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九章 すれ違う想い・九

「うん、問題ないな」

「だな」

燥焔と遊焔が緋月の魂の入った人形の頭、腕、足を触り、確認しながら言った。

「あんたも特に違和感とか感じないよな?」

遊焔が人形——緋月に問う。

「はい、特にありません」

感情のない声で答える。

「なら、仕事は完了。もし何かあったら俺達に言ってくれ」

燥焔は皓緋と緋月に言う。

「ああ。緋月、彩音、行くぞ」

皓緋の言葉を受け、緋月は寝台から下りた。

身長は彩音とそう変わらないが、緋月の方が少し低い。

「歩けるか」

皓緋が緋月に確認する。

「はい、歩けます」

「なら行くぞ」

皓緋は先頭に立ち、二人の娘は後に続く。

「あの……」

彩音は緋月に声をかけた。

今までのこと、これからのこと、話したいことはたくさんあるのにどれから話せばいいのかわからなくなり、しどろもどろになりながら言葉を探す。

「話は後でゆっくりとしましょう、彩音」

そんな彩音の姿を見た緋月が返事をする。

「あ……。そう、ですね」

確かに今ではなく、落ち着いた場所でゆっくり話せばいい。緋月はもう自分の中ではなく、目の前にいるのだから。

彩音は照れ笑いをすると、また前を向いて歩く。

緋月も優しい微笑を返したが、彩音の視線が外れたとたん、その顔は暗く、無感情な表情に変わり、先を歩く皓緋の背中を虚な瞳でぼんやりと追っていた。


執務室に戻ると皆、緋月に驚いていたが、緋月の状況を話し、対面を終わらせた後、皓緋は今後のことについてあらためて話を始めた。

「まずは向こうに囚われている彩音の弟を奪還する。決行は明日だ」

「えっ!?」

彩音だけでなく、ここにいる者全員が驚いた。

「その理由は、皓緋」

眼光鋭く、朱艶が問う。

「本来であれば、一度で全てを済ませたいところだが、術は微調整のみとはいえ、あと二、三日はかかる。それに術を行えば、世界がどうなるかわからないからな。なら約束を違えないためにも、確実に奪還可能な今するべきだろう」

「確かに理は通っている、が」

「何だ」

「性急過ぎではないか」

「そうか?」

渋い表情の朱艶など気にもせず、皓緋はしれっとしている。

「今回行く者は、俺、朱艶、陽織、彩音、愛華だ」

「まあ、妥当な面子だよね」

陽織が頷く。

「あの……、私は必要ないのでしょうか、父様」

そこへ、少し淋しげな表情をした緋月が皓緋に問う。

「仮とはいえ、お前が身体を得たことを氷蓮に知られたくはない。春詠と留守を守ってくれ、緋月」

「ですが皇華殿は広すぎますし、呪術的な仕掛けもあります。もし父様に何かあったら……」

確かに皓緋の言うことにも一理あるが、氷蓮に見つからなければいい。愛華よりも王宮のことに精通している自分の方が必要なはず。それなのに自分を置いていくのはおかしいのではないかと思い、緋月にしては珍しく食い下がる。

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、緋月。皓緋は必ず帰って来るよ。そうだろう?」

そこに緋月を安心させるように、優しく微笑みながら春詠が会話に入ってきた。

緋月は春詠の方を向き、何か言いたげな表情をしたが、反論することもなく「……はい、そうですね。父様、無事のご帰還をお祈りしております」と言ったきり、俯き、黙ってしまった。

(酷い……)

緋月の後に控えていた愛華が緋月の肩を、慰めるように撫でる。

撫でながらも視線は春詠から外さない。

春詠は緋月の言いたいことは解っていたのに、緋月の気持ちを無視するためにわざとああ言ったのだ。

そうすれば緋月はそれ以上食いつくこともないからだ。

愛華は緋月のためにも言い返したかったが、すれば緋月を惨めにするだけだ。それに、不本意とはいえ、緋月は春詠の言葉を肯定しているのだから侍女である愛華が今更とやかくも言えない。主人に恥かかせるだけだ。

