十二章 氷蓮・三
氷蓮は春詠が去った場所をただ呆然と見ていた。
今自分の身に起きた事がわかったが、情報量が多すぎて上手く処理できない。だが何をおいても大事な一つを思い出す。
「歌蓮」
氷蓮は振り向き、歌蓮の様子を見る。
それなりに騒がしかったと思うが、歌蓮はすやすやと気持ち良さげに眠っていた。
「よくこんな場所で眠れるな」
氷蓮は苦笑して、歌蓮の頬を撫でた。
これはまだ当分起きないだろうと氷蓮は判断した。それならばと氷蓮は歌蓮の隣に寝転んだ。
目にうつるのは、何層にも枝と葉が重なり合っている木々の下。闇夜程暗くはないが、光を遮る程には十分暗い。
首を傾け遠くを見れば木々の間から光が入り、時折りゆらゆらと揺れ、光の形を変えている。
地面は柔らかく、ほんのり温かい。草も色々生えているが、どれも色、艶があり、生命力に溢れている。さわさわと草を撫でてみるが、どれも柔らかい。
耳を澄ませてみるが、葉擦れの音ぐらいしか聞こえない。人の声も、獣の声も、虫の声も聞こえない。
歌蓮と自分の息遣いしか聞こえない。
氷蓮は大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。
身体は怠いし、気温は蒸し暑い、火傷の痛みはまだ無いが、時間が経てばまたあの激痛が戻って来るのだろう。
その時はまたこの薬を塗ればいいのだろう。
氷蓮はガラス瓶を目の高さに持ち上げた。
あの男——春詠と言ったか。
あいつは一体何のためにここに来たのか。
私達の様子見に来たと言っていたが、本当にそれだけだろうか。
様子を見に来るだけなら食糧など置いていかなくてもいい。それにあいつらからすれば、私達は静欒合一には邪魔な存在だった。
今こうして静欒が新しく産まれたというなら、余計にどうでもいい存在だろう。それこそ死のうが生きようが。
それに皓緋が生きているというのにこの静欒にはいない、ということは、生きていくことがとても難しいということだ。
そうでなければ、合一を望んだ本人がここにいないなんておかしなことはない。
そもそもこの静欒合一も皓緋が望んだ事で、私は望んでもいなかった。ふっ、滑稽だな。静欒合一を望んでいない私達がここにいて、望んだ皓緋は別の世界で幸せに生きているという。何だ、何の冗談だ、悪夢だ、滑稽過ぎるにも程がある!
くくくっ、と知らず声が洩れ、自嘲した。
この私が、静欒の皇帝である私が、己で傷を治すことも、起き上がることも満足にできず、ただ寝転がるだけ。しかも整えられた清潔な寝台ではなく、整備もされていないただの地面。
「ふっ、くくっ、……あははははっ!」
抑えようがない程、腹の底から嗤いが噴き出した。
何なんだ、一体。
何なんだ、これは!?
静欒の皇帝として産まれ、生き。
歌蓮を愛して、奪われ、失い、取り戻し。
皓緋の干渉が無くなったかと思えば、国どころか世界を失い、奪われて。
産まれたての、何もない世界に歌蓮と二人放り出され。
一体何をしろと、どうしろと!?
「くっ、あははははっ!」
こんな現実、嗤って笑ってわらうしかないじゃないか!
「あははははっ!」
ただただ氷蓮はわらっていた。
その声に起こされたのか「う、ん……」と小さな声が隣から聞こえた。
「歌蓮!」
歌蓮が軽く目を擦りながら、瞬きを繰り返した。
「ひれん……?」
まだ寝ぼけているのか、ぼんやりした声と目で氷蓮に応えた。
「ああ、そうだ。おはよう、歌蓮」
氷蓮は何とか上体を起こして、歌蓮の額に口付けた。
「ん……おはよ……」
歌蓮は氷蓮の頬に口付けた。
二人は上体を起こした。
歌蓮はあれ? という顔した。
そして今までの事を思い出してきたのか、これはどうなっているのかという表情を氷蓮に向ける。
「ああ、そうだな。まずは順に話すか」
氷蓮は苦笑しながら、答えた。
歌蓮の顔を見て、声を聞いたら落ち着いてきた。
歌蓮がいるだけで、私は何でもできるし、やる。
……ああ、そうだな、そうだ。
私は歌蓮さえいれば、全てどうでもいいのだ。
今までだって歌蓮のために生きて来た。
皇帝となるべく産まれついたが、それは単なる仕事だし、そういうものだと思っていて拒否する事すら思いつかなかった。それに歌蓮が不自由しないために、金や権力があった方が都合が良かっただけだ
歌蓮、歌蓮、歌蓮歌蓮歌蓮歌蓮歌蓮歌蓮歌蓮歌蓮歌蓮!
「歌蓮!」
氷蓮は歌蓮を抱き寄せ、激しく口付けた。
「ん、んっ! …………ん」
寝起きでいきなりの激しい口付けだったので、一瞬驚いた歌蓮だったが、すぐに氷蓮の舌に己の舌を絡ませて、お互いに貪り合う。
暫くして、歌蓮を押し倒した氷蓮の口が歌蓮の口から離れた。
「歌蓮」
甘えた口調で歌蓮に強請る。
「ふふ、いいわよ。全てが終わったらうんと甘やかしてあげるって言ったもの。それに私も氷蓮を沢山沢山欲しいの。だから私にあなたを沢山頂戴、氷蓮」
歌蓮は暖かで深い包容力が溢れながらも、同時に男を誘惑する女の色香も匂わせながら、しなやかな腕で自分の胸元を少しはだけさせたあと、氷蓮の首に優しく腕を絡め微笑んだ。
「歌蓮!」
愛しい女の甘い誘いを拒む理由など何も無い。氷蓮はそのまま、歌蓮を心のままに愛し始めた。




