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十章 迷宮・四

「皓緋。いい加減に彼女から離れなさい。うっとおしい」

朱艶が皓緋の左耳を容赦なく引っ張る。

「痛っ! やめろ、離せっ!」

皓緋が左手で朱艶の手を強く払い除ける。

「ひゃっ!」

彩音もびっくりして、自分を囲っている皓緋の右腕を思わず掴んでしまう。

「ほら、お前がくだらない事をするから彩音が驚いたじゃないか! 大丈夫か、彩音?」

皓緋は彩音を自分の方に向かせると、返事など聞かずまたぎゅっと抱きしめる。

「皓緋、お前は……」

はあ、と朱艶は大きく息を吐き小言を言おうとした。

だが改めて、目の前にいる小娘に熱を上げているみっともない馬鹿な男を見たら何だかもう全身の力が抜けて、小言を言う気力も消え失せた。

今、目の前で起こっている事は、幻覚なのではないだろうか?

多少我儘な所はあれども、どのようなときでも民を励まし、力強く導いて来た我が静欒さいらんが誇りに思ってきた、強く聡明な王なのか?

朱艶はもう呆れ果て、ただ立ち尽くす。

目の前では延々と皓緋の一方的なじゃれあいが続いている。

「ちょっと皓緋! 離してよ! ここまでくっつかなくてもいいでしょ!?」

彩音は両腕で皓緋の腹の上辺りを押して、自分から離そうとしている。

「いや、何が起こるかわからないんだ。彩音は大人しく俺の腕の中にいればいいんだ!」

皓緋は彩音の両肩を掴んで、説得しつつまた抱きしめようとしている。

くだらない押し問答とじゃれあい。

もうこのくだらないやり取りは見たくない。いっそのこと敵でも魔物でもいいから来てくれないだろうか――、そう思ったとき。


「遅くなってごめん!」


東屋を隠すように生い茂っている植え込みをかき分けながら、陽織が愛花を抱きかかえ皓緋達の所へやって来た。

「愛花!?」

彩音は皓緋の腕を思い切り振り解き、愛花の元へと走り寄る。

「愛花、だ、大丈夫なの!?」

少し震えた声で、彩音が愛花に問う。

愛花の衣服に染み付いた血の多さに驚いたからだ。

東屋の柵に置いた灯りが愛華を照らしたとき、左胸を染めた血の量を彩音は見てしまった。

灯りは皓緋達が持って来たもので、両掌分ぐらいを照らし出す程度のものだ。

大人の掌に収まる程度の大きさの水晶のような物だ。少し強い力で握ると、細かい砂のようになるので始末もしやすい便利なものだ。


「大丈夫ですよ、彩音様」

愛花は彩音に優しく応え、陽織に下ろすよう伝えた。

「でも……」

陽織は渋った。

傷がふさがったとはいえ、体力まで回復したわけではないのを知っているからだ。

だが、愛花はこれ以上陽織に抱えられる気はないようで、下りようと身体を動かした。

陽織も諦めたのか、逆らうことなく愛花を地面に下ろした。

「愛花! 本当に大丈夫なの!?」

彩音は愛花に触れようとした右手を、何かに気づいた様子ですっとひっこめた。

自分が触った場所にもし怪我でもあれば、痛みをあたえてしまうことに気づいたからだ。

愛花は自分の格好に怯えたためと思い、苦笑して「怖がらせてしまい申し訳ございません、彩音様」と頭を下げた。

「ち、違うよ、愛花! 愛花のこと、怖くないよ。ただ、私が触ったところが怪我でもしてたら、痛むかと思って……」

「そうでしたか。てっきりこの姿に怯えられたのかと思いまして。ご心配をおかけして申し訳ございません。ですが、怪我はもう治りましたので大丈夫ですよ。皓緋様達にはご迷惑をおかけして申し訳ございません」

愛花は彩音の背後に立つ二人にも頭を下げた。

皓緋は愛花を一瞥し、「行けるな」と心配の欠片も感じない声音で確認した。

先程まで馬鹿なじゃれあいをしていた男と同一人物とは、とても思えない。

「はい。問題ありません」

愛花も当然のように答えた。

「では行くぞ。案内しろ」

「ちょ、ちょっと皓緋!」

彩音は皓緋のコートを掴み、引き留めた。

「何だ、彩音」

掴まれた手をコートから優しく離し、その手をそのまま繋いだ皓緋。

「ちょっ、そうじゃなくて!」

彩音は皓緋の手を振りほどこうと手を上下に振ったが離れないので、あっさりあきらめ、本題に入った。

「愛花はこんなに血が出たほどの怪我をしたんだよ! もう少し休んでからでもいいんじゃないの?」

彩音は皓緋に強い批難の視線を向けた。

「そうだよ。彩音ちゃんの言う通りだよ! もう王宮内に入ったんだしさ……」

陽織も彩音に乗って皓緋を批難した。

皓緋は陽織の方を向くと、呆れと苛立ちの混じった表情で言い返す。

「お前は馬鹿か。お前達を待っていた時点で時間はかなりたっている。ここは敵地でいつ何が起こるかわからない。そんな中で無駄に使える時間はない。愛花も問題ないと言ってるんだ。それをお前がグズグズと文句を言う権利はない。行くぞ」

「本当に、お前は人のことより自分の心配をしなさい。お前が下手をうっても誰も助けなど出来ないのですからね」

と、朱艶にも嗜められる。

「具合いは万全とは言えませんが、皆様の足手まといになることはもう致しませんのでご安心下さい、陽織様」

その上、心配した相手にもこれ以上の問答は無用ととどめを刺されてはどうしようもない。

「わかったよ」

本当は全然納得などしていないし、わからない。

何で平気だなんて嘘をつくんだ。

自分の身体が大事じゃないのか。

……ああ、もういいや。

人の優しさを受け入れないやつなんて死んじゃえばいいよ。

俺が心配してやることはないんだ。

そんなふりはもうしなくていいんだよね、春兄。

陽織はそう結論づけると、すっきりとした表情で皓緋達の後を追い始めた。

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