「良い子だね、緋月は」

そう言うと、春詠は椅子から立ち上り、俯く緋月の前で止まる。

緋月は自分にかかる春詠の影に怯えたのか、身体が竦んだ。

身体の強張りに気付いた愛華は、緋月の背後から左横に移動し、春詠から庇うようにして声をかけた。

「緋月様、気分がよろしくないのでしたら部屋へ下がりますか?」

ちらりと春詠へ嫌味を込めた視線を流すが、春詠は気にもしない。

「おや、そうなのかい?」

春詠は少しかがみ、気遣わしげな表情で緋月を見下ろす。

「え、具合悪いの、緋月さん」

彩音は皓緋を押し退けると、緋月の側により、膝をついて緋月の顔を見上げる。

緋月は彩音から逃げるように身体を愛華の方へずらした。緋月の気持ちを察した愛華は、緋月を隠すように身体をずらして彩音に答えた。

「少し休めば大丈夫だと思います、彩音様」

「そう……?」

愛華にそう言われたものの、新しい身体に移ったのだ。やはりどうしても心配してしまう。

「あの……、無理しないで休んでくださいね」

本当はこのあと話をしたかったのだが、仕方がない。

具合の悪い者に無理はさせられない。

「…………」

自分を気遣う彩音に悪いと思ったのか、緋月は愛華の陰から返事をしようと口を開きかけたが、声になることはなかった。

「彩音」

「え? きゃあっ!」

皓緋が彩音を荷物を運ぶかのごとく、ひょいっと背後から抱き抱えた。

「お前はこっちだ。緋月のことは春詠に任せて、俺達は明日の準備と話し合いをするぞ」

「え、あ、うん。それはわかった。わかったけど、抱き抱える必要はないでしょっ! もうっ、下ろしてよっ!」

彩音は右手でどんっ、と皓緋の胸を叩くが、皓緋には何らダメージはあたえられなかったようだ。

「彩音」

「何よっ!」

きっ、と目力強く、皓緋に顔を向けると彩音は「あ……」と小さな声を漏らし、顔が林檎のように赤らんだ。

忘れていたが、今、皓緋の顔は至近距離にあったのだ。

皓緋の美貌にあてられた彩音の動きが固まる。

そんな彩音を見た皓緋は、満足気な笑みを浮かべ、耳元で囁くように告げた。

「これ以上騒いで暴れるなら、口付けするぞ」

「!!」

彩音は更に動けなくなった。

皓緋の吐息が顔に触れるほどの距離で、魅惑的で、柔らかな甘い琥珀色をした瞳に見つめられて告げられれば、男性と付き合ったことのない思春期の少女を黙らせることなど造作もない。

