十一章 決着・ニ
「時が来た。だから私はここにいる。さあ、始めなさい、皓緋」
春詠は空中からここにいる全ての者を、何の感情も感じられない瞳で見下ろしていた。
「なっ……!?」
朱艶と陽織も皓緋同様に驚愕している。
ということは、二人も春詠がここに来ることは知らなかったということ。
春詠は何故ここにいるのか。
「誰だ、お前は」
氷蓮が春詠を見上げ、怒りの表情を浮かべながら長剣を春詠目がけて投げ放つ。
「愚か者」
春詠はそう言うと飛んで来る長剣が自身に届く前に、手で払う仕草をすると長剣は勢いを失い落下した。
「お前は誰だ。私を見下すとは無礼にも程がある。下りろ!」
氷蓮は怒気を露わに、胸元から人形の符を三枚取り出すと、また春詠目がけて放つ。
符は徐々に人形になると、春詠を囲んだ。
皆同じ顔の式神だ。
「一位、二葉、三果、そいつを始末しろ。ああ、止めを刺す前に私の前に跪かせろ。この静欒の皇帝たる氷蓮の頭上にいることは許されない」
「「「畏まりました」」」
三人の式神が返事をする。
「春詠っ!」
「兄さん!」
「春兄!」
皓緋達が声を出すが、春詠は動揺もなくただ静かに式神達と対峙している。
「お前達、手出しは無用です」
春詠が三人に向けて言う。
「式神か。可愛らしいことだ」
春詠は柔らかな微笑を浮かべる。
性別は違えど同じ顔の式神は無言で一斉に拳、蹴り、扇で春詠に攻撃するが、それらは春詠に届くことなくバチンと音が鳴り、火花が散ると三人の式神が同時に黒焦げの人形の符に戻り、パラパラと地に舞い落ちて行く。
「なっ……!」
氷蓮が驚愕の表情で春詠を睨みつける。
あの魔物、黒曜を制圧した一位と同等の力を持つ式神三体を一瞬で滅するとは。
認識を改める必要がある。皓緋達よりもこの男が一番危険かもしれない、と
「お前は何だ」
怒気を孕みながらも、静かな口調で問う。
「私かい? 私は皓緋達の兄で春詠だ」
また柔らかな微笑を浮かべるが、それは嘲の微笑だ。
下に下りる素振りがない時点で、徹底的に氷蓮達を見下しているということになるからだ。
もちろんそれはこの場にいる全員が気づいている。
「皓緋。早く術を行使しなさい。お前はそのためにここにいるのだろう。邪魔が入っても私が片付けてあげる。さあ、皓緋」
春詠がいつもの優しくて、諭すような口調で皓緋に言う。
「あ、あ……」
皓緋は術を行使しようと、ズボンのポケットから青い玉を出したが、視界に彩音が入ると動きが止まる。
「彩、音……彩……音……?」
皓緋がぼんやりと彩音の名を何度も呟く。
呟くごとに、皓緋の、何故かぼんやりとしてしまった意識がはっきりとしてくる。
「あ……。俺は、何、を……」
皓緋は握っている青い玉を見る。
これはまだ使う時ではない! 俺は何てことをしようとしたんだ。
「駄目だ! まだ彩音の弟を見つけていない。だからまだ術は使えない!」
「おや。私に逆らえるとは。やっぱり彩音ちゃんは皓緋の特別なんですね。でも、駄目だよ皓緋。彩音ちゃんの弟は私がちゃんと保護しているから安心していいよ。だから早く術を行使しなさい」
春詠はおっとりと言っているが、言外にかけられる圧が嫌とは言わせないと言っている。
「駄目だ。俺が見ていない。術を今すぐ行使させたいなら彩音の弟を見せろ」
だが、皓緋はそんな圧など跳ね除け反論するが、心のどこかが苦しい。兄同然の従兄弟に逆らうことが心苦しいのではなく、言い様のない恐怖を感じて苦痛なのだ。
「おやまあ、本当に私に逆らうのだね、皓緋は。これが所謂愛の力とかいうものなのかな。……まあいい。爛熯、皓緋に見せてやれ」
「はいよっと。ほら、ご所望の弟クンだぜ」
爛熯の姿は見えず、声だけが響くと同時に、皓緋の眼前に白い空間に横たわる祥護が映し出された。
「こいつは生きているのか?」
「残念ながら死んでいる」
「そうか」
「ま、身体は俺が保管しているから安心していいぜ」
「これで納得したかな、皓緋。さあ、術を行使して世界を在るべき姿へ戻そう」
春詠はふふ、と優美に笑む。
「そんなこと、させるものかっ!」
「氷蓮」
歌蓮はいつの間に用意していたのか、美しく細工の施された長剣を渡した。
「歌蓮、これは……月の剣」
「ええそうよ。これは今使うべきものでしょう。仕舞い込んで崇めるだけの物ではないのよ、これは」
「ああ、確かにそうだな。ありがとう歌蓮」
歌蓮は美しく微笑むと、氷蓮から離れる。
戦いに巻き込まれ、足手まといになるわけにはいかない。
「今度こそ死ぬがいい、皓緋!」
「それはお前だ、氷蓮!」
氷蓮は一瞬で皓緋の間合いに入ろうとしたが見えない壁に弾かれ体勢を崩した。だがすぐに立て直すと上を見た。
