十章 歌蓮・三
氷蓮は大樹の根元にある祭壇に歌蓮を下ろし、座らせた。
「歌蓮、歌蓮! ……っ!」
氷蓮は首にある手の跡を見つけると、一瞬で全身の血が沸騰するかのように熱くなったが、まずは手の跡を消すことが第一だと思い、白く細い首に己の舌を這わせた。
「ん、やっ……」
くすぐったいのか痛いのか、もしくは両方なのか。
歌蓮は氷蓮の舌から逃れようと身を捩るが、氷蓮はそれを赦さない。逃げようとする歌蓮の頭を左手で抑え、右手は歌蓮が逃げられないよう、歌蓮に密着させて祭壇に置き、とどめは自身の体重を歌蓮が押し戻せない程度にかける。
これで歌蓮は身動き取れず、氷蓮のされるがままになった。
「やっ、氷、蓮、やめ、て……。身体が、ぞわぞわ、し、て、おかしく、なるっ……」
涙声で訴えるが氷蓮は無視し、首に残る跡を消すことに専念していたが、歌蓮も諦めず何とか氷蓮から逃れようとするが、がっちりと逃げられないよう抑え込まれ抜け出せない。
「だ、め、だめっ……。お願い、もう、平気、だから、やめっ……だめ……!」
歌蓮が顔を火照らせ、びくびくと身体を震わせる中、氷蓮が耳元で怒気を孕んだ低い声で話す。
「駄目だ。こんな跡をつけられて……! 私が今どんな気持ちかわかっているのか歌蓮。ようやくこの腕に取り戻した貴女をまた喪うかという恐怖と絶望をまた私に与える気か、姉様……!」
「痛っ! 痛い、わ、氷、蓮……」
氷蓮は柔らかな歌蓮の耳朶に血が滲むほど強く噛みついた。
滲む血を舌で舐め、きれいに拭う。
そして歌蓮を押し倒し、胸に顔を埋め、ぎゅっと力の限り抱きしめる。
「ん、んんっ。苦しい、わ。氷、蓮……んっ……!」
締め殺されるのではと勘違いしそうな程、強く強く抱きしめてくるので、歌蓮は息を吸うのも苦しい。
だが氷蓮が腕を緩める気配はまったくみえない。
本当に殺すことがないのはわかっているが、もう少し力を抜いて欲しい。少し首を上げ、氷蓮の様子を窺う。身体が微かに震えている。それは歌蓮の身体を通しても伝わってきた。
氷蓮が人目も憚らずこんな自分の醜態を晒すなんてことはありえない。皇帝として決してあってはならない。それなのに他人の視線の中、こうも醜態を晒すのは歌蓮のことだからだ。
歌蓮は全身がぞくぞくと高揚し、痺れるような感覚が襲った。この醜態が全て自分のせいだと思うだけで全身が歓喜で湧きあがり、呼吸が苦しくても声をかけずにはいられなかった。
「ひ、れ、ん……ゴホッ」
少し掠れた声で呼ばれた氷蓮が反応し、抱きしめる力が弱まった。
「歌蓮!? あ……ごめんなさい姉様……。苦しかったですよね……」
氷蓮が顔だけ上げ、涙の滲む目で弱々しく答え、また歌蓮の胸に顔を埋めた。
その弱々しい顔を見た歌蓮の身の内に、歓喜と嗜虐心と母性が同時に湧きあがった。歌蓮は両腕を氷蓮の腕からゆっくりと抜き、声を殺して嗚咽する氷蓮の頭を繊細なガラス細工を扱うように、そっと優しく撫でた。
「氷蓮……。ごめんなさい。あなたをこんなに怯えさせて。悪い姉様よね……」
「………………」
氷蓮は顔を埋めたまま、小さく首を振る。
「ありがとう。でもね、どんな理由があれ、あなたを置いて逝った私はやはり悪い姉なのよ。そして、今さっきも、また置いて逝かれるんじゃないかと怯えさせたもの。ごめんなさい氷蓮」
「………………」
歌蓮の衣装が引き攣った。氷蓮がぎゅっと握ったからだ。歌蓮はそんな氷蓮の行動のひとつひとつを見る度に、愛おしさが身の内を満たしていき、それと同じぐらい氷蓮への愛しさも増していく。
「……でももう、怯えなくていいのよ。あなたと離れることはないわ。それはあなたが一番よく知っているはず。だからさっき、すぐに気づいて助けてくれたのでしょう、氷蓮」
氷蓮は小さく頷いた。顔はまだ歌蓮の胸に埋めたままだ。
ああ、何て愛おしいのだろう……!
この世界の皇帝で、人々を跪かせる立場なのに、私の言うことは何でも聞き、簡単に跪く。
この世界で一番の権力者が、私にだけは甘えてくる。
もう大人なのに、私の愛だけを求めて、欲しい欲しいと強請り続ける。
愛おしい——。
ただただ愛おしい。
私の持てる全ての愛で、全身全霊でこの子を愛するわ。
そう、氷蓮は私だけのもの。
だから、それ以外はいらないわよね——。
ああ、本当に私達は狂って腐っているわね。
ふふふ——。




