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十章 歌蓮・四

暴力シーンあります。

「やめて! やめてやめてやめて! 離れてよっ! 早く離れてよっ! いつまでも私の氷蓮にくっついていないでよ! 離れないなら私が引き離してやるわ!」


氷蓮と歌蓮の淫らな様を見せつけられた緋月が、今まで聞いたことのない大声を上げ、二人のいる祭壇へ突進しようとしたが黒曜に腕を掴まれ阻まれた。

「駄目だ、緋月。緋月じゃ勝てないって」

暴れる緋月を抑え込みながら、しれっと馬鹿にする。

「何よ! そんなのやってみないとわからないじゃない!」

「いや、やらなくてもわかるでしょ、そんなの。他の皆だってそう思ってるって。ねえ緋月のおとーさん?」

左脇腹を抑えて膝をついている皓緋の方へ、黒曜が顔を向ける。

「いや、俺の娘はここにはいないぞ。俺の娘は国で留守番をしているはずだ。それに親のいいつけを守らないような馬鹿な子はいらない」

皓緋は血の滲む左脇腹を抑えながら立ち上がる。傷が痛むのか眉間に皺が寄る。

朱艶と陽織が心配そうな顔を皓緋に向けるが、側に寄ることはしなかった。動いて隙を見せるようなことは出来ないからだ。

「っふふふ、あはは! 緋月、皓緋は緋月のこと、娘じゃないって。緋月、どうする? 緋月は父親からも母親からもいらない子だって言われたんだよ! あっはは、惨めだねー。ねえ、今どんな気分? ははっ!」

黒曜は嗤いながら緋月に問う。

「っ……! うるさいっ! うるさいうるさいうるさいっ! 父様がなによ、母様がなによ! 私のことを愛さない両親なんていらないわよ! 親なら子供を愛しなさいよ! 馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! あなたも私を離しなさいよ! 私はあの女から氷蓮を取り戻すんだからっ、離せっ!」

「だから駄目だって。本当に緋月は馬鹿だねー。ていうか、緋月ってこんなに馬鹿だったんだね。昔はこんなに馬鹿じゃなかったのに。いや、こっちが素なのかな? あーもう、そんなに暴れないで、よっと」

「ぎゃぶっ!?」

「痛い? ごめんねー、緋月。でも大人しくしない緋月が悪いんだから、しょうがないよね」

明るく楽しげに言うが、黒曜がやったことはとても暴力的だ。

羽交い締めにしていた緋月を一瞬離し、後頭部を掴んで勢いよく石畳に叩きつけたのだ。

「いやぁ……痛い、痛い痛い痛いっ! 痛いよお……」

うわーっと緋月は泣き出した。小さな子供がただ感情のままに泣き叫ぶのと同じように。石畳にうつ伏せたまま、わんわんと泣き叫ぶ。

「あっははは! 最高だね、緋月! ほら見てごらんよ、みーんな君の醜態を見て唖然としてるよ。そりゃそうだよね、こんなにぎゃんぎゃん泣き喚いてたら唖然とするよね。もうこれだけ泣いたんだから気は済んだよね。ほら立って、ほら緋月」

黒曜は緋月に立ち上がるよう促すが、緋月はまだ泣き叫んでいる。自分のことでいっぱいで黒曜の、他の者の声も聞こえはしないのだろう。

「もー、緋月ってば。しょうがないなあ。……起きろって言ってるんだよ緋月」

「ひっ!」

緋月が泣くのを止めた。止めたが、かわりに今度は身体が固まったようだ。

黒曜の声。

先程までは軽快な感じであったのに、一転して冷ややかに命の危険を感じてしまう程に威圧的な声になり、本能的に言うことをきいたのだ。

それは周りにいる者達も同じだ。

いきなり突拍子もない二人のやり取りが始まり、ただ様子を見るしかなかった。下手に割り入って要らぬ怪我はしたくないからだ。

「ほら緋月、立ってよ。……あ、もしかして自分で立てないの? それなら早く言ってよ。手伝ってあげるから、ほら!」

「ぎゃあっ!」

「おっと」

黒曜は、肩より少し長い緋月の髪の毛を無造作に掴み、力強く一気にぐいっと引っ張り上げて立たせたが、緋月の方は身体がついて行かずふらついたが、黒曜がさっと左腕で緋月の腰を支えて立たせた。