「ふふ、言っただろう。邪魔者は私が片付けると」
「痴れ者が」
「はははっ。何もわかっていない痴れ者に言われてもね。そう思わないかい、月の君。おいで、君の片割れに合わせてあげる。ほら」
春詠の右手が光ると、そこには長剣があった。
すると、氷蓮の握っていた月の剣がぶるぶると、氷蓮の手の中からもがき逃れるように震え出した。
「何だ、一体!? くっ」
月の剣は氷蓮から逃れようと激しく震え出す。
「くっ!」
氷蓮は月の剣が逃れないよう、力強く握りこむが月の剣はさらに強く震えて氷蓮の手から逃れ、空中にいる春詠の眼前に移動した。
「どういうことだ一体!」
氷蓮が下から吠える。
「ああ、久しぶりだね、月の剣」
春詠は淡く輝く月の剣をそっと撫でた。
「ふふ。無能な主人の元にいて辛かっただろうね。君は月の光を浴びている時が一番美しいのに、こんな所に安置されていたら力も失うよね」
「どういうことだ、何の出鱈目をべらべらと」
「出鱈目も何も。真実を話しているだけだけど。ねえ、月の剣」
月の剣が春詠の話を肯定するかの様に、淡い光を明滅させる。
「この世界、いや、この世界が一つだった頃。その皇帝の元には二つの美しい剣があった。一つは月の剣、一つ陽の剣。歴代の皇帝が陽の剣、皇妃が月の剣を受け継いでいた。だが、あの事件——、世界が裂かれた日、剣達も分たれてしまった。月の剣はここに、陽の剣はこちらに。そしてこの剣の本来の姿は——」
月の剣と、春詠の手元にあった陽の剣がふわりと月の剣の元に移動すると、二人の剣は重なり一瞬強い光を放つ。
光が消えるとそこには一つの剣があった。
片面には陽の光をモチーフにしたような細工、片面には月の光をモチーフにしたような細工が施され、剣身は美しく澄み、輝いていた。
「何だ、あれは……。どういうことだ?」
「わからないわ」
氷蓮と歌蓮が呆然としている。
「ふふ。これはね、陰陽の剣だ。聞いたことはないかな」
「陰陽の剣、だと。何故お前がそれを知っている」
剣呑な空気を発しながら氷蓮が問う。
「私も静欒の王族だからね。それぐらい知っているよ」
「そうか。だが、それが本物の陰陽の剣とは限らない。陰陽の剣は月と陽の両方の美しさを兼ね備えた神聖な一つの剣だ。そのような成り立ちの剣ではない」
春詠はきょとんとしたが、すぐにくすくすと笑い出した。
「何がおかしい」
「ああ、だって、静欒の皇帝なのにそんな出鱈目を信じているなんてと思ったら、ね。ふふ。……ああでも、長い間に話が間違えたりすり替えられたりしたのかな? まあいいよ。陰陽の剣は本物だ。さて、皓緋の方も術が起動できたしお喋りはここまでだよ」
氷蓮がはっとして皓緋の方を見れば、空中に呪陣が展開されている。中には氷蓮の見たことのない呪陣もあり、本能的にまずいと悟った。すぐに破壊するための術を展開しようとしたが、身体が動かないしおまけに声も出ない。
歌蓮も氷蓮同様、身体も声も自由がきかない。
お互い視線で意思の疎通はできるが、それだけではどうにもならない。
「っ、はっ、はあ……っ」
皓緋は四つん這いになって、荒い息づかいをして疲弊していた。
術の発動、展開に全ての体力、気力を使ったのだろう。
「よくやった、皓緋。では仕上げを」
そう言うと、春詠は少し高度を下げると空中に展開している呪陣の側に行く。
「ああ……。お前達も変質してしまったのだね」
手にしていた陰陽の剣が磁石が反発するように、また月と陽の剣に別れてしまった。
剣達はもう一度一つになろうと近づくが、互いに反発してしまい一つになれない。
それが悲しいのか、淡い光を発しながらチカチカと明滅する。
「そうか。もう、戻れないのか。それならわたしが一つにしてあげる。安心しなさい」
春詠は憐れむ表情を浮かべると、右手を剣達に翳した。するとバンッと剣達が爆ぜた。粉々になった剣達はそのまま空中に留まり、螺旋を描く様に絡まり合い一つになると形——物質ではなく、光が剣の形となっていた。
強い光ではなく、夜闇を照らす程度の明るさで空中に浮いている。
「うん、これでいい」
春詠は陰陽の剣であった、光の剣を取ると円陣で展開している呪陣の中心に光の剣を投げた。
光の剣は呪陣を通り抜けると赤光に変化し、加速して、呪陣の後にある聖なる大木に向かって行く。
「ふっ、ふふっ。あっはははははっ! やっとだ、やっとこの退屈が終わる! さあ双子達、あとは頼んだよ!」
「「オッケー」」
この場にそぐわないゆるい調子の返事が響き渡る。
大木に赤光の剣が突き刺さると、バッと赤い光が弾け、全てが白い空間へと塗り替えられた。




