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境界線  作者: 久乃☆
11/12

11、終電(6)

 どうして、こんな夢を見るのか分からない。けれど、確かに犬を殺した。じいさんとばあさんを殺した。そして、母親を殺した。


 あの頃は、人の死がどんなものか、興味があって止めることができなかったからだ。


 いや、違う。死こそが、最高の時だった。


 でも、あれは子供の頃の話だ。あれからオレは変わった。


 今は人を愛することができる。


 俺にだって、大事な人がいるんだ。



「大事な人? 置いてきぼりを食って、その腹いせに別れることを決めてるくせに。それでも大事な人なのかね?」



 母親のおぞましいほどの声に、俺は目を開けた。


 そこには、憎しみで眼球が飛び出しそうなほどの、母の顔。うらみで体中が燃えてなくなりそうな、犬の牙をむいた顔があった。


 俺は、体が硬直してしまったのか、動くことができなかった。


 すると、母親とバナナは、まるでそこにいなかったかのように、消えてしまったのだ。


 俺は、息を吸うことも忘れて、呆然としていた。



「夢……だよな」



 夢のはずなのに、あまりにリアルに感じる。


 実際、自分がしてきたことだが、それを知っているのは自分だけだ。ということは、きっとこのおかしな一日に、自分の神経がたっているからだ。


 もう、忘れた過去のはずなのに。こんなくだらない過去は葬り去ったはずなのに。


 子供の頃のいたずらじゃないか。



「ここ、いいかしら?」



 二十歳そこそこの女性が、赤ん坊を抱いて俺の横に立った。



(なんだよ、どうしてガラ空きなのに、俺の前に来るんだよ)



 そうは思っても、俺は『どうぞ』と言っていた。これで、赤ん坊が騒いだら、場所を変えればすむことだと思ったからだ。いや、本当なら座る前に相手が別の場所に行けばよいことなのだが、どういうわけか、俺は断ることができなかったんだ。



「ほら、パパよ」



 俺の前に座った女は、赤ん坊にそんなことを言っている。一体、誰のことを言っているのだろう。


 女は嬉しそうに、赤ん坊に笑顔を向けていた。俺は、女の顔をじっと見つめた。



「和也、あなたもこの電車に乗っちゃったのね。ふふふっ」



 俺は、言葉が出なかった。


 そこに座っているのは、半年前に別れた由美にそっくりだったからだ。


 


 由美とは、ゲーセンで知り合った。


 当時の由美は、髪を赤く染めて、ショートパンツに肩まるだしのTシャツを着ていた。


 俺は、この女なら簡単に落せると踏んで、声を掛けた。


 思ったとおり、その夜には俺の横で寝息を立てていた。


 それから一年。都合の良い女由美は、俺のお気に入りのおもちゃになった。


 ところが、付き合って一年が過ぎようとしたある日、由美から聞きたくない一言を聞いてしまったのだった。



「和也、パパになりたくない?」



 俺の好みの化粧を施した由美の顔は、知り合った頃のあどけなさなどどこにもなく、キャバクラ嬢のように華やかだ。



「パパ? はぁ? お前、何言ってるの?」


「だからさぁ。パパだってばぁ」


「誰がだよ」


「和也だよぉ」



 由美が嬉しそうに自分の腹を撫でる。


 俺はそこに、人生の汚点を見たような気がした。俺の汚点。



「私は、ママになりたいんだぁ」


「誰の子だよ」


「えー。和也に決まってるじゃん!」


「どうして、俺の子だって言えるんだよ。証拠があんのかよ」


「証拠って……。だって、由美は和也としか付き合ってないもん」


「そんなのわかんねーだろ」



 どうにかして、この状況から逃げたかった。


 だから、俺は由美にそう言った。



「そんな、じゃぁ、由美が他の男の寝てるって言うの?!」


「ないって言い切れるかよ。俺は、お前を二十四時間見張ってるわけじゃないんだからな」


「酷いよ……」


「俺の子だって、証拠もないのに、パパになれるかよ。ふざけるな」


「だって……」


「堕ろせよな。堕ろさないなら、俺とはさよならだ」


「だって、だって……絶対に、和也の子なんだから」



 今にも泣き出しそうな由美は、ぐっと涙を堪えていた。


 でも、どんなに涙を堪えても、溢れる涙は止められなかった。


 一年馴染んだ由美の部屋。そこでの諍いは、まるで部屋の空気が凍るように、静かになった。


 俺は、酒を飲んで泥酔したふりをした。そして、そのまま布団に転がり込んだ。


 しばらくすると、シャワーの音が聞こえた。


 由美の鳴き声とシャワーの音。最初は、大きな声で泣いていた。それも、次第に小さな声になり、声がしなくなった。


 俺は、風呂場へ向かった。そこに待っているものがなんなのか、考えなくても分かっていた。


 俺は静かに風呂場の扉を開けると、湯気の中に心躍る由美の姿を見つけた。


 真っ赤に染まる湯船と、真っ白な肌に流れる真っ赤な血は、久々の快楽を思い出させた。




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