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十章 決別・二

(ああ、このうるせー声、確かに彩音だわ)


祥護は自分の胸の上でわんわん泣き続ける少女の声と重みを感じながらそう思った。


(ようやく彩音と会えた……) 


手に伝わる感触がこれは現実だとさらに認識させてくれる。

だが、ここで再会に喜んでいる時間はない。


(俺にはもう時間がないからな……)


祥護は商人の視線を感じた。

早くしろ、と。

わかっている、わかっているけれど。

それでももう少しこいつを感じていたい。

だって俺の大事な……、大事な片われなんだから。

産まれる前からずっと一緒だったんだから……。


「仕方ねぇなあ」


爛熯がそう言うと、猫を掴むかの様に、彩音の首の付け根辺りを掴んでひょいと祥護から引き離した。

「ゔぇっ!?」

軽く首が締まった様で、潰れた声が漏れた。

「ちょっと、何するのよ!」

ごほっ、と軽く咳き込みながら彩音が爛熯を睨みつけ抗議をする。

「言ったろ。時間がねぇんだよ。もう再会出来たんだからさっさとしろ、ガキ」

爛熯は横たわる祥護に向かって告げる。

「……わかってるよ」

祥護は、ゆっくりと上半身を起こした。

「祥護!」

彩音はまた祥護の側へと行く。

「大丈夫? 具合悪い?」

背中に手をあて、祥護の顔を覗き込む。

「大丈夫だから、俺の話を聞いてくれ」

とても真剣な顔で言われたら、うん、という返事しか出来なかった。

祥護は彩音の顔を見ず、立てた自分の左膝を見ながら話出した。


「俺は、お前とは帰れない。俺達の世界にはお前だけ帰れ」


「え……?」


彩音の表情が、全身が固まった。

何を言っているのだろう、祥護は。

帰れない、そう言ったのだろうか。

いや、聞き間違いに違いない。

絶対にそうだ。

だから聞き直さなければ。


「しょ、んごっ!?」


彩音は背後に回った商人に口を塞がれた。

「黙ってろ。何度も言うが時間がねえんだ。だから騒ぐな」

色々助けてくれたとはいえ、そんなことを部外者に言われて黙れるはずもない。

爛熯から逃れようと、彩音はばたばたと動くが「黙れ」と爛熯から放たれた一言で騒ぐのを止めた。

その一言があまりにも冷たく、命の危機を感じる程、怖かったからだ。

祥護は大人しくなった彩音をちらりと見、また自分の膝へ視線を戻した。

「ごめんな、彩音。…………俺、もう、死んでるんだ。だから、一緒に帰れない。……ごめん」

彩音がもがもがと何か言っているが、祥護は彩音の方は見ず、また言葉を続ける。

「本当なら、今こうして話すことも出来なかったんだ。でもそいつのおかげで今、こうして話せるんだ。……でもほんと、わけわかんないことばっか起きてさ。こんなんなった今でもまだ混乱してる。だって彩音は目の前で消えるし、俺もいきなりこっちに引き摺り込まれてさ。おまけに知らないやつに殺されて、どころか俺はとっくに死んでた、なんて言われてさ。実感なんてねえよ。……死んだ実感、なんてさ」

はっ、と祥護は自嘲し、ゆっくりと頭を上げ、彩音の方へ顔を向けた。

彩音はぼろぼろと涙を流していた。

口と身体はまだ爛熯に抑えられたままだ。

「俺、まださ、今ここは夢で、起きたら朝で学校行って、帰ったら彩音とぐだぐだ言い合って。また同じ様な日常が続いてくって思っててさ。おかしいよな。もう死んでるのに、な……」

祥護の両目から涙が零れた。

痛々しく絶望した表情で、涙を流しながら彩音の方を向いた。


「祥護!!」


彩音は叫び、拘束を緩めた爛熯の腕から祥護目がけて飛び出した。

祥護は両腕を広げて彩音をしっかりと抱き止め、そのまま強く抱きしめた。


「祥護、祥護! やだ、やだ、やだぁ……やだよぉ……や……」


悲しくて、悔しくて、無能な自分に腹が立って。どうにもならない感情が涙となり、彩音から溢れ出る。


「俺だって帰りてえよ! お前と帰って普通に暮らしてえよ! そんで、学校行って、遊んで、さ……。でも、もう、どうしようもないんだ……よ……もう……俺は、死んでるんだから……」