「よーしよし、いい子だな」

皓緋は満足気な笑顔を浮かべ、硬直している彩音の後頭部にそっと左手を移動させ、自分の右肩へ寄りかからせるように優しく押した。

そして仕上げとばかりに、彩音の右のこめかみ辺りにちゅっ、と軽く口付けをした。

「!?」

彩音は皓緋の予想外の連続行動についていけず、顔をこれでもかというほど赤く染め、汗が一気にぶわっとでた。

「ぁ……ふぇ……?」

一体何が起きたのだろう。

いや、起きたことはわかっている。わかっているからこそ、どうすればいいのかわからない。

「っ……!!」

彩音はただもう恥ずかしくてどこかに隠れたかったが、今は身体に力が入らず動けない。

とにかく顔だけでも隠したいと思った彩音は、咄嗟に皓緋の肩に自ら顔を埋める。

皓緋の服をぎゅっと掴み、髪の隙間から覗く耳まで真っ赤に染めて羞恥に震える彩音。

対して皓緋は、それはもう満足気な笑顔を浮かべていた。まさにデレているという以外、言い様がない状態だ。

朱艶と陽織はこの世の終わりの風景でも見たかのように、青ざめ、絶句していた。

それほど怖ろしい光景だったのだろう。

「全く……。皓緋、そんなに彩音ちゃんをからかうんじゃないよ。可哀想に、こんなに固くなっちゃって」

そう嗜めながらも、春詠もくくっと笑いを洩らす。

彩音の狼狽ぶりが相当面白かったようだ。

「ごめんね、彩音ちゃん」

春詠は声だけかけ、皓緋にさっさと部屋を出て行けと目で促す。

「さ、俺達は広間へ移動するぞ」

彩音を抱きかかえたまま、皓緋は呆然としている朱艶達に声をかけ、皓緋の声ではっと我に返った陽織が皓緋に問う。

「愛華さんは?」

「心配ないよ、緋月を部屋に連れていったらすぐに広間に向かってもらうから」

皓緋の代わりに背後から春詠が答えた。

「そういうことだ。ほら、さっさと行くぞ」

「へーい」

陽織は心配そうな視線をちらりと愛華に向けたが、すぐに皓緋達の後を追った。


「さて、と。具合はどうだい、緋月」

春詠は緋月達に向き直る。

「ご覧になっている通りです。この状態が良いと思われますか?」

緋月は答えず、愛華が答えた。

「さあ? 本人が答えないとわからないな」

「答えられないのが返事、とは思われないのですか、春詠様」

「ああ。話せなくても意思表示が出来るぐらいの気力はあるだろう。さ、退いてくれるかな、愛華さん」

優しい笑顔をしているのに、その顔からは許否も反論も許さないような威圧感を感じる。

「春詠様、貴方という方は……!」

愛華は腹が立った。

何という非情な人なのだろうか。これが身内のすることだろうかと。

ふつふつと沸き上がる怒りをどうすればいいのか。

このまま春詠にぶつけてしまえれば楽だろうが、そうもいかない。ぐっ、と怒りを飲み込み、緋月の方を向く。

「緋月様、さ、部屋に戻りましょう」

愛華は部屋を出ようと、座っている緋月を促した。緋月もここに居たくないらしく、愛華に従い部屋を出ようとしたその背中に声が刺さる。

「逃げるのかい、緋月」

その声に二人の歩みがぴたりと止まる。

怒りが込もっているわけでも、嫌味なわけでもない。ただ冷静で平坦な声。

それなのに背後から凍るような怖ろしさを感じる。

今、ふりむけばきっと春詠は穏やかに微笑しているだろう。

だからこそ、怖ろしい。

心がわからない。本当はどう思っているのか——。

「わかったよ。お前がどうしようもない子だとね」

「春詠様!」

愛華はもう我慢出来なかった。

緋月に背を向け春詠に反論しようとしたとき、「やめて、愛華」と、緋月が声を出して止めた。

だが、振り向きはせず、身体は扉の方を向いたままだ。

「どうぞ、皆様のお好きなようにお使い下さい。私の気持ちなど訊く必要もないでしょう?」

「ほう。いい心がけだね。皓緋にもそう伝えておくよ」

春詠はやはり穏やかに微笑んでいた。その表情にぞっとしつつも、足早に部屋を出ていく緋月を愛華は急ぎ追って出て行った。


春詠はくるりと背を向け、ソファーに座る。

「やっぱりあの子達の言う通りだねぇ。まあ、あの世界の血筋の子ならおかしくもないか」

くくっと可笑しそうに笑ったが、ふと、何かに気付いた表情になる。

「ああ、でもうちの血筋も負けないぐらい壊れているか」

ああ、そうだそうだ。まともな人間なんてこの世界にはいない。

彩音と祥護を除いて——。

「さて、そうとわかれば色々準備をしないとね」

春詠は嬉々とした表情になり、ソファーから立ち上がると部屋を後にした。

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