緋月の顔は汚れはないが額がひび割れ、そこから赤い液体が滲み出ていた。

人形の身体とはいえ、一見では人間の見た目と何ら変わらない上に、それなりに整った顔立ちの少女の姿だ。その痛ましい姿は見ていて気分のいいものではない。

「もう、緋月は本当に手をかけさせて。でもまあ仕方ないか。緋月は手のかかるお馬鹿さんだもんね」

「っ……」

緋月は黒曜の腕から逃げることも出来ず、顔を俯けている。

「あれ、もしかして反抗してる?」

黒曜が小さく首を傾げ、緋月を見る。

緋月は答えず、黒曜にもたれかかったままだ。

「はぁ、緋月は都合の悪いこととかにはこうやって黙って逃げるよね。いつもいつも。まあ僕はそんな緋月も好きだけどね」

黒曜は緋月の頭に軽く口付けた。緋月はえ? となったのか、顔を上げた。そこには笑顔なのに、背筋がぞっとするような空気を纏った黒曜の顔が近くにあった。

短く小さな悲鳴を上げた緋月を見て、黒曜は満足そうだ。

「そうそう。そういう卑屈さが緋月だよね。いつでも人の顔色を伺って、自分を貶めて他人を上げる。自分はこんなに健気なんだから私を褒めて大事にしなさいよ、なーんて態度がさあ、本当見てて気持ち悪い。ねえ、そうでしょ氷蓮」

階段上、祭壇の所にいる氷蓮の方に顔を向けて黒曜が言った。

「氷蓮、緋月と会った後はいつもいつも気分が悪くなって身を清めてたもんね。ふふー、知らなかったでしょ、緋月」

黒曜はにんまりとした顔を氷月に向け、氷月の反応を見る。

「う、そ。嘘嘘嘘! 氷蓮はそんなこと、しない……。だっていつも、いつ、も……?」

いつも、自分と会った氷蓮はどうだった……?

短い時間の面会しかなかったが、いつも大事にしてくれていたはず。だって一度、石畳に躓いて転んだときは凄い怒られて心配してくれたわ。小さい頃だったけれど、あんなに怒られたのは初めてだからよく覚えている。

これはお前の身体じゃない、●●の身体なんだって。だからお前も他人も、この身体を傷つけるなんて絶対に許さない、と。

●●?

氷蓮に抱き起こされた私がそう問い返すと、近くで見守っていたお祖母様がひどく怒って、氷蓮の頬を叩いたのだわ。

そこから氷蓮とお祖母様が大喧嘩を始めて、侍女達がおろおろして——。

あれ?

氷蓮はあのとき何て言ったの。

何て——?

氷月も氷蓮の方へ顔を向けた。

訊かなければいけない、でも訊いてはいけない。

だって返って来た言葉が、もし自分の思う言葉ではなかったら?

その聞きたくなかった言葉だったら私、私は——。

緋月は悩乱するが、どうしたって答えは出ない。当然だ。答えは緋月が持っている訳ではない。

緋月は垂らした両腕をゆっくり上げ、縋るように黒曜の衣装を掴んだ。不安を紛らわすためと、何を聞いても自分の足で立っていられるようにと。

緋月は意を決して、氷蓮に向かって問う。

「氷蓮。私のことが大事でしょう。いつも大事にして、怪我をしたときは心配——」

「誰がお前の心配をする? 歌蓮を殺したお前を? 愚かな。思い上がりも甚だしい」

氷蓮は歌蓮を抱きしめたまま、冷えた視線を緋月に向けて吐き捨てた。

「嘘、嘘、つき……! だってあのとき、私を心配して怒って、それで、お祖母様に怒られて……」

「母上? ……ああ、あの時か?」

記憶を思い出すためか、氷蓮は少し顔を上向けた。

「あらやだ氷蓮、母様に怒られたの?」

「ん? ああ。遠い昔のことだ。……そう、そうだ。歌蓮の身体を傷つけるなと言ったら母上が怒って私の頬を叩いたんだ。随分激昂していたな。氷月は歌蓮ではない、氷月だと言ってな。だから私は、そうだ、氷月は歌蓮ではない。歌蓮にするためのものだと」

