十章 祥護
痛い、苦しい、痛い、苦しい、痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい痛い苦しい——!!
あああああああぁーーっ!!
痛い? 苦しい? 痛苦しい?
あーーっ!! そんなのどうでもいい!!
身体の中に手を突っ込まれ、ぐちゃぐちゃに掻き回される痛みと気持ち悪さ、同時に中身を毟り取られる激痛。
逃げたいのに、身体は何かで固められたようで強張ってぴくりとも動かない。
何で、何でだ!?
何でこんな目にあってんだ?
わからない、わからない!!
もうそんなことも考えられない!!
怖い痛い苦しい気持ち悪い!!
もう嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
誰か、誰か、誰か誰か助けてくれ——!!
『いいぜ』
拷問そのものな苦痛で悶絶している祥護の頭の中にその一言がはっきりと響いたと同時に、今まで暗黒だった世界が正反対の白い世界に変じた。
「うっ!?」
祥護は反射的に光から目を守ろうとして、両目を瞑った。
「よう。助けてやったぜ、ガキ。感謝しろよな、ん?」
上の方から偉そうな声が聞こえた。
「あ……ぁ……?」
祥護は現状を把握出来ないのか、掠れた声で言葉にならない音を少し出しただけで、ぼんやりとした表情のまま横たわっていた。
「ふーん?」
商人は検分するように祥護の全身を見る。
「んー、かなりマズいな。時間もねえし仕方ねぇな」
目を瞑ったまま、あー、うー、と呻く祥護を一瞥し、商人は言葉を発した。
『香月祥護、戻れ』
張りのある声が辺りに響くと同時に、祥護の身体ががくがくと大きく震え出した。
「ぅあっ、あっ、あっ、あっ!!」
今度は引き攣るような、短く呻く祥護の声が辺りに響く。
身体の痙攣もまだ治らない。
商人はそんな祥護を冷静に観察している。
『戻れ』
もう一度告げるとぴたりと祥護の痙攣が止まり、虚ろに澱んでいた瞳にも落ち着きが戻り出した。
しばらくして、商人が声をかけた。
「おい、ガキ。今の自分がわかるか」
祥護は声のする方へ視線を向けた。
そこには傲岸不遜な表情をした男が、自分を見下ろしていた。
(誰、だ……? 俺様系のイケメン、だな)
祥護はまだよく働かない頭で考えてみるが、見たことも会ったこともないなと思った。
「おい。聞こえ、理解してるか、俺の言葉」
商人が少しイラッとした感じで問う。
「え、あ……の……?」
突然見知らぬ男にそんなことを言われてもどう対応すればいいのか祥護は迷う。
どうすればとおたおたする祥護に商人はもう一度問う。
「訊かれたことに答えろ、ガキ。俺のことがわかるか?」
祥護は身体を竦ませた。
話し方は平淡なのだが威圧するような気が強く、逆らうことが出来なかった。
祥護は身体を起こして答えた。
「わからない」
「そうか。じゃあお前の一番大事なものは」
「大事なもの……」
「そうだ。人でも物でも何でもいい。お前の一番大事ものは?」
一番大事な物なんて決まってる。
俺の双子の姉、産まれる前から一緒だった……一緒、だった、あ、れ……?
名前、名前……?
