十章 迷宮・八
「え……? そんな……」
愛華が呆然と立ち尽くし、呟く。
それは当然だった。石段の終わった先は何も無い部屋だったのだから。
「祥護……」
彩音も愛華同様、呆然とした。それもそうだろう。隠し部屋といういかにも大事な何かがあると思わせる場所に何もないのでは。氷蓮もいなければ祥護もいない。それどころか何もない部屋だった。
「祥護……」
ここに大事な弟はいなかった。一体祥護はどこにいるの?
涙も浮かびそうだったが、それは堪えた。次に泣くなら祥護を見つけ、抱きしめたときだと決めていた。
背中が温かくなった。
振り返らなくてもわかる。
皓緋が後から抱きしめてきたのだ。
「皓緋……」
彩音は振り返らずに慰めてくれる男の名を呼んだ。
振り返らないのは、泣きそうな顔を見られたくないからだ。
とりあえず礼を言おうとしたら、突然大きな音が響き部屋の空気が動いた。
その音は彩音達の背後から響く。見れば、石壁が下りて来た音だった。その石壁はなんと出入口を塞いでしまったのだ。
「待って、そんな!」
愛華は閉じてしまった石段のあった場所へ走り、石壁を触ったり叩いたりしていた。
だが、石壁はなんの反応もなく最初からここは壁だったというぐらいの馴染み具合だ。
「どうするの?」
彩音はふりむかないまま、自分を抱きしめたままの皓緋の右袖をちょいちょいと引っ張った。
「どうもしない。出るだけだ」
焦った様子もなく、淡々と皓緋は返事をした。
前にいる二人も同じで淡々と部屋を調べるように眺めていた。
そして彩音も落ち着いていた。
普段の彩音なら愛華と同じように焦ったり落ち着きなく歩いたり怯えていただろう。そうならなかったのは、自分を抱きしめる温もりがあったからだ。だから、出入口を塞がれた部屋に閉じ込められても落ち着いていられたのだ。
このなかで焦っているのは愛華だけだ。
いつもの愛華とは思えないほどの狼狽ぶりで、石壁を調べている。
「じゃあ愛華にも声かけないと」
彩音が皓緋の腕から抜け出そうとすると、腕の力を強め、覆い被さり「必要ない」と告げる。
「なっ、何で! 安心させてあげないとっ」
抱きつかれることに多少は慣れてしまったが、あんまり密着されると、恥ずかしさと照れで心臓が高鳴り、声も上ずってしまう。
「何故?」
心底不思議そうなトーンで返される。
「何故って……。それは、安心させてあげたいから。それにこういうビンチのときは、無闇に動かない方がいいと思うし」
それにテレビのドラマや漫画だとこういうときは大体ろくなことしか起きない。
「なるほど」
そういうものなのかと呟いた。始めて知った、みたいな感じで。
「ヒオ」
前で朱艶と話していた陽織が振り向いた。
「何?」
「やれ」
「手加減なしでいいよね」
「当然だ」
何をするのかはわからないが、二人の間では会話が成立しているようだ。
朱艶は陽織と皓緋達の間に移動する。
陽織は右手を胸元辺りまで上げると、拳を作りぎゅっと力強く握りこみ、すぐにぱっと拳を開く。
開いた掌には赤々とした炎があった。
その炎を口元まで近づけ、蝋燭の火を消すような感じで、ふっと息を吹きかけた。
「えっ!?」
一瞬で炎が部屋全体に広がった。
部屋は学校の体育館ぐらいの広さだ。
それを一瞬で炎で埋め尽くした。
それなのに熱くない。というより彩音達のまわりには炎がない。
「皓緋、これ一体……」
彩音は驚きながらも辺りを見回した。皓緋は勿論、朱艶、陽織、愛華のまわりも炎はなかった。
愛華は驚きのせいか壁を背にして、へたりこんでいた。顔は呆然としているようだ。
「ああ、ここにいる鼠を焼こうと思ってな」
自分にぴたりとくっつきながら問いかけてくる彩音に答えた。
「鼠?」
上目遣いにそう問われ、可愛らしさのあまり思わず抱きしめた。
「ちょっ! 皓緋!」
こんなときにこんなことはしないでほしいと彩音は思ったが、彩音は気がついた。自分が先に皓緋にしがみついていたことに。
いきなりひろがる炎に驚き、皓緋にしがみついたのだ。
「あ……」
彩音は全身がぶわっと熱くなるのを感じた。
(は、恥ずかしい! 何で気がつかなかったの!?)
とりあえず離れようとしたが、出来なかった。
皓緋から手を離そうとしても、怖くて不安なためか、すぐに皓緋の服を掴んでしまう。
(駄目! やっぱり怖いよ……!)
