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十二章 氷蓮・二

「お前は……」


氷蓮は歌蓮を庇いながら春詠に敵意を向ける。


「ふふ、可愛いな。非力な身となりながらも愛する者のために全てを捧げる姿は、実に健気だな」

「…………」


くすくすと笑いながら、春詠は二人を見る。

「……お前は」

慎重に言葉を選びながら、氷蓮が問う。

屈辱だが、今この場で一番力がある者が春詠だということを理解しているからだ。

「何だい」

「お前は誰だ」

「誰だと言われてもね。皓緋の従兄弟だよ」

困ったような微笑を春詠は浮かべた。

「そうか。では皓緋の従兄弟が何故ここにいる」

「君達の様子を見に来たんだよ」

「私達の様子だと……?」

「そうだよ。君達が生きているかどうかと思ってね」

「何故お前がそんな事を気にする」

「ああ、そうか」

春詠は失念していたという顔になった。

「ここは新しく産まれ変わった静欒だ。君の知っている静欒でも、私の知っている静欒でもない。新しく産まれ変わった静欒だ。だから君達がどういう状態か確認に来たんだよ」

それを聞いた氷蓮は驚いた表情になったが、次には破顔し、はははと声高に笑い出した。

「あははははっ! そうか、そうか! 私は勝ったのか! 勝った、勝ったんだ! 私の歌蓮を汚したあの男に! あはははは!」

氷蓮は心の底から歓喜し、狂ったように笑っていたが、冷たい視線で見下ろしている春詠が視線と同じ様な冷たい声音で問いかける。

「君は何故、自分が勝ったと自信たっぷりに断言できるんだい?」

氷蓮は春詠の問いには答えず、暫く笑ったままだったが、徐々に落ち着くと春詠の問いに答えた。

「ははっ、皓緋ではなくお前がここにいるのだ。それが全ての答えではないのか? くくっ、皓緋は死んだか。ああ、清々しいな。これで鬱陶しい者はいなくなった。もう誰も私達の邪魔をする者はいない、ははっ!」

くくく、とまた氷蓮が笑い出すが、春詠は憐れと言わんばかりの視線で見下ろしている。

「はぁ……。君は何も理解していないんだね」

「何だと」

笑うのを止め、氷蓮は春詠を睨み上げる。

「先程も言ったがここは産まれ変わった静欒だ。どう言う意味かちゃんとわかっているのかい? ここには太陽がある、昼がある。そして月があり、夜があるんだ。私達のいた世界のように昼だけ、夜だけではないんだよ」

「だから何だというのだ」

はあ……と春詠は呆れて大きな溜息を吐いた。

氷蓮は見下されたことを感じ、術を使おうとしたが魔力が散逸して集束しない。何故だ、おかしい。そこではっとする。まさか……そうであれば春詠がこの場にいることがすとん、と腑に落ちる。

「おや、気がついたかな?」

氷蓮が術を使おうとして使えなかったことに春詠は気がついた。そこで氷蓮がある程度のことは察したらしいということを、表情を見て気がついた様だ。

「ふふ。気づくのが少し遅い様だね。でも大体は君の予想通りだと思うよ。そう、ここは新しい静欒だ。私達の知る静欒ではない。当然、裂かれる前の静欒でもない。全く新しい静欒なんだ。だからね、ここには何も無いんだ。あるものは自然だけ。太陽と、月と、森と、水と……そういったものしかないんだよ。当然動物も人間もいない。ここにいる生物は君達だけだ。喜ぶと良いよ、この世界には君達二人だけ。誰にも邪魔されず二人で好きな事を好きなだけするといいよ。良かったね」

春詠はとても良い笑顔を氷蓮に向けたが、氷蓮は呆然とした顔で動くことも出来なかった。

「あ……」

氷蓮は何かを言おうとしたが、何を言えばいいのかわからず、口だけを動かした。

「ふふっ、驚いてもう言葉も出ない様だね。じゃあいいことを教えてあげようか」

春詠はすっと氷蓮の血が滲む腕を指差した。

「その怪我はね日焼けというんだ。まあ、日焼けというよりはもう火傷だけどね、それは」

氷蓮はゆっくりと血の滲む腕に視線を落とし「やけど」と呟いた。

「おや、火傷をしたことがない? とりあえず早く袖から腕を出した方がいいよ。袖が傷にはりつくからね」

氷蓮は春詠の言葉を拒絶せず、大人しく言われた通り袖を捲ることにした。敵の言葉に易々諾々と従うことは、静欒の皇帝として屈辱しかないが、春詠の言ったことが事実なら今は大人しく従い知識を得ることの方が大事だ。

「くっ、うっ……」

「おや、遅かった様だね」

袖は患部にはりつき、剥がそうとすると今まで味わった事のない激痛が襲う。

「仕方がないねえ。剥がしてあげるよ。……ほら、これでいい」

春詠が右手を撫でる様に軽く動かすと、氷蓮の衣装の両袖が肩からすっと切れ落ちた。火傷から剥がれる激痛もなく、だ。

「ああ、これは随分酷いねえ。可哀想だから痛みだけとってあげるよ。といっても数時間もすればまた痛みだすけどね。今だけね」

「あ……」

春詠の言った通り腕から火傷の痛みが一瞬で消えた。両腕を軽く曲げ伸ばしするが痛くない。

氷蓮はゆっくりとまた春詠に視線を向けた。

「何故……」

「ん? これからここで生きていく君達への餞別だよ。色々あったけど、もう終わったことだからねえ」

何処か遠く見る様な、懐かしむ様な声音で春詠は言った。

「ふふ。あとこれもあげる」

また軽く手を振ると、大きな木箱が二つ、少し離れた場所にぼすんと現れた。

「その木箱の中には大体一ヶ月分ぐらいの食糧や衣類、薬なんかが入っているよ。火傷にはこれ」

ふっと、春詠の右手の中に収まる大きさのガラス瓶が現れた。中にはとろみのある乳白色の液体が入っている。

春詠は氷蓮に近づき、瓶から液体を火傷に数滴垂らした。

「これを薄く火傷に塗るといい。四、五日程度で治るはずだよ。ほら、自分で伸ばしなさい」

子供に諭す様に言い、氷蓮も逆らう事なく火傷に塗り込んだ。春詠が痛みを消しているので、痛みは無いが触っていていい感覚ではない。両腕の火傷に塗り終わると、春詠はガラス瓶を氷蓮に渡し、氷蓮は黙って受け取った。

「それと君は陽光を浴びない方がいい。また火傷をするよ」

「どういうことだ」

「どういうことだって、言った通りだよ。陽の光に耐性のない君が浴びればそうなるというだけ」

春詠が氷蓮の火傷に視線を向ける。

「でも緋月、ああ、今はもう歌蓮か。それは陽の光を浴びても火傷はしないだろう。なにせ皓緋の血も入っているからね」

くすり、と春詠は笑んだ。

「さて。君達の様子はわかったし、これ以上ここにいる理由も無いから私はもう帰るよ。ああそうそう、皓緋は生きているよ。この世界ではない別の世界で幸せにね」

「何だと!?」

氷蓮は目を見開き春詠に詰め寄ろうとしたが、春詠は身軽にひらりと後に下がってかわす。

「だから勝負は引き分けかな? いや、幸せに生きているんだから皓緋の勝ちだね。ははっ。じゃあね、君達。気が向けばまた様子を見に来てあげる」

「待てっ!」

氷蓮は春詠に手を伸ばすが届かず、春詠はすっとその場で消えた。

伸ばした手は何も掴めず、力無く落ちた。

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