6、終電(1)
空に月が昇り、月明かりが二人を照らしだした頃、遥か遠くに二つの光る目が近づいてきた。
ゆらゆらと揺れながら近づく光を見ると、チビは綾取りを握り締め、温めていたベンチから立ち上がった。
つられるように、俺も立ち上がると、光に向かって目を凝らした。
「なんだ、お前もバスを待ってたのか」
俺は、チビに向かって言った。もちろん、返事は返ってこない。それどころか、まるで俺を無視しているのだ。もしかしたら、ちゃんと名前を呼んでやれば、返事を返してくるのかもしれない。そんな思いが浮かんでくるが、どうしても俺を置いていった彼女と同じ名前を呼ぶことができずにいた。
(まぁいいさ。どうせ、途中で降りるか、あるいは駅についたら親が迎えに来てるんだろうし。俺には関係ないんだからな)
俺は、妙なバツの悪さを隠すように、自分に言い聞かせていた。
バスが俺達の前に止まった。
そのバスは、俺には考えられないようなレトロなものだ。バスにボンネットがあるなんて、一体いつの時代のバスを使っているのか。それよりも、よくこんな古い物が動いているということに驚いた。
こんなレアなネタは呟かない手はないと思う。だが、残念ながらケイタイが死んでいる今、写真を撮ることもできないのだ。
俺は、心の中でケイタイが使えないことを、真面目に悔やんでいた。
(写真も撮れなかったら、あとでみんなに自慢したくても、嘘だって言われるよな。もったいねーなー)
チビが先にバスに乗り込み、俺はそのあとに続いた。
チビは、乗りなれているのか、運転手の脇を軽い足取りで通り過ぎると、バスの一番後ろに座り、綾取りを始めてしまった。
俺は、ゆっくりとステップをのぼり、運転手に目を向けた。田舎のバスの運転手がどんなオヤジなのか、非常に興味が湧いたからだ。
ところが、運転手を見た途端、俺の興味は一気にしぼんでしまった。田舎の運転手と言うよりは、どこか病弱で貧弱な、今にも倒れるんじゃないかと思うような貧相な若者だったからだ。
(なんだよ、病人に運転させてんのかよ。大丈夫かよ、このバス)
運転手と目があったら、俺はすぐに目をそらして、バスの中央に座った。
バスが動き出す。
車内は薄暗く、客を乗せる配慮をまるで感じられない。
(なんだか、陰気なバスだな。田舎だからなのか? それとも、これで客でも呼ぼうってか? 結構、田舎おこしみたいなことか? あー、つぶやきてー!)
バスはどんどん山の中へと突き進んでいく。
かろうじて舗装されていた道を外れ、砂利道に入ったらしい。クッションの悪い座席のせいか、やたらと振動が伝わってくる。
あたりの木は増え、まるで森の中を突き進んでいるようだ。
行けども行けども、バス停など全くなく、バスの客は俺とチビの他誰もいないし、増えない。
(なんだか、薄気味悪いなぁ)
真っ暗な外。
薄明かりに写る自分の顔。
顔の角度を変えて、車内を見てみると、後方に座っていたチビが見えた。こんなに暗くなっているというのに、何の心配もしていないのか、楽しそうに綾取りに興じている。
どんなに薄気味悪くても、小さな女の子が乗っているのだから、何が起るはずもない。
俺は、チビの存在に安心していた。
(それにしても、いつまで走るんだ? どこまで行ったら駅に着くんだよ)
バスに乗ってから、かなりの時間が過ぎているように感じる。
バスを囲むようにして、道の両端から木がかぶさってきているので、月の姿も見えてこない。それでも、自分の感覚ではとっくに一時間は過ぎている。
俺は窓から目を離すと、前方に目を向けた。視界を変えたところで、何か違ったものが見えるわけではないが、それでも気分がまぎれるだろうと思ったのかもしれない。
時々、運転手がバックミラー越しに乗客を確認しているのが分かる。
その目は、まるで死んでいるようだ。
(精神的な病気か? 仕事が辛いのかなぁ。なにかあるんだろうけど、とりあえず俺が乗ってるうちは事故を起こさないでくれよ)
頭によぎるのは、仕事のストレスや加重労働による睡眠不足の事故だ。
デートで置いてきぼりを食った俺だけど、まだ死にはたくはない。
というより、俺はまだまだ生きたい。帰りついたら、とりあえず亜矢とは別れよう。別にアイツと別れたところで、すぐに次の女を作ることなんて簡単なことだ。久しぶりのデートで有頂天になっていたのがいけなかったんだ。男の俺を置いていくような女は、金輪際付き合う気はないというもんだ。
俺の妄想は、亜矢との別れへと広がっていった。
妄想も終盤に差し掛かった頃、バスは森を抜け、【山の駅】に着いた。
【山の駅】は名前の通り、山の中にあった。
辺りは木立に囲まれているのか、風にこすれる葉の音が全身を包んでいるように感じる。ふくろうの鳴き声が不気味に響き、駅舎の切れ掛かった電球が、虫の音のようにジジジッとうるさい。時折、最後のときが近いことを知らせるように、かろうじて明るさを保っている電球が一瞬暗くなる。
こんな山の中にあるだけでも不気味なのに、電球が切れ掛かっていては、なおさら不気味に思える。
俺は寒くもないのに、鳥肌がたった。
(こんな山の中に線路なんかあんのかよ)
振り返れば真っ暗な木立。まるで誰かに見られているようで、気持ちの良いものではない。
(まさか、客は俺一人か? やめてくれよなぁ)
バスが走り去ると、余計に寂しさが募る。
(しょうがない、とにかく電車に乗りさえすれば! そうすれば、いつかは帰りつくんだから、ここは我慢だ!)
俺は、駅舎に向かって歩き出した。
バスの古臭さに増して、駅はなお古臭い。
木のベンチが壁に沿って置かれ、古臭い券売機が立った一台。
中央にはダルマストーブが季節はずれにも置かれている。どうやら、季節が終わったからと言ってしまうようなことはしないらしい。
壁には昔の女優だろうか、女性が真っ赤な口紅をつけた口元を、微妙に開けて笑っている。厚い化粧に太い眉毛。完全に俺が生まれる前のポスターだ。
ポスターの上には、ねじ巻き式の柱時計が大きな音を立てながら、秒針を進めている。
俺は、時計をじっと見つめた。