羞恥心よりも恐怖心の方が勝った。
皓緋は葛藤する彩音を愛おしそうな眼差しで見、左手でぎゅっと自分に押しつける。
彩音は無言のまま、自分からも皓緋にしがみついた。
「大丈夫だ、彩音。怖かったら、ずっと俺にしがみついていればいい。耳も塞いでいい。お前は俺が守ってやる」
皓緋は彩音から視線を外し、炎にのまれた空間に向かって言う。
「さっさと姿を見せろ、駄犬! いや、こんな穴蔵にいるなら鼠か? まあ出て来なくてもいいぞ。お前ごとここを潰すだけだからな。やれ、陽織、朱艶」
「ほーい」
「はい」
二人の返事と共に、炎の勢いが増すと同時に地面が揺れ出した。
「え、え!? 何、地震!?」
彩音が泣き出しそうな声でさらに皓緋にしがみつく。
「怖い! やだやだ! 怖いよ皓緋……!」
涙目で、怯えながら自分を見上げる彩音に訴えてられて、皓緋の何かが切れた。
皓緋はすぐさま彩音を左腕に座らせる様に抱え上げ、自分の首に彩音の腕を巻き付けさせ、右手で背中を優しく叩く。
「すまない、彩音。これなら怖くないか? まだ怖かったら俺の肩に顔を埋めてろ。……よしよし、いい子だ」
地面が揺れ出したことが相当怖かったのか、彩音はすぐに皓緋の肩に顔を埋め、震えていた。
「朱艶兄……。後……」
「振り向くな。前を見ろ。己の役目を全うしろ。……まあ、味方から痛手を受けたいなら止めないが」
怯えた声と冷ややかな声。
「嫌です」
陽織は即答し、眼前の気配に集中する。
するとゆらりと炎が歪み、揺れで崩れ始めた石床をとんとんと跳ねてこちらに向かってくる者が現れた。
「はっ。丁重に迎えてやろうかと思えば、訪れたのは小娘に骨抜きにされた愚王とは……。迎える価値もない、死ね!」
こちらに向かってくる者が剣で炎を薙ぎ払うように振る。
炎は薙ぎ払われ、そこから男は揺れる地面を蹴り上げ陽織に向かって上から剣を振り下ろす。
「無駄です」
朱艶が男に向かって左手を掲げると、結界から火花が飛び散り、男は後方へ弾かれたがうまく着地した。
「陽織、朱艶」
「「はい」」
二人は返事と同時に炎と地面の揺れを止めた。
「ああ、やっぱり駄犬か。しぶといな」
「お前ごとき愚者に駄犬呼ばわりされる筋合いはない!」
男、朔夜は剣を皓緋達に向けたまま、怒りの感情をぶつけて来る。
「お前達の首を氷蓮様にお見せすれば喜んで下さるだろう」
「はっ! 弱い犬程よく吠える。……うん? 前にも言ったか? なあヒオ」
「知らないよ〜、そんなの。それよりこいつ、やっていいんだよね」
「当然でしょう、陽織。うちの王を馬鹿にされたのですからね」
「そうだよね、うん」
「お前ら……」
皓緋は苦々しい表情で二人を見つつも指示を出す。
「ヒオ、お前に任せた。朱艶、お前は俺と来い」
「ほーい」
「はい。あれはどうするのですか」
朱艶は石床にへたり込んで、怯えている愛華の方に少し顔を向けた。
「ああ。あれはもう必要ない。だから朱艶」
「ああ、はい。承知しました。陽織もわかりましたね」
「わかった」
「彩音、今からここを出る。お前は俺にこのまま抱きついてろ。いいな?」
彩音は顔を埋めたまま、頷いた。
「お前達はここで死ぬんだ! はっ!」
朔夜が勢いよく攻めてくる。
「あんた邪魔!」
陽織は何度も攻めてくる朔夜が鬱陶しいようで、防御より攻めに転じている。
「あなたはこちらです」
「嫌! 離して!」
朱艶がうずくまっている愛華の襟首を掴み、無理矢理立たせる。
愛華は今までの姿から想像出来ないほど、子供のようにばたばたと暴れている。
「ちっ。鬱陶しいですね。皓緋、やりますよ」
「ああ」
「最後に役に立って下さい、ね!」
「嫌ぁ、やめてやめて! 何で、何でなのよぉ……」
朱艶は暴れる愛華を軽々と片手で持ち上げ、勢いよく朔夜目がけて投げ飛ばした。
「いやぁーー!!」
陽織はひょいと朔夜の剣を避けた。朔夜はすぐに追撃しようと、剣の向きを変えたとき。
「なっ!?」
自分に向かってくる物体に一瞬、気を取られた。
「愛華!?」
その隙が命とり。
「いただき」
陽織が腰からナイフを抜き、腹に刺し、ぐるりと回してから引き抜いた。
「ぐあっ!」
「ヒオ!」
皓緋の声で陽織はすぐにその場を離れた。