出て、来ない。
「大事なものは?」
商人がもう一度問いかける。
「あ……」
もやもやとした塊が喉に詰まる。
存在はわかるのに、温もりも覚えているのに。大事な片われだって覚えているのに。
それなのに。
名前が思い出せない。
「あ、あ……?」
祥護は右手で髪の毛をぐしゃりと強く掴む。
「な、んで、何で、思い出せない? 大事な、大事なやつなのに。何で……?」
髪の毛を掴んだ手を離し、その手で口元を押さえる。
「思い出せないのはお前が死んだからだ」
商人が淡々と告げた。
「は……?」
祥護が何だそれはという驚愕の表情で商人に顔を向けた。
「俺が、死んだ……?」
「そうだ。正確にはほぼ死んだ生命を他人の力に依って生きていたが、それを無理矢理盗られたんで死んだ、だな」
「は、あ……?」
祥護は間の抜けた返事をする。
いきなり死んでいるとか言われても理解が追いつかない。
商人は淡々と続ける。
「お前が一番大事なものを思い出せないのが証拠だ。まあ死にたてなら大体のことは覚えてるんだが、お前の場合、無理矢理魂を別の身体に移され、また無理矢理自分の身体に魂を戻された。それで魂がボロボロになって完全に死んだ。ついでに言やぁ、この俺が招び戻しても記憶が曖昧じゃあ、招び戻してもそう長くはいられない。もうお前は自力じゃ記憶を戻せない。だから手伝ってやろう。コレがお前の記憶だ。ほらよ」
商人は右手の人差し指で祥護の額をトン、と軽くつく。
「あ、あ……!?」
商人の指が触れた瞬間、蛇口から水が一気に出る様に、忘れてしまった記憶が頭の中で溢れ返った。
『祥護』
大事なあいつが笑ってる。
一緒に出掛けて遊んで楽しくて笑う顔。
寝起きでぼーっとしている顔。
美味そうにケーキを食べてる顔。
満月が怖くて俺の腕をにしがみついて歩くあいつ。
全部、全部思い出した、俺の大事な大事な片われ——
「彩音」
何で忘れてたんだろう。
何で忘れられたんだろう。
一番大事な大事な彩音を……。
「っく……」
ぼろぼろ涙が溢れた出す。
悔しい。
情け無い。
そして——
怖い。
せっかく思い出せだ記憶が、思い出したそばからまた薄れて行く。
「何で、何で何だよ!」
祥護は両手で頭を押さえた。
忘れたくない、忘れたくないのに……!
「そりゃお前が死んでるからだ。さっきから言ってるだろ」
商人は面倒だなという態度で再度告げる。
「う、そだ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だーーっ!!」
祥護は全身の力を振り絞って声を上げた。
信じられない、信じたく無い。
だがどこかで死を納得している自分もいる。
どうにもならない気持ちを大声に込めてもがくことしか出来ない。
今この瞬間も記憶が薄れて行く。
「おい」
「ぁあがっ!?」
商人が祥護の髪の毛をがっと掴んで顔を無理矢理上向かせた。
「いい加減にしろ、ガキ。鬱陶しい。お前がいくら泣いて喚こうが現実は変わらねぇんだよ。いいか、今お前がやることは現実を認識、理解しろ。そうすりゃ姉ちゃんとの最後の時間を作ってやる。出来なきゃこのまま死ぬ。会いたいやつに会えずに、な」
祥護の涙でぐちゃぐちゃになった顔が強張った。
「どうする?」
「あ……。ぐっ、う……」
祥護はまだ認められなかった。
記憶が薄れていっても。
心の片隅でまだどうにかなるはずという望みを捨てられなかった。
だが、現実は残酷だった。
「これが最後だ。お前は死んでいるのか生きているのか。どっちだ、ガキ」
最悪だ。
最悪に嫌な訊き方だ。
悪魔とかいるなら絶対にこいつだと祥護は思った。
でも。
もう祥護は認め、受け入れるしかなかった。
最後に確実に彩音に逢いたかったから。
だから。
「……死んで、る……」
か細い声で答えた。
「認めたな。ではこの俺、爛熯がお前の姉に会わせてやろう。それまではここで眠っていろ、香月祥護」
爛熯は掴んでいた祥護の髪の毛を離す。
祥護の方はいきなり離され、バランスを崩し操り糸の切れた人形のようにぱたりとその場に頽れた。
「さて、こっちはこれでよし、と。あとは向こうへ行くか」
そう言うと、方向などあるのかわからないような白い空間を爛熯は歩き出した。
残された祥護は白い空間にのみこまれ消えた。