もうあまり声も出せないのか、聞こえる声は掠れ、段々と弱々しく小さくなっていく。


「やぁ……っ、やっ……。かえ、かえ、るの。しょ……ごも、いっ……」


彩音も泣いて言葉が詰まり、言葉がうまく発せず聞き取れない。

それでも祥護にはわかるのか、彩音の言葉らしきものを聞くたび、彩音の肩に埋めた頭が小さく揺れる。

そしてお互いにもう何も言えず、泣いてただお互いを抱きしめ合っていたが、彩音の背後から冷たい声が聞こえた。


「時間だ」


その言葉は二人にとって、死刑宣告同然の言葉だった。

その言葉を聞いた彩音は、絶対に離さない、離れるもんかと祥護の背中に両腕を回して抱きしめた。

だけど、抱きしめられなかった。


「え……」


祥護の身体がへこんだのだ。

例えるなら、氷が熱で溶けていくような。

腕の中で徐々に減って、透明になりきらきらと煌めいて消えていくのだ。

光を受けたプリズムの様にきらきらと。


「しょ、ご……?」


彩音は呆然とした。

弟が、目の前で消えて逝く。

きらきらと、きらきらと、綺麗な光になって消えて逝く。

何も、残さずに。

何も出来ず、消えて逝く弟をただ見ていることだけ。


「しょ、う、ご……」


「…………」


祥護は一言、彩音に何かを言って消えた。

音にはならなかった言葉。

でも彩音には聴こえた。


『生きろ』と。


糸の切れた人形のように彩音の全身の力が抜け、だらりとした。


「祥、護」


その名を呼んでももう返事は来ない。

どこにもいない。

もう、どこにも。

どこにも。


いない。


「いない……いない……? うそ、うそ、そんな、の……うそ……」


だって、だってだって祥護はいつも側にいた。

そりゃあ学校に行ってるときとかは一緒じゃないけど、心が繋がってた。

だから離れてたって平気だった。

でも今は、今は……。

心にぽっかり大きな穴が空いた。

無理矢理抉り取られたみたいですごく痛い。

痛い、痛い。

こんなに痛いのは祥護がいなくなった、から……。

彩音は左胸をぎゅっと両手で掴んで顔を俯けた。


「ゔっ……、や、やっ、やーーっ!! やだやだやだっ!! 祥護、祥護ーー!! ぃやあーーっ!!」


彩音は全身を震わせ、狂ったように泣き叫んだ。

激しい哀惜の叫び。

そんな彩音を爛熯は一瞥し「眠れ」と言うと、彩音の慟哭がぴたりと止まり、ぐらりと前のめりに倒れた。

聞こえるのは先程の慟哭とは逆の穏やかな寝息。


「さて。よかったなぁ、ガキ。こんなに泣いてもらえてなぁ」


彩音の側に立つ爛熯はそう言うと、左手を胸元辺りまで上げ、流れるような動きで軽く手を握り、すぐに開く。

すると掌にきらきらとした光が出現した。

掌にその光を維持したまま、右手の人差し指を物を引っ掛けるようにちょいと動かすと、前のめりに倒れていた彩音が、仰向けになった。

爛熯は彩音の下腹辺りに左手を持って行く。


「ほらよ。大好きな姉ちゃんの中で寝てな」


きらきらとした光は爛熯の言葉に反応したのか、ゆらゆらし出し、すーっと彩音の下腹の辺りから中に入って消えた。


「で? お前達、準備出来たのかよ」


爛熯は両手を腰に当て、そう言うと。


「当然! 当たり前のこと聞かないでくれる?」


正面から爛熯の双子の弟、遊焔ゆうえんが出現した。

「ラン兄こそ、もう仕事終わったんだね」

続いて燥焔そうえんも現れた。

「お前らこそ、当たり前のこと訊くんじゃねえよ」

とはいえ護衛の仕事から真っ直ぐ来たのか、髪はオールバックに黒で揃えた服装のままだった。

いつも見ていた緩めな感じの服装ではない。

「じゃああとはタイミングだな」

爛熯が言う。

「そだね。あ、この子どうするの?」

遊焔が顔を爛熯から彩音へと向ける。

「このまま眠らせておく。コトが終わるまではこのままだ」

「そう。やっぱり壊れちゃったんだね」

遊焔の隣に並んだ燥焔が感情のこもらない声で言う。

「いや。まだ壊れちゃいねえが、起こしても邪魔にしかならねーからな」

「「なるほど」」

双子が答える。

「んじゃ、俺達は高みの見物をしながら仕事するよ。あとラン兄、余計なことはしないでくれよな」

「あ? この俺様のすることに余計なことなんてねえんだが?」

眼光するどく遊焔を睨む。

「うん、そうだよね。じゃあ俺達はもう行くよ」

燥焔はそう言うと遊焔の方を向き、にこりと微笑み「ユウ?」と一言だけ言うと遊焔はさっと目を逸らし「さっ、行こ! すぐ行こう!」と燥焔に抱きつき、二人は消えた。


「全くあの双子は……」


呆れた溜息をつき、爛熯もその場から消えた。

残された彩音も、その空間に溶け込むように消え、後には何も無い白い空間があるだけだった。

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