同時に部屋が真っ白になり、奥の方でごがっ、と、大きな音が響き、続いて何かが崩れる音がした。
「あぁ、風通しが良くなったな」
皓緋が清々しく言う。
言葉の通り、今、皓緋達の眼前から風とやわらかな光が入って来ているのだ。
崩れた石壁や石床の残骸の上を歩き、崩れた石壁の所まで行く。
「おー、いい眺めだな」
皓緋達がいる場所は結構高いらしく、靄もかかっており地上がよく見えない。
だが、緑の、植物の匂いはするし、水の匂いもする。
どちらも皓緋の住む静欒にはない。望んでも望んでも手に入らないものだった。
「本当に……」
朱艶はいきなりだんっと崩れた石床だった物を踏み付け、粉々にした。
「腹立たしいですね……! 上にも植物があり水がある。おまけに地下にもこんな楽園の様な場所があるなんて許せないですよ!」
また、がっ、がっと足で石塊を踏んで粉々にする。
「朱艶兄……?」
兄の憤る様に、陽織はおろおろする。なにしろこんなに感情的に荒れた兄を見たのは初めてだからだ。
いつもは怒ってもどこか冷静で理性が残っている。だけど今、眼前で感情を露わにして無遠慮に暴れる兄は初めてなので、どう声をかけていいのかもわからない。
「皓緋……」
自分で対処出来ないのであれば、出来る人に助けを求めることは自然なことだ。
陽織は縋るように皓緋を見る。
皓緋は盛大に溜息をつく。
「お前な。自分の兄ぐらい自力で何とかしろ。子供じゃないんだから」
「だって、でも……。俺、あんな朱艶兄初めてで、どうすればいいのかわかんないよ……」
「ならなおさら自力で何とかしろ。命令だ」
「ええっ!? 無理だよ無理! あんな怖い朱艶兄なんて無理!」
陽織は絶望に満ちた表情で無理無理! と、言いながら朱艶と皓緋を交互に見る。
「いいから行け!」
皓緋が陽織を朱艶に向けて蹴り飛ばした。
「うわっ!」
陽織はバランスを崩して朱艶にぶつかった。
「何ですか、陽織。危ないでしょう」
朱艶は陽織を受け止め、普段通りの態度で言う。ほんの一瞬前まで荒々しかったのに、スイッチを切ったかのように今はいつもの朱艶だ。
「え、ええっと……? ご、ごめんなさい?」
「何故疑問形なのですか。まったく」
兄の豹変ぶりにどうすればいいのかわからない陽織と、弟の不甲斐なさに呆れる朱艶に、それを見る皓緋。
「ほらな。何とかなっただろう、ヒオ」
ふっ、と、陽織を鼻で笑うと二人に言う。
「ほら、目的地が見えた」
皓緋が顎で遠くにある大樹を指す。
「あれが……古の大樹」
朱艶が呟く。
「そうだ。あれの所にあいつもいる。あそこまで飛ぶから俺から離れるな」
「わかりました。あれはどうしますか」
朱艶が後の瓦礫の山の中に倒れている朔夜と愛華にちらりと視線を向ける。
「放っておけ」
「わかりました」
「さて、と。彩音」
皓緋は抱きかかえていた彩音を下ろした。
彩音は震えながらも皓緋を見上げた。顔は、誰が見てもわかるほど怯えていた。
それもそうだろう。平和な世界で生きてきた普通の少女が、こんな考えも及ばない様ような出来事を体験して正気を保っていられる方がおかしい。
「…………」
返事をしようとしたが、声が出ないようだ。
そんな痛ましい彩音を見て、皓緋はどうしようもないほど心が乱れた。
全てを投げ出して彩音を慰めたい、己の全てで彩音を甘やかして笑顔にさせたいと。
だが、それは出来ない。
全てを終わらせるまでは。
「すまない、彩音。こんなに怖い思いをさせて」
皓緋はぎゅっと彩音を抱きしめた。
彩音は皓緋の胸に顔を埋めながら、ふるふると首を振った。
「すまない」
皓緋は彩音の首にとん、と軽く手刀を入れた。
彩音の身体はだらりと力が抜け、また皓緋が左腕で抱きかかえた。
「いいのですか」
「ああ。この方が怖い思いもしなくてすむ。あとは弟を奪還したときに起こせばいい」
「その方がいいかもね。進んで怖い思いする必要なんてないよ」
「まあそうですね。では、さっさと決着をつけに行きましょうか。皓緋」
「ああ」
皓緋は右手に力を集中させ、風を生み出し、四人を包む。
「行くぞ」
皓緋が言い二人が頷くと、とん、と瓦礫を蹴り、空中へと飛び込んだ。
大樹の元、氷蓮の元へ——。




