4、うしろのあの子(1)
一体、あとどのくらいしたらバスが来るのか。
スマホが死んだ今、俺は時間を確認するすべもなく、ぼんやりと佇んでいた。
空を見上げれば、上空に大きな鳥が飛んでいるのが見える。ただそれだけで、時間を確認できるものはない。まぁ、あったとしても分からないだろうが。
「まいったなぁ」
そう呟いたとき、背中に悪寒を感じた。
決して、寒い季節と言うわけじゃない。かといって、暑すぎる季節でもない。いわゆるちょうど良い気候ってやつだ。
そんな時に、悪寒ってなんだよ。
まるで嫌なものに見られているような……。
「そんなバカな事があるか! さっき、亜矢とここに立ったとき、誰もいなかったんだから! 誰が見てるってんだよ!」
自分に言い聞かせて、振り返った。
そこには、おかっぱ頭の小さな女の子が、赤い毛糸の紐で綾取りをしていた。
その子は、憎しみで爆発しそうな目で俺を睨んでいた。まるで、この世の憎しみを全てこめているような、恐ろしい目だ。
俺は、あまりの恐怖に前を向き直った。
まだ見られているようで、脂汗が流れる。
(どうして……。さっきまで誰もいなかったのに……。それに、なんだよ。なんで、あんなすごい目で俺を見てるんだよ)
今まで、誰とも会わなかったにもかかわらず、こんな小さな少女が一人、朽ち果てそうなバス停に現れたのだ。
(なんだよ。なんだよ、なんだよ! 何で、あんな子供が一人でいるんだよ。なんで、親がいないんだよ)
考えれば考えるほど、空回りする。
そこで俺は、ひとつ深呼吸してみた。
緑だらけの田舎の空気は、俺の脳細胞に良い刺激を与えてくれたらしく、さっきまでパニックになっていた神経を落ち着かせてくれた。
(そうか、あの子はこの辺の子で、いつも遊んでるんだ。だから、親は心配もしてないから、一人なんだ。そうだよ、そうに決まってるさ。こんな辺鄙なところだから、子供が一人でフラフラしてても、ぜんぜん心配しないような、そんな感じなんだ)
そう考えると、俺はふっと肩の力が抜けた。
(それにしても、なんだろうなぁ。一人綾取りって。ふつうさぁ、ゲームだろ。一人で遊ぶんだから、ゲームを持ってるはずじゃん。それが、綾取りって、どんだけレトロなんだよ。そこまで、ド田舎に来ちまったってことかよ)
普通に考えれば、何も怖いことなんてない。
あんな子供が、ものすごい形相で人を睨むなんてことは、あるはずがないのだ。
全ては、亜矢に置いてけぼりを食ったことと、下ろされたのが辺鄙な田舎のバス停で、どうにも不安だったからだ。それらが、おかしな感覚に陥るためのスパイスになったってことだ。
俺は、それらの全てを確かめるために、再度振り返った。
少女は、小さな手に赤い毛糸を巻きつけて、楽しそうに綾取りを続けていた。その目は決して、俺を睨むこともなければ、憎しみが込められていることもなかった。
さらには、俺の視線に気がついたのか、顔を上げ俺を見とめると、ニッコリと笑顔を見せてくれた。
不安と寂しさという魔物に食い殺されそうだった俺は、少女の笑顔に救われた思いだった。
普段なら、子供と話をしようなんて思わないが、誰もいない上に、何の音もしない今、子供でも誰でもいいから、俺の相手になってくれと言う気持ちだった。だから、俺は少女に話しかけた。
「そこに座ってもいいか?」
俺は、少女が座っているベンチを指差した。そのベンチは、かなり昔からそこに置かれていたらしく、木部が風化寸前に思えた。ベンチの端はもろく、垂直にカットされていたとは思えない形状をなしている。
少女は、笑顔のまま大きく顔を上下させて頷いて見せた。
「綾取り、好きなのか?」
好きじゃなければやらないだろ、という突っ込みを自分で入れながら、他に話の糸口をつかめず口にしていた。
少女はまたしても、顔を大きく上下に動かした。
「綾取りより、ゲームのほうがおもしれえぞ」
少女は、首を傾けて俺を見つめた。その目は、『ゲームってなに?』と言っているようだった。俺はスマホをポケットから出して、少女に見せようとした。電源さえ入れば、たくさんのゲームアプリが起動するのだ。だが、今は真っ黒な画面がそこにあるだけだった。
俺は、肩をすくめてスマホをポケットにしまった。
「お前、名前は?」
少女は、またしても首を傾げて見せた。
(なんだよ、自分の名前も分からないのかよ)
見た感じ、四~五歳くらいだろう。
俺が住んでいる町で、そのくらいの年齢の子供が、自分の名前も言えないなんてことはない。それどころか、親の名前、親の仕事、住所に電話番号まで言える。すごいのになると、それらを全て英語で言うのだ。さすがに、英語で言われると、クソ生意気に思えるのは俺だけじゃないはずだ。
それなのに、この少女は自分の名前すら分からないのか……。
(これじゃ、迷子になったら困るんじゃないか? 警察に名前を聞かれても、答えられないじゃないか……まてよ、こんなところで迷子になっても、警察自体がどこにあるんだ? そうか、迷子になることすら想定外なのか)
「名前を知らないのかぁ。じゃぁ、親にはなんて呼ばれてるんだ?」
そう聞くと、少女はじっと俺を見つめ、次に綾取りを見つめた。そして、綾取りを俺の前に差し出してきたのだ。
「綾取り? ……あや・と・り……あや? お前、アヤってのか?」
少女は、歯が見えるほどに口を開けながら、嬉しそうに笑った。
「アヤか、俺の彼女も亜矢っていうんだ。これが、かなり気が強くてな」
俺は大きな声で笑った。多分、置いてきぼりを食ったという、バツの悪さからだろう。
少女を見ると、俺が笑ったのがうれしいのか、同じように笑っていた。
しかし、全く声が出てこない。俺が大声で笑っても、少女は全く声を上げずにいるのだ。
(なんだ? 口が利けないのか? それとも、知らない人とは話しちゃいけませんとか、言われてるのか?)
「でさ、お前。アヤちゃんは、どこから来たんだ?」
話ができないのか、しないのか。それでも、俺は話しかけた。
少女は、ベンチから立ち上がると、俺の背中の方を指差した。
そこには、バス停の小屋の壁がある。もちろん、壁から出てきたなんて事はないだろうから、多分後方から来たと言いたいのだろう。
しかし、後方は林だ。この少女は、林のほうから来たことになる。
そんなことがあるのだろうか。
だが、地元の子供だ。その辺は、平気なのかも知れない。俺だったら、虫や蛇がいそうで、とてもじゃないが歩く気になんてならないところだが。
それにしても、あと何時間ここにいなければならないのだろう。
俺は大きなため息をつきながら、空を仰いだ。すると、少女は何事もなかったように、綾取りを始めた。