「氷蓮……!」

歌蓮は感極まったのか破顔し、全身を、ほんの少しの隙間も埋めるようにぎゅうっと氷蓮に押し寄せた。

氷蓮も応えるように自分に押し込んでしまう様に歌蓮をきつく抱きしめた。


「あ……っ……はっ……」

緋月は言葉が出ず、口をはくはくと動かしている。

頭が痺れ、鐘の音が反響するようにぐわんぐわんとしている。

視界にはいちゃつく氷蓮と歌蓮がいるが、緋月には見えているようで見えていない。目に、うつっているだけ。

緋月は痺れ、朦朧とする頭の中で一番聞きたくない、知りたくなかった言葉がぐるぐると回って反響していた。


「歌蓮の身体なんだ」


知りたくない、いいや知っていた。

氷蓮が自分のことをどう見ていたかなんて、とっくの昔に知っていた。

ただ、認めたくなかっただけ。

氷蓮は私を見ていても見ていなかった。いつも私の中にある母様の欠片を探すように見ていた。

歌蓮、歌蓮。

氷蓮はいつもその言葉を口にしていた。

その言葉を聞く度に、心はいつももやもやとする。そのもやもやが重くて気持ち悪くて嫌だった。

だからある日、氷蓮に言ったんだわ。

氷蓮、私は氷月よって。

その瞬間、無表情だった氷蓮の顔が息が止まる程の恐ろしい形相になって——、それから、そう、罵られた。

とても恐ろしい形相で、強く、激しい憎悪をぶつけられ、罵られた。

お前が歌蓮を殺した、私から奪った、お前が歌蓮の代わりに死ねばよかった——。

ああ、ああ、思い出した、思い出したくなかった。

こんな、こんな、惨めな——。

「あ、あ、ああ、ああ、あーーっ!!」

緋月は全身を振るわせ声を出し、力の限り絶叫した。

黒曜に縋りつきながら、理性という箍が壊れたのか、ただただ狂ったように慟哭していた。

「あはは! 緋月、とうとう壊れたのかなぁ? こんなおかしな容れ物に入ってまで氷蓮に会いに来たのにね。ふふっ。でも大丈夫だよ、僕はどんな緋月でも大好き。心の底から愛してる。愛してるよ、緋月。だから、約束はちゃあんと守るよ、安心して、ねっ!」

「くあっ!?」

唐突に緋月の叫びが途切れた。

「ふあっ……べ……ぼふぁっ……」

氷月は口から大量の赤い液体を黒曜の胸元へ吐き出した。

そしてゆらゆらと身体を揺らし、仰け反った。

その目に光は無く、ただ涙だけが溢れ、流れ落ちていた。

黒曜が支えているので倒れることはなかったが、緋月の左胸——、人間でいえば心臓にあたる場所に、黒曜の右腕が突き刺さっていた。

「ああ……緋月……。僕は今、君の魂、緋月の存在に触れているんだね。嬉しい、嬉しい嬉しい、本当に嬉しいよ……! 嬉しすぎて……何ていうの? ああ、そうか、これがイクって気持ちなの……? たまらない、たまらないよ、緋月!!」

恍惚、陶酔、甘美、どんな言葉でも言い表せないような、快楽に酔った様な蕩けた表情で緋月の胸から一気に腕を引き抜いた。

黒曜は緋月の身体から手を離し、赤い液体に塗れた珠を蕩けた表情で眺め、飲み込んだ。

これにはその場にいる全員が驚愕した。

「っふふ、ふふ、あははははっ! やっとだ、やっと僕は緋月と一つになれた! 緋月との約束を果たせた! 長い長い時間、ずうっと待ってた。僕がどれほど待ち望んでいたかわかる、緋月。君が消えたこの世界でずうっと君だけを待ち望んで……。でももういいんだ。君と僕は一つになれた。だからもう泣かなくていいよ、僕たちはもう一つなんだから、さ、行こう」

黒曜から蕩けた表情は消え、今は心底満たされた表情で言った。

「氷蓮! 僕はもう行く。お前のつけた首輪は壊した。もう僕を縛るものは何も無い! 皓緋! お前が緋月の魂に施した変な術式は壊したよ。お前の望みは潰えたなぁ。あっはははは、ザマアミロ! じゃあな!」

黒曜は大きく息を吸うと、野太い咆哮を上げた。人間が出せるのかと思う程、限りなく獣のような咆哮。

すると黒曜の身体から黒い靄が溢れ出し、黒曜を覆い隠す。 

少しして靄の中から短い鳴き声が発したと同時に靄は消え、そこには大きな、羆より二回りぐらい大きい黒豹の様な姿をした獣がいた。

「じゃあね、僕はもう行く、僕は自由だ!!」

黒豹の様な獣——、黒曜が高笑いしながら石畳を蹴って勢いよく走り去って行った。

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