崖に近付いていた。
「嫌!」
灯は手を前に突き出した。すると、灯の身体から、緑色の小さな塊が、蛍のようにふわりと浮き上がった。
「何だ?」
前方の彼が、訝しげな声を出して止まる。
彼は少し先の地面を見ていた。
そこには、灯と同じ色に光る、小さな丸い何かがあった。
「光る……花……?」
彼がそれに近付こうとすると、今度はその光の右側にポワリと明かりがともった。
「これは……」
さらにその先、その先へと次々に光が咲いていく。そして、灯の身体から同じだけ、緑色の光が抜けていった。
「光が案内してくれている……?」
彼が光に向かって歩き出した。
「よかった……」
これで大丈夫。
灯は光の方へ行く彼に安堵する。
「絶対に助ける」
力を使い切ることになろうとも。
光は灯の力で成長する、シイノトモシビタケだった。
キノコの娘には眷属のキノコを生やす能力がある。
足を引きずりながらゆっくりと歩く彼の歩調に合わせ、灯は光るキノコを生やし続けていった。
葉を打つ雨の音が灯と彼の間に流れる。
彼の荒い息遣い。
引きずる足音。
静かな闇に、それら全てが吸い込まれていく。
灯は彼を近くに感じていた。
何の接点もなかった彼と、今は道案内という形で繋がれている。
こんなことはもう二度とないだろう。
灯はこの大切な時間を、心に深く刻みつけた。
「最後だから……」
雨で灯の身体の泥は落ち、肌が露出していた。
しかし、灯の発光は薄まっていた。
「もう少し……」
灯の身体から光が抜けていくたびに、灯の発光は弱弱しくなっていく。そして、身体が透け始めた。
「もう少しだけ……」
山道まで、あとは山の斜面を上がるだけだった。
「もって……」
灯の身体からたくさんの光が飛んでいく。
それと同時に、シイノトモシビタケが斜面に生えていき、それはまるで、天に続く階段のようだった。
彼はそれを目印に、斜面を四つん這いで登っていく。
「あと、少し……」
彼の手が、斜面の一番上に到達する。そして、コンクリートの山道の上に身体を投げ出した。道の上に彼はゴロリと身体を横たえる。
「やっと、道に出た!」
彼は声を絞り出すようにして叫ぶ。
灯は彼が道に出たのを見送り、微笑みながら目を閉じた。その身体から光は失せ、後ろの景色がはっきり見えるほど透き通っていた。
遠くから強烈な光が近付き、周りを光で包み、灯もその光の中に取り込まれる。
「すみません!」
彼は立ち上がり、その光に向かって叫んだ。
ブレーキ音とともに、強烈な光が彼を差す。
「どうしましたか?」
光の陰から出て来たのは車だった。運転手が窓を開け、彼に話しかける。
彼は車に近付き、ケガをした説明をした。
それを聞いた運転手は車に彼を乗せ、車を発進させた。
車が去っていった山は静かになり、雨音だけが響く。
雨に打たれる草木以外は動くものもなく、灯の姿も消えていた。
山には何もなかったかのように、静寂が戻る。
どこかから嬉し気な声がこだましたようだったが、それを聞いたものは誰もいない。
end